父の仇に許された

はに丸

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第二部

もう一人の息子

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 晋での政変が起きていたその時期、もちろん他国でも様々な動きがあった。当時はゆったりはしていても、情報の伝達は早い。
 南方の雄、が文公を助けた成王から息子の商臣しょうしんへ代替わりしたのは前述した。成王は太子に据えた商臣が気に入らなくなり廃嫡しようとして逆に反逆された。その際、
「熊のてのひらを食べてから死にたい」
 と息子に請うたが許されず、縊死いしを強要された。現代の人間からすれば最後に望むものくらい食べさせてやれ、となるのだが、実は熊の掌を調理するに当時は二ヶ月を要したとされている。つまり、成王は二ヶ月猶予をくれと暗にいい、むろん反乱者である息子は許さなかった、ということである。名君と謳われた王は己の移り気により首を吊って死んだ。
 こうして楚に君臨した商臣は、晋が思っていたよりも早く国を掌握してしまった。この商臣は、野心溢れる壮年の男盛りで、亡きじょう公が東奔西走させられた要因でもある。西のしんと対立を深めていたあの時、もっと混乱するかと思われた楚は好戦的な王を迎えてしまった。そして、今、晋は幼君を立て内紛まで起きている。
「王よ。晋は君公まだ幼く、諸侯のことなど考えてられぬようす。このまま北の国々を伐ち、さらに威勢を広げてはいかがか」
 大夫の一人が言う。ちょうど、晋が箕鄭きていの乱にかかずらっている時期であった。
「それはいい」
 今はじめて聞いたような顔をして商臣は言うが、むろんその気はあったにちがいない。が、商臣は父より慎重な部分があり、やや陰性でもある。果敢であるが重みもあった。また、楚は王室から分かれた臣が強く、対立と粛正も多い。王権が強いながらも足元を見なければどうなるかわからない国である。父を死なせて取った王座であり、商臣が少々慎重であるのも仕方があるまい。
 そのような足元であるが、決めれば早く、容赦も無いのが商臣であった。そして楚が最初に、なおかつ最も狙うのがていである。
 生前の先克せんこく趙盾ちょうとんに進言したように、鄭は中原で一、二を争う重要な位置にある。東西の要であり、南北の要という中心に近く、周や晋と接し、他の東国や楚とも接している。鄭が晋につけば東国国家は晋になびき、楚につけば楚に身を寄せざるを得ない地勢であった。
 商臣はただちに出陣し、鄭を伐って楚に屈服させた。その報が届いたとき、晋はようやく箕鄭らを片付けたころであった。趙盾が六卿を全員そろえさせたとはいえ、即座に対応できる状況であるとはいえなかった。
「鄭が我が国に助けを求めることなく楚に降りました。この議にて問いたいと思う。はっきり聞こう、楚を伐ち鄭を戻せると思うか、です」
 趙盾がしずしずと議にあげた。
「まず私から申し上げます。楚を伐てるかどうかわかりませぬが、覇者として派兵せねば東の列国は心が離れます。一刻も早く出るが良いかと」
 次席の荀林父じゅんりんぽが口を開いた。常識的な意見であり、荀林父らしい。趙盾は頷くが、納得しないようであった。とりあえず出ても勝てねば結局意味が無い。戦うだけ無駄ではどうしようもないと思ったのであろう。ゆえに
べん。楚への勝算は」
 と、己の飼い犬に投げた。席順をすっ飛ばされた郤缺げきけつは苦笑する。趙盾は序列に厳しいため、これは上軍の佐に問うたのではなく、臾駢ゆべんというを確認したのであろう。実際、臣に対する態度である。臾駢は気を悪くした様子はない。趙盾のそのような扱いになれているらしい。
