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それぞれの絆

【旦】いつかの悪戯・後編

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「あ…あの…お先…でした…。…お水飲んでから…お部屋に向かいますね…」

 遠慮がちな雪緒ゆきおの声に、俺は意識を呼び戻された。

「あ、ああ…」

 いかん。また考えに耽っていたか。
 組んでいた腕を解いて立ち上がれば、雪緒は頬を赤らめて静かに微笑みながら、茶の間へと入って来る。すれ違う時に、洗い立ての髪に軽く触れれば『へぅ…っ…』と、驚いた様な、それでいて嬉しそうな声が雪緒の口から零れた。
 それに軽く笑って、俺は風呂場へと向かった。

 ◇

「…む…」

 脱衣所にある姿見に自身を映しながら、俺は唸っていた。
 天野から渡された服は大き過ぎず、小さ過ぎず、程好い感じに仕上がっていた。採寸なぞされた記憶は無いが、どうやって調べたのだろうか? 隊服か? 何時の間に調べていたんだ?
 この服が似合うか似合わないかは、正直俺にはピンと来ない。
 少し袖口の開いたシャツは動きの妨げにならずに良いが、蝶ネクタイを締めた首元が窮屈な気がする。普段ネクタイを締めないから違和感しかない。ベストもこんなに身体にぴたりとする物だったか? やたらと胸から腰に掛けて絞られている気がする。極めつけは、このとんびだ。この裏地の赤が、やたらと派手だ。いや、気障ったらしいと云うべきか。雪緒は本当に俺にこれが似合うと思ったのか? いや、まあ、雪緒が喜んでくれるのなら、別に文句は無いのだが。喜ぶそぶりをみせなかったら、後日あの二人を絞めれば良い。

「…後はこの着け牙を…」

 ゴム製らしき牙を犬歯にあたる部分へと取り付けて見るが…。

「…む…」

 違和感が凄いし、ゴムの匂いが不快だ。
 こいつは却下だ。

「…しかし…」

 どうにもしっくり来ないな、と、俺は姿見を睨み付ける。そこに映るのは、自慢では無いがそれなりに鍛えられた身体の男の姿で、それは紛れも無く俺なのだが。

「…ああ、そうか、髪か…」

 仕事の時は前髪が邪魔になるから、前髪を上げて後ろへと流している。そうか。仕事の時と同じ洋装だから、しっくりと来なかったのか。それならばと、同じ様に髪を流し、耳を隠す髪も、後ろへと流した。
 
「…まあ、これで見られる様にはなった、か?」

 確認する様に声に出せば、鏡の中の目付きの鋭い男の口も同じ様に動くのを見て、俺は片手で額を押さえた。

「…我ながら、何をやっているのだか…」

 四十路の、もう、おっさんと呼ばれても文句も言えない俺が、姿見の前で本当に何をしているのだろうか。何時から俺は、こんな事をするガキになったのか。

「いや、今日だけだ。もう、こんな格好はすまい。雪緒の反応を楽しんだら、止めだ止め!」

 何時までも目付きの悪い男と睨み合いをしていても時間の無駄だ。
 さっさと雪緒の反応を見ようではないか。

「待たせたな」

ゆかりさ…」

 と、部屋の障子を開ければ、綺麗に敷かれた布団の横で、律儀に正座をしていた雪緒が振り返って来て、固まった。

 おい、何故固まる。

 障子を締めて、明るい部屋の中を歩いて雪緒の前に辿り着き、片膝をついて座れば、雪緒はパチパチと何度も目を瞬かせた。

「…似合わないか…?」

 右手でとんびの合わせ目を掴み、それを広げて中の装いが良く見える様にすれば、雪緒は顔を赤くして、慌てて首を横へと振った。

「はへっ! よ、よよよよよく、た、たたたたた大変に良くお似合いですっ! あああああの、お、おぐっ、おぐ…ふがっ!!」

「落ち着け!」

 こんな格好をしていても、やる事は同じで、俺はとんびを掴んでいた右手をそこから離し、代わりに雪緒の鼻を摘まんでいた。

「は、はひ…あの…御髪が…お勤めの時と同じで…驚いてしまいました…」

「もう何度も見ているだろうが」

「で、でも…お勤め先で、ですし…」

「…普段からもこの方が良いのか?」

「駄目です!」

 …おい…。

「ああ、いえっ! そ、その御髪ですと…皆様が紫様を見ますので…その…あまり…紫様を見られたくないと言いますか…。あ、お召し物も…その…あの…か、身体の線が綺麗に出ていて…とても…似合っています…。…何時か…口にした事…覚えていて下さったのですね…嬉しいです…」

