33 / 37
結婚編(卒業編)
01
しおりを挟む
「なんで私がこんなこと……」
今日はそのセリフを一分おきぐらいには心の中で呟いている。
ジュージューとありきたりな音がフライパンの中から届いてくると、お肉が焼けるいい香りがあたりを漂う。予想通り、包丁づかいは微妙だったけどさすがに箸使いはましみたいだ。油が跳ねるたびにびくびくしながらも頑張って手を動かしているのはテンネンちゃん。
そう、私は今テンネンちゃんと一緒にキッチンに立っている。ちなみにこのキッチンはテンネンちゃんにはもったいないほど豪華なシステムキッチン。朝陽の実家で見たのと同じ食洗器に、たくさんの調理器具が入りそうな大きな引き出し。ガラストップのコンロがガスなところは評価できるし(私はIHが苦手だ、だって火が見えないから)、水栓はたかが水道の蛇口なくせに優美な曲線を描いていておしゃれだ。
モデルルームのようなこの部屋は、新婚家庭の透とテンネンちゃんの新居。できれば一生足を踏み入れたくなかった二人の愛の巣だよ。
けっ。
カウンターキッチンではなくアイランドキッチン(この区別わかる?)。フルフラットな天板は長さもあれば幅も広い。だから素人くさい白いホーローのバットに料理番組のように食材を並べて、軽量スプーンで量った調味料のガラスの器がいくつ並んでも大丈夫なわけ。
シンク横のスペースの下にきちんとごみ箱の場所が確保されているなんて、この動線はうらやましい。
「お肉焼けました!」
隊長っとでも続きそうな元気な声で夏井さん(今は桜井さんだけど、頑なに夏井さんと呼ばせてもらう)は報告してくる。見ればわかるよ、見れば。
「豚肉は脂がこうやっていっぱい出てくるの。だからできればキッチンペーパーとかでふきとると肉のくさみがとれるから」
夏井さんの手からお箸を受け取ってお肉を端に寄せると、キッチンペーパーで脂を吸い取った。まあ、別にこういう手間が面倒ならしなくったって食べられなくはないけどさ、透だっていつかはメタボで悩む時がくるかもしれないし、夫の健康を考えるのは妻の役目だろうし、食べるならおいしいほうがいいわけだよ。
「そうしたら、ほら、湯通ししたお野菜いれてなじませて、この調味料まわしかけたらおしまい! 簡単でしょう?」
おわかりだろうけれど今彼女が作っているのは、単なる肉野菜炒めだ。肉入れて、野菜入れて、調味料いれるだけのシンプルで基本的な料理。でもそれだって、野菜の切り方や大きさをそろえて、あえて事前に湯通しをしておくとか、豚肉にはお酒と醤油で下味をつけて片栗粉をからめておくとか、わずかなひと手間でぐんっとおいしくなる。
肉の下味、野菜の湯通し、事前準備しておく調味料。このあたりがポイントなんだけどこの子頭に入っているかな。
赤いチェック柄のエプロンをつけた彼女は、調理実習中の中学生……いや高校生みたいに真剣だ。
私がなんでこんなことをしているかと言えば、今日が透の誕生日であるせいだ。
夏井さんに「透さんのお誕生日に、夕食を手作りで全部頑張りたいんです! 牧野さん教えてください!」と言われて速攻断ったのに。
透に「咲希ちゃん、お願い!」なんてかわいく首を傾けて言われて、めずらしい作り手さんのワインをつけるからと物でつられて「僕の誕生日だからお願い」ととどめの一言で今に至る。
ありえないー。
