輝夜に手折られる

東屋 志季

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 深夜、目が覚めた。数年前に成人したものの健康優良児を地で行く私が朝になる前に目が覚めることなんて滅多にないので驚いてしまった。

「うーん…水でも飲むか、、、」

 唾を飲み込むと張り付いていた喉が滑らかさを取り戻していくような感覚を覚えて、喉が乾いていたことを認識した。ベッドから足をそろりと出す。足の裏にひんやりとしたフローリングが心地よい。
 窓の外に見えるまん丸の月が燦然さんぜんと輝いていてそういえばニュースキャスターのお姉さんが今夜はスーパームーンですと言っていたような、と頭をよぎった。
 ぼーっとした頭のままリビングへぺたぺたと向かう。

「どうぞ」
「ん、ありがとう」

 眠たい目を擦りながら差し出されたグラスを受け取るとごくごくと喉を鳴らして潤す。グラスが空っぽになった時にはたとあることに気がつき、急激に背筋が凍り冷や汗がツーっと背筋を伝った。
 私、一人暮らし。なのに今誰から水を受け取ったの…?

 ギギギ、と油切れのブリキの木こりよろしく顔を上げてみると

「ひっ!」
「こんばんは~」

 月の化身かと思ってしまうほど整った顔の男がいた。一つにまとめられた長い金の髪が月光を柔らかく反射している。日本人離れした彫りの深いスッと整った鼻筋。180センチはありそうなすらりとした長身は黒い服に覆われていておりどこか中性的な印象を受けるけど身体のラインから男性であることがわかる。

「え、神様?ふ、不審者?」

 こんなに美しいなんてそもそも人間なのか?というかなんでうちにいるのだ?なんか、こう、なんなの??神様とか???幻覚????幻覚でもみてるのかな?

「あれ?混乱してるのかなぁ。オレはね、君の旦那さんだよ♡」

 ……。え?

「はい?」

 何を言ってるのだこの得体の知れない不審者は。夢か。これはきっと夢に違いない。
 ってことはこういう人を求めてるってこと?私理想高すぎない?こんな絶世の美人と付き合いたいって思ってたわけですか…
 年齢イコール彼氏いない歴だったけどもしかして私の理想がめちゃめちゃに高かったせいとか?なーんて、違いますよね知ってます。
 いや~夢って怖いわ~
 現実的に考えて、こんなこと起こるわけないしね。うん、そうだねこれは夢だ。
 とりあえず寝よう。いや~最近仕事が忙しかったもんね。自分が思ってる以上に疲れてるのかもしれないね。
 夢の中で寝たら起きれるのではないだろうか?多分そんな気がする。

 美しい不審者をスルーして寝室に向かい、布団に潜り込む。目を閉じて10数えて、眠れなくて目を開けると、

「うわっ!」

 覗き込むようにこちらを上から見下ろしている不審者とバッチリ目があってしまった。青い瞳がキラキラと輝いていて、幼い子供のような純粋さを感じさせる。
 何を思ったのかは自分でもわからないけど、恐る恐る手を伸ばして彼の頬に触れてみる。しっとりとしていてさらさらとした肌触り。どうやって手入れしたらこんなきめ細かい肌が手に入るのだろうか。すりすりと彼の頬を触っていると私の手が黒の革手袋に包まれた。

「積極的だねぇ。嬉しいな♡」

 うっとりと微笑む美の化身が語尾にハートマークついていそうなくらい甘く囁く。
 なんだこれ。このほっぺの柔らかく生々しい感覚といい、あれか。これ夢じゃないんだ。現実だ。

 そう認識した瞬間、

「ぎゃぁぁぁぁあ!!!!!!」

 ドカッ!

