父の仇に許された

はに丸

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第二部

よろこびを告ぐ

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 士会しかいの亡命は、見事としか言いようがなく、士会を知っていたものどもはもちろん、詳しくなかったものも舌を巻いた。
 君命くんめい――実際は趙盾ちょうとんが命じたのだが――を遵守し、秦軍を追い払った。彼が立ち去ったのは翌日であるため、命じられた任務は完璧にこなしている。また、下賜された随邑ずいゆう邑宰ゆうさいを通じ返却の書を公室に送っている。そこには、邑宰の人となり、下役や民の数、ゆうの収穫の見込みも全て記載されていた。自邸に関しては全て掃き清められ、氏の長、すなわち兄の士縠しこくに管理もしくは処分を願う書を送っている。その際、亡命に連れていなかった士氏のものどもも、兄に返している。戦での手勢、家族以外は引き連れなかった。
 交際のあったであろう友、昔の同僚など、個人的なつきあいの人々には書も無く、何の匂わせも無い。郤缺げきけつも、もちろん知らされていない。が、郤缺は亡命を知らされ、驚かなかった。
 そんな男だ
 すんなりと納得できるものがあった。士会が、趙盾に協力させられているであろうことは察せられていた。郤缺は戦争が円滑にことがすすむと止めなかった。士会は郤缺に文句があったわけでは、もちろん無いであろう。個人的に趙盾が不快である、というわけでもない。
 ただ、晋の感情に流された政治方針や、そこに至るまでの血腥さ、それを良しとするものどもを見て、呆れ、嫌気がさしたのである。が、身分上、それを口に出すのは僭越せんえつとなる。政治に口出しできる立場でなく、また、兄を差し置くこととなる。謀議などもってのほかである。ゆえに、さっと捨てた。罪無く、怨言おんごんも無く、任務を全て終え、全てを返し、誰にも漏らさず、一言も残さず。彼の亡命で迷惑をこうむった人間は一人もいなかった。士会が不満を抱いていたという事実より、
 このように見事な去りかたをするとは、士氏の末子は謙遜で恥を心得ている
 と、その人柄を晋人たちは噂した。士氏を士縠しか知らなかったものどもも、そのような弟がいたのか、兄も誇りに思っているであろう、と感心していた。が、士縠はもぬけの空になった邸を茫然と見ながら
「何故ひとこと、言わぬ」
 と呟いている。士会はもはや士縠から独立しており、進退をわざわざ言う必要は無くなっている。ゆえに、理屈は合う。逆に事前に知らされれば、士縠は口をすっぱくして止めたであろう。弟が心配というだけでなく、士氏の勢力が減るのである。それがわかっていたから、士会は黙って消えた。
 さて、郤缺は、寂しさを覚えつつもったいないことだ、という程度で流したが、息子はそこで終わらなかった。聞かされた、十代半ばも越えた嗣子しし郤克げきこくは、わっと泣きだしてしまった。このあたり、情が強い郤氏の血があらわれている。この少年は泣きむしなのではなく、喜怒哀楽全てにおいて表に強く出やすい性質なのだ。
士季しきは、俺が成人のときに、言祝ことほいでくれると、言ったのに! 嘘つきだ!」
 士会の亡命を伝えた父、つまりは郤缺の隣で、突っ伏してわあわあと泣いた。彼は十になる前から士会を兄と慕い、教示されていると共に私淑もしている。兄であり英雄であり理想像であった。それが忽然と、何の断りもなく消えたのである。その年になって情けない、と郤缺は怒鳴らなかった。その体を抱き寄せ、頭を撫でながら思う存分泣かせた。やはり、この男はどこか過保護であった。
 趙盾と言えば、士会の亡命にかかずらっていられぬ。秋になり、夷皋いこうの即位を正式に発するため、ていへ出発、各諸侯と会盟かいめいをした。夷皋は幼年のため連れて行っていない。そうそうたる顔ぶれであり、東の大国・せいをはじめ、そうえいていきょそうの各君主がはせ参じている。よくよく見れば、ほぼ重耳放浪時の関係国家であり、覇者の威光がわかろうものであった。この時、公が遅参したという記録があるが、間に合ったかどうかが疑わしい。春秋左氏伝の記載作法によると、顔を合わさなかった可能性がある。魯はこの年の春、晋の後継者争いによる混乱に乗じて、小国のちゆを伐っている。つまりは属国化したに等しい。また、同年、魯にてきが襲来し、救援を晋に頼んでいる。が、趙盾は派兵せず、狄に亡命した狐射姑こやこを通じて狄を詰問させるに留まっていた。結果的に侵攻は終わったのであるが、魯としては不満や侮りができたがために、わざと会盟に遅れたのかもしれない。