「問われましたゆえ、恐れながら申し上げます。先のけいの方々の乱により晋内は揺れており、数はあっても実が伴っているとは申せません。糧食は東国に用意させるとしたとしても、備えも盤石とは言いかねぬ。また、楚は乱を終え年が経っており楚子そしの元ひとつにまとまっておりますゆえ、諸事動きが早い。私はまつりごとわからぬ身なれど、戦としてはお勧めできませぬ」
 武張った様子で臾駢は平伏した。年は郤缺より少し上か。臾駢の言葉はおおむね正しい。晋は今、統一感が無く、三軍全てで向かったとしても万全に動けまい。その上、郤缺と荀林父の軍は先日までの箕鄭の乱で出ている。たいして戦はしていなくても、籠城につき合ったために疲労はあった。新たな下軍といえば、胥臣しょしんの子である胥甲しょこうは少し戦についていった程度であり、欒盾らんとんにいたっては間が悪く戦争に出ていないらしい。趙盾は自他共に認める戦争がわからない男である。精気みなぎる楚軍との戦いは勝ち目が低い。
「お声かけいただいておりませぬが、よろしいか正卿せいけい
 郤缺は柔らかい声音で口を開いた。趙盾がお願いします、と返す。
「我が国は君公幼く、また不埒なものどもが乱を起こしたばかりで外の状況がなかなかにわかりませぬ。私のほうから東の近き国であるにお伺いを立ててみてもよろしいか。先年、魯は我らの代わりに東国を見ておられた。きっとお力になってくれるでしょう」
 趙盾が考えるそぶりを見せた。一見沈思し、いっそ困惑しているようにも見える、薄い表情である。が、士会しかいがその場におれば、苦々しい顔で
 それが良いならそう言え
 と吐き捨ていたにちがいない。実際、趙盾はそう来たか、と感心し心を動かしていた。郤缺の言葉は、晋は魯が呼ぶまで動かない、ということが一つ。もう一つは正卿趙盾ではなく三席郤缺からの言葉により、正式ではないが圧力がかけられる、ということである。魯が晋の内情をおもんぱかってどう動こうとも、それは魯の善意となる。
「あの、おそれながら発言よろしいでしょうか」
 下軍の将である欒盾がおずおずと願いでる。事実、順序でいえば彼の発言とはなる。これ以上何を言うのかと、趙盾は促し、郤缺も荀林父も見た。
「私はまつりごとに関わるは初めて、慣れぬ身でわからぬこと多く、伺いたい。今から魯へご連絡し、そこから魯が動いたとします。そうすると我らが駆けつけたときに、楚は退いておられませぬか?」
 欒盾の言葉はあまりにも率直だった。荀林父が困った顔を欒盾に向け、趙盾にも視線を泳がす。趙盾は静かな顔で欒盾を見た。郤缺は舌打ちしそうになるが、とどめた。確かに、家を守る以外はできぬ、というわけである。
「それが何か?」
 趙盾が薄い表情のまま返す。欒盾が意味が分からなかったらしく見渡し、下席の胥甲へ向いた。胥甲は小声で、どうあっても負けるのだ、と欒盾に返していた。それだけではないが、と思いつつ郤缺はふっと軽く息を吐くと欒盾へ向き笑みを浮かべた。
欒伯らんぱくのご心配ごもっともです。しかし、それは魯の方々のお働き次第です。我らは、いつでも差配できるよう備えましょう」
 狐につままれたような顔をして、欒盾はわかりました、と頷いた。たぶん、よくわかっておらぬ、と郤缺は思った。確かに欒枝らんしはこの嗣子ししをかわいがったであろうが、資質はどうしようもなかったのであろう。欒盾と己は年が近い、となんとなく郤缺は思った。
 郤缺は昨年、魯で慌てて飛び出してきた公子すいにあてて、書を送った。敬愛に満ちた挨拶を述べ
「私どもは覇者として東をよく見ねばなりませぬが、あなたがた様もご存じの通りなかなかに手が届かず、先年もそちらのお手を煩わせております。このたび、東の方で何か騒動があったとお伺い致しましたが、私どものお力はご入り用でしょうか。もしお困りならお呼びください、すぐに駆けつけますゆえ」
