イケメンとテンネン

流月るる

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結婚編(卒業編)

01

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「なんで私がこんなこと……」


 今日はそのセリフを一分おきぐらいには心の中で呟いている。

 ジュージューとありきたりな音がフライパンの中から届いてくると、お肉が焼けるいい香りがあたりを漂う。予想通り、包丁づかいは微妙だったけどさすがに箸使いはましみたいだ。油が跳ねるたびにびくびくしながらも頑張って手を動かしているのはテンネンちゃん。

 そう、私は今テンネンちゃんと一緒にキッチンに立っている。ちなみにこのキッチンはテンネンちゃんにはもったいないほど豪華なシステムキッチン。朝陽の実家で見たのと同じ食洗器に、たくさんの調理器具が入りそうな大きな引き出し。ガラストップのコンロがガスなところは評価できるし(私はIHが苦手だ、だって火が見えないから)、水栓はたかが水道の蛇口なくせに優美な曲線を描いていておしゃれだ。
 モデルルームのようなこの部屋は、新婚家庭の透とテンネンちゃんの新居。できれば一生足を踏み入れたくなかった二人の愛の巣だよ。

 けっ。

 カウンターキッチンではなくアイランドキッチン(この区別わかる?)。フルフラットな天板は長さもあれば幅も広い。だから素人くさい白いホーローのバットに料理番組のように食材を並べて、軽量スプーンで量った調味料のガラスの器がいくつ並んでも大丈夫なわけ。
 シンク横のスペースの下にきちんとごみ箱の場所が確保されているなんて、この動線はうらやましい。

「お肉焼けました!」

 隊長っとでも続きそうな元気な声で夏井さん(今は桜井さんだけど、頑なに夏井さんと呼ばせてもらう)は報告してくる。見ればわかるよ、見れば。

「豚肉は脂がこうやっていっぱい出てくるの。だからできればキッチンペーパーとかでふきとると肉のくさみがとれるから」

 夏井さんの手からお箸を受け取ってお肉を端に寄せると、キッチンペーパーで脂を吸い取った。まあ、別にこういう手間が面倒ならしなくったって食べられなくはないけどさ、透だっていつかはメタボで悩む時がくるかもしれないし、夫の健康を考えるのは妻の役目だろうし、食べるならおいしいほうがいいわけだよ。

「そうしたら、ほら、湯通ししたお野菜いれてなじませて、この調味料まわしかけたらおしまい! 簡単でしょう?」

 おわかりだろうけれど今彼女が作っているのは、単なる肉野菜炒めだ。肉入れて、野菜入れて、調味料いれるだけのシンプルで基本的な料理。でもそれだって、野菜の切り方や大きさをそろえて、あえて事前に湯通しをしておくとか、豚肉にはお酒と醤油で下味をつけて片栗粉をからめておくとか、わずかなひと手間でぐんっとおいしくなる。
 肉の下味、野菜の湯通し、事前準備しておく調味料。このあたりがポイントなんだけどこの子頭に入っているかな。

 赤いチェック柄のエプロンをつけた彼女は、調理実習中の中学生……いや高校生みたいに真剣だ。
 私がなんでこんなことをしているかと言えば、今日が透の誕生日であるせいだ。
 夏井さんに「透さんのお誕生日に、夕食を手作りで全部頑張りたいんです! 牧野さん教えてください!」と言われて速攻断ったのに。
 透に「咲希ちゃん、お願い!」なんてかわいく首を傾けて言われて、めずらしい作り手さんのワインをつけるからと物でつられて「僕の誕生日だからお願い」ととどめの一言で今に至る。

 ありえないー。

 料理が苦手な彼女に、お誕生日仕様のおしゃれな献立など作れるはずもなく、ここはやっぱりこの子が普段から作れるものを教えたほうがいいだろうということで、今夜のメニューは一般的なご家庭の夕食になっている。

 ごはん、味噌汁、肉野菜炒め、サラダ、白和え、である。

 本当はから揚げぐらいしてやりたかったけれど、油をつかうのは怖いですーと涙目で言うのであきらめた。お料理はできたてのほうがいいのだけれど、失敗されたら元も子もないので、いろいろ早目に準備した。

