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第二章
第二十八話(最終話)
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智晃のキスは強引で激しい。
穏やかな彼の雰囲気とは裏腹に、簡単に悠花の理性を溶かして快楽に落とし込んでくる。
でも今夜の智晃はゆっくりと繊細に悠花の肌に触れていた。
何度となく繰り返されるキス。
肌をなぞる手の動きはささやかで緩やか。
舌の動きは繊細で強引さも激しさもない。
けれどそのもどかしさが確実に悠花の体に種火を灯していった。
強張りや緊張が抜けて、ただ智晃の愛撫に身を任せる。全身が弛緩して悠花は素直に震えて声をあげて蜜をあふれさせた。自分さえ知らない自分自身を、抗いようもなく開かれていく感覚があって少し怖いと思うのに、智晃だからこそ委ねたくなる。
きっとどこか一点でも強く攻められれば達してしまう。
けれどそれは決してせずに、ただただ緩やかな快楽に浸らせる。
寄せては帰る波のように与えられた熱が冷めていく。けれどその冷めていく感覚さえも気持ちよさに変えられていくのだ。
「とも、あきさんっ」
ちゅっと耳たぶに小さくキスをされた。それだけで呆気なく達しそうなのに、その手前で智晃は行為を抑えてしまう。いつもならいやらしい音をたてられるほどかきまぜられる場所は、たいして触れられてもいないくせに、トロトロと蜜をこぼして彼のシーツを汚していた。
彼は時折そこに口づけて蜜を舐めて啜るけれど、それさえも優しくゆっくりで達するほどじゃない。
胸の先は痛いほど尖り肌が火照っている。毛穴という毛穴が開いてそこからも何かが放出していく。力は入らず、ただ智晃が簡単に触れるだけで悠花の体は自在に操られた。
あまりにもどかしくて、智晃に抱かれているのに自分の指を伸ばしてしまいたくなる。
するりと腰骨をなぞられて限界だった悠花はその刺激だけで腰を揺らして達した。
「ひゃっ……ああっ、んんっ」
「イったの? 悠花」
「あ……、あっ、智晃さん……」
「ここもすごいよ……あまり触れてないのに大きく膨らんでいる」
いやらしい形に足を広げられて智晃にそこを見られる。それだけで中から蜜がこぼれてさらに卑猥にうごめくのが悠花にもわかった。再び達しかけてシーツを握りしめる。
嬲られたわけでもないのに智晃に見られるだけで達するなんて恥ずかしくてたまらない。
でも智晃にだからこそ見せられる姿。
「智晃さん! 智晃さんっ!」
悠花は首を横に振って智晃の名前を呼んだ。
本当はそれだけでは足りないことを知っている。欲しければ言葉にして伝えなければもらえない。
「僕をもっと求めて、悠花」
髪の生え際をそっと撫でて智晃はその指を悠花の中にいれた。同時に口内に舌が入ってくる。他人の熱くてやわらかいものが悠花の官能を最大限に引き出していく。
指の動きはささやかだった。悠花の形を確かめながら覚えている弱い場所をかすっていく。
悠花は智晃の頭を引き寄せて、身にわきあがる快楽を逃がそうと智晃のキスを求めた。けれどそれは逆に悠花を追い詰めてくる。
声があがる。けれど舌が強く絡んでうまく出せない。智晃の指は狭い場所を軽やかに動いて卑猥な音を奏でていく。
「あっ……あんっ、ひゃあっ!!」
「すごい、悠花」
「だめっ! とも、あきさんっ、やぁ、おかしくなる!」
「おかしくなって。悠花の一番奥で繋がりたい」
「はぁっ、あんっ……んんっ」
声が止まらない。抑えたくても何もかもが漏れていく。
声も体液もいやらしいもの全てを愛する男にさらけだす。
悠花の中に智晃が入ってきて、彼の宣言通り奥に到達した。自分の体にあるそんな部分など意識したこともないのに、今初めて悠花は智晃によって教えられていた。
おりてきた子宮と智晃の楔とが深い場所で繋がりあう感覚があった。
「悠花! 悠花!!」
この声を忘れない、そう思った。切なく恋しく呼ばれる名前。
この重みを忘れない。包み込む体温も、肌をなぞる指先も、求める熱い眼差しも。
蕩けていた体に与えられた楔は悠花の中からすべてを奪っていく。
求められるまま快楽をさらけだし、与えられるそれにいつまでも浸っていたい。
「智晃――!」
恐怖も不安も乗り越えて、戸惑いもためらいも感じることなく一人で立つことができたら。
