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第二章 白き聖女の誕生編

第三十六話 教皇の座にすわるもの

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「……ごきげんよう、神に愛された聖女様よ」

 歌うような声に誘われ入室すると、中は円形に広がり、息を飲むほど荘厳な造りになっていた。
 
 両側の壁は何本もの大理石の柱で支えられており、それぞれに細かい装飾が施されている。
 
 アーチ状になった吹き抜けの高い天井には、創世の物語が描かれていた。天井近くに設けられた小窓からは、太陽の光が中央に向かって差し込んでいる。
 
 正面には精密な細工が彫られた、木製の巨大なパイプオルガンが鎮座していた。下半分は美しい白い布で覆わ
ているが、中で誰かが演奏をしているのか、優美なメロディが流れてくる。
 
 リラ達が部屋の雰囲気に飲まれ声を出せずにいると、布の中から再び歌声が聞こえてきた。

「こちらにいらっしゃい、神の子らよ」

 20席ほどある長椅子の間を通り抜けると、銀で出来た重厚な台座が据え置かれていた。その上には、古びた剣が横たえられている。
 
 剣の持ち手部分は銀製で、刃は何の素材で出来ているのだろうか……氷のように透き通り輝いている。
 小窓から入った陽の光が一直線に剣に集まり、刃に反射して周囲がキラキラと照らされていた。

 台座に近づくと、それまで流れていたパイプオルガンの音が止む。続いてパイプオルガンの下部分を覆う白い布の中で、人の動く気配がした。

「……聖女様、よくお越しくださいました。私が教皇代理です」

 薄らと透ける布の内部で、女性がお辞儀をした。聖書の挿絵に出てくるような、たっぷりとした白い布を纏っているように見える。

「ライラック=アメジストです。お会い出来て光栄です」

 アメジスト家一同も、リラの声に合わせてお辞儀をした。

「……あら?そちらの男の子は……」

「あ……ぼく、セオドアと申します……」

 認識阻害になるフードを被っているため、髪と目の色は薄紫になっているはずだが、何かを感じ取られたのだろうか。テディが帽子をぎゅっと押さえ、姉の影に隠れる。

「貴方……顔を、もっとよく見せて下さ──ああっ」

 布の中でガタガタッと音がし、女性が椅子から倒れ落ちたようだ。

「大丈夫ですか!?」

 女性は小さな呻き声を上げるばかりで、起き上がる気配がない。
 リラとテディが駆け寄ろうとすると、側に控えていた神官に制止された。

「中に入ることは出来ない決まりです」

 リラは神官をキッと睨みつけて言った。

「……あら。私はたった今、司教会で聖女と認められた身です。それがどういうことか、わかりますよね?……退室を願います」

 神官はパッと手を離し、怯えた顔で後退りしながらドアを出て行った。──適当に凄んだのだが、効果があったようだ。

 リラはカーテン状になっていた白い布を開け、倒れている教皇代理を抱き起こした。ほっそりとした手足は不健康なほどに白く、今にも折れてしまいそうだ。
 複雑に編み込まれシニヨンに纏められた髪の毛は、ほぼ白に近い空色をしている。

「ありがとうございます……お手を煩わせてしまって、ごめんなさい」

 女性は長い空色のまつ毛を震わせながら、僅かに瞬きをした。

「母さん……?」

 振り向くと、テディがこちらを向いたまま目を見開いて固まっている。彼は手の甲で目をゴシゴシと擦ると、弱々しく首を振った。

「……いえ、そんなはずありませんよね。ごめんなさい……」

「貴方……母親の名前は、何と言いますか?」

 女性は震える腕に力を入れて起き上がり、テディの方へ身を乗り出す。

「え、ええと……」

 様子を伺うテディに対し、サフランは静かに頷いた。

「生みの母親は、リリーといいます」

「そんな……まさか……」

 女性はテディの頬に震える指を伸ばし、露草色の瞳からツウと涙を流した。よく見ると、上を向いた長いまつ毛や、スッと通った鼻筋がテディにそっくりだ。

「私は、リリーの双子の姉です。ああ、神よ……今日という日に、感謝いたします……」

 涙を流す女性に肩を貸して椅子に座らせると、彼女はポツリポツリと語り出した。
 
「教皇代理は、本来名乗る名は無いのですが……。私の本当の名は、ルピナスと言います。私達は、パール家の最後の生き残りでした」

 ルピナスはパイプオルガンに向き直り、細い指でメロディを奏で始める。

「パール家は魔力の高い家系と交わり、髪色を変え、家名を名乗らず、密やかに暮らしていました。教会に見つからないように……。しかし何の因果か、私とリリーは先祖返りと言われるような、白に近い髪で生まれてしまったのです」

