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一章
勇者の力
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閃光が放たれるたびに大地は歪に変質していく。
人知を超える力で持って行使されるその圧倒的なまでの暴力は、本来この世界に有ってよいものではない。
常世の生物では到底たどり着くこともできないだろう境地の力をなんとか避けながら、カケルは自分がするべきことを考えながら必死に走っていた。
交渉が決裂した以上、カケル達に残されている選択肢は森にとって害になる勇者を排除することだけ。
先程の魔法で死ぬことはなかったとはいえ、それでも龍王の一撃を受けて勇者もどうやら無傷では済まなかったようである。
よく見てみればところどころ体を庇うような動き方をしており、ある程度ダメージが通っているのは確実。
ならばここは時間稼ぎに徹して――
「勇者! もう対局は決したんです、投降してください。これ以上の戦闘行動は無駄でしかない!!」
相手の攻撃を受け止めることができるのなら交渉の時間も作れたのだろうが、聖剣による一撃を受け止められる武器など今のカケルではどうやっても準備などできない。
相手からの攻撃をギリギリのところで回避しながらそう言葉を投げかけたカケルに対して、勇者は一度武器を構えなおす。
その目には明確な拒絶の意思が宿っており、とてもではないがこちらの話を聞くために手を止めたといった風ではない。
「それは無理だ。もとより国王だって兵士達をあてにはしていない。君達に出来るのは俺を殺して要求を通すか、俺に殺されて終わるかどちらかだよ。
それがこの世界の勇者たちに課せられた使命であり、結局力しか持たされていない俺たちはそんな事しかできないんだ」
「そんな……本当にそれしかないんですか」
「残念だけど、この世界はそういう風に作られているんだよ」
「……残念です」
勇者の言葉に対して心の底から残念そうな顔をして、カケルはすっと右手を空へと向かって伸ばす。
そうすれば先ほどと同じように赤い光が空へと昇っていき、勇者はいまから何が起きるのかを理解して声にならないような怒号を口にする。
雷の嫌なところは一度発動されてしまえば到底人では避けられないところ、そして尋常ではないほどの激痛が伴うところだ。
避けられない魔法の一撃はまるで天罰の様に勇者のつむじからつま先までを通り抜けていく。
「――っグぁ」
唇からこぼれるような嗚咽が漏れる。
気が付けば両膝をついている彼は己がどのような状況にあるのか、それすらも理解できずにいた。
体を貫いていった雷はほんの一瞬の出来事でしかなかったが、それでも人には耐えられないほどの痛みを味合わせてくるし、貫いていった電撃の場所がずきずきと痛むことでどこを通ったのかが分かる程である。
そうして痛みのあまり倒れてしまった勇者を前にして、カケルは近寄ることもなく一定の距離を取り続けながら倒れる勇者に言葉を投げかける。
「もう辞めませんか? 分かってると思いますがもう龍王は完全に復活してます、無謀ですよいくら何でも」
龍王の完全復活という言葉は勇者にとっていまさら大きな問題ではなかった。
勇者が特に警戒しているのは右手を掲げた時の尋常でない威力の雷撃と、こちら側の攻撃を避け続けるシャレになっていない回避能力である。
出来ることであれば目の前の敵を殺し、龍王を殺してその首を片手に国へと帰りたいところではあるが目の前の敵すら殺すことも難しい。
(こんなところで俺は死ぬのか……?)