堂々とあなたの隣に行くから――
愛する人を守るために、逃げるのではなくそばにいるための強さをください。
***
一月後――――
悠花は新たに生活する場所に立っていた。
いくつかの面接を経て新たに決まった就職先は、女性ばかりがいる職場だ。
女性の起業をサポートするための会社で、起業だけでなくその後の支援までを継続的に行っていく。その会社自身がまだ新しくスタッフも若手が多い。地域柄、県外からの就職者が多いこともあって遠方からきた悠花への詮索もほとんどなされなかった。
「悠花、ベッドはこの位置にする?」
「あ、はい」
今日は悠花の引っ越しで、当たり前のように智晃も休みを確保して手伝いにきてくれていた。一人でも大丈夫だと言ってはみたものの、会いにきてもられえるのは嬉しくて甘えた。
新居は就職先が決まるとすぐに智晃と一緒に探した。といっても、ほとんど彼が決めたようなものだ。
悠花は多少駅から遠くても築年数が古くても、セキュリティがきちんとしていれば家賃が安めのところを選ぶつもりだった。けれどそのどれもに智晃は反対して駅徒歩一分の好立地の新築マンションしか認めなかった。
会社から電車で十分、駅から徒歩一分という立地の良さに加えて、ファミリータイプがメインのマンションであるため内装グレードも高い。
それでもセキュリティ不足が否めなかったようで「叔父さんにこっちにも世田系列のマンション進出を提案した方がいいかな」と少し怖いことを言っていた。
間取りは2LDKで個室が二部屋ある。リビングに近い側の個室を寝室にして、もう一部屋は智晃専用となった。そのため彼は一緒に自分の荷物も運び入れている。
ベッドはひとつでいいよね? と言って大きなベッドを新しく購入し、それが今寝室に運び込まれていた。
最初こそ悠花も頑張っていろんなことを固辞したが、智晃は伝家の宝刀のように「婚約者のようなものだから」との言葉を持ち出してきた。ここまでくると彼の気のすむようにさせたほうがいいのだという結論にいたっている。
家具が配送された後は電化製品が到着予定だ。それまでに引っ越しの段ボールをある程度片付けておきたい。
立派なシステムキッチンにキッチン用品をしまいながら悠花はくすぐったい気持ちになる。
智晃とこうして作業しているとまるで二人の新居を準備しているようだ。実際はこの広い部屋で悠花は一人で暮らして、時折会いに来てくれる智晃を迎え入れるだけになる。
「狭くても良かったのに……」
キッチンのがらあきの引き出しを閉めると悠花はリビングを見渡して小さく呟いた。
カウンターキッチンにダイニング、そしてリビングルームも広めでゆとりがある。
今まで悠花が使用していたものは部屋に備えつけられていたものだったので、ソファもダイニングテーブルも新たに智晃に手配されてしまった。
こんな広い部屋に一人残されたら……寂しさが倍増しそうだ。
自分で導き出した答えの結果選んだ場所にいるのに本当に身勝手だと思う。
ベッドの配送業者が出ていくと入れ替わりに電化製品が届く。智晃は冷蔵庫や洗濯機の場所を指示していた。大きな冷蔵庫も宝の持ち腐れになりそうだ。その隣に小さなワインセラーが置かれて悠花は思わず智晃を見た。
「ワインセラーまで?」
「僕専用。もちろん悠花も飲んでいいよ」
「智晃さんもすぐにここで暮らせそうですね」
「そのつもりだから」
悠花は冗談交じりに何気なく口にしただけだった。けれど智晃は当然のように言う。
「会いに来るって言ったはずだよ」
「はい、それはそうですけど」
会いに来たときここに泊まるのはあたりまえだ。だから彼が過ごしやすいよう部屋を整えるのは構わない。
しかし彼は経営者だ。そう頻繁に来ることはできない。
元々、会えていたわけじゃないのだ。だから月に一度来てくれればいいなと思っていた。それだって週末ずっといられるとは限らない。一泊できるのかも微妙だろう。
そのためだけにここまで揃える智晃のこだわりがなんだかおかしかった。
智晃のスマホが鳴って彼はそれを手にした。電化製品の確認とサインをしながら電話に出る。
悠花は帰っていく業者を見送った。
「それで? 調整できた。そう、さすが三住。じゃあ予定通り二週間僕はこっちにいる。ああ、何かあれば連絡してきてもいいけどできるだけそっちで対処して」
その後いくつか仕事の指示をして彼はスマホをしまう。
今彼は何と言っただろう?
