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一章

森の狩人

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 相手の攻撃が見えないと言うのは、それだけで大きなハンデとなる。
 攻撃してくる方向が分からない恐怖に加え、攻撃を受けた場合に自分に被る被害がどのようなものなのかも判別がつかない。
 視界の端にチラチラと見える影の正体が不可視の一撃の正体で、しかもそれが翔が予想しているものであるとするならばこの場所に限り未だに勝機がある。

 問題があるとすれば逃げることができないのでここで倒し切らなければいけないという事だが──

「下がった方が……いい」

「ラグエリッタちゃんがお仕事モードになるくらい目の前の敵は強いってわけね、やっぱ一筋縄じゃいかないか」

「安心しろ、苦痛なく殺してやる」

 口数が少なくなっているラグリエッタに茶々を入れながら、翔は相手がなんらかの方法でボロを出すのを待ち続ける。
 だがマリスは常に翔達と一定の距離を保っており、翔達が近づく素振りを見せた途端に即座に後ろへと下がっていく。

 逃げるには近すぎて詰めるのには遠すぎる絶妙な距離感を保ち続けるマリスを前にして、これが普段から戦闘に身を置き続ける者の実力かと心の底から称賛の言葉を送った翔は今日初めて傷を負う。
 鳥の鳴き声のような感高い音が一瞬聞こえたかと思うと、翔の肌に刃物で傷をつけたような痕が残ったのだ。

「──ッ! 危ないな! 弓か?」

 滴る血を手で拭い、時の恐怖と戦いへの興奮でどうにかなってしまいそうな心臓を抑えつけながら翔が問いかけると、マリスはクスリと笑みを浮かべた。

「憶測はついているのだろう? なら冥土の土産に教えてやろう。我が持つ武器は弓ではない、この

 想定していた中で最悪の能力、はっきり言って絶望的である。
 森自体を手足のように扱えるのであれば、踏み締める大地の砂粒の一つまでがこちら側の敵だという事だ。
 多勢に無勢どころの話ではない、逃げられると考える方がどうかしているだろう。

 鞭のように枝葉をしならせた木が音よりも早く自分の方へ向かってきているのを避けた翔は、先程自分に向けられた狂気が何であったかを理解する。
 細い木や最初に飛ばされただろう木の実などならば翔の身体に致命傷を与えることはできないが、山から栄養を吸収して太くなった木の枝は質量と速度を伴って翔に傷をつけたのだ。

 すんでのところでなんとか攻撃を避け切った翔だったが、意識を木に集中させすぎたせいで周りを見るのが遅れてしまい山頂から落ちてくる岩石への対処を強制される。

「回避行動が取れない…死ぬ」

「仕事モードの時は随分と悲観的だね!?」

 ぎゃあぎゃあと叫びながら逃げるものかと思っていたラグエリッタが棒立ちになっているのを確認した翔は、小脇にラグエリッタを抱えながら落ちてくる無数の落石を回避し続ける。

 人の身長より大きい岩石は重量にしておよそ数トンから数十トン。
 人体が直撃を受ければ間違いなく死亡するし、服が掠りでもしたら間違いなく翔が最も恐れている森の中へ叩き落とされる。

 神がかり的な集中力を見せた翔は落ちてくる岩石と時折マリスから放たれる弓矢を避け、なんとか無事な場所を確保し切った。

「やはり避けることに関しては天才的だな、だが確実に死ぬよう放たれればどうか?」

「それでも避けてみせるよ」

 次は一体どんな能力を使ってくるというのだろうか。
 山から岩を落とすことが可能ならば、火山を噴火させるくらいのことはできそうである。
 森を重要視する彼女がそんな事をするとは思えないが、龍王を治す事で生まれるデメリットを考慮に入れて最終手段として用意している可能性は否定しきれない。
 矢を打ち尽くして邪魔になってしまったのか弓矢を投げ捨てたマリスが体の前で手をパチンとならすと、翔の周りで木々にぶつかって止まっていた岩がまるで石を持ったかのように動き始める。

(なにあの動きカッコいい!)

 術式的に意味があるのか、それともオシャレだからそうしているのか。

 どちらにせよマリスの指示によって動き始めたゴーレム達は、隙間なくゆっくりと翔の方へと迫ってきておりいまさら抜け出すことは不可能だ。
 唯一上空への逃げ道は存在するが、翔が覚えている限りこの付近には数本の木があったはず。
 あえてそれが視界に入らないようになっているということは、上空に飛んだ瞬間木にハエ叩きよろしくはたき落とされる可能性は少なくない。

「さぁこの包囲をどう潜り抜ける?」

「神から貰った力を舐めるなよ!」

 自分で言っていてなんとも閉まらない事を分かっているが、翔は岩の向こうから飛んできたマリスの声に大声で返しながら小脇にラグエリッタを抱えたまま目の前の巨岩に向かって突撃する。
 両腕を大きく広げて待ち構える巨岩に対し、翔はその速度を緩めるどころか更に速度を上げた。
 このままでは確実にぶつかる──!