身体は痛いし、しんどい。
そもそもこんな世界で何故自分は命を賭けてまで戦っているのだろうか。
こうして戦っていることの意味なんて、この世界に来たときに既に考えるのをやめてしまっていたはずだったのに。
死にかければ人は本質が現れるらしいが、だとすれば結局のところ楽をしたいのが自分だということだろう。
逃げられたらどれだけ良いことか。
「龍王の住処を不当に侵害しようとしているのは分かっている。あの森に住む一族がいる事も知っているし、あの街にいる人間が龍王の加護の元に生活を謳歌している事も知っている。
だが俺は引くことができないんだ」
でもそんな自分に自分はなりたくない。
歯を食いしばり、体を奮い立たせながら勇者はよじるようにしてその体を無理矢理に起こすと、先ほどまで黒かった瞳を金色に光らせながら人生最後の言葉になることを覚悟して口にする。
「王が死んでも構わない。民が消えてもどうでもいい、だが俺はあの王女様の涙を見たくない、あの人の為に俺は俺の欲でお前を殺す」
「そうですか、それが貴方がこの世界に来て、この世界で生きる意味ですか」
「龍に魅入られた同郷の人、せめて俺が君の魂だけでも解放しよう」
この勇者が勇者と呼ばれる所以はその力にある。
聖剣を所持し、己の正義と信念に嘘をつかずに居続ければ加速度的に強くなる彼の能力〈自己正義〉と呼ばれるものだ。
その精神性が変わることがなければ強くなる。
そんな能力であればなんともドラマティックな能力だが、実際のところ彼の力はもっと単純なものだ。
ただただ自分の意志を実現させようと思い続ける限りに際限なく強くなる、単純に言ってしまえばそれだけの能力である。
もしこれが大量殺人鬼の手に渡っていたのならば、この世界では未曾有の事件が起きていたことだろう。
彼が勇者と呼ばれているのはその能力の強さもあるが、その精神性そのものこそが勇者と呼ばれる所以たるものなのだ。
自分のために他者を犠牲にすることをいままで良しとせず、また自分が犠牲になることで他者を救うことができるのであればそれを許容する精神性。
本人の口からはさも姫だけを大切に思っているというような口ぶりではあるが、それならばとっとと国に帰って王女をさらって自分のしたいように生きればいいのだ。
そんな事を考えられない彼の人生観というのは、どこまでいっても優しさの上に成り立っている。
「聖剣解放」
一度その力を使えば瀕死まで体力を持っていかれる聖剣の全力解放。
それは勇者が強敵を倒すための最後の奥の手であり、それを使ったということはそれだけ目の前の男との戦闘に勇者が全力を賭けている証明だ。
光り輝いた聖剣を保持し、そうやって剣を上段に構えた勇者を見て目の前の男は怯えるように走って逃げていく。
だがこの一撃だけはどうやっても避けることはできないのだ、打つ前から既に当たることが決まっている。
どれだけの希望的観測を出したところでもどうにもならない一撃こそが聖剣の解放だ。
「解き放つ――!!!」
死に直面しながらもそれでも勇者であり続ける男から放たれた攻撃は、カケルの体をもののみごとに真っ二つにする。
体から血や臓物が流れ出ないのは切断された断面が焼け焦げているからであり、超熱量を伴った飛ぶ斬撃はこの世界の中でも屈指の理から外れた力である。
そんな力をまともに受けた翔の姿を見て、勇者は技を放った疲労感と敵をたおしたという達成感からその膝を折って再び地面へと倒れこんだ。
勇者と呼ばれるような人間が一日に二度も膝を折るなど前代未聞の大事件ではあるが、幸いな事にこの場には目撃者というものが居ない。
「倒した。俺はあいつを倒したんだ……休んだら次は龍王か……ははっ。無理だろ」
正直言って目の前の相手を倒せただけでも大金星である。
この世界に勇者が来てから既に5年以上の歳月がたっているのだが、その間勇者が戦闘でここまで追い込まれたことは一度たりともあったことがない。
