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7章 ファラリスの奉納品
第27話 交渉
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報告書を眺めて、放り出す。王都の商売も山場を越えた。次の大手は教会だ。第一都市の焚き付けはもっと強く。例のろくでもない列車が役に立つ。金はあっても歴史のない輩が焼け跡の競売を待っている。浅ましい事この上ない。
自分をすっかり棚に上げ、クリスタはふん、と鼻を鳴らした。商いの筋は立っている。面白味はもう何処にもない。こんな報告は紙屑だ。商会連に投げ込めば山羊のように食い付くだろうが、いま欲しいのはそれではない。
金も人手も注ぎ込んだのに、肝心の知らせがまだ届かない。
知らない拍子で扉が鳴った。予定にはない来客だ。手順のままなら串刺しにするところだが、クリスタは扉の奥に目を眇めた。見知った気配を微かに感じる。
ただ、中途半端な神気の遮り方に、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
どうぞ、と応えて錠を解く。
「なに外のあれ。ガラクタ置き場かと思ったよ」
無遠慮に話し掛けながら、人影は執務机に向かって歩いて来た。
「この前の汽車代を払いに来たの?」
散らかった机を片付けもせず、クリスタはアベルを睨んだ。少年は辺りを見渡すと勝手に来客用の椅子を取り、笠木を引いてクリスタの前に置いた。
「商談に来た」
埃を払って腰掛ける。脚を組んでクリスタを見据えた。
「取り引きなら、もうしてるじゃない。それとも、別口?」
だったら、面会の予約を取れ。苛々とアベルを睨みつける。
「どちらかというと、本職の方」
アベルが告げた。
「ザイナスくんを見つけたの?」
抑えようと思いつつ、クリスタはつい身を乗り出してしまった。
あの日、鉄橋の下に見失って以来、ザイナスの行方は杳として知れなかった。自分がこうして地上に留まっている以上、スヴァールに先を越された訳でもない。あの一帯は情報網も滞る森の中で、拾えたのは愚にもつかない与太話だけだ。悶々としていたクリスタだが、アベルの商談も油断はならない。
「いくらで買う?」
ほら来た。
「もともと、あたしのものでしょうに」
クリスタは机に肘を突き、指先を合わせた。その爪越しにアベルを睨む。こいつが余計なちょっかいを掛けなければ、ザイナスを見失うこともなかったのだ。
「でも、今はボクのだ」
「あら、そう?」
クリスタは動揺を噛み殺した。アベルが確保したとなれば厄介だ。
「だけど、あなたが持ってたって意味ないでしょう?」
男の身体に受肉したのは同情するが、魂刈りの資格がない以上、アベルには宝の持ち腐れだ。他の御使いに売る以外、ザイナスの使い道はない。
「ああ、そうそう」
クリスタは勿体ぶってアベルを牽制する。
「スルーズに吹っ掛けたって無駄だからね」
アベルは顔を顰めて見せた。クリスタに真意を悟られないよう、控えめに。
「王都はじきに王党派が競り勝つの。商会がそう決めたから、教会も従うわ。スルーズは失脚して一文無し。それどころか、たぶん丸焼きにされる」
クリスタは、にやりと笑った。
「丸焼き?」
アベルが怪訝な顔をする。
「表に雄牛の彫像を見なかった? あれ、特注の処刑道具なの」
ああ、あれね。アベルはクリスタに頷いて見せる。内心、嫌な汗が噴き出した。
「貴族サマも悪趣味よねえ」
大丈夫、倉庫にある内はただの彫像だ。アベルは自分に言い聞かせている。
「今からあれの試運転なの。残念ながら、人は入れないけど。何ならゲイラ、入ってみる? 上手く行ったら雄牛が良い声で鳴くらしいのよ」
「あー。いや、遠慮しとく」
アベルがそわそわと落ち着きを失くした。目を向けまいとするものの、扉の向こうを意識している。よもや脅しが効いたのか、とクリスタは内心ほくそ笑んだ。
「安心なさい、ゲイラ。王党派の貴族連中は本気でスルーズを処刑する気でいるけど、あそこも馬鹿ばっかりじゃないみたいだから」
そうでなければ、商売は続かない。呆れ顔で語りつつ、クリスタは自慢げだ。
「それは、何より」
アベルが軽い相槌を打つ。彼の意識はまだ背中を向いている。
気分をよくしたクリスタは、お構いなしに饒舌になった。