 ルピナスの指が流れるように動き、悲しげな旋律を奏でる。

「髪色を隠して生きていましたが、ふとした拍子に噂が流れ、教会に捕まってしまいました。リリーだけでもと思い何とか逃したものの、消息は不明で……。それが、ああ……無事逃げ通せて、子供まで出来ただなんて……」

 ルピナスは演奏を止め、指を組んで神に祈りを捧げた。

「それで、リリーは……?」

「母さんは、ぼくを生んで、もう……」

 ルピナスは儚げに微笑み、テディの頬に手を添えた。

「……ええ。魔力の少ない私達が市井で生活すれば、長く生きられないことは分かっていました。それでも、家庭を作り普通の生活をすることが、あの子の夢でしたから……」

 こんな可愛い子供まで生まれて、リリーも幸せだったでしょうね……と、ルピナスは呟く。

 慈しむような視線を受けて、テディは意を決してフードを脱いだ。瞬く間に色が変わり、虹色に艶めく真っ白な髪が露わになる。
 自分を見つめる虹色の瞳に、ルピナスは小さな叫び声を上げて口を覆った。

「そんな……神の器だなんて……」

 ルピナスは慌ててフードに手をかけると、テディの頭に深く被せ直した。

「決して、教会関係者に見られてはなりません!」

「でも、ルピナス様……本来ならばあなたに代わって、ぼくが教皇になるべきなんじゃ……」

「貴方の自由を奪うわけにはいきません!……私は捉えられてから一度も外に出られずに、この部屋で暮らしているのです」

 テディが顔を歪めると、ルピナスは頭を撫でながら微笑んだ。
 
「ああ、そんな顔をしないでください!結構この生活も気に入っているのですよ。毎日違う人が救いを求めにやって来ますし、自分の力で多くの命を救うことが出来ますから……」

 ルピナスは銀の台座の前に歩み寄り、その上に置かれた剣に手を乗せた。

「教皇は直接人目に触れてはいけない決まりなので、代わりに毎日これにヒールをかけておきます。これは創世の際、神が邪悪な魔物を祓ったとされる伝説の剣で……」

 マーガレットの細工が施された剣の持ち手をスーッとなぞり、透明な刃の上に手のひらを乗せる。
 
「剣に触れながら神に祈りを捧げ、神聖力を込めておきます。すると礼拝者がこれを触ることで、大いなる『治療〈ヒール〉』の力が得られて……」

 そう言いながらルピナスが目を瞑ると、刃全体が温かな白い光を放つ。
 
 リラとテディは、顔を見合わせて頷いた。神聖力が付与出来ているのならば、あの刃はダイヤで出来ているのだろう。刃を作れるほど、巨大なダイヤがあるとも思えないが……。

 付与を終え剣から手を離したルピナスは、またしてもフラリと倒れそうになる。横にいたリラが脇を支え、慌てて声をかけた。

「大丈夫ですか!?体調も良くないようですし、無理をなさらないでください……」

「大丈夫……と言いたいところですが、貴方達には話しておいた方が良いかもしれないですね。──ヒールは自らの体には使えないという事、貴方達はご存じですよね?」

 リラとテディが頷いたのを見て、ルピナスは続ける。

「ヒールを自分自身にかけることは出来ないのですが……実は自分の持つ神聖力は、常に全身を巡って身体内部のダメージを修復しているのです。神聖力が多い少ないに関わらず、誰でも」

 ルピナスが自らの細い二の腕を露わにして、手でさする。

「ですが、このように神聖力を限界まで放出してしまうと……体を巡る分が無くなり、ダメージを修復出来なくなってしまいます。神聖力を使い過ぎると力が入らなくなったり、意識が朦朧とするのは、それが原因です」

 魔力という生命エネルギーが少ない分、魔力の少ない人間は日々体を蝕むダメージも大きく……と、ルピナスは呟く。

「ですから毎日無理な量のヒールを繰り返していると、体の修復が出来ない時間が長く続き、若くして命を落とすことになります……歴代のパール家のように」

「そんな!ヒールを誰かに頼んだり、休んだりすることは出来ないのですか……?」

「教会は私を生かすために、魔力付与師を雇っています。この剣にヒールを行わなければ、魔力付与を止めると言ってくるのです。そうなれば、いずれにせよ死ぬしかありません」

 教会は教皇(代理)という象徴をつくることで、より信仰と寄付金を集めようとしているのだ。
 
 教皇がヒールをかけた伝説の剣に触れることで、奇跡のような治療が行われる……。それは教皇庁の目玉であり、神の力の証明として、なくてはならないものなのだろう。

「教会を逃げ出しても、魔力のない私はいずれ枯渇で死んでしまうでしょう。それよりも今はここで、自分の力を人のために役立てられる方が幸せなのです」

 ルピナスは目を細め、寂しげに微笑んだ。
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