 と、悠長な内容である。しかし魯は何を悠長なと笑い飛ばさなかった。先年、晋を無視していい気になっていたのだ、お前が音頭をとれ、ということである。そして、このような書を送ってくる以上、晋に戦う気が無いのだと公子遂は途方にくれたくなった。鄭が楚に侵されれば、楚と鄭に接しているちんそうが危うい。そうなれば、えい、そして魯も足元に火がつく。魯は北側をせいに押さえられ圧迫を受けている。しかし南方は宋が挟まり楚の圧力を直接には受けていない。接している斉よりも少し遠い晋に支配されるほうが身の危険は少ないのだ。が、ここで晋が楚と戦わないと暗に言ってきた。
 魯としては、さっさと来てくれ、と思い、鄭をなんとかしろとも思ったが、その問答に時間を費やすわけにもいかず、晋に助けを求め、宋、衛、きょの三国を呼び、
 鄭を救援しましょう
 と音頭をとった。むろん、戦わぬとわかっている晋は趙盾が向かう。そうしてたどり着いた頃、楚はとっくに兵を退いていた。鄭は楚にすでにくだっているため、救援のしようがない。
「この度は楚の動きが早く、鄭を助けることかないませんでした。が、私どもの君公は覇者としてみなさまをお支えしたいと申しておりました。お困りのときはお声かけください」
 悪びれる様子もない趙盾に、公子遂も他の国の大夫も黙り込んだ。助けを呼ばねばいかぬ、と言ったようなものである。が、衛のものは少し息をついていた。衛は常に晋の圧迫に苦しんでいたが、趙盾の政権はそこは優しい。呼べとは言うが締め付けは低い。圧力が減ったということは晋の国力の低下でもあるのだが、そこは目をつむった。
 結果だけを見れば、趙盾以下、各国の代表者は何もせずに帰った。史書では君命を守らなかったと非難されている。が、他国はともかく晋の君命とは何か。趙盾は、
 夷皋いこう曰く、覇者としてみなを支えたい
 などと言い放ったが、幼い彼がそのようなことを言うはずがなかった。
 楚は鄭だけでは物足りなかったらしく、陳もくだしている。陳は鄭よりさらに楚に近い小国である。が、晋は楚に対して少々甘くみているようであった。欒盾が鄭、陳と楚の傘下に入ったことで不安がり、議にあげた。荀林父が
「楚は王族が多いですので、他国が困るのです」
 と婉曲に言ったが、欒盾はいまいちわからないようであった。郤缺は仕方なく
「楚は王族、王室から出た重臣が他国に賄賂を要求する国です。また、貰い受けるときも横柄ですから楚子がいかに名君であろうと、離反したがる国は必ず出るものです」
 と、直裁に言った。欒盾は思い至りませぬで、と、恥ずかしそうに言う。その様子はそのまんまお育ちの良い名門の跡継ぎといったさまである。話せば教養もあり常識的な考えを持つ好人物であったが、致命的に政治の才が無い。軍事もしかり。や史官であれば最良である、と郤缺は思った。彼の家格はこれ以上がない。ゆえに野心もなく――身の程知らぬ夢も見たことがない。この男は、決まり切った道を歩み、波乱も無く死ぬ。
 そこまで考え、郤缺は少し気にしすぎだ、と苦笑した。欒枝が死んで五年である。まだ日が浅いか遠いか己ではわからぬ。しかし五年も経っているのであるから、確かに気にしすぎであった。
 年が改まり、夷皋は十二才となった。年のわりには幼い印象がある。正月の朝政ちょうせいで不安そうに、たどたどしく教えられた言葉を紡いでいた。趙盾は正卿の席におり、離れている。しかし、夷皋は隣に立っているような圧迫を感じ、息がつまりそうであった。郤缺はぬかずきながら、幼君が怯えていることに気づいたが、さすがに趙盾一人に怯えている、までは思い至らなかった。政堂の空気に圧倒されているのか、とだけ思った。郤缺や他の者が楽観的、とは言えまい。趙盾が毎日朝政の報告をしていることは知っていても、こまごま長々と話し、夷皋の私生活も心も圧迫しているとは知らぬのである。
 夷皋が言葉を終えると、趙盾がきれいな所作で立ち上がり、夷皋の傍へ向かう。見事な拝礼のあとに、うやうやしく夷皋の手をとって、お疲れでしょう、お戻りください、また報告にあがりますゆえ、と連れていく。いつもの光景であった。