 叫びながら己の拳を叩きつけていた。しかし、火事場の馬鹿力はそこで尽きたらしく逃げなきゃと思うだけで腰が抜けてしまって身動きが取れなくなってしまった。
 な、な、な、なんで!?なんでこんななんの変哲もないうちに変質者が!?!?!?とか、殺されるの!?!?とか、今こそ110番通報するべきでは!?!?!?スマホ鞄に入れたままだった!とか頭の中はパニックになりながらもやるべき行動を示してるのに少し手足をばたつかせることしかできない。否、足は動かすことすらできていない。なんでって、

「いったぁ…」

 と呻きながら顔面を抑えて蹲ってるから!私の上に!不審者が!馬乗りになって跨ってるから!!
 金糸のさらさらヘアーがよく見えている。この様子だと見事に私の渾身の一撃はあの整った顔面にクリーンヒットしたようだ。作り物かと思ってしまうほどのビューティーフェイスに傷をつけてしまうなんて人類の損失だ!と誰かは思うかもしれない。しかし、私の命が私にとっては何よりも大事なものであるからして仕方ないことなのだと弁解しておく。
 なんかもう、キャパシティを超える出来事が起きたせいで自分が何を言ってるのかもよくわからなくなっているが許して!許してくださいっっっ!

「もぉ~~!痛かったんだよ。女の子が殴ったりしちゃメッだよね。次こんなことしたら君のことサクッとヤッちゃうかも」

 むくりと顔を上げた彼は眉間に皺を寄せて頬を膨らませて、いかにも怒ってますといった顔でそんな恐ろしいことを言ってのけた。美人の怒った顔って完成度高すぎて怖い。その上外国語とかなんか神様の言葉(?)でも話そうな映画かファンタジーの世界から抜け出してきたような容姿に反して日本語をめちゃめちゃ流暢に話されて、混乱する。彼の手の中には銀色にきらりと光るナイフがいつの間にか握られていて、サクッとのくだりでくるりとペン回しの要領で回して見せてきた。月の光が反射してより鋭く、冷たく凶器をみせている。
 ヤッちゃうってもしかしなくてもナイフでぐっさり貫かれちゃう的なアレですよね…
 というかあれですか、強盗殺人鬼なんですかね…我が家には特に何も盗むほど価値のあるものは無いけど、薄々そうじゃないかと思ってた。もしかして人の命を奪うことに快感を覚えちゃうタイプのヤバイ人かもしれないって…世の中には理解に苦しむような思考回路をする人間がいるらしいし、この人どう見ても容姿からして普通の人ではないだろうし…いや、違うのよ!ただ単に顔が良いだけでめちゃめちゃに善良な人だっていっぱいいるはずですよね!!でもさ、、、こんな夜中に女性の一人暮らししてる部屋に入り込んでるなんて可笑しすぎるもん…うぅ…
 天国のお父さん、お母さん。お墓参りのたびに2人の分まで私が長生きするって言ってたけどどうやら無理そうです。なんなら2人の享年のかなーり下を行きそうです。親不孝な娘でごめんなさい…

「ひっ、ご、ごめんなさい…!お願いだから殺さないで…!」

 とにかく命乞いをする。それしかない。さっきは不意打ちだったから奇跡的に1発入れられただけであって男の人相手に抵抗して勝てるわけがない。だからとにかく命乞いするのだ。

「わ、私のこと、殺しても、何も良いことな、いですし…
 お、お、お、お金でしたら、そ、この引き出しに、通帳印鑑あります!だから、殺さないでください…お願いします…!」

 半泣きになりながら懇願する。
 両親の残してくれたお金は学費やらなんやらでほとんど消えてしまって、自分で働いた分の給料を少しずつコツコツと貯めたお金が入っている。世間一般からしたら少ない額だと思うので通帳を見て『チッ、これだけしかないのか。やっぱり殺すか』みたいな展開になる可能性も無きにしもあらずだけど言うだけ言ってみないとね!命かかってるから!!!
 ジッと少し鼻が赤くなっている彼を見つめる。

「あっはっは、なにそれ面白いね」

 ふはっ、と吹き出した彼は何がおかしいのか笑い始めた。
 こ、これは、完全に詰みでは…狂人の笑いってやつでは…?さよなら人生。こんにちは冷たい母なる大地よ…
 己の死というとんでもない展開に現実逃避をする他道はない。
 お察しの通り予想外の出来事を目の前に心の中は荒れ模様、現実では極寒の寒さの中にでもいるかのように身体がガタガタと震えております。内心のテンションの高さは動揺の現れですのでどうぞよしなに…!よしなに…!!