「そ、そうか…」

 思わず半眼になってしまったが、真っ赤になりながら嫉妬めいた事を言われ、更には似合っていると頬を緩められてしまえば、こちらの頬も熱を帯びて緩んでしまう。

「…吸血鬼の事を知っているか?」

「はい。人の血を吸う物の怪ですとお聞きしています」

「…お前の血を吸っても良いか?」

「ふえっ!?」

 何故、目を丸くする!

「真似事だ、真似事! …この首に齧り付きたい…良いか?」

 人差し指と中指を使い、するりと白く細い首筋をなぞれば、ピクリと雪緒の身体が震えた。
 
「…嫌、か?」

「いえ…。ふふ…初めて仮装をした時…悪戯はいずれと仰ってましたが…その悪戯がこれなのですね?」

「…そんな事を言ったか? だが…まあ、そうだな…悪い悪戯だ」

「…ふふ…悪い大人ですね。…どうぞ…」

 クスクスと笑って、雪緒は両目を閉じて唇を笑みの形にしたまま、浴衣の襟に指を掛けて僅かにずらし、顔を右へと傾けてその白い首を無防備に晒した。
 ゴクリと音がしたかも知れん。
 思わず固唾を飲んでしまった。
 サラサラとした雪緒の髪が浴衣に掛かる。
 白い首筋から肩に掛けてを目で追い、浮かぶ鎖骨に目が奪われてしまう。
 右手を雪緒の肩に置き、左手を背中へと回す。

「…痛かったら言ってくれ」

「はい」

 首筋に顔を近付ければ、爽やかな石鹸の香りがした。同じ物を使っているのに、違う物の様な気がするのは何故なのだろうか。
 
「…あ…」

 噛む前に軽く唇で触れて、そっと舌を這わせれば、甘い吐息が雪緒の口から溢れた。
 嫌がられても、怖がられてもいない事に安堵して、俺は口を大きく開いて、その白い首筋に歯を立てた。固くは無いが、柔らか過ぎる訳でも無い。程良い弾力を楽しみながら、二、三度歯を動かす。その度に小さく震える雪緒の反応が、俺の情欲を煽る。
 噛んだ痕を癒す様にして、またそっと舌を這わせて顔を動かし、熱を持った頬に口付けて薄く伏せていた目を開くと。

「雪緒!?」

「…はあ…はあ…ドキドキしまふ…心臓が破裂してしまいそうれふ…」

 雪緒は顔を真っ赤に染め上げて、鼻血を流していた。両の鼻の穴から。

「おま…っ、何時から!?」

「…はあはあ…か、かみゃれる前から…鼻がみゅずむじゅと…」

「何故言わんっ!! 横になって鼻を押さえていろ! 今、冷やす物を持って来る!!」

「ひゃうっ!?」

 俺は雪緒を布団へと押し倒し、その身体の上に着ていたとんびを掛けてから部屋を飛び出した。

「ひょひゃあ~」

 と、訳の解らない雪緒の声が聞こえたが、俺はそれを無視した。

 ◇

「いよっ! ゆかりん昨日はどうだった? 雪坊、喜んでくれたか?」

 翌朝、更衣室にてやたらと肌艶の良い天野が白い歯を見せて笑って来た。

「…ああ…鼻血を噴いてな…」

「ははっ! 大袈裟だなあ! そっかそっか、喜んでくれたか。みくちゃんも喜ぶな!」

 …冗談では無く、本当なのだが…。
 結局、昨日は雪緒の鼻血を止めるのに精一杯で、何事も無く終わってしまったのだ。何事も無く、な。

「おうっ!?」

 取り敢えず、俺は天野の尻を蹴飛ばした。
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