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お昼になると気温があがって暖かくなるのに朝晩は急激に冷える。これから迎える季節が冬になっていくことを確実に教えていて冷たい指先に息をふきかけた。厚手のコートを出すにもマフラーやてぶくろをはめるにも少し早すぎて、この時期の洋服選びには頭を悩ませる。紺色の薄手のニットの上に、ツイード素材っぽく見えるジャケットを羽織って準備をすると携帯の画面をもう一度見た。
誰かとかわすメールは久しぶりで、指先に細くたなびいていた糸は少し伸びてつながる場所を与えられた。ふわりと強い風が吹けば切れてしまうかもしれないほど細くて繊細な糸。それでもゆるく結ばれてつながっていることがくすぐったい。
紐を結びあったあの日、私たちはいくつかのルールをかわした。
***
「名前……知りたい?」
そう彼に聞かれてすぐには頷けなかった。知りたい気持ちはある、知ったからと言って特に何も不都合はないかもしれない。でも知らなければ私たちはいつでも他人に戻れる。そんな逃げ場になる気がした。彼は私の真意をうかがうように見つめて小さく首を傾けると、前髪がはらりと額に落ちた。
「僕は教えても構わない」
「……私も大丈夫です」
咄嗟に答える。
自分の名前を教えることにためらっているのではない。
相手の名前を知ることをためらっている。
彼は私の小さな戸惑いに気が付いたのかいつもと同じ困った形の眉をしてゆるくほほ笑んだ。
「もし……知りたくなったら聞いて。僕はいつでも答えられる」
そうしてそっと頬に大きな手がそえられる。指先が髪をくすぐってふせられた彼の視線を合図に私たちは唇を重ねた。やわらかな啄むような感触が触れては離れまた触れる。互いの唇を確かめて味わうようなキスは私たちが他人ではありえないことを自覚させる。
たとえ名前を知らなくても私たちは知らないもの同志ではない。他人とは簡単に交わせない類のキスをためらいもなく仕掛けて受け止めあうのだから。
「僕もあなたの名前を知りたいと思ったら聞く。そのとき……」
優しい眼差しとあたたかな声、それだけで私の胸は切なさに満たされて泣きたくなる。言葉など交わさずとも私の感情は彼にダダ漏れだろう。これほど自分の感情をさらけだすことになるとは思わなくて、きっとすでに私は囚われている。
「そのときにあなたが名前を教えてくれたら、あなたと僕の恋をはじめよう」
すぐそばにあるガラスに阻まれない目。私たちは目をあわせてそこに嘘も誤魔化しもないことを言葉ではなく伝え合う。
名前を知りたいと思うほど気持ちがあふれてきたら「好き」と告げる代わりに名前を聞こう。
約束を交わすようにキスをした。
私たちはいまだ過去の恋にとらわれていて、今の自分の感情を素直に感じることも認めることもできない。でもゆっくりと時間を過ごして気持ちを重ねていければ、私たちだけの恋の形をつくることができるだろうか。
もどかしくて唇を開いた。すかさず彼は舌をわりこませて私の中に入り込んでくる。いっそこの激情のまま名前を伝え合ってなし崩しに始めてしまいたい。
私の顔をあげさせて貪るようにキスが仕掛けられる。頬を両手ではさまれて身動きが取れない中舌だけが行き来してくちゅくちゅと音をたてた。
濡れてくる。なにもかも。
口内に止め処なく溢れてくる唾液を互いに飲み込む。どちらが先に相手のものを奪うか競争するかのように。いやらしい気持ちを高めあうキスをして熱のこもった眼差しで見つめ合って、あふれそうになる何かを必死に抑え込んでいるのに体から染み出る水分はあられもなく姿を見せる。
彼は私の背中に手をそえると上体を起こした。裸のまま互いに向き合う形にされると視界が広がってドキンとした。
横になっているときには目にしないものが一気に入ってくる。浮き上がったのどぼとけ、がっしりとした肩、胸から腰のラインはすっと線がはいったみたいで中心に起き上ったものがある。服で覆われているときの姿と同じ姿勢のせいで、見てはいけないものを見ている気がした。きっと服を着たときの彼を見てもこの姿を思い出してしまうかもしれない。