「ごめんね、ちょっとした冗談だったんだけど怖がらせちゃったねぇ。君のこと傷つけるようなことしないよ~
 安心して。オレ、奥さんのことは大事にするタイプだから♡」

 彼は手に持っていたナイフをポンと放って捨てた。ベッドから離れた床にカシャンと落下した音が聞こえる。
 よしよーし、怖かったねぇ、と頭を撫でられる。このあり得ない事態にいよいよ頭はフリーズしてしまった。頭部に触れる手は優しくて、置かれてる緊迫した状況とのギャップに目眩がする。
 でも、ナイフを捨てたということは、

「わ、私の、こと、殺さないでく、れるの?」

 もしかしたら、明日またお天道様を拝むことができるかもしれないのではないだろうか。淡い期待を抱かざる得ない。

「うんうん。オレが君のことこれからいーっぱい幸せにしてあげるよ♡
 美味しいもの食べさせてあげるし、可愛いお洋服も着せてあげるし、行きたいところにも連れて行ってあげるよ♡」

 仮に、恋人から言われたとしたら嬉しかっただろうに…不審者に馬乗された状態で『これから』の話なんてされても怖すぎる。本当に怖い。でも、とりあえず目先の死の可能性は回避できたと思って良いのだろう。たぶん。そう思わせてくれないと私の身が持たない。

「あ、ありがとうございます…!」

 そう私が言うと、彼は嬉しそうに目を細めて

「うんうん。可愛いねぇ♡」

 と、またしても頭を撫でてくる。この人やっぱり絶対やばい人だ。言葉の節々からなんかもう変だもん。あれかな?私のこと奥さんだって思ってるのかな??そういう妄想をしちゃう系のアレなんですか、ね???
 おかしいな…私は見た目も中身もなんの変哲もない人間だからこんな見た目も中身も超ド級な人に好かれるわけないんだけど、、、
 まあ、そんなことはどうでもいい。今大事なのはこの状況をどう乗り切るかであって、自分の命を守り切ることを一番に考えなくてはいけない。

「そ、それでは、その、、、貴方様は、何をし、にいらしたの、でしょうか?」

 恐怖で途切れ途切れになりながらも彼目的を探ることにしたのだ。

「なにって?可愛い奥さんの顔見に来たんだよ♡」

 無理。何を言ってるのかさっぱりわからない。そもそもあなたは誰なんですかね。

「あは!やっぱり君面白いね。
 オレはねぇ~リチャードだよ。リッキーって呼んでね♡」

 バッと口を抑える。
 な、んだと!?さっきの口から出てたんですか…!?緊張下にあるせいか口が馬鹿になっているようだ。面白い、とか言ってるってことは『失礼な奴だやっぱり殺してしまおう』なんてことは考えてないってことでよろしいのでしょうか…!?
 そして別に知りたかったわけでは無いけどこの不審者の名前を知ることになってしまった。いや、本名なのかは知らないけどね。

「リッキー…」
「はぁい♡君の可愛い声で呼ばれると照れちゃうなぁ」

 ポロリと口から漏れた不審人物の名前に、えへへ♡と嬉しそうに反応されてしまった。自分の頬に手を当てて幸せそうに笑ってるんですけど、、、怖っ!なんなんだ…

「ねぇねぇ、オレも君のこと呼びたいなぁ~いいかな?ねぇ、いいでしょ?」

 そのくせ次の瞬間には私の肩を掴んでそのご尊顔をグイッと近づけてお願い~と見つめてくるのだ。本当に怖い。怖い以外の感情がわかない。これ視線を逸らしたらヤられるのではないだろうか。

「っ…、ど、どうぞ…」

 ここで断って彼の、リッキーの何処にあるのか皆目見当のつかない地雷を踏み抜かないように私のできる回答は元より一つしかないのだ。

「ありがと~ゆりちゃん♡」

 ひっ…あれですか、もういろいろ調べられてしまった感じなんですかね、、、もしかしてストーカーとかそういう感じとか、、、?