「古参の親父共が王家筋の生真面目な連中と太くてさ。まあ、そういうのは体裁を繕いたい連中の仕事だから、あたしはお目通りもしないんだけど。第三王女がわざわざシムリスまで援助を取り付けに来たって、しれはそれは――」
「ペトロネラが?」
アベルが俄かに食いついた。
「ちょっと、大事なお客さまを呼び捨てにしないで」
クリスタはむしろ、話の腰を折られたことに口を尖らせる。
ペトロネラ・グランフェルトは、たいそう若いが有能と評判の第三王女だ。イエルンシェルツは聖王家の血統によって成る国家だが、その実、土台はとうに腐敗している。王家が自立を保っているのは、ペトロネラの手腕でもあるらしい。
「スルーズはもう死に体だし、王党派は最後まで教会と張り合って貰わないとね。阿呆な貴族を丸裸にするまで、倒れて貰っちゃ困る訳よ」
ふふん、と笑うクリスタを眺めて、アベルは嘆息した。
「やっぱり、キミの方が自由神向きだよ」
聞こえよがしに呟いて、改めてクリスタに向き直る。
「それじゃ、話を戻そうか。それで、キミは買うの? 買わないの?」
アベルに言われたクリスタは、睨んで鼻根に小皺を寄せた。
「あたしの言い値で良いのよね?」
確かめるクリスタに向かって、アベルは悪戯な目で告げた。
「うん。キミの競合はレイヴだ。しっかり値を考えて」
ぽかん、とクリスタが口を開ける。
「レイヴ? スルーズじゃなくて? 何でこんなところにあの堅物が出てくんの」
アベルは椅子の笠木に腕を掛け、笑みを堪えるような目を遣った。
レイヴは血族神の使い、血統の護り手だ。三柱四組の新聖座では冠絶神、二柱六組の旧聖座では組織神と同じ人神に配される。
「お得意さまなら、ちゃんと顔を合わせなきゃ駄目じゃないないかな」
クリスタの頬から血の気が引いた。
「まさか――はったりよね?」
アベルが目を細める。
「さあ、いくらでザイナスを買う?」
息を詰め、クリスタが唸る。奥歯が擦り切れるほど歯噛みした。嘲笑うようなアベルの笑顔を、思い切り睨みつける。頷く気がない。交渉は無理だ。
「ザイナスくんは何処?」
絞り出すように問う。そんな彼女を平然と見つめ返し、アベルは言い放った。
「ねえ、キミの流儀に乗ってあげてるんだ。ザイナスの価値を聞こうじゃないか」
横から邪魔をしておいて、盗んだザイナスを売りつける。こんなのはイカサマだ。自由神の使いなんかと、まともな取引きができる筈がない。
「さあ、キミの言い値はいくらかな?」
クリスタは大きく息を吸い込んだ。頭を冷やして気を落ち着けようとした。アベルを睨んで椅子に背を預け、両手をだらりと床に垂らした。
「じゃあ、教えてあげる」
クリスタは椅子の脚に仕込んだ鎖を引いた。
栓の弾ける音がして、部屋そのものが跳ね上がった。棚の中身が転げ落ち、束ねた書類が散乱する。クリスタの背中の壁が沈んだ。黒々とした広い闇がある。不意に幾つもの燈が灯り、クリスタの向こう側を煌々と照らし上げた。一見、大小の白い箱が積まれた広い倉庫だ。ただ、無駄に造作が凝っている。
「これが――」
どうしたの。訊ねようとしたアベルの前で、積まれた箱が勝手に割れた。転がり、重なり、床を這う。箱が解けて内側が覗くたび、細やかな細工が現れた。
気づけばそこには、絢爛な台座、複雑な細工の飾り窓、白銀の盾を捧げ持つクリスタに似た豪奢な聖像。そして、巨大な単神の印章があった。
組織神の祭壇だ。
祭壇を微細な部位を分け、機能させずに隠蔽していたらしい。明らかに御使いを想定した兵装だ。クリスタの霊気が目に見えて満ちて行く。
アベルにとっては息が詰まるほどの圧迫感――の筈だったが、クリスタの背にある聖像の体型を見て、アベルは呆れたように呟いた。
「よくもまあ恥ずかしげもなく。キミ、盛ってやしないか?」
「うるさいわね」
クリスタが目尻を朱くした。結果が全て、と気を取り直す。不敵に笑って席を立ち、執務机にばん、と手を突いた。アベルに向かって身を乗り出す。
「どうよ。これで、ここはあたしの縄張り。この前みたいにいかないからね」
アベルは呆れた笑みを崩さずにいる。
「こんなの、いつの間に?」
「いつか来ると思ってたの。あたしの周りを嗅ぎまわってるのは知ってたから。さすがは盗賊の神の使徒。でも、信徒がカネ次第ってのも考えものだわねえ」