「──!」

 そう予感したラグエリッタが衝撃を堪えるために目を強く瞑るが、いつまで経っても衝撃が来ることはない。
 おそるおそると目を開けてみれば、遥か後方に岩で作られたゴーレム達の姿が目に入る。
 どうやってか翔は上に上がることなくあの包囲網を抜け切ったのだ。

「しっかり捕まったな。絶対に離さいでね、落ちたら拾いに戻れないから」
「絶対に落ちないっス──!!」

 抱えられていたラグエリッタはどうして先程の包囲を抜けられたか分からなかったようだが、敵としてその動きをしっかりとみていたマリスは翔が包囲を抜け切った瞬間ももちろんみていた。

技能スキルであることは間違いないが、なんだあの能力は?)

 マリスは長年森に来る侵入者を排除してきた経験から、ある程度人間が覚える可能性のある能力については知っていたつもりだった。
 だが先程行使された力はいままでどの人間も似たような力さえ使ったことのないものである。

 確実に分かったことは包囲することは無駄であること、そして全力を出さなければ殺せない相手だということだ。
 再びマリスが胸の前で手を叩くと、先程翔が書いていたような陣が──今度は本物の魔法陣である──現れ不思議な光を放ち始める。

「広範囲術式──魔法がくるっす!」

「魔法!? ソレの対処法は聞いてないぞ!!」

 この世界で魔法を使えるのは一定の知能を持つ種族だけであり、翔が昨夜追いかけ回された空間には残念なことに一匹たりとも魔法を使う相手がいなかった。
 自分の足元がマリスの手元にある魔法陣と同じ色に発光し始めた翔は直感的にソレを危険なものと認識し、この世界に来て初めて本気で回避行動をとる。

「森が溶けた!? んな馬鹿な!」

「アレが魔法っすか、他人が使ってるところは初めて見たっす!」

「あんま喋ってると舌噛むよ!」

 なんらかの超膨大な熱量が森の中心地にいきなり発生し、翔はその余波で吹き飛ばされながら叫び声を上げる。
 魔法による火災は通常のソレとは別なのか指定された範囲以外には燃え移っていないようだが、先程まで魔法陣があった場所はさながら炎の地獄である。
 魔法陣が発動した位置から自分で自分がどれくらい移動したかも分からないほどの速度で走り続けている翔は、一直線に自分の勝利条件の元へと走っていた。
 この状況を平和的に解決できる可能性のある最後の要素、その元へと。

「この方角──龍王の元へ向かうつもりか!」

「武器もないのにまともに戦うわけないだろばーか!」

 追いかけてくるマリスに悪態をつきながら、それでも翔の脚は少しも遅くならない。
 木々が生えていなければ更に速度を上げることもできただろうが、森の中ではいまの速度が最高速である。
 追われている最中だというのに楽しそうに武器がないと叫んだ翔に対して、鞄を上下にガサガサと揺らしながらラグエリッタが大声を張り上げた。

「親方に作らせたアレはなんなんっすか!」

「旅の間ご飯に困ったらいやでしょーが! 何のために作らせたと思ってんの!!」

 防具と共に頼むものだからテッキリ戦闘にも使えるつもりで作ってくれと言っていたつもりだと思っていたが、この男は本気で料理をするためだけに岩の街最高の鍛治師に目の玉が飛び出るほどの金額を払ったのだと知って笑いが込み上げてくる。

(もうなんだか逃げれる気がしてきたっす!)

 小脇に抱えられている立場でありながら、それでもラグエリッタは楽しそうな表情を浮かべていた。
 先程までの悲壮感はそこになく、あるのは逃げ切れるという根拠のない自信だけである。
 だが上手く逃げられたと思っている時こそ、狩人が用意していた罠に向かって獲物が向かっているのだという事を二人は知らなかった。

「残念だがその先は鉄針草の群生地、そこを突っ切れば足は確実になくなるぞ?」

 途端にラグエリッタの表情が真っ青なものへと変わる。
 絶望したりいけると思ったりコロコロと感情を変えたラグエリッタを見てマリスが満足気な顔を浮かべるが、翔は一瞬後ろを振り返り中指を力強く立てたかと思うと半笑いで言葉を投げ捨てた。