料理が苦手な彼女に、お誕生日仕様のおしゃれな献立など作れるはずもなく、ここはやっぱりこの子が普段から作れるものを教えたほうがいいだろうということで、今夜のメニューは一般的なご家庭の夕食になっている。
ごはん、味噌汁、肉野菜炒め、サラダ、白和え、である。
本当はから揚げぐらいしてやりたかったけれど、油をつかうのは怖いですーと涙目で言うのであきらめた。お料理はできたてのほうがいいのだけれど、失敗されたら元も子もないので、いろいろ早目に準備した。
「できましたー」
ふうっといかにもひと仕事終えたかのように夏井さんは額の汗を腕でぬぐって、褒めて褒めてという目で私を見た。「あーよしよし」透なら頭ぐらい撫でるんでしょうけどねー、私はしないよ。
「じゃあ、最後は仕上げに、ケーキの生クリームね」
唯一誕生日らしいメニューが手作りのケーキだ。今回はいろいろ考えた結果、スポンジケーキにデコレーションまではさすがにこの子のキャパオーバーだろうから、デコレーションの必要のないシフォンケーキにすることにした。そうすれば泡たてた生クリームにフルーツでも添えればいっぱしに見えるだろう。
混ぜて冷やして固めるだけのレアチーズケーキも候補にはあげたんだけどね。
「牧野さん……今日は本当にありがとうございました」
「誕生日だしね、透の」
そこ強調。
生クリームをハンドミキサーで泡立てながら、夏井さんは嬉しそうにほほ笑む。こんな場所にきちんとコンセントがあると本当に便利だなあと感心しながら、やわらかな色合いのリビングダイニングに視線をうつした。
白木のテレビボードに、淡いグレイのソファー。同じ白木のチェストの上には、当然二人の結婚式の写真たてが飾られている。裾がフリルになったオフホワイトのカーテンは、かわいらしさを抑えていて、ソファーに置かれた赤いクッションと、ダイニングテーブルの上につるされたルイスポールセンのペンダントライトの赤がぴりっと空間を締めていた。
まだどこか初々しさの残る空間は、これからきっと二人の色に変わっていくのだろう。増えていく写真たてにはこどものものが飾られ、今は飾り棚だけに使われているボードも、おもちゃなんかで埋まるのかもしれない。
「牧野さん……ひとつお願いがあるんですけど」
ぴんっとつののたった生クリームのボウルを置くと、夏井さんがおずおずと切り出す。さすがにこの作業はスムーズだったね、よしよし。
「そろそろ……下の名前で呼ばせてもらってもいいですか?」
前振りも脈絡もなく言われて思わず彼女を見てしまう。
上目づかいで言わないで! うっすら頬を染めたりしないで! 妙に色気づいたせいで余計になんかイラついてくるんだから!
「牧野さんも、もうすぐ今宮さんになるだろうし。私のこともできれば名前で呼んでもらえたら、嬉しいかなって」
どさくさに紛れて、私の名前を呼ぶだけじゃなく、自分も呼べと言ってきやがった!
ダメですか……と小さく呟いて見あげてくる夏井さんは私が黙り込んでいるとしゅんっとうつむいた。なにコレ、なにコレ、いつのまにこんな小動物みたいな愛らしさを身につけたのよ!
「……どう呼んでほしいの?」
「え! あっと、莉緒で」
「どう呼びたいの?」
「あの、咲希ちゃん……って」
「却下!」
ちゃん呼び許すのは透だけだから! 呼び捨て許すのは恋人にだけだから!
「……さんづけなら、許す」
「はい!! 咲希……さん」
言っておくけど! 私たち友達にはならないからねー!!