「できましたー」

 ふうっといかにもひと仕事終えたかのように夏井さんは額の汗を腕でぬぐって、褒めて褒めてという目で私を見た。「あーよしよし」透なら頭ぐらい撫でるんでしょうけどねー、私はしないよ。

「じゃあ、最後は仕上げに、ケーキの生クリームね」

 唯一誕生日らしいメニューが手作りのケーキだ。今回はいろいろ考えた結果、スポンジケーキにデコレーションまではさすがにこの子のキャパオーバーだろうから、デコレーションの必要のないシフォンケーキにすることにした。そうすれば泡たてた生クリームにフルーツでも添えればいっぱしに見えるだろう。
 混ぜて冷やして固めるだけのレアチーズケーキも候補にはあげたんだけどね。

「牧野さん……今日は本当にありがとうございました」
「誕生日だしね、透の」

 そこ強調。

 生クリームをハンドミキサーで泡立てながら、夏井さんは嬉しそうにほほ笑む。こんな場所にきちんとコンセントがあると本当に便利だなあと感心しながら、やわらかな色合いのリビングダイニングに視線をうつした。
 白木のテレビボードに、淡いグレイのソファー。同じ白木のチェストの上には、当然二人の結婚式の写真たてが飾られている。裾がフリルになったオフホワイトのカーテンは、かわいらしさを抑えていて、ソファーに置かれた赤いクッションと、ダイニングテーブルの上につるされたルイスポールセンのペンダントライトの赤がぴりっと空間を締めていた。
 まだどこか初々しさの残る空間は、これからきっと二人の色に変わっていくのだろう。増えていく写真たてにはこどものものが飾られ、今は飾り棚だけに使われているボードも、おもちゃなんかで埋まるのかもしれない。

「牧野さん……ひとつお願いがあるんですけど」

 ぴんっとつののたった生クリームのボウルを置くと、夏井さんがおずおずと切り出す。さすがにこの作業はスムーズだったね、よしよし。

「そろそろ……下の名前で呼ばせてもらってもいいですか?」

 前振りも脈絡もなく言われて思わず彼女を見てしまう。
 上目づかいで言わないで! うっすら頬を染めたりしないで! 妙に色気づいたせいで余計になんかイラついてくるんだから!

「牧野さんも、もうすぐ今宮さんになるだろうし。私のこともできれば名前で呼んでもらえたら、嬉しいかなって」

 どさくさに紛れて、私の名前を呼ぶだけじゃなく、自分も呼べと言ってきやがった!

 ダメですか……と小さく呟いて見あげてくる夏井さんは私が黙り込んでいるとしゅんっとうつむいた。なにコレ、なにコレ、いつのまにこんな小動物みたいな愛らしさを身につけたのよ!

「……どう呼んでほしいの?」
「え! あっと、莉緒で」
「どう呼びたいの?」
「あの、咲希ちゃん……って」
「却下!」

 ちゃん呼び許すのは透だけだから! 呼び捨て許すのは恋人にだけだから!

「……さんづけなら、許す」
「はい!! 咲希……さん」

 言っておくけど! 私たち友達にはならないからねー!!



 ***



 テレビの上の壁にかざられた丸い木製の壁掛け時計を見る。これも多分透というよりも夏井さんの好みなんだろうな。
 今日は土曜日だ。なのに透と朝陽は休日出勤で仕事に出かけている。だからその間にお誕生日会? の準備ができるわけだけど、そんなに遅くならないって言っていたからそろそろだと思うんだけどな。

 クラッカーの上に生ハムとかクリームチーズとか、プチトマトとかのせたりして簡単なお酒のおつまみメニューなのに、パーティーっぽく見えるものを作っていく。パエリヤとかスペアリブとか温めるだけで大丈夫なものを準備しようかと思ったけれど、それだと夏井さんの努力が水の泡になりそうだったのでやめた。これでも私、かなり気を使っているのだ!だから、市販のものでおつまみ系をいくつか準備している。
 夏井さんは、二人暮らしには大きすぎるだろうダイニングテーブルに、テーブルクロスをしいて真ん中に赤いライナーを、人数分の黒いランチョンマットやらを並べて、せめて見た目だけでもお誕生日っぽくなるようにテーブルコーディネートの最中。