うつむくとどうしても目に入ってしまってどこに視線を持っていけばいいかわからなかった。彼は私のこんな姿さえ楽しんでいる気がする。
ふわりと私の肩をつつみこむ手に顔をあげた。
「飲んで」
キスの合間に自然にあふれるものではなく意図してためていたものを彼は舌にのせている。生々しい行為に悩んだのは一瞬。おずおずと唇を開いて受け止めるべく舌をだす。恥ずかしくて目を閉じて舌にのせられるものがたまっていくまでそうしていた。
自分の唾液のほうが奥から生み出されて耐えられずに口をとじたとき、彼のものだとわかるものが口内でまざりあう。味などない。ただ少し冷えたねばった感触がすぐに消えて喉の奥に消えていく。大事なものが与えられたような、彼の一部が私の口からのどをとおってお腹の中に消えていくそれはいつかめぐって私にとどまってくれるだろうか。
「あなたのも欲しい」
あまりにもいやらしく思える行為にそれでも拒む意志は生まれない。口を閉じていつもなら知らないうちに消えていくはずのものを意識してためていく。反射的に飲み込みそうになるのをこらえていると目じりにキスが落とされる。
「恥ずかしい?すごくかわいくていやらしい表情している」
違うと否定の言葉を出すすべは物理的に奪われていて目をあけて少しにらむ。彼は嬉しそうにほほ笑んで「いいね、そういう表情も」と呟く。羞恥を煽りながらも快感を導き出そうとする彼に私は少しずつ染まりかけている自分を実感した。
木々の葉の色が変わっていくのは気温が低くなっていくから。
だんだんと寒さをます季節に彼とかわす行為で私の色も変化していく。
色が変わった葉は落ちていくだけ。
色が変わっていく私も堕ちていくだけ。
私はひざをついて彼の肩につかまる。彼に与えるためには私が見下ろさなければならない。
彼は目を閉じなかった。
私もそこに流し込むためには閉じられなかった。
細められた目で見上げてそっと唇をあけてさっきの私と同じように舌をだす。ああ、きっと私もこんな表情をしていたのだろう。欲しくてたまらないと求める卑猥さを浮かべて。
私は口を開けて舌を伸ばすと彼の舌先にのせた。終わりがどこかわからなくて普段見ることのない口の奥が陰にうもれているのがわかる。きらめく歯の白ささえいやらしく思えて、彼につかまえられた舌に求められるまま激しくキスをかわした。
「んんっ」
私からキスをしかけているような錯覚。男の唇をむさぼって、どうしたら気持ちがよくなるか探りたくなって、与えられるものとは違う気持ちよさが生まれてくる。
彼の手は私の両方の頬をつつみこんで離さない。私の手も彼の肩をつかんだまま動かせない。
キスが続くうちに彼の手は私の肩に触れ、胸をそっともみこみそのまま膝立ちの隙間にもぐりこんできた。
「ふっ、んんっ」
崩れそうになる腰を支えるように片手が骨盤をつかんだ。もう片方は下から支えんとばかりに複数の指がもぐりこんでくる。舌がからめとられキスをしているほうの私は身動きがとれない。唾液で濡れた顎がくっつき太腿の内側は冷たいものが滴り落ちる。
「やっ、はああっ」
たまらなくなって唇を離した。逃げられた彼は今度は私の胸の先端に舌を伸ばす。吸い上げるように大きく唇で食み、とがった先の周囲を激しくなめまわした。指は何度も出し入れされそのたびに水が飛び散る音がする。
「はっ、やっ、あんっあんっ……あんんっ!」
上体が揺れると胸から唇が離れていく。許さないとばかりに追いかけられてなめまわされる。腰を支える手に導かれるように彼の頭に手をまわしてしがみついた。
自ら男に胸をふくませ、指をいれさせ快楽を味わう女にさせられる。
舐められる胸が気持ちいい。いれられる指はもっと激しくしてほしい。内側をこすりつけられてイった私は崩れ落ちるようにして腕の中にかばわれた。
涙も汗も蜜も唾液も奪われる。