***
テレビの上の壁にかざられた丸い木製の壁掛け時計を見る。これも多分透というよりも夏井さんの好みなんだろうな。
今日は土曜日だ。なのに透と朝陽は休日出勤で仕事に出かけている。だからその間にお誕生日会? の準備ができるわけだけど、そんなに遅くならないって言っていたからそろそろだと思うんだけどな。
クラッカーの上に生ハムとかクリームチーズとか、プチトマトとかのせたりして簡単なお酒のおつまみメニューなのに、パーティーっぽく見えるものを作っていく。パエリヤとかスペアリブとか温めるだけで大丈夫なものを準備しようかと思ったけれど、それだと夏井さんの努力が水の泡になりそうだったのでやめた。これでも私、かなり気を使っているのだ!だから、市販のものでおつまみ系をいくつか準備している。
夏井さんは、二人暮らしには大きすぎるだろうダイニングテーブルに、テーブルクロスをしいて真ん中に赤いライナーを、人数分の黒いランチョンマットやらを並べて、せめて見た目だけでもお誕生日っぽくなるようにテーブルコーディネートの最中。
「あっ」
と言ったかと思うとエプロンのポケットからスマホを取り出して「もうすぐ帰ってくるみたいです」と嬉しそうに教えてくれた。
結婚して初めての旦那様のお誕生日、二人きりで祝いたいだろうと思って料理の手伝いだけして帰ろうと思っていたのに、二人は一緒に祝ってと私と朝陽に言ってきた。だから今夜は4人でお食事。
まさかこんな日がくるとは……なんかどっかでテンネンちゃんに負けた気がする。
「そういえば今宮さん、新しい部署には慣れたみたいですか?なんか随分忙しいって聞いたんですけど」
「……慣れたというか、慣れざるを得ないというか」
そう、そうなのだ。四月一日付で朝陽は部署を異動になった。
なんと開設されたばかりのA・A事業部。うちにも当然海外事業部はあって、そっちはアメリカやヨーロッパが主な取引相手だった。今回新設されたのは「アジア・アフリカ地域専門の海外事業部」。ちなみになんの皮肉か運命のいたずらか部長は豊原久幸氏だ。
そうなんだよね、あの人は戦略室長としてアジア・アフリカ地域の新規開拓事業を中心に仕事をしていた。それが軌道にのってきたので、現地から離れて本社から指揮をとることになったのだ。
朝陽はその英語力と、過去の海外生活の経験プラスこれまでの業務実績から配属されたらしい。
しばらくはうちの主力事業になるその部署への配属は、男にとっては出世への近道なのだろうけれど比例するように忙しさは半端なくなった。
豊原部長と会ったとき、本当はおまえが欲しかったんだけどな、かわりに彼氏をこき使わせてもらうと冗談とも本気ともとれるようなお言葉を頂戴したけれど。
「それに、すっごく綺麗な女の人がいるって聞きました」
ナイフとフォークを両手に握りしめて(そんなの使う料理ないくせに、雰囲気だけでもと言いやがった)なにその探るような質問。
豊原部長、忙しくなった仕事、そして極め付けが夏井さんの言う通り「綺麗な女の人」だ。
その部署で今のところ唯一の女性社員は、豊原部長が直々に引き抜いたらしい、もとは戦略室関連の現地スタッフ。海外生活が長く英語はもちろん数か国語を駆使し、お嬢さま育ちのせいか人脈もありさらに能力もあるという噂(あくまで噂!)の美女だ。
うちの社員連中は直接部屋まで見に行った輩もいるようで、たまたま見かけたと言い訳していた海藤くんいわく「綺麗すぎて高嶺の花みたいな人でした」という話だ。
もちろん私だって朝陽にどんな女性なのかそれとなく聞いたんだけど……。
「大丈夫。朝陽、綺麗な女の人タイプじゃないから」
「ああ、まあ確かに綺麗な人かもな、でもそういう目で見たことない」と答えられました。そうだよねー、だって朝陽の好みのタイプは「コレ」だもんねー。
「……そう、なんですか?」
「何よ!」
「え、だって咲希、さん、綺麗なのに」
名前呼べた、やった! みたいに拳を動かして恥ずかしそうに言われて、もうどう答えていいかわからない。かわいいよ、確かにかわいいよ、ええ、ええもう認めざるを得ないよ! 透の相手じゃなかったら本当にかわいがってあげてもよかったのに!