「油断してくれてありがとう!! 逃げます!!!」

「何っ!?」

 一切の躊躇いなく鉄の強度を持つ草が生い茂る中へと入って行った翔だったが、その瞬間に驚くべきようなことが発生する。

「鉄針草がまるで自我を持ってるみたいに避けていくっす!」

「これぞ冒険者の能力、移動阻害無効化と地形ダメージの無効化だぁ!!」

「説明してる暇あったら走るっすよ!」

 先程囲まれた際に無事に抜け出すことができたのもこの力によるものだ。
 翔の能力の一つである冒険者、その能力は多岐にわたるが冒険をする上で不快な要素のほとんどはこの能力の効果があれば打ち消すことができる。

 ちなみに木々を無視して走ればいいのでは、という問いに答えるのであれば、この能力は逐一避ける対象を指定する必要があり、しかも魔力というものを消費して避けているので乱用すると気絶するのだ。
 自分の頭の中であとどれくらいならば避けられそうか考えながら走り続けた翔は、ついに鉄針草の草原を抜け切る。

「はぁっ、はあっ。撒いたか?」

「全然撒けてないっす! 超気配感じるっす!」

「マジか、ビンビンに?」

「そりゃもうビンビン──ってなんか卑猥っす!?」

 冗談が言えるのならばまだ余裕はあるという証。
 足が動くようになってから随分と走る機会が増えたな、などと考えながらと追い付かれないように少しでも早くと走り続けていた翔の足がふと止まる。

「よく逃げた物だ、本当に。あともう少しで龍王の元へ辿り着くところだ。だがその先は──」

「──崖っす」

 平坦な土地の間に突如として現れた峡谷は遥か下に川が流れており、向こう岸までは少なくとも60メートル以上はありそうである。
 さすがにジャンプして飛び越えられるほど人間をやめていない翔は下におりて新しい道を探すべきかとも考えるが、水以外の方法で削られたのだろう峡谷はほぼ直角の絶壁であり人を抱えながら降りるなど到底無理そうだ。

「ピーンチ、って感じだな」

 足を止めれば追いかけてきているものは当然追いつくわけで、がさりと音を立てながらマリスがその姿を表す。
 森の中を歩いてきたというのにその服には葉の一枚も付いておらず、植物の種からツタや葉っぱを全身につけている翔とは大違いだ。

「残す言葉は何かあるか?」

「言葉というより質問だ。俺達を狙うのは龍王の病気が治られると困るから、その理由は龍王が病気を治したらこの森から居なくなるからか?」

「そうだ。お前の考えは合っている、あの龍は長くないが、少なくとも死ぬまではこの森は守られる」

 龍王というネームバリューは翔が思っていたよりも強かったらしく、予想通りではあるもののどうやっても説得不可能な状況に翔は頭を悩ませる。
 翔が現状提供できる全力というのは自分だけ、しかも自分がいる事でこの森に害を加えようとしている種族全てを退けられるかと聞かれれば無理だ。

 ラグエリッタが命の危険を冒して鉱石を手に入れるために翔についてきたように、リスクを負う代わりにこの森へこようとする人間は後を立たないだろう。
 龍王がいる森にすらそんな奴らが来るのだから、龍王の居なくなった森なら毒牙にかかるまで十年あればいいほうだ。

 森の保全を一番に考えるのであれば現実的な考え方、一瞬納得しかけた翔の横でラグエリッタが初めて聞くほどの大声を上げる。

「そんなのって酷いっす! 自分達のために利用するっすか!?」

「必要が必要であるが故にだよ。犠牲無くして森は救えない」

 良いか悪いかは別として、頭ではマリスが口にしたことも理解できる。
 翔だっていまこのとき脚が動かなくなったとして、見ず知らずの龍を犠牲にする事です少なくとも10年脚が動くならば最終手段としてそれを受け入れるだろう。
 だが理解できる事とそれを許すかはまた話が別だ。

 ラグエリッタだけでも逃そうと一歩前へ出た翔だったが、彼女に服を掴まれていた事で強制的に引き戻された。
 一体なんだと目を向けてみれば、そこにはじっとこちらの目を見つめるラグエリッタの姿がある。

「仕方ないっす、カケルさん。自分の事を信じれるっすか?」

「信じる。危険な森までわざわざついて来てくれるような子だしね」

 信じてくれという言葉に対して、翔は一切の躊躇なくただ信じると言葉を返す。
 命を懸けて自分に目的があろうとも共に付いてきてくれたのだ、もはや彼女を疑う気持ちなど翔にはこれっぽっちも存在しない。

