誰より平和を望んだ二人

空見 大

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「それにしても初めて天使を見たが、随分とフレンドリーだったな」

図書館での情報収集を終え、ヘクターたちは夕暮れの街の中を二人で並んで歩く。
向かう先は宿屋。
朝は寄り道をして帰ろうとしていたのだが、天使からの言葉を聞いて胸騒ぎがしたため一応安全を取って先に宿屋へと戻る事にしたのだ。
今回初めて会ったエスペルもなんとなく気がついているが、天使というのは善性を持った生き物に見えてその実善と悪を区別しないとヘクターは知っている。

「アレはそういう風に演じてるだけだよ。昔から喋っているからわかるけど、アレに自我なんてものはない。きっと神様にだって自我はまともに残っちゃいないよ」
「神か。この世界を統制するためのシステムだと私はそう思っているのだが、天使がああして出張ってくる以上存在自体はあるのだろうな」

かつて一度はその領域へと手を伸ばさんとし、神の存在が極めてこの世界にとってどうでもいい存在である事に気がついたエスペルはそれ以来神のことを考えることはなかった。
だがああして天使を見てみればその時の感情が少しだけぶり返す物で、今後自分とヘクターに何かを頼まなければいけない程の緊急事態を神が予見しているという事実は見逃せない。
それが一体どれくらいの事なのか。
少なくともヘクターの寿命は人のそれと対して変わらず、さらに300年後の世界に飛ばされた事が天使の力による物だとすれば直近100年以内にそれは起きるのだろう。
300年前に繰り広げられた大戦よりも酷い可能性のあるものを前に思考を巡らせているエスペルに、ふと道行く男が声をかけてきた。

「兄ちゃんたちなんだか難しそうな話をしてるところ悪いが、いまそっちの通りはいかない方がいいぜ?」
「何かあったんですか?」
「どうやら二日酔いの冒険者が金のことで揉めてるらしい。店の外まで出てきて乱闘騒ぎなんだと」

冒険者が騒ぎを起こす事自体はそう珍しいことでもないが、夜ではなく夕方に飲んだくれて喧嘩など珍しい事もあったものだ。
冒険者とはいえ無差別に喧嘩を売ってくるような事はないので普通道行く人間に忠告などしない物だ。
だがヘクターの隣には幼い見た目のエスペルがいるわけで、小さい子供を大切にしようという彼なりの優しさだろう。
話しかけてくれた人物に感謝の言葉を述べ、それでも行かなければ行けない旨を報告した後にヘクター達は少し駆け足で宿へと戻る。

「いやな予感がしてきたな」
「大体そういうのは当たる物だぞ」

小走りで現場へと急行した二人が見たのは、案の定殴り合っているアーデンとファリスである。
さすがに武器までは使っていないようだが、お互い装備の上からでもお構いなしで拳を振るい流血までしているではないか。
他所に被害が及ぶことを危惧してから兵士が遠巻きに彼らの事を眺めているが、冒険者同士の争いに首を突っ込んで怪我をするのが嫌なのか出張ってくる様子はない。
周囲の人物の顔を確認し、おろおろとしているよく見知った人間の顔がある事を確認してからヘクターはいままた拳を相手に振り抜こうとしている両者の拳を止めた。

「そこまでだ、なんで殴り合ってるのかは知らないが街中でやることじゃないだろ?」

渾身の力で放った一撃がまるで微動だにしない事に目を見開く両者は、拳を止めた人物がヘクターである事を認識するとその目の中に若干の理性を取り戻す。

「誰だ!! 邪魔すん――っ! なんだヘクターさんか」
「こんなところで殴り合ってたら周りに迷惑だろ。とりあえずいったん離れよう」
「ヘクターさんこいつに肩入れすることはありません、金の欲におぼれた哀れな男です。何を囁かれるか分かった物ではありませんよ」
「なんだとテメェ!!」
「やめて!!」

再燃しそうになった二人の闘争心を前にどうしようかとヘクターが頭を悩ませていると、気がつけばいつのまにかイェラが先ほどのヘクターのように二人の間に割って入る。
少し前確認した時には下を向いていたが、どうやら少しは落ち着いたのだろうか。
なんにせよ自分が止めに入るよりは旧知の仲の人間に止められる方が話も聞きやすいだろうとヘクターは一歩後ろへと下がった。

「一回二人とも落ち着きなよ、ね?」
「お前までこいつのことを庇うのかイェラ!」
「違う! そういう事じゃ……」
「前々から思ってたんだ! お前ら二人はできてたんじゃないかって」
「違う! 私は……あんたのことが……」

泣き出すイェラに怒りを隠さない両名、観衆の目線は奇異の目から徐々に好奇心を持ったものへと変化しており話の落とし所をこの場にいる全員が見失い始めている頃。
エスペルが無造作に近寄って何かをすると、三人はまるで糸が切れたかのようにその場に膝から崩れ落ちる。

「あまりにも見苦しいからね、いったん気絶してもらった」
「アンタらウチの店の前でたむろすんじゃないよ! 見せもんじゃないんだ! 散った散った!!」

周囲の人間は突如として気絶した三人組に思考が裂かれるよりも早く、介入するタイミングを見計らっていた店の女将グレンダの手によって霧散させられる。
エスペルがイェラを、グレンダが他二名を引き連れて宿屋へ入って行きそれぞれを鍵付きの別の部屋に軟禁した後、ヘクター達は一回にある酒場のカウンターに腰をかけていた。
何も言わずともグレンダが飲み物と小腹を埋められるような適当な物を出し、気まずさを流し込むようにしてそれらをつまむとヘクターが話を切り出す。