二週間、こっちにいる?
「悠花。三住が頑張って調整した。今夜から二週間、僕はここで過ごすよ」
「え……?」
「もしかして僕と一緒に過ごすのは嫌?」
「まさか! 智晃さんがここで過ごすのは構いません。でも」
「悠花、嫌なら嫌だって言っていい」
「嫌なんて、嫌なんて思うわけない! でも、でもっ」
寂しさを見抜かれただろうか。だから彼はここで過ごすと言ってくれているのだろうか?
新しい土地での新しい仕事、新しい出会いに期待はある。
でも知り合いなどほとんどいない場所で同じぐらい不安がある。
「でもお仕事が……」
「その仕事だ、悠花。こっちでやらなきゃならない仕事がある。だからその調整を三住に頼んでいた。一旦、戻る必要があるかと思っていたけどこのままいていいらしい」
「本当にお仕事のためですか?」
「そうだよ。僕が跳びまわっているのはあなたも知っているだろう? こっちでいくつか片付ける仕事がある。ホテルをとってもいいけどできればここで過ごしたい」
「もちろんです! ホテルなんかじゃなくてこの部屋で過ごしてください」
驚いただけで嫌なわけがない。
確かに智晃は出張が多かった。だからこちらで仕事をする必要があるというのならちょうど良かったと思うべきだろうか。
でも、本当に仕事のためだけ……?
「ずっと一緒だけど大丈夫かな? 朝も夜も……仕事中は無理だけどそれ以外はずっと一緒。期限付きなのが残念だけど」
「もちろん大丈夫です。離れる時寂しくなりそうで心配ですけど。でも、嬉しい」
不意に浮かびかけた疑問はすぐに消えていく。二週間も一緒にいられるなんて向こうにいた時にも経験がないから、それだけで嬉しさが膨らんだ。
智晃の手が伸びてゆるやかに悠花の背にまわされる。悠花も自然に腕をまわして抱き合った。
「悠花。少しの間離れても僕が帰る場所はあなたのところだ。そして今はこの部屋。だからあなたは僕の帰りをここで待っていて」
「はい」
「じゃあ、早く片付けて、ベッドの使い心地でも試そうか? それともどこにいても思い出せるようにいろんなところで試してみる?」
何を試すのか? と疑問に思ったのは一瞬で悠花は智晃の意図を察して頬を染める。
抱きしめる手は誘うように悠花の背中を撫でてきた。
「片付け……しないと」
「ああ、そうだね」
耳元で囁かれる声は甘くふわりと森林の香りが鼻腔をつく。
顔をあげれば自然に唇がおりてきて悠花はそれを素直に受け止めた。
「始まり」があれば「終わり」がある。
人はただそれを繰り返していくだけ。
繰り返していく日々を彼とともに過ごしていければいい。
生きていければいい。
「終わり」がくる、その日まで――――あなたのそばにいられますように。
穏やかな彼の雰囲気とは裏腹に、簡単に悠花の理性を溶かして快楽に落とし込んでくる。
でも今夜の智晃はゆっくりと繊細に悠花の肌に触れていた。
何度となく繰り返されるキス。
肌をなぞる手の動きはささやかで緩やか。
舌の動きは繊細で強引さも激しさもない。
けれどそのもどかしさが確実に悠花の体に種火を灯していった。
強張りや緊張が抜けて、ただ智晃の愛撫に身を任せる。全身が弛緩して悠花は素直に震えて声をあげて蜜をあふれさせた。自分さえ知らない自分自身を、抗いようもなく開かれていく感覚があって少し怖いと思うのに、智晃だからこそ委ねたくなる。
きっとどこか一点でも強く攻められれば達してしまう。
けれどそれは決してせずに、ただただ緩やかな快楽に浸らせる。
寄せては帰る波のように与えられた熱が冷めていく。けれどその冷めていく感覚さえも気持ちよさに変えられていくのだ。
「とも、あきさんっ」