「それじゃあ後は任せたっす」

 そんな翔のことを見て嬉しそうに笑ったラグエリッタは、手を大きく広げるとそのまま崖から飛び降りた。
 崖の淵まで詰め寄って彼女がどうなったか確認したくなる衝動を抑えながら、信じてと口にした彼女を信じ切るために翔は一切揺らぐことなくマリスの一挙手一投足へと目線を向ける。

 先程まで距離を取り続けていた彼女が一歩踏み込めば手が届きそうな距離にいるのは、ここが山ではなく森の中だからだろう。
 彼女を守り、彼女の武器になる木が大量にあるここでは翔なぞ持って数分である。

「自殺か、それも良かろう。後を追ってお前も飛び降りるか?」

「言ってろよ、女の子に信じてって言われたら信じるのが男だ」

 正直に言えば少しでも気を抜けば疑いをかけてしまいそうになる心を押さえつけ、翔は会話の道中に放たれるいくつかの攻撃をギリギリで回避する。
 無駄を少なく、致命傷だけを避け続ける。
 それが翔が導き出した少しでも長く生きるための手段だ。

「いくらお前の能力が逃げることに特化しているとはいえ、崖を背にそうも守ってばかりでは辛いだろう。
 死を選ぶことは愚かな事ではない、むしろこの場に限って言えば賢い選択だ」

 なるほど確かに死ねば楽になれるだろう。
 死ねばそこで全てが終わる。
 一度死んだからわかるのだ、死は苦しみではないと。

「悪いけどこんなところで死ぬつもりなんて少しもないよ」

「なんだと?」

 思い出されるのはお見舞いに来てくれた同級生達。
 最初はすぐに良くなると笑いながら、二ヶ月もすれば徐々に笑顔が少なくなり、半年が過ぎて哀れみを含んだ目線を送ってくるようになると一年を過ぎて誰も来なくなってしまった。
 思い返せば自分に非があった事も多くある。

 哀れみの目線を向けられて、自分を憐れだと思っている奴らが許せなくて理不尽に吠え立てた事もあった。

「俺は生き残るし、お前を殺しもしない。この世界を全力で生きてる俺にこの森の死を先延ばしし続けている奴は絶対に勝てないよ」

 何のために生きているかも分からず、死について真剣に悩んだこともあった。
 だけれどもう一度だけでいいから全身から鳥肌が収まらない程の絶景を目にしたくて。
 もう一度だけでいいからみんなと同じ目線で並び立てるような、そんな人間になりたくて。
 だけれど叶わなかったそんな夢を抱えながら俺はこの世界で生きていくと決めたのだ。
だったら逃げるわけにはいかない、臆する訳にもいかない。
 勇気を持って一歩前へ、腹の底から声を出して1秒でも長く生きていよう。

「何度でも言ってやるよ。俺は死なねぇ!!」

 口にするたびに身体中に力がみなぎっていくのを感じられる。
 そうだ、こんなところで死んでたまるか、まだこの世界で知らないことは無数にあるのだ。

 仲間が死んだ事で絶望している今ならばなんとかなるかも、そう考えていたマリスは考えを改める。
 いま目の前にいるのは戦士であり、かつて自分も胸に抱いていたはずの誇りを持った男だ。

「そうか。お前は戦士になったのだな、ならばその心の音を止めてやろう」

「こんなところで俺の夢は終わらない。お前という試練を乗り越えて、俺はこの世界を生きていく!」」

 足に力をこめてマリスの元へと向かって翔が飛び込んでいき、マリスはそれに対抗するように腰から剣を抜く。
 数秒経てばこの場に立っているのはただ一人だろう。
 お互い譲れないものがあって戦っているのだから。

「──よくぞ言った若き人間よ。そしてよく我との約束を果たしたな」

 だがその予想は第三者の参入によって根底から覆される。
 現れたのはこの世の中でも最強の存在。
 人類などでは到底追いつかないほどの叡智を持つ全ての生物を下等だと一周できるほどの圧倒的な上位種。

 人はその名を恐れ、亜人達は一度その羽ばたきを聞けば全てを捨てて逃げ出す。
 現存する中で唯一二つ名を持つ龍王──

「叡智の龍王メティス、ここに完全復活を宣言しよう」

 カランと音を立ててマリスの手の中から剣がこぼれ落ちていった。
 翔達の勝利条件は龍王に薬を届けること、そしてそれはなされたのだ。
 龍王の背中でにしゃっと笑みを浮かべながら親指を立てて嬉しそうにしているラグエリッタの行動によって。

「はてさて矮小なものどもよ、我の威光を知るがいい」
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