笑う邪神官

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第6回 撃!傾国過激団

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 突然の危機ピンチだった。
 剣を支えに相手を睨むもロゼールはすでに満身創痍だ。震える膝は辛うじて地に突くことを拒んでいるが、もはや時間の問題だ。次の一撃に耐える確信さえない。
 アナタこのままじゃ勝てないわよ。
 ロゼールの脳裏にハルタの声が繰り返し囁いている。ロゼールは唇を噛んだ。くだらない意地を張って忠告を無視したのは自分だ。嘲笑う五人の少女を前に見て、ロゼールはいま彼女たちに勝てない悔しさよりもハルタの声に悔いていた。

 遡ること少し、ロゼールとハルタは五日の行程でエルアリーナの街に入った。
 ここは本来、解放神閥ケイオスリーグの多く住む街だ。自由神シャラオの奔放さと慈愛神ファブミの包容力が隣り合う明るく華やいだ街だった。今は違う。唐突に布告された一方的な秩序神閥コスモスリーグの優遇措置に対する増長と反動がこの街を大きく変えていた。
 最初は街を縛る秩序神閥コスモスリーグの圧政だから始まった。中央からの命令で仕方なく。司教たちの言い訳はじき支配者の性根に擦り替わった。次に抑圧された解放神閥ケイオスリーグの反発が決壊した。その波に乗ったのが傾国過激団だ。
 彼女らは解放神閥ケイオスリーグの象徴となり、この街の象徴となり、新たな支配の象徴となった。今やこの街は地下系偶像ライブアイドル傾国過激団に支配されている。信者に在らざるは人ではない。礼拝集会に出ぬ者は民ではない。人々の魂は彼女らの供物に成り果てた。
 聖堂を打ち壊し、瓦礫を押し拡げて造られた常設会場は連日人で埋め尽くされている。間断なく上がる歓声で絶えず空気がびりびりと震えていた。住人からの苦情はない。もはや街の全てが取り込まれているからだ。
 会場のあちこちに巨大な音伝盤が建られ過大に増幅された音が大気を打つ。舞台に遠い後部には遠視鏡を覗きながら踊る器用な人種もいる。要所に二階屋ほどもある視伝盤が用意され、舞台を様々な角度から捉えた写し絵が投影されていた。
 熱狂する観客の中で俯くロゼールは圧倒されていた。思わず縋るような目で振り返るも、そこにハルタの姿はない。当然だ。口を尖らせてロゼールは舞台に目を戻した。
 ロゼールはハルタに黙って宿を出たのだから。
「色々いるから嗜好が合わせ易いのよ。つまり品揃えね。アナタも昔みたいに三人だったら観客を全部取り戻せたかしらね」
 ハルタはそう言ってロゼールに肩を竦めて見せた。
 つまり今の自分では足りないということか。ロゼールはむくれた。ハルタが前の街から持ち歩いているのは二年も前の写し絵で、そんな頃より自分はずっと大人になっている。なのにクロエとリリアーテがいなければ勝負にならないと言うのだ。
「そうね、アナタこのままじゃ勝てないわよ」
 ぷつんと切れてロゼールはひとり傾国過激団の会場に潜入したのだった。
 会場で見る彼女たちは圧倒的だ。品揃えという意味では真似できない。
 舞台を溌溂と駆け回るのがシトリ。衣装は丈の短い豹柄で耳と尻尾まである。
 ベルベットは黒い硬質の上下と網タイツ。高い踵の先が針のように尖っている。
 対してランジェは純白のベビードール。赤い下着が透けて見えるのが扇状的だ。
