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それぞれの絆
【旦】雪旦那と紫緒【三】
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「…あの…このまま無為に時間を過ごしてしまうのは、勿体無いです。調べ物を始めましょう?」
沈黙に耐え切れなくなったのか、雪緒が顔を上げて、努めて明るい声を出して立ち上がり、茶の間の隅に置いていた本を取りに行った。
「あ、ああ、そうだな」
その背中を見上げながら返事をして、少年の頃の雪緒は、何時もこんな風に俺の背中を見上げていたのかと思った。
今は、ここまで見上げる事は無いだろうが、あの頃はこうして見ていたのだな。
こんな風に見上げながら、俺の後ろを歩いていたのだろうか。
雪緒の目に、俺の背中はどんな風に映っていたのだろうか。
この、置いて行かれる様な思いは何なのだろうか。
俺は、雪緒に寂しい思いをさせていたのだろうか。
「紫様」
「あ、ああ、すま、ふ?」
目の前に購入した本が差し出され、それを受け取ろうと手を出したら、身を屈めた雪緒に鼻を摘ままれた。
「…ふふ…。今は僕が紫様ですからね。こうして鼻を摘まんでも問題ありませんよね」
そう言って目を細めて嬉しそうに微笑むそれは、確かに俺の顔なのだが、何故かそれにドキリとしてしまった。
俺はこんなに柔らかく笑うのだろうか。
それとも、今は俺が雪緒だから、そう見えてしまうのだろうか。
いや、中身が雪緒だから、そう見えるのか。
心臓の音がやけに近くで聞こえるし、顔に熱が集まって来るのが解る。
何だこれは。
雪緒は俺が鼻を摘まむ度に、何時もこうなるのか?
こんなに心臓を五月蠅くしていたら、早死にしてしまうだろうが。
しかし、何処かでこれを嬉しいと感じてる俺がいるのも事実だ。
ドクドクと脈打つ鼓動を聞きながら、無言でその顔を見て居たら、段々とその顔に朱が差して来た。
「…あ、あの…その様に見詰められますと…照れてしまいます…」
雪緒が俺の鼻から指を離し、両手で顔を覆って、身を燻らせてしまった。
いや、止めろ。俺の身体で恥ずかしい事をするな。
そう思いながらも、その姿が可愛らしいと、愛らしいと思ってしまうのは何故だ?
「あ、ああ…すまん。ともかく、調べるとしようか」
「はい。あ、お茶を淹れ直しましょうね」
少々ではあるが乱暴に本を開き目を落とせば、雪緒がふっと笑って、すっかり冷えた茶の入った湯呑みを持って立ち上がり台所へと姿を消した。
それに注ぎ足しても良いと思うのだが、それをしないのが雪緒らしい。何時でも、俺には美味い物をと思ってくれているのだろう。
全く、困った奴だ。
緩んで落ちそうになる頬を押さえて、俺は書かれている内容に意識を向かわせた。
◇
カチリとした音がしたかと思えば、茶の間に明かりが灯された。
冬の陽は落ちるのが早い。
「…今日はここまでにして、また明日にしましょう」
「そうだな…」
立ち上がり、蛍光灯の紐を持って苦笑する雪緒に、俺も苦い笑みを零す。
結局、今日購入した本には、この様な現象を起こす物の怪に関する事は書かれていなかった。
明日、と雪緒は口にしたが、書店は未だ何処も開いてはいないだろう。
この三が日は大人しくしているのが吉と云う事なのだろうか。
「おーい、ゆかりーん!」
流石に目が疲れたなと目頭を押さえていたら、暢気な天野の声が聞こえて来た。
「何だ?」
「はい、ただいま!」
俺が腰を浮かせるより早く、既に立ち上がっていた雪緒が玄関へと向かった。
折角の正月なのに、動き過ぎではなかろうか。
やはり、ここは無駄な足掻き等せずに、五十嵐司令からの吉報を待って、大人しくしていた方が良いのかも知れん。
◇
そうして、天野が帰った後の茶の間で、俺と雪緒はまた互いに向かい合って座り、首を垂れていた。
『契れば元に戻れるってよ!』
曰く、仲の良い夫婦や恋人を見ては悪戯をする物の怪が居ると。
曰く、その悪戯は様々であると。
曰く、仲違いが目的らしいと。
曰く、ならば、仲が良い処を見せつけてやれば良いと。
曰く、その物の怪が、裸足で逃げ出すぐらいの物をと。