龍王の眷属でこれだというのであれば、本体がどれほどの力を持っているのか考えたくもない程だ。
唯一希望的観測が持てるとするのなら、こちらが事前に龍王を殺しに行っているにも関わらず逃げる事を選択せず自分の部下を送ってくるあたり、龍王は飛べなくなっている可能性もないとは言い切れないだろう。
空を飛ぶ龍を相手にするのと地面に居続ける龍を相手にするのではその大変さは大きく変わる。
それで勝敗が変わるかと聞かれれば正直そんなことはないだろうと勇者も分かってはいるが、少しでも可能性の芽を見つけることができればそれが生きる希望になるというものだ。
最悪な可能性は龍王が逃げなかった理由が逃げる必要が無いから、翔が実は龍王にとってそれほど大切な存在ではなく使い捨ての手ごまの一つに過ぎないというものだが、そんな可能性はもとより考慮に入れていない。
「とりあえず遺品を回収しよう。死んだ人たちにも家族がいたんだから」
重たい体を動かしながら、勇者は最初に自分を取り囲んでいた人々が居た場所まで足を運ぶ。
そこには倒れ伏している多数の人間が存在し、死ぬことを理解しながらついてきた人たちだったとはいえ彼らの死体を見る事には多少日本人として勇者にも抵抗があった。
だがそんな抵抗を気にもせずに勇者は一番近くにあったうつぶせの兵士の体に触れると、ゆっくりとひっくり返した。
鎧を着ている兵士の体は重たいが、それでも勇者の筋力を持ってすれば多少の重さなど有って無いようなものである。
そうして兵士を起こした勇者は、ふと少しの違和感を覚えた。
明らかに外傷が少ないのだ。
「もしかして!」
鎧の合間を縫うようにして首元に手を当ててみれば、ドクンと力強い命の鼓動が感じられた。
先程までは引け目から顔を見ることができずにいたが、よく見てみれば随分と血色のいい顔をしている。
滑るようにして視線を移していけば右も左も視線に入って来る兵士たちはとてもではないが落雷の直撃を食らったような顔をしていないではないか。
ふと勇者の頬を冷たい汗が流れ落ちていく。
何かを見落としていたことに気がつけそうな予感と同時に、その何かは見落とすべきものでなかったことを頭が理解しているのだ。
「これはどういう――」
「――ようやく落ち着いて話ができるね」
突如として背後から先ほどまで聞いたはずの声で、だけれどまったく違った声音で言葉がかかる。
振り返らないのではなく振り返れない勇者は、そんな言葉の主に対してまるで気を使っているような声音で言葉を投げかけた。
「何故君が生きているんだ……? なぜ彼らが生きて……」
「すべては幻術、君が雷を浴びたと思ったその時既にこの技が発動されていたんだ。龍王の知識ってすごいよね、君は何もないところに向かってただ技を使い続けていただけ。
俺戦闘能力とかほとんどないからさ、疲れて倒れるまで頑張ってもらっていたんだよ」
「そんなバカな話があるか! いったいどれほどの力があればあんな現実に酷似した幻術が……」
そこまで口にして、勇者は自分が戦っていた存在が何なのかを改めて理解した。
知恵の王の二つ名を持つ龍王メティス、そんな彼女の知恵というのを勇者は心のどこかで見くびってしまっていたのかもしれない。
知恵を持つとはいえ所詮は獣、どこまで行っても人間には勝てないだろうという慢心があったのはもはや口にするまでもないだろう。
だが勇者はそんな龍王の作戦に見事にはまってしまっていた。
幻術をかけるためには方法が二つ、時間をかけて幻術へと徐々に落とし込んでいくかそれとも陣の中に相手を誘い込んで即効性のある幻術をかけるかのどちらかである。
勇者ははじめメティスが用意した幻術が前者の者であると勘違いしていたのだが、実際のところはメティスが勇者をとらえるために翔たちに数日前から作らせていたものこそが後者に当たるものだったのだ。
超広範囲の魔法陣を他者に書かせるなどプロが何も知らない新人に言葉だけで自分と同じ絵を書かせるような物、その難しさは計り知れないものがある。
