いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう

文字の大きさ
上 下
20 / 136

ピンチとアイス

しおりを挟む
『…アニキ。トイレに行って来ても良いですか?』

『ああ。丁度挨拶も途切れたしな、行ってこい。会場出てすぐ右だ。迷子になるなよ』

 刃斬に許可をもらい、ボスにも一言掛けてから早足でトイレに向かうと今まで静かだったインカムから多少の雑音が聞こえた。

【あ、あー、聞こえてる? 宋平くんが一人になるからって駆り出された犬飼だよ】

『わ。犬飼の兄貴だ…、聞こえてるよ』

 凄い! なんかスパイ映画みたいだ!

【前から思ってたけど名前長いし犬飼で良いよ。わかったら早く用足して戻ってね】

『…なんか言い方が嫌。わかったよ、犬飼さん…』

 犬飼のサポートもあり迷うことなくトイレに行けた。大して混んでないし、すんなりと会場に戻るが今度はボスたちが何処かわからなくなってしまった。

 えーっと、確か…あの辺の絵画の近くだったような気がする。

『こちらで軽食のサービスをしております。宜しければ如何でしょうか』

『ぇ…?』

 誰かに声を掛けられたかと思えば、ウェイターのお兄さんだった。比較的若い彼は銀色に輝くお盆を抱えながらにこやかに近くのテーブルへ案内してくれる。

『チーズにサンドイッチ、飲み物はワインにシャンパン、勿論緑茶にアイスティーとノンアルコールもご用意してあります。

 ケーキに、この度は産地にこだわった濃厚アイスクリームもご用意してありますよ』

 アイス…!!

 奥の洒落たクーラーボックスには国産厳選品のみ使用! とデカデカと書かれた大変魅力的な見出しが俺を誘う。

 こんなところでそんな美味しそうなものが食べれるなんて…!!

【あーあ。完全にウチの弟分が好物で釣られてるよ。こういうところでは飲食はしないのがこの業界の常識なんだけどねぇ、例外もあるけど】

 耳元の言葉に意識を取り戻すと、ふと自分のマスクに気付いて渋々首を振る。

 仕事中だしな。早いとこボスのとこ戻んねーと。

『…宜しければ、そちらのシークレットルームをお使いになりますか? 体調を崩した方などの為に用意された個室です。お食事の間、必要であればお使い下さい』

 お兄さんに案内されたのは簡易的な部屋だが一人掛け用の真っ赤なソファにテーブルがあり、リラックスできるように小さくクラシックが流れていて驚く。

 確かに、ここでならマスクを外してアイスが食べれそうだけど…。

『是非ご賞味下さい。シェフが腕を振るった最高の逸品ばかりですよ』

 じゅるり。

 完全に目がアイスに向くも、お仕事…しかも今は護衛中だと必死に自分に言い聞かせる。だけど意外にも耳元から天啓が降る。

【まぁ、アイスくらいならチャチャっと食べちゃいなよ。折角の機会だしね。刃斬サンに怒られないように早くしなさいよ、トイレ混んでるって伝えとくから】

 神か?

 犬飼からの許可が降りてウキウキしていると、アイスを貰って部屋へと入る。木製のスプーンか、すぐにアイスをすくえるアルミ製のかを選ばせてもらえるようで噂に聞くすぐにすくえる熱伝導スプーンを手に取る。

 これ一度試してみたかったんだよなぁ。

『それでは、ごゆっくり。ああ…こちらは今日の為にブレンドされたスペシャルアイスティーです。アイスに合うので是非ともご一緒に』

 丁寧にコースターの上に乗せられたアイスティー。氷が丸になっていてストローで突くとコロコロとして大変楽しい。

 ワクワクしながらマスクを外してアイスにスプーンを差せば、あっという間にカチカチのアイスをすくえる。口に入れると緊張していた熱を冷ますようにアイスが溶けて濃厚なミルクの風味が広がる。

 うっま~っ!!