五十嵐司令と共に調べていて、その文献に辿り着き、二人で考えた結果がそれだと、天野は白い歯を見せて笑っていた。
そして、更にこう言ったのだ。
『姫初めだな!』
と。
沈黙に耐え切れなくなったのか、雪緒が顔を上げて、努めて明るい声を出して立ち上がり、茶の間の隅に置いていた本を取りに行った。
「あ、ああ、そうだな」
その背中を見上げながら返事をして、少年の頃の雪緒は、何時もこんな風に俺の背中を見上げていたのかと思った。
今は、ここまで見上げる事は無いだろうが、あの頃はこうして見ていたのだな。
こんな風に見上げながら、俺の後ろを歩いていたのだろうか。
雪緒の目に、俺の背中はどんな風に映っていたのだろうか。
この、置いて行かれる様な思いは何なのだろうか。
俺は、雪緒に寂しい思いをさせていたのだろうか。
「紫様」
「あ、ああ、すま、ふ?」
目の前に購入した本が差し出され、それを受け取ろうと手を出したら、身を屈めた雪緒に鼻を摘ままれた。
「…ふふ…。今は僕が紫様ですからね。こうして鼻を摘まんでも問題ありませんよね」
そう言って目を細めて嬉しそうに微笑むそれは、確かに俺の顔なのだが、何故かそれにドキリとしてしまった。
俺はこんなに柔らかく笑うのだろうか。
それとも、今は俺が雪緒だから、そう見えてしまうのだろうか。
いや、中身が雪緒だから、そう見えるのか。
心臓の音がやけに近くで聞こえるし、顔に熱が集まって来るのが解る。
何だこれは。
雪緒は俺が鼻を摘まむ度に、何時もこうなるのか?
こんなに心臓を五月蠅くしていたら、早死にしてしまうだろうが。
しかし、何処かでこれを嬉しいと感じてる俺がいるのも事実だ。
ドクドクと脈打つ鼓動を聞きながら、無言でその顔を見て居たら、段々とその顔に朱が差して来た。
「…あ、あの…その様に見詰められますと…照れてしまいます…」
雪緒が俺の鼻から指を離し、両手で顔を覆って、身を燻らせてしまった。
いや、止めろ。俺の身体で恥ずかしい事をするな。
そう思いながらも、その姿が可愛らしいと、愛らしいと思ってしまうのは何故だ?
「あ、ああ…すまん。ともかく、調べるとしようか」
「はい。あ、お茶を淹れ直しましょうね」
少々ではあるが乱暴に本を開き目を落とせば、雪緒がふっと笑って、すっかり冷えた茶の入った湯呑みを持って立ち上がり台所へと姿を消した。
それに注ぎ足しても良いと思うのだが、それをしないのが雪緒らしい。何時でも、俺には美味い物をと思ってくれているのだろう。
全く、困った奴だ。
緩んで落ちそうになる頬を押さえて、俺は書かれている内容に意識を向かわせた。
◇
カチリとした音がしたかと思えば、茶の間に明かりが灯された。
冬の陽は落ちるのが早い。
「…今日はここまでにして、また明日にしましょう」
「そうだな…」
立ち上がり、蛍光灯の紐を持って苦笑する雪緒に、俺も苦い笑みを零す。
結局、今日購入した本には、この様な現象を起こす物の怪に関する事は書かれていなかった。
明日、と雪緒は口にしたが、書店は未だ何処も開いてはいないだろう。
この三が日は大人しくしているのが吉と云う事なのだろうか。
「おーい、ゆかりーん!」
流石に目が疲れたなと目頭を押さえていたら、暢気な天野の声が聞こえて来た。
「何だ?」
「はい、ただいま!」
俺が腰を浮かせるより早く、既に立ち上がっていた雪緒が玄関へと向かった。
折角の正月なのに、動き過ぎではなかろうか。
やはり、ここは無駄な足掻き等せずに、五十嵐司令からの吉報を待って、大人しくしていた方が良いのかも知れん。
◇
そうして、天野が帰った後の茶の間で、俺と雪緒はまた互いに向かい合って座り、首を垂れていた。
『契れば元に戻れるってよ!』
曰く、仲の良い夫婦や恋人を見ては悪戯をする物の怪が居ると。
曰く、その悪戯は様々であると。
曰く、仲違いが目的らしいと。
曰く、ならば、仲が良い処を見せつけてやれば良いと。
曰く、その物の怪が、裸足で逃げ出すぐらいの物をと。
五十嵐司令と共に調べていて、その文献に辿り着き、二人で考えた結果がそれだと、天野は白い歯を見せて笑っていた。
そして、更にこう言ったのだ。
『姫初めだな!』
と。
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