「あっああっ」
全身が揺れて快楽に染まり、どうしようもないほど震えていた。どろどろに溶けていくようで呼吸が荒い。
「かわいい。すごく綺麗だった」
ぐしゃぐしゃに崩れた私を抱き寄せて彼は愛しいものを愛でるように肌にキスを降らせる。
内側から生み出されていくもの。失った水分のかわりに入り込んでくるものは、体の隅々に透き通ったものを流していく。交し合う眼差しはどこまでも優しくて愛しい。
ホシイ、セツナイ、イタイ。
フレタイ、ミタイ、アイタイ。
この気持ちが恋じゃないならいったいなんだというのだろう。彼を求めようとする気持ちは、欲しいという気持ちはただの欲だけではないことを私は知っているはずなのに。
私はどうして素直に名づけられないのだろう。
私たちは、どうして。
***
空気は澄み切るほど冷たいのに、空はその水色を美しく見せる。透明感のある秋の空気は世界を一番綺麗に輝かせるのかもしれない。
街路樹の木々にとげとげしたものがまかれていた。ああそろそろ。寒くなるからこそ温もりを求めるように人は明かりを灯したがる。いつか、夜の暗闇がどれだけ光を美しく見せるか教えるものがきらめくのだろう。導かれる明かりの向こうには何があるのだろうか。
いつもと変わらないはずの通勤の道が違った絵を描く。
かさりかさりと落ちた葉が道路の上をダンスしてこの時期だけの音色を響かせた。
「8時ごろには行けそうです」
そう書かれたメールの画面を思い出す。それだけで肌をなでる風の冷たささえ心地よく思える。
私たちがかわしたルール。
「バーで一人きりはやっぱり危ないから、行こうと思う日は僕に教えてほしい」
暗に会いたいときは教えてと言われているのだと気付いた。
「行けない日は連絡するから、できれば一人は避けて。心配だから」
そう言われると拒めなくて、私は頷いた。そしてメールアドレスだけを交換した。
呼び名もその時に決めた。
彼は今の季節が秋だから「アキ」、じゃあ私も季節にちなんで「ナツ」。
「一番好きな季節なの?」と聞かれて私は頷いた。あの人と恋が始まったのは夏、終わったのも、そして彼と出会ったのも。
夏にだけその存在を思い出させる線香花火。私の胸にあったそれに小さな火が付いた。
火が付いたことを私は認めないわけにはいかなかった。
誰かとかわすメールは久しぶりで、指先に細くたなびいていた糸は少し伸びてつながる場所を与えられた。ふわりと強い風が吹けば切れてしまうかもしれないほど細くて繊細な糸。それでもゆるく結ばれてつながっていることがくすぐったい。
紐を結びあったあの日、私たちはいくつかのルールをかわした。
***
「名前……知りたい?」
そう彼に聞かれてすぐには頷けなかった。知りたい気持ちはある、知ったからと言って特に何も不都合はないかもしれない。でも知らなければ私たちはいつでも他人に戻れる。そんな逃げ場になる気がした。彼は私の真意をうかがうように見つめて小さく首を傾けると、前髪がはらりと額に落ちた。
「僕は教えても構わない」
「……私も大丈夫です」
咄嗟に答える。
自分の名前を教えることにためらっているのではない。
相手の名前を知ることをためらっている。
彼は私の小さな戸惑いに気が付いたのかいつもと同じ困った形の眉をしてゆるくほほ笑んだ。
「もし……知りたくなったら聞いて。僕はいつでも答えられる」
そうしてそっと頬に大きな手がそえられる。指先が髪をくすぐってふせられた彼の視線を合図に私たちは唇を重ねた。やわらかな啄むような感触が触れては離れまた触れる。互いの唇を確かめて味わうようなキスは私たちが他人ではありえないことを自覚させる。
たとえ名前を知らなくても私たちは知らないもの同志ではない。他人とは簡単に交わせない類のキスをためらいもなく仕掛けて受け止めあうのだから。
「僕もあなたの名前を知りたいと思ったら聞く。そのとき……」
