10年後の君へ

ざこぴぃ。

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2学期

第10話・時追者

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――2010年9月6日月曜日

 僕は西奈真弓の怪我の容態を見に、ここ県立中央病院にお見舞いに来ている。ロビーまで東方理子と一緒に来たのだが、理子は祖母のお見舞いに僕は真弓のお見舞いにそれぞれ向かった。
 病室の前でドアを開けるのをためらっていると、室内からひっくり返る様な音と真弓の声が聞こえた。

『ガタンッ!』
「きゃっ!」

 僕は勢いでドアを開ける。真弓には1週間前にビンタをされてから顔を合わせずらかった。

「真弓!!どうした――!」

 病室に入って目を疑う。真弓が床に倒れている。ベッドに付属してあるサイドテーブルがひっくり返っている所を見ると、サイドテーブルにもたれてひっくり返ったのだと推測できた。
 ベットの頭元から床に垂れ下がっているナースコールを押す。

「大丈夫か!真弓!」
「……いたた。あれ?春彦くん?どうして?」
「あ……いや、それより怪我は?どこか痛くないか?」
「うん……たぶん」

 真弓を抱え、ベッドに座らせる。すぐに看護師が駆けつけてくれ、怪我の具合を見たり倒れたサイドテーブルを片付けたりしてくれた。

「西奈さん、無理をしないでくださいね。トイレに行く時は言ってください、車椅子も用意してますし……」
「いえ!違うんです。さっき足が……」

真弓はさすりながら足をベッドに伸ばす。

「足?また痛むのですか?痛み止め用意しましょうか」
「真弓、大丈夫か。無理をしたら駄目だ」
「いえ……ちょっと……足が……うぅ……」

痛みをこらえてか、少し力む真弓。すると……!

「足が……曲がった……?」
「うぅ……」

 ベッドの上で膝を折り曲げて見せる真弓。ゆっくりだが、足を曲げ体育座りの姿勢を取ろうとする。

「はぁはぁ……こ、ここまで……」
「嘘でしょ……?西奈さんちょっと待ってて、先生呼んでくる!」

 看護師は慌てて先生を呼びに行く。そのくらい衝撃的な事が起こっているのだ。
 下半身不随――真弓は歩くどころか、腰から下はもう動かせないと聞いた。リハビリをしても車椅子の生活になると先生も言っていたそうだ。
 ところが目の前で真弓の足は動いた。それは奇跡だった!

「真弓……!!足が!!」
「へへ……さっきなぜか立てるような気がして、無理して倒れちゃった。失敗失敗」

 少しだけ、はにかんで見せる真弓の顔を見て涙が出た。足が動いた事も、真弓が笑顔になってくれた事も、全部が……嬉しかった。

「真弓……愛してる」
「え?ど、どうしたの!春彦くん、急に。もうからかわないで――」
「愛してる。君がもし歩けなくても僕は君と一緒にずっといたい……いや、ずっと支えていく」
「……え。何よ……急に……もう……ばか……ぐす……」

 そっぽを向き、涙を流す彼女。あれ……この風景なんだか見たことあるな。状況は違えど確か、結婚前にも同じ様な事を言った記憶が……走馬灯の様に頭の中の記憶と、目の前で起きている現実が重なる。

「……私は……この先、歩けるかわからない。けど……こんな私で良かったら……お願いします……」
「あぁ、僕が真弓を支えていくよ」
「うん……ありがと……ぐす」

 真弓をそっと抱きしめる。彼女もまた僕を抱きしめる。そして、今度は確かめ合ってキスをした。

コンコンコンコン!

「あの!おとりこみチュウ、申し訳ナイのデスガ!先生がチュウしにきまシタ!チュウ?チュウシャ?ハイハイ、部外者は帰ってくだサイ!」
「あっ!えっと……はい。真弓、またな。無理するなよ」
「うん、春彦くんありがと。またね」
「ンモウ!イチャイチャしてンモウ!」

 イライラするメリーに病室を追い出され、ロビーに向かう。エレベーターのボタンを押し待つ間に、先程の真弓の嬉しそうな姿が脳で再生される。

「良かった……あの薬効いたんだ……良かった……」

 それは黒子のくれた『秘薬』。製造方法は企業秘密らしいが、あの秘薬が効いたと信じたい。

『チーン』

 エレベーターを降り1階のロビーへと向かう。心なしか、この1週間のもやもやした気持ちが晴れ足取りも軽い気がした。
 ロビーの時計は18時前を差している。ジュースを買い、理子が来るのを待つ事にした。18時には正面入口は閉まるが急患出入り口から出れるだろう。