「とにかく朝陽のタイプじゃないし、私たちが婚約したことは広まっているし、あなたに心配してもらわなくても大丈夫だから!」
「ですよね! 今宮さん、咲希さんのこと大好きですもんね!」
フォークとナイフを並べていく背中に、お箸も忘れずに置いてねと言おうとしてやめた。
私と透の間にこれまでだって幾人かの他人が通り過ぎて行った。でもこれからはずっと透と私と朝陽と、そしてこの子がいるんだろう。
でもそれが続くのならいいのかもしれない。
私と透の関係はこれからも続いていってその中に大事な人が増えていくだけできっと変わらない。
そう……きっと。
今日はそのセリフを一分おきぐらいには心の中で呟いている。
ジュージューとありきたりな音がフライパンの中から届いてくると、お肉が焼けるいい香りがあたりを漂う。予想通り、包丁づかいは微妙だったけどさすがに箸使いはましみたいだ。油が跳ねるたびにびくびくしながらも頑張って手を動かしているのはテンネンちゃん。
そう、私は今テンネンちゃんと一緒にキッチンに立っている。ちなみにこのキッチンはテンネンちゃんにはもったいないほど豪華なシステムキッチン。朝陽の実家で見たのと同じ食洗器に、たくさんの調理器具が入りそうな大きな引き出し。ガラストップのコンロがガスなところは評価できるし(私はIHが苦手だ、だって火が見えないから)、水栓はたかが水道の蛇口なくせに優美な曲線を描いていておしゃれだ。
モデルルームのようなこの部屋は、新婚家庭の透とテンネンちゃんの新居。できれば一生足を踏み入れたくなかった二人の愛の巣だよ。
けっ。
カウンターキッチンではなくアイランドキッチン(この区別わかる?)。フルフラットな天板は長さもあれば幅も広い。だから素人くさい白いホーローのバットに料理番組のように食材を並べて、軽量スプーンで量った調味料のガラスの器がいくつ並んでも大丈夫なわけ。
シンク横のスペースの下にきちんとごみ箱の場所が確保されているなんて、この動線はうらやましい。
「お肉焼けました!」
隊長っとでも続きそうな元気な声で夏井さん(今は桜井さんだけど、頑なに夏井さんと呼ばせてもらう)は報告してくる。見ればわかるよ、見れば。
「豚肉は脂がこうやっていっぱい出てくるの。だからできればキッチンペーパーとかでふきとると肉のくさみがとれるから」
夏井さんの手からお箸を受け取ってお肉を端に寄せると、キッチンペーパーで脂を吸い取った。まあ、別にこういう手間が面倒ならしなくったって食べられなくはないけどさ、透だっていつかはメタボで悩む時がくるかもしれないし、夫の健康を考えるのは妻の役目だろうし、食べるならおいしいほうがいいわけだよ。
「そうしたら、ほら、湯通ししたお野菜いれてなじませて、この調味料まわしかけたらおしまい! 簡単でしょう?」
おわかりだろうけれど今彼女が作っているのは、単なる肉野菜炒めだ。肉入れて、野菜入れて、調味料いれるだけのシンプルで基本的な料理。でもそれだって、野菜の切り方や大きさをそろえて、あえて事前に湯通しをしておくとか、豚肉にはお酒と醤油で下味をつけて片栗粉をからめておくとか、わずかなひと手間でぐんっとおいしくなる。
肉の下味、野菜の湯通し、事前準備しておく調味料。このあたりがポイントなんだけどこの子頭に入っているかな。
赤いチェック柄のエプロンをつけた彼女は、調理実習中の中学生……いや高校生みたいに真剣だ。
私がなんでこんなことをしているかと言えば、今日が透の誕生日であるせいだ。
夏井さんに「透さんのお誕生日に、夕食を手作りで全部頑張りたいんです! 牧野さん教えてください!」と言われて速攻断ったのに。
透に「咲希ちゃん、お願い!」なんてかわいく首を傾けて言われて、めずらしい作り手さんのワインをつけるからと物でつられて「僕の誕生日だからお願い」ととどめの一言で今に至る。
ありえないー。
料理が苦手な彼女に、お誕生日仕様のおしゃれな献立など作れるはずもなく、ここはやっぱりこの子が普段から作れるものを教えたほうがいいだろうということで、今夜のメニューは一般的なご家庭の夕食になっている。
ごはん、味噌汁、肉野菜炒め、サラダ、白和え、である。
本当はから揚げぐらいしてやりたかったけれど、油をつかうのは怖いですーと涙目で言うのであきらめた。お料理はできたてのほうがいいのだけれど、失敗されたら元も子もないので、いろいろ早目に準備した。
「できましたー」