手下が買収されたのだろう。とはいえ、自由神の道義には反していない。アベルもそれは見越している。もちろん、審判では魂を砕くつもりだ。
「切り札は取っておくものよね」
そう言ってクリスタは笑った。
「まったくだ」
アベルは応えて肩を竦めた。
自分をすっかり棚に上げ、クリスタはふん、と鼻を鳴らした。商いの筋は立っている。面白味はもう何処にもない。こんな報告は紙屑だ。商会連に投げ込めば山羊のように食い付くだろうが、いま欲しいのはそれではない。
金も人手も注ぎ込んだのに、肝心の知らせがまだ届かない。
知らない拍子で扉が鳴った。予定にはない来客だ。手順のままなら串刺しにするところだが、クリスタは扉の奥に目を眇めた。見知った気配を微かに感じる。
ただ、中途半端な神気の遮り方に、ほんの少しだけ違和感を覚えた。
どうぞ、と応えて錠を解く。
「なに外のあれ。ガラクタ置き場かと思ったよ」
無遠慮に話し掛けながら、人影は執務机に向かって歩いて来た。
「この前の汽車代を払いに来たの?」
散らかった机を片付けもせず、クリスタはアベルを睨んだ。少年は辺りを見渡すと勝手に来客用の椅子を取り、笠木を引いてクリスタの前に置いた。
「商談に来た」
埃を払って腰掛ける。脚を組んでクリスタを見据えた。
「取り引きなら、もうしてるじゃない。それとも、別口?」
だったら、面会の予約を取れ。苛々とアベルを睨みつける。
「どちらかというと、本職の方」
アベルが告げた。
「ザイナスくんを見つけたの?」
抑えようと思いつつ、クリスタはつい身を乗り出してしまった。
あの日、鉄橋の下に見失って以来、ザイナスの行方は杳として知れなかった。自分がこうして地上に留まっている以上、スヴァールに先を越された訳でもない。あの一帯は情報網も滞る森の中で、拾えたのは愚にもつかない与太話だけだ。悶々としていたクリスタだが、アベルの商談も油断はならない。
「いくらで買う?」
ほら来た。
「もともと、あたしのものでしょうに」
クリスタは机に肘を突き、指先を合わせた。その爪越しにアベルを睨む。こいつが余計なちょっかいを掛けなければ、ザイナスを見失うこともなかったのだ。
「でも、今はボクのだ」
「あら、そう?」
クリスタは動揺を噛み殺した。アベルが確保したとなれば厄介だ。
「だけど、あなたが持ってたって意味ないでしょう?」
男の身体に受肉したのは同情するが、魂刈りの資格がない以上、アベルには宝の持ち腐れだ。他の御使いに売る以外、ザイナスの使い道はない。
「ああ、そうそう」
クリスタは勿体ぶってアベルを牽制する。
「スルーズに吹っ掛けたって無駄だからね」
アベルは顔を顰めて見せた。クリスタに真意を悟られないよう、控えめに。
「王都はじきに王党派が競り勝つの。商会がそう決めたから、教会も従うわ。スルーズは失脚して一文無し。それどころか、たぶん丸焼きにされる」
クリスタは、にやりと笑った。
「丸焼き?」
アベルが怪訝な顔をする。
「表に雄牛の彫像を見なかった? あれ、特注の処刑道具なの」
ああ、あれね。アベルはクリスタに頷いて見せる。内心、嫌な汗が噴き出した。
「貴族サマも悪趣味よねえ」
大丈夫、倉庫にある内はただの彫像だ。アベルは自分に言い聞かせている。
「今からあれの試運転なの。残念ながら、人は入れないけど。何ならゲイラ、入ってみる? 上手く行ったら雄牛が良い声で鳴くらしいのよ」
「あー。いや、遠慮しとく」
アベルがそわそわと落ち着きを失くした。目を向けまいとするものの、扉の向こうを意識している。よもや脅しが効いたのか、とクリスタは内心ほくそ笑んだ。
「安心なさい、ゲイラ。王党派の貴族連中は本気でスルーズを処刑する気でいるけど、あそこも馬鹿ばっかりじゃないみたいだから」
そうでなければ、商売は続かない。呆れ顔で語りつつ、クリスタは自慢げだ。
「それは、何より」
アベルが軽い相槌を打つ。彼の意識はまだ背中を向いている。
気分をよくしたクリスタは、お構いなしに饒舌になった。
「古参の親父共が王家筋の生真面目な連中と太くてさ。まあ、そういうのは体裁を繕いたい連中の仕事だから、あたしはお目通りもしないんだけど。第三王女がわざわざシムリスまで援助を取り付けに来たって、しれはそれは――」
「ペトロネラが?」
アベルが俄かに食いついた。
「ちょっと、大事なお客さまを呼び捨てにしないで」