 エリーは小柄で見目が幼い。白と黒のフリルが激しくスカートが膨らんでいる。
 妖艶で落ち着いたゼルダがリーダーだ。身体にぴったり張り付いた真紅のドレスは、丈は長いが切れ込みが腰の遥か上まである。なのに下着が見えないのである。
 傾国過激団、恐るべし。
 少女たちの衣装は教会倫理的に反則だ。とりあえず自分の格好は棚に上げる。
 人々の情念を吸い取り力と知能を取り戻し始めた魔神は素っ裸の中年男よりも恐ろしい存在だった。増えた布の面積は僅かだが被害は都市の規模に拡大している。
 今ここで魔神たちを止めねば災厄はルクスアンデル一国に留まらないだろう。
「信仰を捨て我らを崇めよ」
「崇めよー」
 舞台の上から五人の少女が揃って客席に呼び掛ける。
「シトリちゃーん」
「ベルベットさまー」
「ランジェ姫ー」
「エリーたーん」
「ゼルダ姐えええ」
 合いの手と振りと歌声が重なるたび観客の精気が物理的な厚みで吸い出されて行く。それはロゼールの目に濃く粘性のある流動物に映った。汁気があってぶよぶよして何よりちょっと臭そうだ。正直、これが人の情念なら少し気持ちが悪い。
 五人の敬称を使い分ける観客。ロゼールはその訓練と支配に戦慄する。
 だが傾国過激団はそれすら凌駕していた。名を叫ぶ信者の決めポーズが少女ごとに異なっていたのだ。気付いたロゼールが振りを真似るも、すでに遅かった。
 舞台のゼルダと目が合った刹那、絞ったカンテラが立ち上る水気と演出の白煙を裂いて槍のようにロゼールを貫いた。瞬く間に操られた観客に囲まれてしまう。
 逃げ場はなかった。ここは傾国過激団の常設会場。ファルテリンデと異なり半端に操られた者もいない。舞台の五人も飼い慣らされた観客も全てロゼールの敵だ。
 気づけば無数の手がロゼールに迫り、あっと言う間に舞台に担ぎ上げられた。
「ようこそ白薔薇の君ホワイトローズ
 ゼルダが妖しい目を細めロゼールに向かって芝居がかった台詞を囁いた。
「おまえの悲鳴はどんなだろう。さぞや客席を沸かせてくれるのだろうね」
 燥いだ笑い声と間断ない殺気にロゼールは息を詰めた。
 豹柄と肌色を視界の隅に捉えた。咄嗟に転がって避けるも、シトリは猫が玩具を追うように走った。豹を模した手袋の爪がロゼールの背を大きく抉った。
 片膝を突いて呻くロゼールの眼前を針のような踵が薙いだ。身体を反って飛び退くも、網タイツに包まれた脚が高く低くロゼールを追撃する。ベルベットが嗜虐の笑みを浮かべていた。繰り出される踵がロゼールの剣を弾いて身を裂いて行く。
 堪らず大きく距離を取った先にランジエの妖艶な下着姿が待ち構えていた。反射的に剣を振るも、ぬるりと身を躱す。蛇を追うように手応えがなく気付けばロゼールが絡め捕られている。力尽くで振り払えば仕込まれた刃に全身が裂けた。
 血に塗れだロゼールが荒い息を吐く。動くたび剣が重くなって行く。
「貴方ひとりぼっちなのね、可哀想」
 白と黒の豪奢なスカートが目の前で揺れた。エリーが病んだ目で歩み寄る。衣装に絡んだ荊の模様が蠢いたかと思うと、それはロゼールの身体を這い上がった。棘は身体を裂きながらロゼールの自由を奪って行く。
 よろめき、後退り、舞台に剣を突いて踏み止まった。観客は熱狂し傾国歌劇団の少女たちを讃えている。その歓声に打ちのめされた。
「綺麗な赤、穢れを知らない赤い色」
 ゼルダがロゼールの血に囁いた。