ちゅっと耳たぶに小さくキスをされた。それだけで呆気なく達しそうなのに、その手前で智晃は行為を抑えてしまう。いつもならいやらしい音をたてられるほどかきまぜられる場所は、たいして触れられてもいないくせに、トロトロと蜜をこぼして彼のシーツを汚していた。
彼は時折そこに口づけて蜜を舐めて啜るけれど、それさえも優しくゆっくりで達するほどじゃない。
胸の先は痛いほど尖り肌が火照っている。毛穴という毛穴が開いてそこからも何かが放出していく。力は入らず、ただ智晃が簡単に触れるだけで悠花の体は自在に操られた。
あまりにもどかしくて、智晃に抱かれているのに自分の指を伸ばしてしまいたくなる。
するりと腰骨をなぞられて限界だった悠花はその刺激だけで腰を揺らして達した。
「ひゃっ……ああっ、んんっ」
「イったの? 悠花」
「あ……、あっ、智晃さん……」
「ここもすごいよ……あまり触れてないのに大きく膨らんでいる」
いやらしい形に足を広げられて智晃にそこを見られる。それだけで中から蜜がこぼれてさらに卑猥にうごめくのが悠花にもわかった。再び達しかけてシーツを握りしめる。
嬲られたわけでもないのに智晃に見られるだけで達するなんて恥ずかしくてたまらない。
でも智晃にだからこそ見せられる姿。
「智晃さん! 智晃さんっ!」
悠花は首を横に振って智晃の名前を呼んだ。
本当はそれだけでは足りないことを知っている。欲しければ言葉にして伝えなければもらえない。
「僕をもっと求めて、悠花」
髪の生え際をそっと撫でて智晃はその指を悠花の中にいれた。同時に口内に舌が入ってくる。他人の熱くてやわらかいものが悠花の官能を最大限に引き出していく。
指の動きはささやかだった。悠花の形を確かめながら覚えている弱い場所をかすっていく。
悠花は智晃の頭を引き寄せて、身にわきあがる快楽を逃がそうと智晃のキスを求めた。けれどそれは逆に悠花を追い詰めてくる。
声があがる。けれど舌が強く絡んでうまく出せない。智晃の指は狭い場所を軽やかに動いて卑猥な音を奏でていく。
「あっ……あんっ、ひゃあっ!!」
「すごい、悠花」
「だめっ! とも、あきさんっ、やぁ、おかしくなる!」
「おかしくなって。悠花の一番奥で繋がりたい」
「はぁっ、あんっ……んんっ」
声が止まらない。抑えたくても何もかもが漏れていく。
声も体液もいやらしいもの全てを愛する男にさらけだす。
悠花の中に智晃が入ってきて、彼の宣言通り奥に到達した。自分の体にあるそんな部分など意識したこともないのに、今初めて悠花は智晃によって教えられていた。
おりてきた子宮と智晃の楔とが深い場所で繋がりあう感覚があった。
「悠花! 悠花!!」
この声を忘れない、そう思った。切なく恋しく呼ばれる名前。
この重みを忘れない。包み込む体温も、肌をなぞる指先も、求める熱い眼差しも。
蕩けていた体に与えられた楔は悠花の中からすべてを奪っていく。
求められるまま快楽をさらけだし、与えられるそれにいつまでも浸っていたい。
「智晃――!」
恐怖も不安も乗り越えて、戸惑いもためらいも感じることなく一人で立つことができたら。
堂々とあなたの隣に行くから――
愛する人を守るために、逃げるのではなくそばにいるための強さをください。
***
一月後――――
悠花は新たに生活する場所に立っていた。
いくつかの面接を経て新たに決まった就職先は、女性ばかりがいる職場だ。
女性の起業をサポートするための会社で、起業だけでなくその後の支援までを継続的に行っていく。その会社自身がまだ新しくスタッフも若手が多い。地域柄、県外からの就職者が多いこともあって遠方からきた悠花への詮索もほとんどなされなかった。
「悠花、ベッドはこの位置にする?」
「あ、はい」