ふうっといかにもひと仕事終えたかのように夏井さんは額の汗を腕でぬぐって、褒めて褒めてという目で私を見た。「あーよしよし」透なら頭ぐらい撫でるんでしょうけどねー、私はしないよ。
「じゃあ、最後は仕上げに、ケーキの生クリームね」
唯一誕生日らしいメニューが手作りのケーキだ。今回はいろいろ考えた結果、スポンジケーキにデコレーションまではさすがにこの子のキャパオーバーだろうから、デコレーションの必要のないシフォンケーキにすることにした。そうすれば泡たてた生クリームにフルーツでも添えればいっぱしに見えるだろう。
混ぜて冷やして固めるだけのレアチーズケーキも候補にはあげたんだけどね。
「牧野さん……今日は本当にありがとうございました」
「誕生日だしね、透の」
そこ強調。
生クリームをハンドミキサーで泡立てながら、夏井さんは嬉しそうにほほ笑む。こんな場所にきちんとコンセントがあると本当に便利だなあと感心しながら、やわらかな色合いのリビングダイニングに視線をうつした。
白木のテレビボードに、淡いグレイのソファー。同じ白木のチェストの上には、当然二人の結婚式の写真たてが飾られている。裾がフリルになったオフホワイトのカーテンは、かわいらしさを抑えていて、ソファーに置かれた赤いクッションと、ダイニングテーブルの上につるされたルイスポールセンのペンダントライトの赤がぴりっと空間を締めていた。
まだどこか初々しさの残る空間は、これからきっと二人の色に変わっていくのだろう。増えていく写真たてにはこどものものが飾られ、今は飾り棚だけに使われているボードも、おもちゃなんかで埋まるのかもしれない。
「牧野さん……ひとつお願いがあるんですけど」
ぴんっとつののたった生クリームのボウルを置くと、夏井さんがおずおずと切り出す。さすがにこの作業はスムーズだったね、よしよし。
「そろそろ……下の名前で呼ばせてもらってもいいですか?」
前振りも脈絡もなく言われて思わず彼女を見てしまう。
上目づかいで言わないで! うっすら頬を染めたりしないで! 妙に色気づいたせいで余計になんかイラついてくるんだから!
「牧野さんも、もうすぐ今宮さんになるだろうし。私のこともできれば名前で呼んでもらえたら、嬉しいかなって」
どさくさに紛れて、私の名前を呼ぶだけじゃなく、自分も呼べと言ってきやがった!
ダメですか……と小さく呟いて見あげてくる夏井さんは私が黙り込んでいるとしゅんっとうつむいた。なにコレ、なにコレ、いつのまにこんな小動物みたいな愛らしさを身につけたのよ!
「……どう呼んでほしいの?」
「え! あっと、莉緒で」
「どう呼びたいの?」
「あの、咲希ちゃん……って」
「却下!」
ちゃん呼び許すのは透だけだから! 呼び捨て許すのは恋人にだけだから!
「……さんづけなら、許す」
「はい!! 咲希……さん」
言っておくけど! 私たち友達にはならないからねー!!
***
テレビの上の壁にかざられた丸い木製の壁掛け時計を見る。これも多分透というよりも夏井さんの好みなんだろうな。
今日は土曜日だ。なのに透と朝陽は休日出勤で仕事に出かけている。だからその間にお誕生日会? の準備ができるわけだけど、そんなに遅くならないって言っていたからそろそろだと思うんだけどな。
クラッカーの上に生ハムとかクリームチーズとか、プチトマトとかのせたりして簡単なお酒のおつまみメニューなのに、パーティーっぽく見えるものを作っていく。パエリヤとかスペアリブとか温めるだけで大丈夫なものを準備しようかと思ったけれど、それだと夏井さんの努力が水の泡になりそうだったのでやめた。これでも私、かなり気を使っているのだ!だから、市販のものでおつまみ系をいくつか準備している。
夏井さんは、二人暮らしには大きすぎるだろうダイニングテーブルに、テーブルクロスをしいて真ん中に赤いライナーを、人数分の黒いランチョンマットやらを並べて、せめて見た目だけでもお誕生日っぽくなるようにテーブルコーディネートの最中。
「あっ」
と言ったかと思うとエプロンのポケットからスマホを取り出して「もうすぐ帰ってくるみたいです」と嬉しそうに教えてくれた。
結婚して初めての旦那様のお誕生日、二人きりで祝いたいだろうと思って料理の手伝いだけして帰ろうと思っていたのに、二人は一緒に祝ってと私と朝陽に言ってきた。だから今夜は4人でお食事。
まさかこんな日がくるとは……なんかどっかでテンネンちゃんに負けた気がする。
「そういえば今宮さん、新しい部署には慣れたみたいですか?なんか随分忙しいって聞いたんですけど」