「な、まえ、知ってるん、ですね…」
「うん。殺し屋だからね、そういう情報網?っていうのかな。そういうのがあるの~」
「そうなんですね、、、って、殺し屋!?!?」

 こ、こ、この人!殺し屋って!言いましたよ聞きました!?!?あれですよね、人をキルすることでお金を稼いでいる感じの人ってことですよね!?!?
 知りたくなかった!そんなこと知りたくなかった!!というかこの人について知ってることがほとんど無い上に名前と知りたくもない職業:殺し屋なんてことだけ知ってる。これも冗談であって欲しかったけど、ナイフを取り出した時の殺気が尋常ではなかったのでおそらく本当なのだろう。ああ、嫌だ。誰か嘘だと言ってくれ。
 はい、終わったー。全て終わったー。これもう確実に死ぬやつですよ。
 さっきまでもしかしたら朝日を拝めるかも、とか思ってたけどこれは詰み。無理だった。淡い期待なんか抱くんじゃなかった…うぅ、お父さん、お母さんやはりお二人のもとに行くことになりそうです。

「そんなに驚いちゃって可愛いねぇ。大丈夫だって、さっきも言ったけどゆりちゃんのこと傷つける気なんてほんとにないんだよ。むしろこれからずぅっと一緒に幸せに暮らすんだから」
「ほ、本当に…?で、でも、殺し屋って、、、」
「もう、信用ないなぁ。本当だよ~だぁい好きなゆりちゃんには笑っていて欲しいからね♡
 あ、リリィちゃんって呼んでもいいかな?いいよね!」
「ヒィっ!ど、どうぞお好きに…」

 ノーという選択肢はない。リリィってあれだよね、英語で百合ってだよね。私の名前がゆりだからってことか…?いや知らないけどね。この人の考えてることは一切わからない。怖すぎる。

「ありがと~オレだけが呼ぶ名前って宝物って感じがしてすごく嬉しいなぁ」

 喜んでいるのでとりあえずは良いことにしよう。なんかもう考えた方が負けだ。
 すぐ近くにある浮世離れした美しい顔を見ていると、現実味が感じられない。いや、もうこの状況の何もかもがおかしいので現実味なんてものは一番遠いものなのだけど。

 リチャードと名乗る男の青い瞳が目の前にある。彼の瞳の中に映る恐怖で引きつった自分の顔と視線がぶつかる。
 なんで、なんでこんなことになっているのだろうか。ごく普通の夜だったはずなのに、今私は見ず知らずの男とこんな風にいるのだろうか。それにさっきから全力でスルーしているけど『奥さん』だとか『ずっと一緒にいる』っていったいこの男はどういうつもりなのだろうか。不法侵入者が金髪青眼の美人すぎる自称殺し屋って情報量多すぎるし、妄想なのか何なのか分からないけど意味不明なことを言ってくる。ナイフで脅してきたかと思えば冗談だよ、って本当に意味がわからない。殺し屋界隈では流行りのジョークなんですか?一般人の私にはわかりませんし分かりたくもありませんよ。
 結局何しにきたのか分からないけど、私の名前も知ってるみたいだし夜中に不法侵入している時点で録でもないことは明白で…得体の知れない相手に事態を好転させることなんてどうやったらできるのだろうか。
 もうやだ。怖い。なんで、なんで私がこんな目にあっているのだろうか…

 いつのまにか視界がぼんやりと滲んでいたことで自分が泣いていることに気がついた。

 ど、どうしよう。ピーピー泣いてうざい女だやっぱり殺すか、なんて思われてしまうかもしれない。
 早く止めなきゃと思うのに、次から次へとぽろぽろと頬を伝っていく。拭いたくても恐怖で体を動かすこともできないのだ。もちろん腰だってまだ抜けている。なんて無力なんだろう。こんなことなら護身術でも習っておくんだった。