優しい眼差しとあたたかな声、それだけで私の胸は切なさに満たされて泣きたくなる。言葉など交わさずとも私の感情は彼にダダ漏れだろう。これほど自分の感情をさらけだすことになるとは思わなくて、きっとすでに私は囚われている。
「そのときにあなたが名前を教えてくれたら、あなたと僕の恋をはじめよう」
すぐそばにあるガラスに阻まれない目。私たちは目をあわせてそこに嘘も誤魔化しもないことを言葉ではなく伝え合う。
名前を知りたいと思うほど気持ちがあふれてきたら「好き」と告げる代わりに名前を聞こう。
約束を交わすようにキスをした。
私たちはいまだ過去の恋にとらわれていて、今の自分の感情を素直に感じることも認めることもできない。でもゆっくりと時間を過ごして気持ちを重ねていければ、私たちだけの恋の形をつくることができるだろうか。
もどかしくて唇を開いた。すかさず彼は舌をわりこませて私の中に入り込んでくる。いっそこの激情のまま名前を伝え合ってなし崩しに始めてしまいたい。
私の顔をあげさせて貪るようにキスが仕掛けられる。頬を両手ではさまれて身動きが取れない中舌だけが行き来してくちゅくちゅと音をたてた。
濡れてくる。なにもかも。
口内に止め処なく溢れてくる唾液を互いに飲み込む。どちらが先に相手のものを奪うか競争するかのように。いやらしい気持ちを高めあうキスをして熱のこもった眼差しで見つめ合って、あふれそうになる何かを必死に抑え込んでいるのに体から染み出る水分はあられもなく姿を見せる。
彼は私の背中に手をそえると上体を起こした。裸のまま互いに向き合う形にされると視界が広がってドキンとした。
横になっているときには目にしないものが一気に入ってくる。浮き上がったのどぼとけ、がっしりとした肩、胸から腰のラインはすっと線がはいったみたいで中心に起き上ったものがある。服で覆われているときの姿と同じ姿勢のせいで、見てはいけないものを見ている気がした。きっと服を着たときの彼を見てもこの姿を思い出してしまうかもしれない。
うつむくとどうしても目に入ってしまってどこに視線を持っていけばいいかわからなかった。彼は私のこんな姿さえ楽しんでいる気がする。
ふわりと私の肩をつつみこむ手に顔をあげた。
「飲んで」
キスの合間に自然にあふれるものではなく意図してためていたものを彼は舌にのせている。生々しい行為に悩んだのは一瞬。おずおずと唇を開いて受け止めるべく舌をだす。恥ずかしくて目を閉じて舌にのせられるものがたまっていくまでそうしていた。
自分の唾液のほうが奥から生み出されて耐えられずに口をとじたとき、彼のものだとわかるものが口内でまざりあう。味などない。ただ少し冷えたねばった感触がすぐに消えて喉の奥に消えていく。大事なものが与えられたような、彼の一部が私の口からのどをとおってお腹の中に消えていくそれはいつかめぐって私にとどまってくれるだろうか。
「あなたのも欲しい」
あまりにもいやらしく思える行為にそれでも拒む意志は生まれない。口を閉じていつもなら知らないうちに消えていくはずのものを意識してためていく。反射的に飲み込みそうになるのをこらえていると目じりにキスが落とされる。
「恥ずかしい?すごくかわいくていやらしい表情している」
違うと否定の言葉を出すすべは物理的に奪われていて目をあけて少しにらむ。彼は嬉しそうにほほ笑んで「いいね、そういう表情も」と呟く。羞恥を煽りながらも快感を導き出そうとする彼に私は少しずつ染まりかけている自分を実感した。
木々の葉の色が変わっていくのは気温が低くなっていくから。
だんだんと寒さをます季節に彼とかわす行為で私の色も変化していく。
色が変わった葉は落ちていくだけ。
色が変わっていく私も堕ちていくだけ。
私はひざをついて彼の肩につかまる。彼に与えるためには私が見下ろさなければならない。
彼は目を閉じなかった。
私もそこに流し込むためには閉じられなかった。
細められた目で見上げてそっと唇をあけてさっきの私と同じように舌をだす。ああ、きっと私もこんな表情をしていたのだろう。欲しくてたまらないと求める卑猥さを浮かべて。