 剣を支えに相手を睨むもロゼールはすでに満身創痍だ。震える膝は辛うじて地に突くことを拒んでいるがもはや時間の問題だった。次の一撃に耐える確信はない。
 濡れたように艶やかなゼルダの紅いドレスが踊った。深い切れ目に剥き出した白い脚がロゼールを打つ。黄金の翼エルドールごと跳ね飛んでロゼールは舞台に転がった。
 ゼルダはロゼールの間近に歩み寄り、髪を掴んで仰け反らせた。もはや抗う力も失われ、ロゼールは朦朧と霞む目で熱狂する観客席をぼんやりと見つめた。
 焦点の合わない群衆が歌う。少女たちを讃えている。
 剥き出しの喉にゼルダの爪が食い込んだ。
 不意に拡声器に音が回った。
 一瞬の鳴音に会場の全てが虚を突かれる。刹那、四方に軽快な音が流れ出した。
 何事かと顔を上げるゼルダの傍に不意に男が現れた。ロゼールなら泉の畔に似た顔を見たと気付いただろうか。茫然と竦むゼルダと少女たちには目もくれず、男はどこからともなく取り出した手持ちの拡声器を掲げ、語るように歌い出した。

 いつ始まったんだか
 たまに震える
 まあとにかくしょうがない
 馬鹿は死ななきゃ治らない

 不意に女の声が歌に加わった。どこから来たのかと問う間もなくリズムは一気に駆け上がる。客席の誰もが舞台を見上げ急かされるように席を立ち上がった。

 ちょっとなんてマジ論外
 愛があるのよきっと今夜は

 ありえないんだ だけどタイムワープ
 聞いてよ そんなのマジで変
 寒くなるようなその秘密
 アンタにもっとあげるから

 劣情のタイムワープあげる
 劣情のタイムワープあげる

 不意に舞台の端に現れた男がスポットを浴びた。コーラスを従え、観客に向かって動作を告げる。誰も逆らえない。みな腰に手を当てリズムを取っている。

 まずは左にジャンプだソレ
 そしたらステップ右の方に
 腰に手をあてキュッと
 膝を合わせてサア
 腰を一緒に振り振り振りませい

 劣情のタイムワープあげる
 劣情のタイムワープあげる

 ロゼールを緋色のマフラーが悠然と攫った。ゼルダに手を振り去って行く。
 ゼルダも舞台の少女らも目を剥いたまま動けない。身体が勝手に踊っている。捕らえろと叫ぶも客席はもはや彼女たちのものではなかった。誰も聞かない。皆が踊る。ようやく呪縛を解いて飛び出した少女たちは行く手を観客に阻まれた。

 劣情のタイムワープあげる
 劣情のタイムワープあげる

 そしてフルコーラスを歌い切り、観客は糸が切れたように席に座り込んだ。
 誰もが我に返ったとき、そこには誰もいなかった。瀕死のロゼールはもちろん舞台に湧き出した謎の歌い手や解説員さえもが跡形もなく消え去っていたのである。

 ロゼールが目を開けると薄明りの灯る宿屋の天井があった。
 毛布を口許に引き寄せたままロゼールは目線を巡らせる。壁にはいつもの女給服が掛けられていた。修繕の跡さえなく仕立てた直後のように縁が張っている。
「アタシの神気を吸っているもの、丈夫だしお手入れも簡単なのよ」
 ハルタが耳許でそう言った。そういえばブーツもグローブも宿で磨くたび臭わないなと不思議に思っていたのだ。官舎時代の汚れものなどそれは酷い有様だった。