『ピーポーピーポー』

 ロビーのソファで待っていると救急車が入ってくる。医者と看護師が僕の座ってる後ろで何かを話している。聞くつもりは無かったが、ヒソヒソ話はなぜか良く聞こえる。

『――先生、患者さんは霧川真昼君8歳です。以前も受診されてますが――』
『あぁ、心臓の……20歳まで持てばいいが、やはり移植手術をしないと……』
『移植手術ですか?ご両親には説明をされますか』
『いや、まずはドナーを探す所からだ。手続きをしてくれ』
『わかりました――』
 
 8歳で可哀想に。ドナーが見つかるといいな……何気にそんな事を思った。
 そう言えば免許証の裏にもドナー登録の記入欄があったな。免許を取ったら今回は書いておこう。以前の僕はそんな事思いもつかなかったのにな……。

 しばらく待っていると、理子が東棟のエレベーターから降りてくる。小麦色に肌焼けし、金髪に短いスカートをはいている彼女は遠目でもすぐわかる。来た時とは違いリュックを背負っている。祖母の洗濯物だろう。

「春彦、おまた!めんご、ごめんこ」
「いや、僕もさっき降りて来たんだ」
「西奈さんの容態どうだった?」
「あぁ、順調というか。回復の兆しが見えたみたいだよ」
「そっか。あっ、入口閉まってる!また記入して出なきゃ……」

 僕と理子は急患出入り口で面会者名簿に名前を記載して外に出る。夕日が傾きかけ、オレンジ色の空が広がっている。

「お婆ちゃんさぁ……」

唐突に理子が口を開く。

「もう長く無いんだって」
「え?」
「癌なんだよね」
「そうなんだ……」
「うん、だから今日は荷物を片付けてたの」

 リュックはその為に用意したのか。返答に困り、理子が求めている回答がすぐに出てこない。

「ごめん、何て言ったらいいか……」
「うぅん、こっちこそごめん。急にそんな事を言われても困るよね――帰ろ」
「あぁ……」

 理子は自転車に乗り静かにこぎ出す。僕も理子の後に続く。今度来る時は1人で来よう、たぶんお互いの為にそれがいい。
 真弓の事があり、優しく接してくれる理子に甘えていた。でも僕ははっきりと真弓に言ったんだ。『愛してる』と。それならそれで理子にちゃんと言わないと過度な期待をさせてしまう。

 駅方面に向かい自転車で走ると、日も落ち辺りが暗くなり始める。道路脇の外灯もぽつぽつと点き始めた。
 理子は駅近くの駐輪場に自転車を止め、ここから電車に乗り換えるみたいだ。見送りにと僕も理子の後を追い歩道橋を上がる。

「理子っ!ちょっと、帰る前に話があるん――」
「春彦……西奈さんの事が好きなのよね?」
「え?……うん」

カツンカツンカツン……。

歩道橋を歩く理子の足音が響く。

「私ね……それでも春彦が……ちょっとでも私に振り向いてくれないかな。て思ってた」

 歩道橋の上から、行き交う電車を見ながら理子は続ける。

「何でだろうね……うまくいかないなぁ。小夜子の事も、柏木先生の事も、そして西奈さんの事も――」
「ごめん、理子。僕は君に甘えていたんだと思う――理子?え?」

 目を離したわずかの隙に理子はおもむろに歩道橋の手すりに足をかけ、手すりの上によじ登る。

「おい!理子!危ない!降りろっ!!」
「春彦。それは命令?それとも同情?それとも……」

 ふわっと……躊躇なく理子は飛んだ。一瞬頭の中が真っ白になる。
 目の前で1人の女の子が歩道橋から飛び降りた。下は電車が行き交う線路。即死もあり得る。必死で僕は手を伸ばす!

「くそっ!!届けっ!!」

 それは偶然だったのだろうか……一度、理子の手を掴んだ。瞬間……!

「え?あれ?どういう――」

 理子の手を強く引き上げた瞬間、入れ替わる様にして僕はなぜか落下している。
 歩道橋の上には理子が立っている。理子を引き上げた反動?理子が助かって……僕が死ぬ……のか?

「ア……リ……ガトウ……」

 理子が歩道橋の上で何かを言っている。しかしはっきりとは聞こえない。
 どんどん理子の姿が遠ざかる。理子がまた飛び降りたら誰も助けられないな……いや、僕が落ちる所を見た誰かがそれまでに駆けつけるか。

「真弓……ごめん……」

 死を覚悟し、目をつむる瞬間――自分の涙が宙を舞った。そして伸ばした手で空を掴むのが最後に見た光景だった。
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