 チュッ♡
 ペロリ

 心臓が止まるかと思った。いや、確実に一瞬は止まった。影が動いたかと思うと目の前が暗くなって頬に生暖かさを感じる。

「ん~おいし♡」

 次いで、視界が開けると赤い舌でペロリと唇をなぞる色気ダダ漏れの男が見えた。その仕草はとても絵になるけど、今はそんな事どうでも良い事である。
 こここ、これは…!?今この人私の涙を舐めたんです、か!?ショックで止まるどころか涙は次々に溢れていく。私、今まで恋人がいたこともなく異性にこんなことされたこともないの。それなのに命の危険を感じている極限状態の中で元凶にこんなことされて、もう、ほんと、何が起こっているの…

 頭がショートしている内にまた視界が暗くなって、チュッチュッペロペロという音が耳に届き頬やら目元やらをぬるぬるとしたものが這い回っている感触がする。

「ン、ンン!」

 と。思っていたら今度はぬるりと口の中に何かが侵入してきた。香水なのか整髪剤なのかは分からないけれど甘くていい匂いが鼻をかすめる。怖くて閉じていた目蓋を思わず開けてしまうと一面キラキラとした青が広がっていたのだ。これ、やたら顔のいい不法侵入者の目なのでは…?
 唇に柔らかいものが当たってる、ってこれき、キスされてるの…!?これ私のファーストキス奪われてるの…!?私を殺すことになるであろう男に!?しかもこれアレですよね…いわゆるディープキスって呼ばれてるアレですよね…!?!?
 いやぁぁぁぁぁあ!!!

「ンン!、っちょ、やめ、ングッ」

 腰抜かしてる場合じゃないと必死に強張っていた手を動かして押し返そうとしたけど、当然の如く成人男性を退かせることなんてできない。私の口内で好き勝手するこの悪い舌を噛んでしまおうかと思ったけど、そんな事して怒りを買ったらその瞬間私の死が訪れるのではないだろうか。それだけは阻止しなければと必死に耐える。

 しばらくその状態が続き、酸欠状態に陥ったのか頭がぼーっとしてきた。なんかもう全部どうでもいい、なんて思い始めてきたので相当まずい状況なんだと思う。でも、抵抗もできないししても無駄だし、頭いっちゃってるとしか思えない不法侵入者をどうにかするなんてできるわけない。

 ようやく解放されたかと思うと、目の前のファーストキス泥棒は

「リリィちゃん息上がってるの?可愛いねぇ♡」
「っ、はぁ、はぁ。そ、れは貴方の、ひぃっリッキーの、せい」

 貴方の、っていった瞬間蕩けるように甘かった目つきがスッと眇められた。怖かった。リッキーって訂正したらまた元に戻った。呼び方は地雷なんですね。わかりました。生きるためにちゃんと記憶します。

「ごめんね♡リリィちゃんが可愛く泣いちゃったからつい我慢できなくなっちゃた。ねぇ、何がそんなに辛かったの?」
「そ、れは…」

 貴方が、いやリッキーが怖すぎてです。もう生きた心地がしないし意味わからないからです。とは言えないので心の中で呟くだけにしておく。

「オレね、リリィちゃんにはずっと笑って欲しいんだ。大丈夫だよ、辛いことも嫌な気持ちもぜーんぶ忘れさせてあげるからね~」

 そう言ってまたグッと顔を近づけてくるリッキー。

「い、いや!嫌なの…お願い、やめて…」
「大丈夫だよ~怖がることはなんにも無いよ。幸せにしてあげるからね♡」

 もう一度嫌だ、と言おうと口を開いたらリッキーとの距離はゼロになり、またしても口の中を蹂躙される。この美しい獣に丸ごと食べられてしまっているような感覚に陥る。甘い香りが広がって、歯列をなぞられ頭がぼーっとしてきたところで一旦解放される。私とリッキーの間をタラッと銀の糸が繋いでいるのが見えて、その光景にくらりと目眩がした。