 しかし、趙盾は問題にはしなかった。彼は魯を完全に無視して、儀式を行ったのである。各国諸侯も国を開け続けてはられぬ。趙盾も悠長に待つつもりはない。遅参した魯が何を思ったのか、史書ではわからない。
「会盟は滞りなく無事終わり、我が君の即位を諸侯みなさまにきちんとご連絡できたこと、ここに報告いたします。私がいない間、問題はございましたか」
 さっさと帰国した趙盾が、政堂でみなを見渡し、言った。君主の席はもちろん誰もいない。そして、晋の政事に限っていえば問題は無かった。一応みなけいである。日々の事務的な議は処理できる。反趙盾の箕鄭きていとしてはこの隙に己の権勢を強固したかったであろう。が、ちょう氏と繋がっていない氏族は思ったより反応が悪い。はっきりいえば、箕鄭を少々迷惑がっているようである。もちろん、その裏には郤缺がいる。昨年、郤缺はすでに手を回していたのだ。
「先のご内室が政席の前で泣き訴えていた件、みなに不安を与えるからと後にきちんと朝廷にてお知らせするはずが、噂が先に立ち、氏族の方々を困らせてしまったよし。卿の末席としてお詫び申す」
 夷皋を太子と立てたときに郤缺が氏族の長たちをできるだけ集め謝罪し、来ぬものにも丁寧な書を送った。集まったものたちは驚き、
箕子きしがここだけの話と教えてくれた」
 といくつもの声があがった。ここだけの話が、複数である。氏族たちの間に箕鄭への不審が生まれていく。その時、郤缺は即座に微笑し手で制した。
「箕子は文公に信の大切さを奏上したお方です。政事のことをお話されたのはよほどのことなのでしょう。行き違いやもしれませぬ。私のほうから折を見て、氏の長たちのお言葉、お伝えしよう」
 氏族たちは、いちいちいらぬ、とこちらも笑って言った。耳打ちをするだけした箕鄭はどうでもよくなり、咎めもせぬのに謝った郤缺の誠意が胸に残った。
 欒枝らんしを介し数年かけて信頼を得た郤缺と、いきなり近づいてきた箕鄭では、心の開き方が違った。箕鄭としては文公寵臣の一族に対抗し、政治に参画できぬ大夫や士大夫と手を繋ぎたかったのであろう。まさか郤缺が握っているとはつゆ知らぬ。そのあたり、郤缺は水面の下に潜っていた。氏族たちにも、己は上に立つわけでも閥や密議をするわけでなく、何かのおりに支えたいのだ、という姿勢を見せていた。欒枝のように保護者面せず、各々の自主性を尊重する、というていで行動を握っているのだが、おめでたいことに氏族たちは握られている自覚はあまりない。
 とりあえず、箕鄭は思ったよりも力を集めることもできず、法にかかりきりの士縠と愚痴という名の相談をするだけに終わった。
 この箕鄭と手を組んでいる先都せんとである。先蔑せんべつがいなくなり、先都と先克せんこくがお互いを見張り合う状況となった。先克の後ろに趙盾がいるわけではない。が、先克は勝手に趙盾を押し出して対抗した。先都は
「誇りあるせん氏の直系は趙氏の走狗となった! なんということだ」
 と、己の派閥に対して言い、先克派を揺さぶる。先克も
「まつりごとも考えず、我が一族の話を政堂に持ち込み、他の卿にご迷惑をおかけしている。我が叔父は、本当に祖父殿の息子か。かの祖父殿は己の恥を知り、戦場に散った。叔父上は恥を知らぬ」
 と己の派閥に嘆く。先克の祖父はもちろん、先軫せんしんであった。実際、史書の発言や行動を見るに、先克は先軫の血を彷彿させる部分はある。しかし、若く経験が浅すぎた。先都を牽制するために、軍事目的と称して菫陰きんいんにある地を奪っている。その地は蒯得かいとくという大夫の領地であり、このかわいそうな大夫は先都に訴え結果的に同志となっている。人数が増えはしても、反先克の先都たちと、反趙盾の箕鄭たちは、なかなかに動けないまま、趙盾の帰国を迎えることになった。
 そして今の朝政に至る。
 この滑稽な政治劇を一切知らない荀林父じゅんりんぽ
「魯から願いでていた狄の件ですが、交渉は順調のようです。さすが賈季かきは知恵者ですね。狄にその知恵を預け我が晋を侵すことは困ったことですが、このような時の仲立ちはさすがとしか言いようがありません」
 と、趙盾に書を渡して言った。狐射姑は武に強く、狄と相性は良いようで、魯に侵入した部族の長と友好に会話をしている。彼自身、政治には向いていないが、荒事に関する交渉は得意だったのであろう。むろん、狄に頼まれれば晋の内情もばらす。それが亡命した大夫というものだった。
「それは何よりです。会盟で魯公は遅れて来られたため、お国のお話できませんでしたが、狄の件、私のほうからご報告いたそう。各国諸侯におかれましては、こころよく我が君の即位を言祝んでおられました。貴き諸侯の方々に、お困りなどございませんかとお伺いいたしましたところ、各国和を尊び平らかであるとのお答え。晋が覇者としてこれからも支えていくむね、お伝えした所存です」