龍王が森から一度も出てきていないという話を聞いていた勇者は龍王が用意した罠など高々痴れていると考えていたのだが、そんな考えを龍王は真っ向から破った形といえるだろう。
「まあとりあえず腰を下ろして話をしようじゃないか」
翔から語られる言葉は勝者が敗者にかける言葉だ。
勝敗は既に決しており、これ以上勇者に出来ることは何もない。
あれだけ頑張っても、あれだけ何かを成し遂げようと頑張っても。
結局のところ龍王というこの世界の頂点を前にしては何もできないのだという事を知らしめられて勇者は強く息を吐くのだった。
人知を超える力で持って行使されるその圧倒的なまでの暴力は、本来この世界に有ってよいものではない。
常世の生物では到底たどり着くこともできないだろう境地の力をなんとか避けながら、カケルは自分がするべきことを考えながら必死に走っていた。
交渉が決裂した以上、カケル達に残されている選択肢は森にとって害になる勇者を排除することだけ。
先程の魔法で死ぬことはなかったとはいえ、それでも龍王の一撃を受けて勇者もどうやら無傷では済まなかったようである。
よく見てみればところどころ体を庇うような動き方をしており、ある程度ダメージが通っているのは確実。
ならばここは時間稼ぎに徹して――
「勇者! もう対局は決したんです、投降してください。これ以上の戦闘行動は無駄でしかない!!」
相手の攻撃を受け止めることができるのなら交渉の時間も作れたのだろうが、聖剣による一撃を受け止められる武器など今のカケルではどうやっても準備などできない。
相手からの攻撃をギリギリのところで回避しながらそう言葉を投げかけたカケルに対して、勇者は一度武器を構えなおす。
その目には明確な拒絶の意思が宿っており、とてもではないがこちらの話を聞くために手を止めたといった風ではない。
「それは無理だ。もとより国王だって兵士達をあてにはしていない。君達に出来るのは俺を殺して要求を通すか、俺に殺されて終わるかどちらかだよ。
それがこの世界の勇者たちに課せられた使命であり、結局力しか持たされていない俺たちはそんな事しかできないんだ」
「そんな……本当にそれしかないんですか」
「残念だけど、この世界はそういう風に作られているんだよ」
「……残念です」
勇者の言葉に対して心の底から残念そうな顔をして、カケルはすっと右手を空へと向かって伸ばす。
そうすれば先ほどと同じように赤い光が空へと昇っていき、勇者はいまから何が起きるのかを理解して声にならないような怒号を口にする。
雷の嫌なところは一度発動されてしまえば到底人では避けられないところ、そして尋常ではないほどの激痛が伴うところだ。
避けられない魔法の一撃はまるで天罰の様に勇者のつむじからつま先までを通り抜けていく。
「――っグぁ」
唇からこぼれるような嗚咽が漏れる。
気が付けば両膝をついている彼は己がどのような状況にあるのか、それすらも理解できずにいた。
体を貫いていった雷はほんの一瞬の出来事でしかなかったが、それでも人には耐えられないほどの痛みを味合わせてくるし、貫いていった電撃の場所がずきずきと痛むことでどこを通ったのかが分かる程である。
そうして痛みのあまり倒れてしまった勇者を前にして、カケルは近寄ることもなく一定の距離を取り続けながら倒れる勇者に言葉を投げかける。
「もう辞めませんか? 分かってると思いますがもう龍王は完全に復活してます、無謀ですよいくら何でも」
龍王の完全復活という言葉は勇者にとっていまさら大きな問題ではなかった。
勇者が特に警戒しているのは右手を掲げた時の尋常でない威力の雷撃と、こちら側の攻撃を避け続けるシャレになっていない回避能力である。
出来ることであれば目の前の敵を殺し、龍王を殺してその首を片手に国へと帰りたいところではあるが目の前の敵すら殺すことも難しい。
(こんなところで俺は死ぬのか……?)