「はい、あーんってしてね。ンン、うん。そのままゴックンしてごらん」

 リッキーのハスキーな声が頭にずんと響いて自分で判断することなく彼の声に素直に従ってしまう。気がついた時には口移しされた何かの液体がコクリと鳴った喉を通過していた。

「いいこにちゃあんと飲めて偉いねぇ」
「こ、これなんなんです、か?」

 もしかして毒とかなのだろうか。殺し屋と言っていたけど毒を使う感じの人とか?己の死因は毒なのかも知れない。白雪姫は王子様のキスで目覚めるというのに、私は死神のキスで永遠の眠りにつくんですよねわかります。いや、わかりたくない!

「あ~今のは気持ちよーくなるお薬だよ~
 リリィちゃんは初めてでしょ?それだと痛かったりするらしいからねぇ。君には痛い思いさせたく無いの。だから気持ちよーくなるだけのお薬用意しておいたんだ~
 オレと一緒に幸せになろうね♡」

 月の化身のような獣から逃れる術を私は知らない。指先の黒を咥えるとそのままするりと革手袋を脱ぎ去る。黒を脱ぎ捨てて現れたのは降りたての雪のように白く長い指。彼の動作の一つ一つに釘付けにされる。目を逸らすことを許さない月を宿す蒼い瞳の捕食者に囚われてしまったのだと、そして逃げることは叶わないと本能が告げる。
 腰を這う手は緩やかな動きに反して逃れることを許さないと言わんばかりに絡みついて離れない。お父さん、お母さん貴方の娘はどこぞの自称殺し屋の頭がおかしい美しい獣に食い散らかされる事になりそうです。
 あっと思った時にはまた激しく唇貪られていた。

 チュッ♡チュッ♡クチャクチャ♡♡

 熱烈なキスって多分これのことを言うんだろう。縦横無尽にリッキーの舌が動き回っている。くりゅくりゅと口の天井をなぞられるとゾワゾワとした感覚が背中を駆け上がってくるし、身体はカッと熱くなって頭が沸騰しそうなほどだ。時折流し込まれる彼の唾液はなんだか甘くて気がつけば

「ッハァ、体が熱いの…もっと、もっとほしぃ♡」

 なんて、とても自分のものとは思えない媚びた甘い声でとんでもないことを口走っていた。今の私は多分人様に見せられたもんじゃ無い酷い顔をしてるに違いない。

「わぁ~リリィちゃんってばすっごく感じやすいんだねぇ。えっちでかっわいいなぁ♡いいよ、いーっぱい気持ちよくしてあげる♡」

 頭の熱が身体中に伝染して、ゾクゾクするのがとまらない。多分さっき飲まされた『気持ちよーくなる薬』とやらのせいだ。何がえっちで可愛い、だ。私が強姦されているのに感じるエロゲもびっくりなポテンシャル高すぎ処女のド淫乱ボディの持ち主であるわけがない。こんな風になっているのは全部薬のせいだもん!
 頭ではそんな言葉を並べたてていながら、身体は彼に与えられるがままに快感を貪っている。もっと気持ちよくなりたくて差し込まれる舌に必死で自分のものを絡めて、甘い彼の唾液をコクリコクリと飲み下していく。

 ッハァ、ハァ
 ン、クチュクチュ♡

 口の端からどちらのものとも知れない透明な液体が垂れ落ちる。
 どんどん正しい思考が溶けていって、無理やり犯されているっていうこの状態自体もうどうでもいいことだと、気持ちが良ければそれでいいじゃないかと馬鹿になった脳が白旗を振る。

「ハァ、ねぇ、気持ちいの好き?」
「ンン、すきぃ♡」

 頭が馬鹿になって、身体が溶けて気持ちがいいってことしか考えられない。

「うんうん。気持ちいのは良いことだよ。とっても幸せになれるもんねぇ。オレも好きだよ♡」

 そっか、気持ちいのはいいことで、気持ちいのは幸せなんだ。
 理性の綱がギリギリと引きちぎれていくおとがした。
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