今日は悠花の引っ越しで、当たり前のように智晃も休みを確保して手伝いにきてくれていた。一人でも大丈夫だと言ってはみたものの、会いにきてもられえるのは嬉しくて甘えた。
新居は就職先が決まるとすぐに智晃と一緒に探した。といっても、ほとんど彼が決めたようなものだ。
悠花は多少駅から遠くても築年数が古くても、セキュリティがきちんとしていれば家賃が安めのところを選ぶつもりだった。けれどそのどれもに智晃は反対して駅徒歩一分の好立地の新築マンションしか認めなかった。
会社から電車で十分、駅から徒歩一分という立地の良さに加えて、ファミリータイプがメインのマンションであるため内装グレードも高い。
それでもセキュリティ不足が否めなかったようで「叔父さんにこっちにも世田系列のマンション進出を提案した方がいいかな」と少し怖いことを言っていた。
間取りは2LDKで個室が二部屋ある。リビングに近い側の個室を寝室にして、もう一部屋は智晃専用となった。そのため彼は一緒に自分の荷物も運び入れている。
ベッドはひとつでいいよね? と言って大きなベッドを新しく購入し、それが今寝室に運び込まれていた。
最初こそ悠花も頑張っていろんなことを固辞したが、智晃は伝家の宝刀のように「婚約者のようなものだから」との言葉を持ち出してきた。ここまでくると彼の気のすむようにさせたほうがいいのだという結論にいたっている。
家具が配送された後は電化製品が到着予定だ。それまでに引っ越しの段ボールをある程度片付けておきたい。
立派なシステムキッチンにキッチン用品をしまいながら悠花はくすぐったい気持ちになる。
智晃とこうして作業しているとまるで二人の新居を準備しているようだ。実際はこの広い部屋で悠花は一人で暮らして、時折会いに来てくれる智晃を迎え入れるだけになる。
「狭くても良かったのに……」
キッチンのがらあきの引き出しを閉めると悠花はリビングを見渡して小さく呟いた。
カウンターキッチンにダイニング、そしてリビングルームも広めでゆとりがある。
今まで悠花が使用していたものは部屋に備えつけられていたものだったので、ソファもダイニングテーブルも新たに智晃に手配されてしまった。
こんな広い部屋に一人残されたら……寂しさが倍増しそうだ。
自分で導き出した答えの結果選んだ場所にいるのに本当に身勝手だと思う。
ベッドの配送業者が出ていくと入れ替わりに電化製品が届く。智晃は冷蔵庫や洗濯機の場所を指示していた。大きな冷蔵庫も宝の持ち腐れになりそうだ。その隣に小さなワインセラーが置かれて悠花は思わず智晃を見た。
「ワインセラーまで?」
「僕専用。もちろん悠花も飲んでいいよ」
「智晃さんもすぐにここで暮らせそうですね」
「そのつもりだから」
悠花は冗談交じりに何気なく口にしただけだった。けれど智晃は当然のように言う。
「会いに来るって言ったはずだよ」
「はい、それはそうですけど」
会いに来たときここに泊まるのはあたりまえだ。だから彼が過ごしやすいよう部屋を整えるのは構わない。
しかし彼は経営者だ。そう頻繁に来ることはできない。
元々、会えていたわけじゃないのだ。だから月に一度来てくれればいいなと思っていた。それだって週末ずっといられるとは限らない。一泊できるのかも微妙だろう。
そのためだけにここまで揃える智晃のこだわりがなんだかおかしかった。
智晃のスマホが鳴って彼はそれを手にした。電化製品の確認とサインをしながら電話に出る。
悠花は帰っていく業者を見送った。
「それで? 調整できた。そう、さすが三住。じゃあ予定通り二週間僕はこっちにいる。ああ、何かあれば連絡してきてもいいけどできるだけそっちで対処して」
その後いくつか仕事の指示をして彼はスマホをしまう。
今彼は何と言っただろう?