「あっ」

と言ったかと思うとエプロンのポケットからスマホを取り出して「もうすぐ帰ってくるみたいです」と嬉しそうに教えてくれた。
 結婚して初めての旦那様のお誕生日、二人きりで祝いたいだろうと思って料理の手伝いだけして帰ろうと思っていたのに、二人は一緒に祝ってと私と朝陽に言ってきた。だから今夜は4人でお食事。
 まさかこんな日がくるとは……なんかどっかでテンネンちゃんに負けた気がする。

「そういえば今宮さん、新しい部署には慣れたみたいですか?なんか随分忙しいって聞いたんですけど」
「……慣れたというか、慣れざるを得ないというか」

 そう、そうなのだ。四月一日付で朝陽は部署を異動になった。
 なんと開設されたばかりのA・A事業部。うちにも当然海外事業部はあって、そっちはアメリカやヨーロッパが主な取引相手だった。今回新設されたのは「アジア・アフリカ地域専門の海外事業部」。ちなみになんの皮肉か運命のいたずらか部長は豊原久幸氏だ。

 そうなんだよね、あの人は戦略室長としてアジア・アフリカ地域の新規開拓事業を中心に仕事をしていた。それが軌道にのってきたので、現地から離れて本社から指揮をとることになったのだ。
 朝陽はその英語力と、過去の海外生活の経験プラスこれまでの業務実績から配属されたらしい。
 しばらくはうちの主力事業になるその部署への配属は、男にとっては出世への近道なのだろうけれど比例するように忙しさは半端なくなった。
 豊原部長と会ったとき、本当はおまえが欲しかったんだけどな、かわりに彼氏をこき使わせてもらうと冗談とも本気ともとれるようなお言葉を頂戴したけれど。

「それに、すっごく綺麗な女の人がいるって聞きました」

 ナイフとフォークを両手に握りしめて(そんなの使う料理ないくせに、雰囲気だけでもと言いやがった)なにその探るような質問。
 豊原部長、忙しくなった仕事、そして極め付けが夏井さんの言う通り「綺麗な女の人」だ。
 その部署で今のところ唯一の女性社員は、豊原部長が直々に引き抜いたらしい、もとは戦略室関連の現地スタッフ。海外生活が長く英語はもちろん数か国語を駆使し、お嬢さま育ちのせいか人脈もありさらに能力もあるという噂(あくまで噂!)の美女だ。
 うちの社員連中は直接部屋まで見に行った輩もいるようで、たまたま見かけたと言い訳していた海藤くんいわく「綺麗すぎて高嶺の花みたいな人でした」という話だ。
 もちろん私だって朝陽にどんな女性なのかそれとなく聞いたんだけど……。

「大丈夫。朝陽、綺麗な女の人タイプじゃないから」

 「ああ、まあ確かに綺麗な人かもな、でもそういう目で見たことない」と答えられました。そうだよねー、だって朝陽の好みのタイプは「コレ」だもんねー。

「……そう、なんですか?」
「何よ!」
「え、だって咲希、さん、綺麗なのに」

 名前呼べた、やった! みたいに拳を動かして恥ずかしそうに言われて、もうどう答えていいかわからない。かわいいよ、確かにかわいいよ、ええ、ええもう認めざるを得ないよ! 透の相手じゃなかったら本当にかわいがってあげてもよかったのに!

「とにかく朝陽のタイプじゃないし、私たちが婚約したことは広まっているし、あなたに心配してもらわなくても大丈夫だから!」
「ですよね! 今宮さん、咲希さんのこと大好きですもんね!」

 フォークとナイフを並べていく背中に、お箸も忘れずに置いてねと言おうとしてやめた。
 私と透の間にこれまでだって幾人かの他人が通り過ぎて行った。でもこれからはずっと透と私と朝陽と、そしてこの子がいるんだろう。
 でもそれが続くのならいいのかもしれない。
 私と透の関係はこれからも続いていってその中に大事な人が増えていくだけできっと変わらない。

 そう……きっと。
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