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それぞれの絆

【旦】玉子焼きは甘いか

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「…む…」

 …頭が痛い…。
 やはり、呑み過ぎたか…。

 僅かに痛む頭に手をあて、片手で身体を支えて起こせば、隣に並ぶ布団では、まだ雪緒ゆきおが健やかな寝息を立てていた。珍しい事もあるものだ。まあ、俺が早くに起きただけだろう。
 しかし。
 全く恐れ入る。
 …まあ、酒の席で酔った勢いで、どうこうなる可能性が無くなったのは良かったが。
 良かったのだが、正直。

「…つまらん…」

 酒に酔えば、そのせいで気が緩み、俺にもう少し甘えてくれる物と期待していたのだが。それは掠りもせずに、粉々に砕かれてしまった。
 本当に、全く、ままならない。
 雪緒は何時だって、俺の想像を遥かに超えて行くのだ。それは今に始まったことではない。

 立ち上がり、窓の障子を開けに歩き出す。まだ、陽が昇ったばかりか。弱々しい光が障子を射していた。
 なるべく音を立てない様に障子を開ければ、積もった白い雪に反射した光が眩しく、俺は僅かに目を細めた。雪緒が口にしていた様に、鮮やかに晴れを予想させる空が広がっていた。これならば、昼過ぎの汽車で帰れるだろう。それまでは温泉街を見て回れば良い。昼は何にしようか? ここは確か蕎麦が名物だった筈だ。蕎麦を食い、ふかしたての温泉饅頭を食い、温泉玉子を食うのも悪くは無い。雪緒は喜ぶだろうか?

「…ぅ、ん…」

 そう思いながら口元を緩めた時、雪緒の声と僅かに身動ぐ音が聞こえた。
 陽を入れた事で、雪緒を起こしてしまったか。悪い事をしてしまった。

「起こしてしまってすまんな。お前が言った通りに、見事な快晴になりそうだ。今夜は何を作ってくれるんだ?」

 昨日の雪緒の言葉を思い出しながら、窓から離れ、雪緒の傍へと歩いて行く。

「おはようごじゃいましゅ、だんにゃしゃま」

 軽く片手で目を擦った後に、雪緒は俺を見上げてそう言って来た。
 何処か気怠げな様子で瞳を潤ませて、頬も赤く、浴衣の合わせ目から覗く肌も、若干色付いている様に見える。

「…………………………………………………は…?」

 鳩が豆鉄砲を喰らうとはこの事だろうか。
 俺は相当な間抜け面を晒していたに違いない。

「ふひゃ…だんにゃしゃみゃ、おきゃしにゃお顔でしゅ…へひゃ…」

 丸みの残る目を潤ませ、眉を下げてだらしなく口を開けて雪緒は笑った。

「…おい…雪緒…? お前…まさか…?」

 …まさか、とは思うが…。

「ふぅ…にゃんじゃきゃ、暑いでしゅ…」

 雪緒はゆらゆらと上半身を揺らしながら、徐に両腕を袖から抜いて、胸の前で交差させ…。

「待てっ!!」

 酔ってるっ!!

 俺は慌てて、その腕を止めた。
 何だこれは!?
 酔いが回るまでにこんな時間差があるのか!?
 あって良いのか!?

「うぅん…あちゅいでひゅ…。脱がへてくだしゃ…ふびゃ…?」

 いやいやと弱く首を振る雪緒を俺は押し倒し、その頭から布団を掛けた。

「良いか! 俺が戻って来るまで、布団から出るな! 大人しくしているんだ!! 解ったな!?」

「…ひゃい…」

 不満そうな雪緒の声を聞きながら、俺は部屋から飛び出した。
 あんな雪緒等、外へ連れ出せる筈が無い。
 全くの予定外であるが、仕方が無い。
 今日も泊まると、玄関で花瓶の花を活けていた女将に、俺はそう告げたのだった。

 ◇

「…ふひゃぁ…。ごじょーりょっぴゅにひみわたりゅおいひしゃれしゅ」

 蜆の味噌汁を飲みながら、雪緒が眉も目も下げて笑う。
 五臓六腑と言いたいのだろうが、呂律の回りが壊滅しすぎていてどうしようも無い。

「こにょ、じゃしやきたまにょもおいひいれしゅ」

「なら、俺のも食え」

 箸でツンツンと出汁巻き玉子を突く雪緒の皿に、俺の玉子を一切れ乗せてやる。こんな迷い箸みたいな仕草なんて、雪緒はこれまでに見せた事が無い。酔った事で、枷が外れているのだろう。

「ふひゃ。あでぎゃちょぎょじゃいましゅ。うれひいれしゅ。ふきでふ、らいふきでひゅ、はひしゅてましゅ、だんにゃしゃみゃ」

「ごほっ!」

 片手には箸を持ち、片手には椀を持ちながら、雪緒が素直に礼を言って、頭を下げる。恥ずかしげも無く『好き』、『大好き』、『愛してる』と、言われて俺は思わず噎せた。

 こいつ、俺を殺す気かっ!?

 普段の雪緒からは想像もつかない、いや、つきようが無い。普段の雪緒ならば『僕は結構ですので、ゆかり様がお食べになって下さい。それとも、そちらはお口に合いませんでしたか?』とか、言っている筈だ。それが素直に受け取り、礼を述べ、更には愛の言葉まで囁くとは…。
 口内に溜まった唾を俺はごくりと鳴らして飲み込み、雪緒の皿に乗せた玉子焼きを素手で掴んで、雪緒の口元へと持って行った。
 平素の雪緒ならば、間違いなく抵抗の兆しを見せるだろう。熱を出して寝込んだ時だって、あんなに渋って見せたのだ。だが、枷の取れた今はどうだろうか?

「ひゃひゅぅ」

 …すまん、それは流石に解らん…。

 しかし、それは感嘆の息だった様で、雪緒は目を閉じて口を開いたのだった。
 赤い舌の上へとそっと玉子焼きを乗せてやれば、その口は直ぐに閉じたのだが。

「お、おい、雪緒、俺の指は食えんぞ!」

 雪緒は俺の指まで咥えてしまった。

「ふみみゃへん。れみょひょいひいれしゅ」

 謝るのか食うのかどちらかにしてくれ! いや、俺の指は食わなくて良い! こら噛むな!!
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