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第十一王子と、その守護者

全て失った者

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 やはり、そうだ。いるわけがない。存在するはずがなかった。この世界のどこにも自分を愛してくれる人間など最初から存在しない。


 存在しない者を求めたところで無駄だ。


『クロポルドっ……クロポルドぉっ』


 好きだったのに。


 初めて、好きになった人だったのに。


 闘技場から抜け出して殆ど誰もいない城の中を走り、辿り着いたのは初めて彼と出会った場所。城のどこにも居場所がなくて、息が詰まりそうだった時になんとなく中庭に出て見つけた青い小さな小屋。そこに座って毎日本を読んでいた僕に話しかけて来た、一人の騎士。


【殿下。ハルジオン殿下、ずっと外にいてはお体に障ります】


 審眼でその心を覗いても弾かれた、初めての人間。内心を確かめなくて良いその男との会話は実に気楽なものに変わり、とても楽しかった。しかも彼は若くして騎士団長としての地位に上り詰めて死守するほど強かった。ずっと不安定だった僕の心と体を護れる男に恋をするのは、一瞬だ。


 第一王子であるベルガアッシュ兄様の守護騎士と知りながら婚約者にと強請り、王には代わりに決して王位には興味など持たないと約束して婚約を果たした。彼があまり結婚に乗り気ではないと知っていた。だが、それでも諦めきれなかったのだ。


『何故こんなっ、クロポルド……何故なのだ、』


 迎えに来てほしいと願いながらも、それは無理だと理解している。もう自分は完膚なきまでにフラれたのだから。


 精々迎えに来てくれるような酔狂な人間は一人しかいない。きっと心配そうに追い掛けて来て、あの子は僕の膝にでも寄り掛かるんだ。いつものように不思議な物言いであっという間に僕の心を落ち着けて、すぐに笑顔にしてくれる。


 青い小屋の中で泣きながら待っていたのに、誰も迎えには来ない


 ああ、憎い。全てを見通せてしまう呪われたこの目も何もかもが上手くいかないこの運命も。一体己はいつから間違っていた? この恋も、愛も……何もかもが僕には不相応だというのか?


『何度殺そうとしても死なぬからっ、心から殺そうというわけか……僕だってっ! 僕だって死ねたのであればそうした!!』


 だけど、だけど……。


 気まぐれに拾った子ども。あの子を拾ったあの日、多分自分は死ぬはずだった。寄せ集めの騎士も同様に処分されることになっていた、あの魔獣たちの餌になって全員を消す算段があったのだ。


 城から滅多に出なかった僕が出掛けたのは、最後の地をクロポルドの故郷に選んだから。死ぬなら彼の故郷で……故郷に帰った彼に何度でも思い出してもらえるように。そう願うくらい、僕はもうダメだった。


 そんな僕の前に現れた、不思議な子ども。


 痩せ細っていて怪我の痕がたくさんある、小さな小さな男の子。それなのにシャンと背筋を伸ばしていて、真っ黒な瞳からは生き生きとした光が放たれ……何より、クロポルドと同じく内面が見えなかった。だけど子ども特有の素直な面を全面的に押し出しているせいか、探り合いなど不要だった。側にいてあんなに落ち着いたのも僕の人生では珍しい。


 そして何度も、何度も何度もあの子は僕を導いて来た。当然のように手を引いて僕を正しい道へと引っ張っていく。どんな怪我をしても、どんな怖い思いをしても、変わらず僕の横にいてくれた……宝。


『っ何故貴様がいる……』


 あの子なら、どんな怪我を負ったとしても自分の元へ来てくれると思っていた。


『申し訳ありません、タタラ様でなく』


 本当にその通りだ。


 ノルエフリン・ポーディガー。この男は僕を護るなんて気はサラサラない。ただ、自分が心から敬愛するたった一人の子どもが僕の元にいるから従っているまで。それはとてもわかりやすく、扱い易い。契約の際にもその力の全ては僕の守護に充てるが、自分の魂だけはタタラに捧げると言い切ったとんでもない男。その従うべきあの子が旅立っても、守護をするよう言われたから守護騎士として残るとほざいたのだ。