クリスタはむしろ、話の腰を折られたことに口を尖らせる。
ペトロネラ・グランフェルトは、たいそう若いが有能と評判の第三王女だ。イエルンシェルツは聖王家の血統によって成る国家だが、その実、土台はとうに腐敗している。王家が自立を保っているのは、ペトロネラの手腕でもあるらしい。
「スルーズはもう死に体だし、王党派は最後まで教会と張り合って貰わないとね。阿呆な貴族を丸裸にするまで、倒れて貰っちゃ困る訳よ」
ふふん、と笑うクリスタを眺めて、アベルは嘆息した。
「やっぱり、キミの方が自由神向きだよ」
聞こえよがしに呟いて、改めてクリスタに向き直る。
「それじゃ、話を戻そうか。それで、キミは買うの? 買わないの?」
アベルに言われたクリスタは、睨んで鼻根に小皺を寄せた。
「あたしの言い値で良いのよね?」
確かめるクリスタに向かって、アベルは悪戯な目で告げた。
「うん。キミの競合はレイヴだ。しっかり値を考えて」
ぽかん、とクリスタが口を開ける。
「レイヴ? スルーズじゃなくて? 何でこんなところにあの堅物が出てくんの」
アベルは椅子の笠木に腕を掛け、笑みを堪えるような目を遣った。
レイヴは血族神の使い、血統の護り手だ。三柱四組の新聖座では冠絶神、二柱六組の旧聖座では組織神と同じ人神に配される。
「お得意さまなら、ちゃんと顔を合わせなきゃ駄目じゃないないかな」
クリスタの頬から血の気が引いた。
「まさか――はったりよね?」
アベルが目を細める。
「さあ、いくらでザイナスを買う?」
息を詰め、クリスタが唸る。奥歯が擦り切れるほど歯噛みした。嘲笑うようなアベルの笑顔を、思い切り睨みつける。頷く気がない。交渉は無理だ。
「ザイナスくんは何処?」
絞り出すように問う。そんな彼女を平然と見つめ返し、アベルは言い放った。
「ねえ、キミの流儀に乗ってあげてるんだ。ザイナスの価値を聞こうじゃないか」
横から邪魔をしておいて、盗んだザイナスを売りつける。こんなのはイカサマだ。自由神の使いなんかと、まともな取引きができる筈がない。
「さあ、キミの言い値はいくらかな?」
クリスタは大きく息を吸い込んだ。頭を冷やして気を落ち着けようとした。アベルを睨んで椅子に背を預け、両手をだらりと床に垂らした。
「じゃあ、教えてあげる」
クリスタは椅子の脚に仕込んだ鎖を引いた。
栓の弾ける音がして、部屋そのものが跳ね上がった。棚の中身が転げ落ち、束ねた書類が散乱する。クリスタの背中の壁が沈んだ。黒々とした広い闇がある。不意に幾つもの燈が灯り、クリスタの向こう側を煌々と照らし上げた。一見、大小の白い箱が積まれた広い倉庫だ。ただ、無駄に造作が凝っている。
「これが――」
どうしたの。訊ねようとしたアベルの前で、積まれた箱が勝手に割れた。転がり、重なり、床を這う。箱が解けて内側が覗くたび、細やかな細工が現れた。
気づけばそこには、絢爛な台座、複雑な細工の飾り窓、白銀の盾を捧げ持つクリスタに似た豪奢な聖像。そして、巨大な単神の印章があった。
組織神の祭壇だ。
祭壇を微細な部位を分け、機能させずに隠蔽していたらしい。明らかに御使いを想定した兵装だ。クリスタの霊気が目に見えて満ちて行く。
アベルにとっては息が詰まるほどの圧迫感――の筈だったが、クリスタの背にある聖像の体型を見て、アベルは呆れたように呟いた。
「よくもまあ恥ずかしげもなく。キミ、盛ってやしないか?」
「うるさいわね」
クリスタが目尻を朱くした。結果が全て、と気を取り直す。不敵に笑って席を立ち、執務机にばん、と手を突いた。アベルに向かって身を乗り出す。
「どうよ。これで、ここはあたしの縄張り。この前みたいにいかないからね」
アベルは呆れた笑みを崩さずにいる。
「こんなの、いつの間に?」
「いつか来ると思ってたの。あたしの周りを嗅ぎまわってるのは知ってたから。さすがは盗賊の神の使徒。でも、信徒がカネ次第ってのも考えものだわねえ」
手下が買収されたのだろう。とはいえ、自由神の道義には反していない。アベルもそれは見越している。もちろん、審判では魂を砕くつもりだ。
「切り札は取っておくものよね」
そう言ってクリスタは笑った。
「まったくだ」
アベルは応えて肩を竦めた。
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