『美味しいよぉ…、これがコンビニで気軽に買えたらなぁ…』

 猿石にも食べさせてあげたい…。

【えげつない値段するだろうけどね】

 パクパクと食べ進めるとアイスはすぐになくなってしまう。アイスティーを飲み干すと火照った身体も丁度良くなる。

 人混みに緊張でかなり暑かったもんな、マスクは蒸れるし。

『…それにしても、この部屋…窓から見たのと家具の位置が違うような?』

【外からじゃ誰が何してるかわからないようにしてるんだよ。そこにある扉も見えなかったでしょ? 景観悪くするものやインテリアが合わないのを嫌うこともあるからね。

 だから宋平くんは素顔を晒せるわけさ。まぁ使い方によってはパニックルームとかって呼ばれたりもするかな】

 ほへー。お金持ちはそういうのも許せないのか、そしてそれをなんとかできる機転が凄いや。

 そんな話を聞いていたらアイスはすぐに完食してしまった。

『お楽しみいただけたでしょうか? ああ、そちらはそのままで。お気遣いいただき、ありがとうございます。

 この後もどうぞ、当館での催しをお楽しみ下さい』

 丁度マスクをした後にタイミングよく現れたお兄さんに深くお辞儀をしてから部屋を出る。美味しいアイスに絶品のアイスティーでご機嫌になっていた俺は知らない。

 背後で、無言のまま手袋をして俺の使った食器類を全てビニール袋に入れる謎のウェイターの行動を。

『また迷子だって? ったく、ナビ付けてやっても変わんねぇなぁ』

『うっ。ご、ごめんなさい…』

 その後は会場で静かに生演奏が始まったりしたが、殆どBGM状態。何人もの人が低姿勢でボスに挨拶に来て再び俺はその背中にそっと隠れる。

 丁度来てから三十分程が経過した頃だろうか。唐突に耳元から少し切羽詰まった声が聞こえた。

【…犬飼です。只今、スピーカーモードにて全員に情報を共有させます。

 会場付近にて妙なトラックを複数確認。招待客に該当なし、内部に熱反応有り。周囲の通信を傍受しようと試みましたが失敗しました。

 要警戒願います】

 …警戒?

 早口の犬飼の言葉を理解しようとした瞬間、右手首をボスに掴まれるとすぐに会場の端へと連れて行かれる。刃斬を見れば懐に手を忍ばせながらスマホで誰かに連絡を取っていた。

『…バーストラップじゃなくて肉弾戦を所望か。何かあるな』

『恐らく。余程の自信がなければ仕掛けないはずですが』

 そこからは、あっという間の出来事だ。

 演奏が終わって拍手が起こると、あらゆる場所に置かれた白いテーブルクロスに覆われたテーブルからガスのようなものが噴射された。真っ白なそれに会場中がパニックになり、勿論俺たちのすぐ近くにあったテーブルからもガスが出て、

 挙げ句の果てには天井からもダメ押しとばかりに噴射してきた。

『っボス…!!』

 慌ててボスに自分がしていたマスクをさせるが、あまりの量で部屋は完全に真っ白になる。すぐに刃斬によって地面に倒されると自分もポケットからハンカチを出して口と鼻を覆う。

 暫くすると、バタバタと人が倒れる音がする。視界も悪く人々の混乱する叫び声や走り回る音。巻き込まれることを危惧してか、ボスはずっと壁際に俺を押し付けてくれていた。

 一体なにが…、そもそもこの煙はなんだ?

『…っボス、脱出を。窓は全て上部に位置されている上に空調も破壊されるかと。この部屋から出るしかありません。先導します』

『通信もやられたな。気ィ付けな。この煙、どうやらかなり即効性が強ェ』

 刃斬の先導で移動しようとした瞬間、瞬時にバランサーへと切り替えて周囲の情報を一つでも得ようとした。刹那、取り入れた情報を処理し切る前にボスの服を引っ張る。

『動いちゃダメだ…!』

『どうした?!』

 バランサーは兎に角、五感が鋭くなる。そんな中で感じた異変は嗅覚に聴覚。今まで煙のせいでよくわからなかったが小さな音が鳴り続けている上に、嫌な匂いを嗅ぎ取る。

 嗅いだことのあるそれは、ガスの匂いに他ならなかった。

『ガス臭いっ…!!』

『…! ボスっ、失礼します!!』

 刃斬が咄嗟にボスと俺を覆うようにして押し倒すと同時に会場の入口辺りから酷い爆発音がした。どうやら会場の外で起こったらしいがあまりの威力に熱風で色んなものが飛んできて刃斬の背中に当たる。