 還り者として人生を歩んで来たこの男の内面が、どれだけどす黒く汚れているか知ったら……コイツを紳士だなんだと褒め称えるあの子も怯えることだろう。それほどこの男は、真っ黒なのだ。


『私は守護騎士です。タタラ様に殿下のお側にあるよう言われれば、そこに赴くまで。

 お気になさらず。ここで立っているだけなので、騒ぐなり泣くなり好きにして下さい。ああ、自決だけは困るのでお控えを』


 これである。


 止めどなく流れる涙を心配することも、声をかけるなんてこともしない。基本的にこの男は他人に対して無関心で興味もない。力ある人間にはより対応が塩になる。


『っ、どこかへ行け!! 貴様の顔も姿も腹立たしい……即刻去れ!』


『頭にオガ屑でも詰まっているのですか。守護をするために来ているんです。離れてどうするのですか』


 左腕から腕輪を引き抜き、真っ白な頭に向かって投げ付ける。鈍い音を出して頭に当たった腕輪はそのまま地面へと転がって行く。気にすることなく椅子に座って備え付けの机に突っ伏しながら腕を濡らす。


 机の上に置かれた腕輪の音に気付いて奴を盗み見れば、変わらず背を向けたまま立っている。他には誰もいない静かな庭。


 ……何故、あの子が来ないんだ?


『タタラはどこだ……治療を受けているのか?』


 最後に見たのは、地に伏せた血塗れの姿。いつものようなキレがない魔法に戦法……あの子はちゃんと役目を果たそうとしていた。それなのに、クロポルドが必要以上にあの子を痛め付けて要らぬ怪我まで負わせた……全ては、僕を追い詰めるため。


『……タタラ様なら今頃、更に傷を作っています』


『は……?』


 何を言ってるんだ、コイツは。本当にタタラに関することになるとポンコツになる。


 ふざけるな、と声を荒げようとした。それなのにノルエフリンは何かを耐えるように悲痛に歪めた顔で、闘技場の方を見た。


『……あの方は、本当に貴方を大切に思っている。あの局面であそこまで頭が回る子どもはそうはいないでしょう。やはり戦いの才能があるだけに、物事に対する想像力が違う』


 流石だ。と言って小さく笑う奴はやがてその顔になんの表情も浮かべないまま僕を見た。


『タタラ様は今もクロポルド・アヴァロアと戦っています』


『……今、も? あ……あ、あの怪我のまま戦っているというのか?!』


 思わず立ち上がった際に椅子が転がる。直すこともなくノルエフリンの元に駆け寄り、どういうことなのかと詰め寄る。


『ふざけるな!! あの剣は先程の式典で国より賜った業物だぞっ……何かしらの力が秘められた剣であれだけ斬られた上に、追撃の際には骨だって折られているに違いない!! すぐに治療するだろうと、黙っていたのに……あの、まま……?』


『ああ、なるほど。道理であの糸すらも簡単に切ったと思えば……そういう剣でしたか』


 そう、神殿の時に持っていた代用の剣などとは天と地ほどの差がある。棒切れと聖剣のようなもの。そんなもので斬られ、回復薬なども持ち込めないというのに。


『何故止めなかったんだっ、愚か者!!』


 言い放った瞬間……シンと静まり返った。風の音も、草の匂いも遠退き、鳥たちが遠くで逃げるように羽ばたいた。


 目の前のノルエフリンが、真っ赤な目を開いて僕を見下ろす。初めて僕は……ノルエフリンを、怖いと思ったのだ。震えながら後ろに下がれば、彼はハッとしたように目を逸らし……悲しげにそれを伏せた。


『……私は、期待していたんです。貴方があの方を止めて下さると。だってもう、貴方しかあの方を留められる人はいないんですから。

 それなのに、あんなものを欲しがって挙げ句の果てには破滅するだなんて。バカだバカだとは思っていましたが、ここまでとは』


『なんだと……!!』


『貴方を最後まで護るために、あの方は残ってるんですよ!! あそこで負けを認めてしまえば貴方の今後の未来は更にどん底に落ちるんです!! タタラ様はそんな未来を変えるために、今も傷だらけになって戦い続けている!!