「アナタもそうよロゼール。アタシが傍にいるんだもの簡単には死ねないわ」
 ハルタの声に寝返りを打って顔を向けると鼻先に妖しい目があった。
「うっわ」
 思わず声を上げて跳ね起きた。
 下着すらないことに気づいて悲鳴を上げ、涼しい顔で隣に寝ているハルタをベッドから蹴り落とした。毛布で身を包み手負いの猫のようにふーっと唸る。
「起き抜けに酷いわねロゼール」
 床から起き上がったハルタがベッドの端に腰掛けた。いつもの接ぎの神官服だ。
「酷いのはおまえだハルタ。寝ている間に何をした」
 毛布の端を掴んだままロゼールは距離を取ってベッドを後退る。
「手当をしてあげただけよ。アナタの純潔の誓約に聴いてみなさいな」
 ロゼールは口を尖らせた。このところ妙に顕在化しているとはいえ内なる誓約は対話できる存在ではない。それでも加護は健在のようでロゼールは胸を撫で下ろした。もし誓約を破って加護を失ってしまったらそれこそ完全に邪教に堕ちる。
「まずは落ち着きなさいな。この宿はアタシが抑えてあるから。お説教はあとよ」
 拗ねてむくれた間を置いて、ロゼールは小さく頷いた。
 改めて身体を確かめてみれば、あれほど深く負った傷は痕も残らず消えていた。邪神の恩恵はその膂力も回復力も二大神閥のいずれより強大だった。それでも、人々から精気を吸い上げ本来の力を取り戻しつつあるあの魔神たちには及ばない。
「このままでは奴らに勝てない」
 ハルタの注いだ湯気の立つカップを両手に抱いてロゼールは小さく呟いた。こっちを見るなとハルタを枕で叩いたせいで背中合わせにベッドの上に蹲っている。
 ロゼールはあの一方的な戦いを振り返る。動物的な攻撃ではない。あれには知性と残虐さがあった。力と速さ、加えて人を超えた特異な技に対処せねばならない。
 しかも相手は五人だ。
「こうなったら、ひとりのところを狙って闇討を」
「アナタそれでも聖騎士?」
 ハルタが背中から呆れた声を掛ける。
「卑怯なのは奴らの衣装だ。あんないやらしい奴に正々堂々渡り合う義理はない」
「アナタの格好もたいして変わらないでしょうに。ロゼールも対抗すれば?」
 ロゼールが怒って後頭でハルタを小突いた。
「私にこれ以上肌を晒せと言うのか」
「脱いだってあっちの方が凄いわよ」
「何だと見てから言ってみろ貴様」
「どうどう」
 ふーっと唸るロゼールの背を背で擦ってハルタが宥めた。負け戦のせいかロゼールの甘え癖はいつにも増して強い。騎士然とした身構えもすっかり消えている。
「だって勝てないって言うから」
「そうね、でも負けてないでしょう?」
 拗ねるロゼールにハルタは言った。
「まだ戦おうと思うならアナタは負けていないのよ、ロゼール。結果が気に入らなければ何度だってやり直せばいいの」
 惚けたように振り返るロゼールにハルタは小さく微笑んで見せた。
 何だってこんなまともなことを言う人が邪神の使徒なんかやってるんだろう。
「そうね、あとは背中を押してあげるだけ。それはアタシの役目だわ」
 ハルタはそう言って肩越しにロゼールの耳許に唇を寄せた。