「――それで? いったい何があったんだ」
「私も詳しいことは知らないよ、急に表に出たかと思ったら殴り合いを始めたんだから。ただまぁ聞いた話だと次の依頼をどうするか仲間内で喋っていたらしいね」
「やはりそうなったか。だがそれにしても手が出るほどの事か?」
「アンタ達に頼って上に上り詰めようとしていたアーデンと、手に入れた金で冒険者家業を廃業しようとしていたファリスの意見が当たったんだ。殴り合いの喧嘩くらいにはなるだろうね」

大金を手に入れたのだから冒険者という仕事を辞めることはヘクターとしても理解できる。
命懸けで戦闘することに人生をかけている人間もそれなりに存在するが、彼等はそういったタイプの人間ではない。
アーデンは楽観的で夢みがち、イェラは主体性に欠けており実力不足、あの中で一番生き残れる可能性が高いのははっきり言ってしまえばファリスだ。
現実主義的な考え方は生き延びる上では非常に重要なピースであり、それを欠けている他二人は冒険者としてはどうか知らないが少なくとも戦場は向いていない。
だがそのことを理解しながらもヘクターが彼らの事をなんとかしたいと考えるのは彼が夢を追う人間を助けてあげたいからであり、エスペルはそんなヘクターの考えを分かっているからこそ時間の無駄だと思いながらも話を続ける。
そうしてヘクターが三人についての情報を女将から聞いている頃、ふと階段を降りて人がやってくるのが感じられる。
壁に背を預けながらぎこちない歩き方でやってきたのは、少しだけ青い顔をしたイェラだ。

「あんた、寝てないと体に触るよ」
「大丈夫です、ご迷惑をおかけしましたし」
「ふむ、手加減しすぎたか。意外と早く起きたな」

椅子になんとか腰をかけ、女将に肩から毛布をかけられながらもイェラは何やら呟いているエスペルの言葉を聞いているのかいないのかよく分からない状況で話し始めた。

「アーデンが怒ったのはきっと子供のころの約束を馬鹿にされたからだと思います」

きっと先ほどまである程度会話を聞いていたのだろう、そう思わせるような話し振りである。
そして彼女の口から聞かされるのは、彼女たちでなければ知り得ないような大切な情報だ。

「子供のころの約束?」
「はい。私たちは小さいころに物語の英雄になることを夢に見て冒険者になりました。アーデンはいまだにその夢を捨てることができなくて、ファリスはそんなアーデンに現実を見ろって……それで……」

英雄譚に憧れて死ぬ子供は多くいる。
年間多数の犠牲者を出しながらも冒険者という職業に従事しているものが数多くいるのは、それだけ自分も一旗を上げてみたいと考える人が多いからだ。
人間は常に自分自身を何者かにしたがり、大衆とは違う唯一の個人としてあれることを望む。
だがその個人であるヘクターから言わせてみれば、その高みに至るまでに踏みつけにしなければいけない人間の数を考慮に入れているのか疑問である。

「俺はファリスの案が現実的でいいと思うけどね。このまま冒険者として生きていくのなら、だれかが死ぬか年で動けなくなるまで戦い続けないといけないんだ。それに比べたら街で稼いだ金でゆっくり生きる方が幸せだと思うけど」
「何もしないで死んでいくなんで、そんなの死んでるのと変わらないじゃないですか」
「死んでるのと変わらなくても確かに生きてるなら、俺はそれでいいと思うよ。ただ君たちがどうするかは勝手だけどね」

夢を語るのには力がいる。
突き放すことを言うようだが、側からヘクターの言動を見ていたエスペルとしてはようやく言ったかと言う気分だった。
自分の事すら他人に任せて生きようとする人間をエスペルは嫌悪している。
王として人の本質を見抜く目を持ったエスペルはだからこそ彼ら三人組に対して、出会った頃から興味を持っていなかったのだ。
だがヘクターはそれとは対照的にいまでもまだ、愚かな目の絵の人間をどうにかしてやりたいと考えているようだった。

「……今日は助けてくれてありがとうございました。失礼します」

その顔に写っているのは申し訳なさと隠しきれない落胆と怒り。
自分たちのために何かをしてくれるだろう、あんな喧嘩が起きたのだから何か都合をつけてくれるだろう。
そんな甘い考えが透けて見えるその姿にエスペルが思わず鼻を鳴らすと、それが聞こえていたのか床をドカドカと踏みつけながら彼女は元の場所へと戻っていった。

「行ってしまったな」
「仕方ないでしょ。誰だって夢を否定されるのは嫌なもんだし」
「初めて知ったがお前は底なしにお人好しなのだなヘクター」
「それ褒めてる?」
「褒めているさ。少なくとも私にはない長所だ」

魔族の王であった自分に対してあのような態度を取ってくる人間、少し前であれば即座に消し炭にしていただろう。
だが隣にいるヘクターの呑気な顔を見ていると、なんだか怒りというものを持っている方がバカらしく感じられる。
もういなくなった階段の方をチラリと一瞥したエスペルは、気持ちを切り替えるように出された料理を食べ始めるのだった。
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