身体は痛いし、しんどい。
そもそもこんな世界で何故自分は命を賭けてまで戦っているのだろうか。
こうして戦っていることの意味なんて、この世界に来たときに既に考えるのをやめてしまっていたはずだったのに。
死にかければ人は本質が現れるらしいが、だとすれば結局のところ楽をしたいのが自分だということだろう。
逃げられたらどれだけ良いことか。
「龍王の住処を不当に侵害しようとしているのは分かっている。あの森に住む一族がいる事も知っているし、あの街にいる人間が龍王の加護の元に生活を謳歌している事も知っている。
だが俺は引くことができないんだ」
でもそんな自分に自分はなりたくない。
歯を食いしばり、体を奮い立たせながら勇者はよじるようにしてその体を無理矢理に起こすと、先ほどまで黒かった瞳を金色に光らせながら人生最後の言葉になることを覚悟して口にする。
「王が死んでも構わない。民が消えてもどうでもいい、だが俺はあの王女様の涙を見たくない、あの人の為に俺は俺の欲でお前を殺す」
「そうですか、それが貴方がこの世界に来て、この世界で生きる意味ですか」
「龍に魅入られた同郷の人、せめて俺が君の魂だけでも解放しよう」
この勇者が勇者と呼ばれる所以はその力にある。
聖剣を所持し、己の正義と信念に嘘をつかずに居続ければ加速度的に強くなる彼の能力〈自己正義〉と呼ばれるものだ。
その精神性が変わることがなければ強くなる。
そんな能力であればなんともドラマティックな能力だが、実際のところ彼の力はもっと単純なものだ。
ただただ自分の意志を実現させようと思い続ける限りに際限なく強くなる、単純に言ってしまえばそれだけの能力である。
もしこれが大量殺人鬼の手に渡っていたのならば、この世界では未曾有の事件が起きていたことだろう。
彼が勇者と呼ばれているのはその能力の強さもあるが、その精神性そのものこそが勇者と呼ばれる所以たるものなのだ。
自分のために他者を犠牲にすることをいままで良しとせず、また自分が犠牲になることで他者を救うことができるのであればそれを許容する精神性。
本人の口からはさも姫だけを大切に思っているというような口ぶりではあるが、それならばとっとと国に帰って王女をさらって自分のしたいように生きればいいのだ。
そんな事を考えられない彼の人生観というのは、どこまでいっても優しさの上に成り立っている。
「聖剣解放」
一度その力を使えば瀕死まで体力を持っていかれる聖剣の全力解放。
それは勇者が強敵を倒すための最後の奥の手であり、それを使ったということはそれだけ目の前の男との戦闘に勇者が全力を賭けている証明だ。
光り輝いた聖剣を保持し、そうやって剣を上段に構えた勇者を見て目の前の男は怯えるように走って逃げていく。
だがこの一撃だけはどうやっても避けることはできないのだ、打つ前から既に当たることが決まっている。
どれだけの希望的観測を出したところでもどうにもならない一撃こそが聖剣の解放だ。
「解き放つ――!!!」
死に直面しながらもそれでも勇者であり続ける男から放たれた攻撃は、カケルの体をもののみごとに真っ二つにする。
体から血や臓物が流れ出ないのは切断された断面が焼け焦げているからであり、超熱量を伴った飛ぶ斬撃はこの世界の中でも屈指の理から外れた力である。
そんな力をまともに受けた翔の姿を見て、勇者は技を放った疲労感と敵をたおしたという達成感からその膝を折って再び地面へと倒れこんだ。
勇者と呼ばれるような人間が一日に二度も膝を折るなど前代未聞の大事件ではあるが、幸いな事にこの場には目撃者というものが居ない。
「倒した。俺はあいつを倒したんだ……休んだら次は龍王か……ははっ。無理だろ」
正直言って目の前の相手を倒せただけでも大金星である。
この世界に勇者が来てから既に5年以上の歳月がたっているのだが、その間勇者が戦闘でここまで追い込まれたことは一度たりともあったことがない。
龍王の眷属でこれだというのであれば、本体がどれほどの力を持っているのか考えたくもない程だ。
唯一希望的観測が持てるとするのなら、こちらが事前に龍王を殺しに行っているにも関わらず逃げる事を選択せず自分の部下を送ってくるあたり、龍王は飛べなくなっている可能性もないとは言い切れないだろう。
空を飛ぶ龍を相手にするのと地面に居続ける龍を相手にするのではその大変さは大きく変わる。