 傾国過激団と名乗る五人の魔神に支配された街の一角。今は外から訪れる客も少ない宿の二階には、まだ歳若い男女が部屋を取っていた。宿屋の主人は何故か二人についての記憶が曖昧で、前金で貰った宿代の他は容姿もろくに覚えていない。
 明け方近く、不意に響いた絶叫に主人は寝床から転がり落ちた。遅くに風呂や厨房を貸した記憶も少し曖昧でともすれば客がいたことも忘れかけていたのだ。
「そんなの絶対に嫌だ」
 それはうら若き少女の羞恥に満ち満ちた悲鳴だった。

 *****

 傾国過激団の常設会場では今夜も客席一杯の家畜が破滅の歓声を上げている。その様を舞台の上から睥睨し、ゼルダはそろそろこの小屋も幕引きかと呟いた。
 日ごとに精気を吸ってきたが、いよいよ街の住人も枯れ始めた。延命するより、いっそ一気に吸い尽くしこの街を捨てるのも悪くはない。人間はまだ大勢いる。
 試した遠隔の技は持って廻った手順がどうにも鬱陶しい。やはり舞台には手触りのある空気感が欲しかった。直に街を手に入れたい。できればもっと大きな街を。
 最初に降りた王都スカーロフではまだ地霊の域を出ず黒い騎士に街を追われてしまった。だが力を十二分に蓄えた今であれば。王都に凱旋するのも一興だ。
 歓声と精気を浴びながらゼルダはふと舞台袖に気配を感じて目線を向けた。
 唇が艶然と微笑む。すんでに逃した純白の獲物の気配だ。皆も気付いて袖を眺めて舌舐りしている。舞台上の唯ならぬ気配に虚な目の観客たちが動揺し始めた。
 ゼルダは四人と客席を見渡し声援を煽って精気を搾った。素敵なデザートはこれを平らげてからだ。総立ちの観客が一斉に崩れ落ちて行く。
「死に損ないが首を差し出しに来たのかい」
 シトリが嗤って手招きすると、黄金の翼エルドールを手にしたロゼールが舞台に歩み出た。
「おや、もう傷が癒えたのか人の娘」
「いいじゃない汚したいほど可愛らしくてよ」
 寄り添ったベルベットとランジエがロゼールに目を細める。脳裏に描くのは無垢な少女のいたぶり方に他ならず、鼠を前にした白と黒の猫のように微笑んでいる。
「ふん可哀想な子」
 エリーはあどけない顔で吐き捨てた。もちろん憐れみなど微塵もない。
 だがその隣に立つゼルダの目には好奇があった。
「さても我らを惑わすとは、貴様の加護は如何なるものか。アラサークかカジオスか。否、あの脳筋どもにはできぬ技だな。シャラオ、ファブミの絡め手か?」
 五人に対峙して呼吸をひとつ、ロゼールは応えた。
「吠えるな魔神。これは仮の拠り所、貴様らを切り捨てた後には捨てる所存だ」
「あら連れない」
 ロゼールの後ろに緋色のマフラーをした少年が佇んでいた。ゼルダは初めて動揺した。あの人影がよく見えない。確かめようとするほど焦点が合わなくなる。
「貴様何者か」
「この匂い、この匂い、この匂い」
 シトリが鼻の根に小皺を寄せて呟いた。壊れたように繰り返している。
「この匂い」
 血迷って叫んだシトリが人影に飛び掛かった。ゼルダが思わず舌打ちするも、微笑む少年の鼻先に黒刃が突き出され、シトリを弾いて打ち返した。
 それを合図にベルベットが出た。高く上げた脚をロゼールは辛うじて躱した。振り抜いた剣が踵を打って二人は互いに飛び退る。ロゼールは背中に怖気を感じて身を捻った。ランジェの笑みを間近に見る。間際で躱して大きく距離を取った。
「ルクスアンデル舞闘術。それは前線に立つ女性のために編み出された型である」
 唐突に舞台の隅にスポットが射し、畏まった男を照らし出した。学者然としているが、その通る声はどこかファルテリンデの裸襟締め司会の魔神にも似ている。
「個々に筋力を上げた女性もその質量の差は如何ともし難い。だがその肉体の柔軟性を速度に、速度を力に変え、差を補って余りある強力な一撃とする。それこそがルクスアンデル舞闘術。剣であれ拳であれ闘う姿は舞うように美しく猛々しい」
 ロゼールをいたぶりながらも傾国過激団の面々はその解説者に呆然としている。
「だがしかし、それすらも人が人に為す体術。人域を超えた傾国過激団の前にはただ悪戯に最期の時を引き伸ばしているに過ぎない。果たしてロゼール・ワルキュリエの運命や如何に。その身に起死回生の術はあるのか」
 男は大きく両手を掲げよく通る声で言い切ると、ハルタに向かって一礼し舞台の袖に消えた。悪戯な目で舞台を眺めるハルタは聖杖を小さく掲げて礼を返した。
 ハルタにベルベットが迫る。ロゼールが必死に走り寄り切っ先を割り込んで牽制する。笑いながらベルベットが退いた。それをロゼールの弱点と見て弄んでいる。
 ロゼールは視界の隅でハルタを睨んだ。少女たちの間断のない猛攻、否、彼女らにとっては戯れのようなその攻めにロゼールはまたしても圧倒され続けている。
 この底意地の悪い、そしてちょっと顔の良い邪神の使徒は、瀕死のロゼールをにやにやと愉しんでいるだけだ。じきロゼールがそれを為すと知っている。自ら邪教の深みに沈むのを待っているのだ。

「そういえばアナタ聖名授与はまだだったわね」
 宿の二階でハルタは言った。
「契約の御名、洗礼名ね。手っ取り早く力が欲しいなら称名だけでお手軽よ?」
 警戒するロゼールを気にも留めずハルタは無邪気に唇に指先を当てる。
「そうね、これにしましょう。今思いついたの。馬鹿々々しくて素敵な名前だわ」