「……慣れたというか、慣れざるを得ないというか」
そう、そうなのだ。四月一日付で朝陽は部署を異動になった。
なんと開設されたばかりのA・A事業部。うちにも当然海外事業部はあって、そっちはアメリカやヨーロッパが主な取引相手だった。今回新設されたのは「アジア・アフリカ地域専門の海外事業部」。ちなみになんの皮肉か運命のいたずらか部長は豊原久幸氏だ。
そうなんだよね、あの人は戦略室長としてアジア・アフリカ地域の新規開拓事業を中心に仕事をしていた。それが軌道にのってきたので、現地から離れて本社から指揮をとることになったのだ。
朝陽はその英語力と、過去の海外生活の経験プラスこれまでの業務実績から配属されたらしい。
しばらくはうちの主力事業になるその部署への配属は、男にとっては出世への近道なのだろうけれど比例するように忙しさは半端なくなった。
豊原部長と会ったとき、本当はおまえが欲しかったんだけどな、かわりに彼氏をこき使わせてもらうと冗談とも本気ともとれるようなお言葉を頂戴したけれど。
「それに、すっごく綺麗な女の人がいるって聞きました」
ナイフとフォークを両手に握りしめて(そんなの使う料理ないくせに、雰囲気だけでもと言いやがった)なにその探るような質問。
豊原部長、忙しくなった仕事、そして極め付けが夏井さんの言う通り「綺麗な女の人」だ。
その部署で今のところ唯一の女性社員は、豊原部長が直々に引き抜いたらしい、もとは戦略室関連の現地スタッフ。海外生活が長く英語はもちろん数か国語を駆使し、お嬢さま育ちのせいか人脈もありさらに能力もあるという噂(あくまで噂!)の美女だ。
うちの社員連中は直接部屋まで見に行った輩もいるようで、たまたま見かけたと言い訳していた海藤くんいわく「綺麗すぎて高嶺の花みたいな人でした」という話だ。
もちろん私だって朝陽にどんな女性なのかそれとなく聞いたんだけど……。
「大丈夫。朝陽、綺麗な女の人タイプじゃないから」
「ああ、まあ確かに綺麗な人かもな、でもそういう目で見たことない」と答えられました。そうだよねー、だって朝陽の好みのタイプは「コレ」だもんねー。
「……そう、なんですか?」
「何よ!」
「え、だって咲希、さん、綺麗なのに」
名前呼べた、やった! みたいに拳を動かして恥ずかしそうに言われて、もうどう答えていいかわからない。かわいいよ、確かにかわいいよ、ええ、ええもう認めざるを得ないよ! 透の相手じゃなかったら本当にかわいがってあげてもよかったのに!
「とにかく朝陽のタイプじゃないし、私たちが婚約したことは広まっているし、あなたに心配してもらわなくても大丈夫だから!」
「ですよね! 今宮さん、咲希さんのこと大好きですもんね!」
フォークとナイフを並べていく背中に、お箸も忘れずに置いてねと言おうとしてやめた。
私と透の間にこれまでだって幾人かの他人が通り過ぎて行った。でもこれからはずっと透と私と朝陽と、そしてこの子がいるんだろう。
でもそれが続くのならいいのかもしれない。
私と透の関係はこれからも続いていってその中に大事な人が増えていくだけできっと変わらない。
そう……きっと。
0
お気に入りに追加
224
あなたにおすすめの小説
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
彼の愛は不透明◆◆若頭からの愛は深く、底が見えない…沼愛◆◆ 【完結】
まぁ
恋愛
【1分先の未来を生きる言葉を口にしろ】
天野玖未(あまのくみ)飲食店勤務
玖の字が表す‘黒色の美しい石’の通りの容姿ではあるが、未来を見据えてはいない。言葉足らずで少々諦め癖のある23歳
須藤悠仁(すどうゆうじん) 東日本最大極道 須藤組若頭
暗闇にも光る黒い宝を見つけ、垂涎三尺…狙い始める
心に深い傷を持つ彼女が、信じられるものを手に入れるまでの……波乱の軌跡
そこには彼の底なしの愛があった…
作中の人名団体名等、全て架空のフィクションです
また本作は違法行為等を推奨するものではありません
どうぞ二人の愛を貫いてください。悪役令嬢の私は一抜けしますね。
kana
恋愛
私の目の前でブルブルと震えている、愛らく庇護欲をそそる令嬢の名前を呼んだ瞬間、頭の中でパチパチと火花が散ったかと思えば、突然前世の記憶が流れ込んできた。
前世で読んだ小説の登場人物に転生しちゃっていることに気付いたメイジェーン。
やばい!やばい!やばい!
