先生、時間です。

斑鳩入鹿

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第2章

白痴-8-

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仕事が片付いて、先生とともに事務所へ戻った。
あっけない潜入だった。
先生に聞きたいことがあった。

「先生、あの事業所の人たちってなんだか当たらず触らずな接し方でなんかこう…気持ちが悪い気がしました。」

「そうかい、あれはね自分たちのことを善の行いをしていると思っているから、ああなるんだよ。偽善者になってることにも気づかない偽善者というのかな。人って知らず知らずのうちにその場所のルールに縛られていって、合理的な選択に縛られるでしょう。」

「そうですね。なんというか、きっと彼らも最初は人を助けたい気持ちで入社したんだと思います。それがイメージと違う大変さとか、葛藤に飲まれて今の姿になったのかな、なんて。」

「そうさ、最初から人を物のように扱うような人はそうそういなくてね。障害福祉のあり方とか理想をもって仕事を始めるんだけど、だんだんと直面する現実に理想が押し負ける。わるいことじゃないしある意味当たり前なのかもしれないけれど、その結果、利用者への冷遇、傍観、虐待に繋がるのさ。」

先生は潜入のあの短い時間の中でそれらしい証拠を掴んだ、と言っていた。
僕がスタッフの側でも同じになるのだろうか。ゆっくりと侵食していく日常の暴力に飲まれてしまうのだろうか。

「日々の中に少しづつ溶け込んでいる闇や悪感情は、意識していないと自分自身を食べてしまうんだ。田崎くんはそうならないでくれよ。君の中にある正義の心というか、気持ち悪さに気づける感覚が僕はとてもいいと思っているんだよ。」

気持ち悪さに気づける感覚か。
僕は斜に構えているというか、物事を少し俯瞰しつつ、ある種穿った目で見ているところがある。
そういう自分を傍観者のように思う時もあるけれど、先生の気持ちが嬉しい。

「あの事業所はこれからどうなるんですか?潰れてなくなったりするんですかね。」

「うーん、そうだね。現実は残酷で何も変わらないともいえる。結局、あの場所を居所にしている人たちを路頭に迷わす訳には行かないし、でもよくないことをそのままにはできない。そういう天秤のような性質を持っていて、福祉行政や監督機関はその判断で責任を取らされるし、逃げ場のない決断を監督者側は取らないんだよね。」

もどかしい事だ。
僕らは善の中に悪しき部分を見つけることは出来るが、善意に満ちた空間の狂気に対して取り得る手段がない。
あっちを守れば、こっちが折れる。こっちを切れば、あっちは守れない。
とんだジレンマだ。

先生は今回のヒアリングに加えて、別ルートから得た情報で、日々の支援記録の改ざんやネグレクト的な利用者への冷遇を見つけられたという。

任務はこれで終わりだけど、利用者の彼ら彼女らが、居心地のわるい居場所でただただ時間を空費して行くことが僕には耐えられなかった。
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