 エリーの茨が腕を縛った。振り抜けた黄金の翼エルドールが舞台に突き立ち、よろめいたロゼールは堪らず片膝を折った。足首にも茨が這い上がる。
 動くことすら儘ならなかった。
 無関心を装う目、嗜虐の目、蔑む目、嘲笑う目、ゼルダの目だけはロゼールの背の向こうに眇められている。ハルタを意識してロゼールは思い切り悪態を吐いた。
 いくらなんでも、こんな変なの。
「契約の御名にて我に力を」
 口を尖らせ不貞腐れたように呟く。
「ち、」
 言い掛け躊躇い屈辱に赤くなる。小さくぷちぷちとロゼールはそれを口にした。
「ちんちんたちのすけ」
 何が素敵だ。どんなセンスだ。ハルタの頭はどうなって、
 不意にロゼールの思考が断ち切れた。誇りも理性もどこかに消えてしまった。
 手足の茨が四散した。戒めを解いてひと回り、翻るスカートの裾を見てロゼールは笑った。まるで頭の中で音楽が鳴っているようだ。弾む身体を抑えられない。訝しむ目を見渡してロゼールは艶然と微笑みを返した。
 指を立て、どれにしようか端から選ぶ。
「シトリちゃん」
 黒刃を豹柄に蹴り上げ、その先のシトリに追いついた。走る豹柄の四肢に縺れるように身体を絡め、微笑み、突き飛ばし、降って来た剣で真っ二つに割った。
「ベルベットさま」
 ベルベットに近づきスカートを摘まんで一礼しする。踵を上げて激しく打ち合うも、欠伸の仕草して見せた。肢を絡めて引き倒し、笑ってその頚を斬り落とした。
「ランジェ姫」
 後退るランジェの手を引き、太ももの間に脚を捩じ込んだ。身体の柔らかさに挑むように伸し掛かかる。髪を引き下げ胸を突き上げ、双丘に剣を突き立てた。
「エリーたん」
 もはやエリーは竦んで動けなかった。ロゼールは小さな身体を茨ごと抱き寄せると、怯えて仰け反る細い喉を唇で辿った。逆手に替えた剣で背から身体を貫いた。
 幼い嬌声が黒塵になって霧散するのを背にロゼールが振り返る。
「ゼルダ姐?」
 瞬く間に舞台に弾けた黒塵にゼルダは慄いた。霞を割ってゆらりと現れたロゼールの頬は真っ赤に上気している。喘ぐように息を吐きゼルダに濡れた目を向ける。
 舞台の隅でハルタが嗤う。ゼルダが目を遣り、はたと気付いて蒼褪めた。
「よもや、そんな、今生に?」
 ロゼールは眼前に迫っていた。
 伸し掛かるようにゼルダを引き倒し、ロゼールは跨いで馬乗りになった。胸を内腿で圧し潰し擦り上げるように腰を擦る。スカートに陰る唇に股間を押し付けた。
 腰を振り上げ弓のように仰け反るやロゼールは有り得ない体勢のまま逆手の剣でゼルダの腹を刺し貫いた。破裂する黒塵に塗れてすすり泣くような嬌声を上げる。
「神罰、、覿面」
「ええい目を覚ませ、この猟奇破廉恥変態娘が」
 ロゼールの頬を小さな手が張り飛ばした。
 ロゼールが我に返って頬を押さえた。それは掌に乗るほどの小さな人影だ。自分にそっくりで、気づけば幻のように消えていた。じんわり理性が戻って来る。
 ぺたりと舞台に座り込みロゼールは辺りを見渡した。散って行く五つの黒塵を眺め、不意に胃を競り上がる記憶に嘔吐いた。口許を覆って身を屈めるとスカートの下の板間が生温かく潤んでいる。
 真っ先に頭に浮かんだのは「もうお嫁に行けない」の一言だった。
「まだまだねロゼール」
 舞台稽古の先生よろしくハルタが手を叩きながらやって来る。
「名前の最後は『?』よ、問い掛けるように囁くの。次はちゃんと唱えなさい」
「うるさい、だまれ、こっちに来るな」
 半泣きになってロゼールが叫んだ。スカートの下が大変なことになっている。
 あの屈辱的な洗礼名も口に出すだけなら一度は耐えようと思っていた。魔神を倒してこの街を解放するためなら恥など捨てよう、そう健気に決意したのだ。よも理性まで捨てるとは思わなかった。これではどちらが魔神だか分からない。
「もうやだ。もう絶対やらない」
 ハルタを睨んでロゼールは宣言した。この洗礼名は乙女的に割が合わない。
 むしろ律令神アラサークの高潔さが勢いを付けて遠退いて行く。このままでは拙い。一刻も早く王都に向い、例え大司教を脅してでも破門を解かねばならない。
 ロゼールは思いも新たにそう決意しつつ、まずはどうやってハルタにこの下着の惨状を知られないようここから脱出したものか必死に知恵を巡らせるのだった。

 結局、すぐにハルタにばれてしまったが。
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