私は口を開けて舌を伸ばすと彼の舌先にのせた。終わりがどこかわからなくて普段見ることのない口の奥が陰にうもれているのがわかる。きらめく歯の白ささえいやらしく思えて、彼につかまえられた舌に求められるまま激しくキスをかわした。
「んんっ」
私からキスをしかけているような錯覚。男の唇をむさぼって、どうしたら気持ちがよくなるか探りたくなって、与えられるものとは違う気持ちよさが生まれてくる。
彼の手は私の両方の頬をつつみこんで離さない。私の手も彼の肩をつかんだまま動かせない。
キスが続くうちに彼の手は私の肩に触れ、胸をそっともみこみそのまま膝立ちの隙間にもぐりこんできた。
「ふっ、んんっ」
崩れそうになる腰を支えるように片手が骨盤をつかんだ。もう片方は下から支えんとばかりに複数の指がもぐりこんでくる。舌がからめとられキスをしているほうの私は身動きがとれない。唾液で濡れた顎がくっつき太腿の内側は冷たいものが滴り落ちる。
「やっ、はああっ」
たまらなくなって唇を離した。逃げられた彼は今度は私の胸の先端に舌を伸ばす。吸い上げるように大きく唇で食み、とがった先の周囲を激しくなめまわした。指は何度も出し入れされそのたびに水が飛び散る音がする。
「はっ、やっ、あんっあんっ……あんんっ!」
上体が揺れると胸から唇が離れていく。許さないとばかりに追いかけられてなめまわされる。腰を支える手に導かれるように彼の頭に手をまわしてしがみついた。
自ら男に胸をふくませ、指をいれさせ快楽を味わう女にさせられる。
舐められる胸が気持ちいい。いれられる指はもっと激しくしてほしい。内側をこすりつけられてイった私は崩れ落ちるようにして腕の中にかばわれた。
涙も汗も蜜も唾液も奪われる。
「あっああっ」
全身が揺れて快楽に染まり、どうしようもないほど震えていた。どろどろに溶けていくようで呼吸が荒い。
「かわいい。すごく綺麗だった」
ぐしゃぐしゃに崩れた私を抱き寄せて彼は愛しいものを愛でるように肌にキスを降らせる。
内側から生み出されていくもの。失った水分のかわりに入り込んでくるものは、体の隅々に透き通ったものを流していく。交し合う眼差しはどこまでも優しくて愛しい。
ホシイ、セツナイ、イタイ。
フレタイ、ミタイ、アイタイ。
この気持ちが恋じゃないならいったいなんだというのだろう。彼を求めようとする気持ちは、欲しいという気持ちはただの欲だけではないことを私は知っているはずなのに。
私はどうして素直に名づけられないのだろう。
私たちは、どうして。
***
空気は澄み切るほど冷たいのに、空はその水色を美しく見せる。透明感のある秋の空気は世界を一番綺麗に輝かせるのかもしれない。
街路樹の木々にとげとげしたものがまかれていた。ああそろそろ。寒くなるからこそ温もりを求めるように人は明かりを灯したがる。いつか、夜の暗闇がどれだけ光を美しく見せるか教えるものがきらめくのだろう。導かれる明かりの向こうには何があるのだろうか。
いつもと変わらないはずの通勤の道が違った絵を描く。
かさりかさりと落ちた葉が道路の上をダンスしてこの時期だけの音色を響かせた。
「8時ごろには行けそうです」
そう書かれたメールの画面を思い出す。それだけで肌をなでる風の冷たささえ心地よく思える。
私たちがかわしたルール。
「バーで一人きりはやっぱり危ないから、行こうと思う日は僕に教えてほしい」
暗に会いたいときは教えてと言われているのだと気付いた。
「行けない日は連絡するから、できれば一人は避けて。心配だから」
そう言われると拒めなくて、私は頷いた。そしてメールアドレスだけを交換した。
呼び名もその時に決めた。
彼は今の季節が秋だから「アキ」、じゃあ私も季節にちなんで「ナツ」。
「一番好きな季節なの?」と聞かれて私は頷いた。あの人と恋が始まったのは夏、終わったのも、そして彼と出会ったのも。
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