『あにきっ』

『まだ動くな! …っ、これからが本番ってもんよ』

 火事にはなっていないようだが匂いがよくわからなくなってしまった。

 切り替えて耳を澄ませる。するとバランサーの耳が外からする足音を感知する。すぐに聞こえたのも無理はない、それは恐らく相当の重装備で体が重くなっているのかしっかりとした複数の足音だった。

 だがそれだけではない。会場に一気に押し込まれた、フェロモン。何者かによるバーストラップ。相当なヒートを起こしたオメガでもいるのか、酷く甘ったるい匂いが会場を駆け抜ける。

『よいしょ、っと!』

 刃斬の腕から抜け出して二人を庇うように前に出るとバランサーとして滲む力がオメガのフェロモンを霞ませる。怯む二人に横から襲い掛かる人物。それを死角から手元に落ちて来た絵画をぶん投げて倒すと思わずガッツポーズをしてしまう。初動さえ防いでしまえば後は二人だって上位アルファ、遅れは取らない。

『よし、よくやった…!』

 刃斬が乱雑に俺の頭を撫でるとすぐにボスが走り出し、そのすぐ後を刃斬と俺が続く。ふと耳に付いたインカムを弄るが雑音しか聞こえない。

 …通信もやられたんだ。

『この城から脱出する。襲撃者の目的は不明だが、ボスの安全を第一に。通信が途絶えた瞬間、援護が送り込まれる。それまでは生き延びろよ』

 間もなく始まる、最悪の夜の死闘。

 己の人生で一番の難所に当たるとも知らない俺は、無邪気なまま褒めてくれる二人の賛辞を受け取るのだった。


しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

その捕虜は牢屋から離れたくない

さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。 というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。

男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~

さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。 そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。 姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。 だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。 その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。 女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。 もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。 周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか? 侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。

カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。 異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。 ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。 そして、コスプレと思っていた男性は……。

転生したけど赤ちゃんの頃から運命に囲われてて鬱陶しい

翡翠飾
BL
普通に高校生として学校に通っていたはずだが、気が付いたら雨の中道端で動けなくなっていた。寒くて死にかけていたら、通りかかった馬車から降りてきた12歳くらいの美少年に拾われ、何やら大きい屋敷に連れていかれる。 それから温かいご飯食べさせてもらったり、お風呂に入れてもらったり、柔らかいベッドで寝かせてもらったり、撫でてもらったり、ボールとかもらったり、それを投げてもらったり───ん? 「え、俺何か、犬になってない?」 豹獣人の番大好き大公子(12)×ポメラニアン獣人転生者(1)の話。 ※どんどん年齢は上がっていきます。 ※設定が多く感じたのでオメガバースを無くしました。

俺の妹は転生者〜勇者になりたくない俺が世界最強勇者になっていた。逆ハーレム(男×男)も出来ていた〜

七彩 陽
BL
 主人公オリヴァーの妹ノエルは五歳の時に前世の記憶を思い出す。  この世界はノエルの知り得る世界ではなかったが、ピンク髪で光魔法が使えるオリヴァーのことを、きっとこの世界の『主人公』だ。『勇者』になるべきだと主張した。  そして一番の問題はノエルがBL好きだということ。ノエルはオリヴァーと幼馴染(男)の関係を恋愛関係だと勘違い。勘違いは勘違いを生みノエルの頭の中はどんどんバラの世界に……。ノエルの餌食になった幼馴染や訳あり王子達をも巻き込みながらいざ、冒険の旅へと出発!     ノエルの絵は周囲に誤解を生むし、転生者ならではの知識……はあまり活かされないが、何故かノエルの言うことは全て現実に……。  友情から始まった恋。終始BLの危機が待ち受けているオリヴァー。はたしてその貞操は守られるのか!?  オリヴァーの冒険、そして逆ハーレムの行く末はいかに……異世界転生に巻き込まれた、コメディ&BL満載成り上がりファンタジーどうぞ宜しくお願いします。 ※初めの方は冒険メインなところが多いですが、第5章辺りからBL一気にきます。最後はBLてんこ盛りです※

処理中です...