それで勝敗が変わるかと聞かれれば正直そんなことはないだろうと勇者も分かってはいるが、少しでも可能性の芽を見つけることができればそれが生きる希望になるというものだ。
最悪な可能性は龍王が逃げなかった理由が逃げる必要が無いから、翔が実は龍王にとってそれほど大切な存在ではなく使い捨ての手ごまの一つに過ぎないというものだが、そんな可能性はもとより考慮に入れていない。
「とりあえず遺品を回収しよう。死んだ人たちにも家族がいたんだから」
重たい体を動かしながら、勇者は最初に自分を取り囲んでいた人々が居た場所まで足を運ぶ。
そこには倒れ伏している多数の人間が存在し、死ぬことを理解しながらついてきた人たちだったとはいえ彼らの死体を見る事には多少日本人として勇者にも抵抗があった。
だがそんな抵抗を気にもせずに勇者は一番近くにあったうつぶせの兵士の体に触れると、ゆっくりとひっくり返した。
鎧を着ている兵士の体は重たいが、それでも勇者の筋力を持ってすれば多少の重さなど有って無いようなものである。
そうして兵士を起こした勇者は、ふと少しの違和感を覚えた。
明らかに外傷が少ないのだ。
「もしかして!」
鎧の合間を縫うようにして首元に手を当ててみれば、ドクンと力強い命の鼓動が感じられた。
先程までは引け目から顔を見ることができずにいたが、よく見てみれば随分と血色のいい顔をしている。
滑るようにして視線を移していけば右も左も視線に入って来る兵士たちはとてもではないが落雷の直撃を食らったような顔をしていないではないか。
ふと勇者の頬を冷たい汗が流れ落ちていく。
何かを見落としていたことに気がつけそうな予感と同時に、その何かは見落とすべきものでなかったことを頭が理解しているのだ。
「これはどういう――」
「――ようやく落ち着いて話ができるね」
突如として背後から先ほどまで聞いたはずの声で、だけれどまったく違った声音で言葉がかかる。
振り返らないのではなく振り返れない勇者は、そんな言葉の主に対してまるで気を使っているような声音で言葉を投げかけた。
「何故君が生きているんだ……? なぜ彼らが生きて……」
「すべては幻術、君が雷を浴びたと思ったその時既にこの技が発動されていたんだ。龍王の知識ってすごいよね、君は何もないところに向かってただ技を使い続けていただけ。
俺戦闘能力とかほとんどないからさ、疲れて倒れるまで頑張ってもらっていたんだよ」
「そんなバカな話があるか! いったいどれほどの力があればあんな現実に酷似した幻術が……」
そこまで口にして、勇者は自分が戦っていた存在が何なのかを改めて理解した。
知恵の王の二つ名を持つ龍王メティス、そんな彼女の知恵というのを勇者は心のどこかで見くびってしまっていたのかもしれない。
知恵を持つとはいえ所詮は獣、どこまで行っても人間には勝てないだろうという慢心があったのはもはや口にするまでもないだろう。
だが勇者はそんな龍王の作戦に見事にはまってしまっていた。
幻術をかけるためには方法が二つ、時間をかけて幻術へと徐々に落とし込んでいくかそれとも陣の中に相手を誘い込んで即効性のある幻術をかけるかのどちらかである。
勇者ははじめメティスが用意した幻術が前者の者であると勘違いしていたのだが、実際のところはメティスが勇者をとらえるために翔たちに数日前から作らせていたものこそが後者に当たるものだったのだ。
超広範囲の魔法陣を他者に書かせるなどプロが何も知らない新人に言葉だけで自分と同じ絵を書かせるような物、その難しさは計り知れないものがある。
龍王が森から一度も出てきていないという話を聞いていた勇者は龍王が用意した罠など高々痴れていると考えていたのだが、そんな考えを龍王は真っ向から破った形といえるだろう。
「まあとりあえず腰を下ろして話をしようじゃないか」
翔から語られる言葉は勝者が敗者にかける言葉だ。
勝敗は既に決しており、これ以上勇者に出来ることは何もない。
あれだけ頑張っても、あれだけ何かを成し遂げようと頑張っても。
結局のところ龍王というこの世界の頂点を前にしては何もできないのだという事を知らしめられて勇者は強く息を吐くのだった。
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