「……もう君公は十二であろう、少し過保護ではないか」
 父に似ず口が軽いらしい胥甲が呟いた。ここは父に似て節度がある欒盾がお静かに、小声で叱った。これで二人とも郤缺と近い年であるのだから、苦笑いするしかない。席に戻った趙盾は改めて朝政を続けた。
「先年は秦を見過ごしました。さすがにこのままではいかぬうえ、今年は秦のお相手をせねばなりませぬ。が、晋は内を固めたい。西の方にはほどほどで、東に関しては郤主にお願い申し上げる。公子遂とご交情深くなったと伺っております。また、文公遺臣四卿ありしとき、上軍は外向きのことをされておりました。郤主げきしゅは上軍の将ですので、うってつけでしょう」
 趙盾は本格的に内政に取り組みたいらしい。先年に秦がとった地は晋にとってそこまでの要地ではない。つまり、晋もたいした要地ではないところを狙って取れば良い。そうして、秦にしょうもない戦をさせれば良いということである。そして東、つまり東国と楚に関しては郤缺である。
 ――上軍がやっていた
 欒枝と同じことをしろ、という意味である。彼は情報を常に集め、言わば外交を担当していた。家格としてもやりやすかったであろう。郤缺には家格はないが、情報のつるは受け継いでいる。感慨深くないと言えば嘘である。
「非才なれど、大切なお役目です、謹んで承り務めましてございます」
 郤缺は拝礼し応じた。氏族はすっかり郤缺に馴染み、いくつかは傘下に入っている。郤氏は晋の中で有力貴族の一つとなってきた。欒家ほどでなくとも、箔はあるであろう。
「郤主は外向きのことをされるに、財がいささか足りぬと君公もおおせです。ゆえ、駒邑くゆうを与えるとのこと、よろしくお励みください」
 趙盾の言葉に、郤缺は、ありがたきこと、と拝礼する。げき氏にとって大切なゆうとなったらしく、郤缺の孫は駒伯くはくというあざなで呼ばれている。ともあれ、郤缺は外交とともに軍拡を命じられたようなものであった。どうも、趙盾は郤缺をすり切れるまでこき使うつもりらしい。
「それでは、正卿、皆々様、私のやり方でよろしいか」
 郤缺は柔和に笑みながら、みなをゆっくり見渡し言った。趙盾は特に反応しない。すでに命じたのである、二度同じことを言う男ではない。他の者も頷いた。
「それでは先に申し上げる。楚子は勇猛果敢なかたで熱心なお人だ、今年も東国を攻め立てるでしょう。地勢としては宋が危うい。が、今年一年は宋に自力でなんとかしてもらいます。私は楚を探りながら魯とはかりますゆえ、皆様浮き立たぬよう願う」
 郤缺の言葉を受けて、荀林父が口を開く。
「それでは、郤主には東のことよろしくお願い申し上げます。秦に対しては中軍と下軍でいきたいと願います、いかがでしょうか、正卿」
 そのように、攻め立てる日をお教えください、と言って趙盾は議を締めた。軍事に疎い趙盾はこのような時に下手に口を出さないつもりらしい。適材適所と言ったのは誰であったろうか。
 下軍の二人が少々置いてけぼりになっていることに気づいたが、荀林父が育てるであろう、と郤缺は視野の外に放りだした。欒枝が箕鄭を指し、の面倒を見ねばならぬのかと腹を立てていたことを思い出す。全くである、こどもの面倒など見てられぬ。当時の己は少し甘えていたのであろう。
 さて、郤缺の言うとおり、楚は宋に色気を出し、圧力をかけ、屈服させようとした。九割くだったといってよい状態であったが、一割の機転で、侵攻を切り抜けている。が、郤缺は楚の内部が荒れていることを探り知った。王の暗殺未遂が企てられ、宋への侵攻前に二人の大臣が粛正された。足元が弱いから外に向くのだ、と軽く目をつむって考える。
「さて、魯と仲良くせねば、な」
 郤缺は勝手に昵懇としている公子遂に対し、書をしたためる。郤缺が一人で外交の場に出るのはこの翌年となる。
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