二週間、こっちにいる?
「悠花。三住が頑張って調整した。今夜から二週間、僕はここで過ごすよ」
「え……?」
「もしかして僕と一緒に過ごすのは嫌?」
「まさか! 智晃さんがここで過ごすのは構いません。でも」
「悠花、嫌なら嫌だって言っていい」
「嫌なんて、嫌なんて思うわけない! でも、でもっ」
寂しさを見抜かれただろうか。だから彼はここで過ごすと言ってくれているのだろうか?
新しい土地での新しい仕事、新しい出会いに期待はある。
でも知り合いなどほとんどいない場所で同じぐらい不安がある。
「でもお仕事が……」
「その仕事だ、悠花。こっちでやらなきゃならない仕事がある。だからその調整を三住に頼んでいた。一旦、戻る必要があるかと思っていたけどこのままいていいらしい」
「本当にお仕事のためですか?」
「そうだよ。僕が跳びまわっているのはあなたも知っているだろう? こっちでいくつか片付ける仕事がある。ホテルをとってもいいけどできればここで過ごしたい」
「もちろんです! ホテルなんかじゃなくてこの部屋で過ごしてください」
驚いただけで嫌なわけがない。
確かに智晃は出張が多かった。だからこちらで仕事をする必要があるというのならちょうど良かったと思うべきだろうか。
でも、本当に仕事のためだけ……?
「ずっと一緒だけど大丈夫かな? 朝も夜も……仕事中は無理だけどそれ以外はずっと一緒。期限付きなのが残念だけど」
「もちろん大丈夫です。離れる時寂しくなりそうで心配ですけど。でも、嬉しい」
不意に浮かびかけた疑問はすぐに消えていく。二週間も一緒にいられるなんて向こうにいた時にも経験がないから、それだけで嬉しさが膨らんだ。
智晃の手が伸びてゆるやかに悠花の背にまわされる。悠花も自然に腕をまわして抱き合った。
「悠花。少しの間離れても僕が帰る場所はあなたのところだ。そして今はこの部屋。だからあなたは僕の帰りをここで待っていて」
「はい」
「じゃあ、早く片付けて、ベッドの使い心地でも試そうか? それともどこにいても思い出せるようにいろんなところで試してみる?」
何を試すのか? と疑問に思ったのは一瞬で悠花は智晃の意図を察して頬を染める。
抱きしめる手は誘うように悠花の背中を撫でてきた。
「片付け……しないと」
「ああ、そうだね」
耳元で囁かれる声は甘くふわりと森林の香りが鼻腔をつく。
顔をあげれば自然に唇がおりてきて悠花はそれを素直に受け止めた。
「始まり」があれば「終わり」がある。
人はただそれを繰り返していくだけ。
繰り返していく日々を彼とともに過ごしていければいい。
生きていければいい。
「終わり」がくる、その日まで――――あなたのそばにいられますように。
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退会済ユーザのコメントです
iaさま
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