 もうっ……魔力だって、底を尽き掛けている頃ですよ……無謀だなんて誰よりもあの方が一番わかっている! だけど残ったんです、私に貴方を追い掛けさせて一番身近な者が誰もいないあの闘技場で、ただ一人……戦い続けています。

 
 何故、そうするか……わかりますか。あの……なんて知らないと言い続ける愚かな子が、そうするのか……貴方に、わかりますか?』


 豊富な魔力を持つくせに、あの子の体は案外脆い。恐らく育った環境も関係があるのだろうが同世代の者と比べても虚弱だ。


 いつも側にいて、楽しそうに笑う顔が思い浮かぶ。いつだって傷だらけ。戦い尽くし。だけど、何よりも楽しそうで成長途中の愛すべき子。


 闘技場に向かって走って行った、あの小さくとも頼りになる背中を思い出す。いつだって僕のものとして才を発揮してきた大切な子。たくさん僕を困らせて、怒らせて……だけど、人生で一番笑った日々で。


 本当は。


 本当は、共にいてほしかった。


 だけどあの子は、多くのことを外で学べる。もう魔法の腕も上がってちょっとやそっとの敵には動じない。社交性もあり好奇心も旺盛。賢いし礼儀正しい、僕の自慢の守護者なくらいだ。どこでだってやっていける。


 だけど、本当は……本当は、誰よりも何よりも信頼できるのは、タタラだけで。いなくなる未来なんて、必死に考えないようにしてきた。


『どうしていつも我儘で傲慢なくせに、一番欲しいものを欲しいと言えないんですか……』


『僕はっ、僕だって……僕だってタタラに側にいてほしいっ。当たり前だろ、大事だから……大事にしたいから、僕の側なんかに置いてまた何かあれば』


『……タタラ様には聞いたのでしょうね』


 聞いてない。


 聞いてない、どうしたいかなんて……聞いてない。


 ボタボタ流れる涙を抑えながら、声を殺して顔を覆う。寂しそうに俯いたあの子の姿を思い浮かべて、堪え切れない嗚咽が漏れる。


 人一倍寂しがり屋で、泣き虫なあの子の話を、きちんと聞いてすらしていない。自分のことに浮かれてばかりで……ああ、あの子は一人で荷造りも終えたんだろうか。何を思いながら、それをしたのか。容易に思い付くのに、何故自分は放って置いた?


 なんでそんな救い様のない僕を、お前はどこまでも手を伸ばして救おうとするんだ。





『そんな顔で戻れるのですか? 結構腫れてますが。ああ、そういえば腫れを治す回復薬があったんでした』


『……さっさと出せ、マヌケ』


 回復薬を布に湿らせ、顔に当てる。化粧もそのまま落としてしまい気合いを入れるために頬を叩いて目を覚ます。


 自分で蒔いた種だ、自分で止めに行く。


 ノルエフリンを伴い、再び闘技場へと戻ろうとした時だった。突如として襲う禍々しい魔力の波動。それが終わる頃には凄まじい魔力が闘技場から流れ出てくる。腰を抜かしそうになって僕は机に手を付き、ノルエフリンはそのまま地面にしゃがみ込むほどの魔力だ。


 まさか、この……この、禍々しい魔力は……。


 何が起こっているのかと顔を見合わせ、とにかく闘技場に向かおうと中庭から出て城の中に戻った時だ。向かいの廊下から小柄な少年が悲鳴を上げながらこちらに迫って来た。


 そいつはいつかの、不敬極まりない人間だった。


『いたーっ!! 魔力を追って瞬間移動したのに、全然違う場所に出ちゃって……ってそんなこと言ってる場合じゃないんだ!

 大変なんです、ハルジオン殿下、ポーディガー騎士ぃっ!!』


 空間魔法で魔力を消費したのか、真っ白な顔でこちらに滑り込むようにして現れた者は息を整えることもしないまま叫ぶ。


『魔人っス!! バビリアの魔人が、死んだはずのあの魔人が何故か、クロポルド・アヴァロア騎士に取り憑いていたようで……魔人が復活してしまい結界に閉じ込められたタタラ様のみが奮戦している状況なんですっ!!』


 


【さようなら】





 そう言ったのは、あの場で、あんなことを言ったのは……ただの偶然だ。


 なぁ、そうだろ……なぁ?


 そうだと、早く言ってほしいんだ。



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