確かに私の婚約者である王太子と親しすぎる男爵令嬢に物申したところで問題にはならないだろう。
だが!小説の中で悪役令嬢である私はここのままで行くと断罪されてしまう。
前世の記憶を思い出したことで冷静になると、私の努力も認めない、見向きもしない、笑顔も見せない、そして不貞を犯す⋯⋯そんな婚約者なら要らないよね!
うんうん!
要らない!要らない!
さっさと婚約解消して2人を応援するよ!
だから私に遠慮なく愛を貫いてくださいね。
※気を付けているのですが誤字脱字が多いです。長い目で見守ってください。
【完結】私を虐げる姉が今の婚約者はいらないと押し付けてきましたが、とても優しい殿方で幸せです 〜それはそれとして、家族に復讐はします〜
ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
侯爵家の令嬢であるシエルは、愛人との間に生まれたせいで、父や義母、異母姉妹から酷い仕打ちをされる生活を送っていた。
そんなシエルには婚約者がいた。まるで本物の兄のように仲良くしていたが、ある日突然彼は亡くなってしまった。
悲しみに暮れるシエル。そこに姉のアイシャがやってきて、とんでもない発言をした。
「ワタクシ、とある殿方と真実の愛に目覚めましたの。だから、今ワタクシが婚約している殿方との結婚を、あなたに代わりに受けさせてあげますわ」
こうしてシエルは、必死の抗議も虚しく、身勝手な理由で、新しい婚約者の元に向かうこととなった……横暴で散々虐げてきた家族に、復讐を誓いながら。
新しい婚約者は、社交界でとても恐れられている相手。うまくやっていけるのかと不安に思っていたが、なぜかとても溺愛されはじめて……!?
⭐︎全三十九話、すでに完結まで予約投稿済みです。11/12 HOTランキング一位ありがとうございます!⭐︎
俺のこと、冷遇してるんだから離婚してくれますよね?〜王妃は国王の隠れた溺愛に気付いてない〜
明太子
BL
伯爵令息のエスメラルダは幼い頃から恋心を抱いていたレオンスタリア王国の国王であるキースと結婚し、王妃となった。
しかし、当のキースからは冷遇され、1人寂しく別居生活を送っている。
それでもキースへの想いを捨てきれないエスメラルダ。
だが、その思いも虚しく、エスメラルダはキースが別の令嬢を新しい妃を迎えようとしている場面に遭遇してしまう。
流石に心が折れてしまったエスメラルダは離婚を決意するが…?
エスメラルダの一途な初恋はキースに届くのか?
そして、キースの本当の気持ちは?
分かりづらい伏線とそこそこのどんでん返しありな喜怒哀楽激しめ王妃のシリアス?コメディ?こじらせ初恋BLです!
※R指定は保険です。
魔がさした? 私も魔をさしますのでよろしく。
ユユ
恋愛
幼い頃から築いてきた彼との関係は
愛だと思っていた。
何度も“好き”と言われ
次第に心を寄せるようになった。
だけど 彼の浮気を知ってしまった。
私の頭の中にあった愛の城は
完全に崩壊した。
彼の口にする“愛”は偽物だった。
* 作り話です
* 短編で終わらせたいです
* 暇つぶしにどうぞ
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。