 趙盾が、誇る顔もなく、薄い表情のまま淡々と言った。郤缺は一瞬だけ目を閉じた後、口を開いた。
「率爾ながら末席からの問いをよろしいでしょうか、正卿」
 問答が膠着した際、もしくは趙盾の議を補強するときに郤缺は口を開くことが多い。ゆえに、なんら問題の無いこの状況での発言は珍しかった。ただ、そのことに敏感に反応したのは荀林父であり、他はその珍しさに気づいていない。趙盾は薄い顔をそのまま向けてきて、
郤主げきしゅは見識深いお方。拝聴したい」
 と促した。郤缺は柔らかな笑みを浮かべ、口を開いた。
「それでは、申し上げます」
 このあとの、郤缺の言葉は全文史書に記載されているが、丁寧かつ優しい言葉で織りなす、極めて痛烈な批判であり罵倒であった。以下、長くなるが説明も交えて書き連ねていく。
「以前、衛が我が国と親しくございませんでしたので、衛を伐ち地を取りました。しかし今では親しくなっておりますので、占領したその地を衛に返すのがよろしい」
 晋は文公及びじょう公の時に衛から土地を強奪している。特に郤缺が指しているのは、襄公が奪ったものである。その時期、衛は往生際悪く晋と盟った近隣国家を荒し、敵対意志を見せていた。その報復であった。しかし、それはもう過去のことだろうと言っているのである。ここまではただの言上であり、ここからが郤缺らしい諫言となっていく。
「諸侯が叛いた時に討たなければ、どうして覇者の威光を示すことができましょうや。また、服従したものに恵みをかけねば、どうして諸侯を懐け安んずること示すことができましょうや。覇者としての威光なく恵みなければ徳があるとは申さず、徳がなくてはどうして盟主として諸侯を率いていけましょうや。あなたは今、正卿となられ諸侯をつかさどる身です。徳を修めないでなんとなさいます」
 郤缺の言葉を趙盾は薄く平坦な無表情で聞いていたが、他のものは唖然とした。最初の衛の話はまだ良い。しかし、その後は趙盾が正卿の器としてよろしくない、と正面きって言っているのである。箕鄭らは反趙盾の男だったのか、と淡い期待を持ち、荀林父はただただ唖然、先克は郤缺の命は無いであろうと蒼白になった。どちらにせよ、政堂は郤缺の声しか響いていない。
 なおも、郤缺の言葉は続く。
「『夏書かしょ』にも『善行あるものには恩賞を与え更にいましめ努めさせ、罪あるものには刑罰をもって正しい道に導き、九功きゅうこうの徳を称えた九歌きゅうかを民に歌わしめて己を励まし、そのまつりごとが乱れぬように心せよ』とあります。この九功の徳はみな褒め讃えて歌うべきのもの、それを九歌と申します」
 夏書は、夏王朝の心得を記録したと伝えられる書である。本当に夏王朝が存在していたかはともかく、この時代はそう信じられていた。この部分は夏書の大禹謨だいうぼの一節である。これをさらりと引用するところに、郤缺の教養があるとも言えた。郤缺はこの引用の主題である九功とは何か、を語り出す。
「しからば九功とは何か。すなわち六府ろくふ三事さんじ。六府は水火金木土穀すいかごんもくどこくという六つの財の源、三事とは自ら徳を正す『正徳』、民の用いるものを便利とし財物を豊かにする『利用』、そして民の生活を豊かにして守る『厚生』、それこそ人の三事です。以上の六府三事が義に従い行われれば、これを徳礼を申します。民の上に立つものにこの徳礼がないと民は楽しまず、叛くこととなるのです。しかし、あなたの徳などは歌うことのできるものではない。誰があなたを慕ってくるものでしょうか。我が晋と親しい諸侯に、あなたの徳を称え歌わせようにさせたらよろしいではありませぬか」
 全て言い終え拝礼すると、郤缺は趙盾を見た。はっきりと、お前の政策では人はついて来ぬ、徳が無いと言い切ったのである。余人であれば怒りにかられるであろう。が、趙盾はうっすらと笑んだ。その笑みは、心底嬉しそうであった。
「善きお言葉ありがとうございます。郤主の忠告、最もであり、我が非才の支えになるでしょう。急ぎ衛には使者をお送りし、襄公がお借りしていたせきの地をお返しするお話をしていこうと思う。私は至らぬ身で、九歌をいまだ聞いておりませぬ。しかし、六府三事は国の根本のお話です。郤主の言葉は晋の喜びとなるでしょう。亡き臼季きゅうきに見いだされ、文公に認められ、貴き四卿に学ばれた方です。正卿の私は常に戒めねばならぬ。これからも、私に戒めを思い起こさせるよう、ご教導お願い致します」
 深々と美しい返礼をして趙盾は言った。他の卿はただただ茫然としている。郤缺は懇切丁寧に趙盾の行いを非難したのである。が、それを喜ぶ趙盾にもみな驚いた。また、箕鄭は郤缺を武の男と見ており侮っていたため、ここまでの教養があるとは思っておらず冷や水をかけられた心地をなった。先都や先克に至っては、郤缺の言葉が途中でわからなくなり下を向いていた。大夫として当然に夏書は知っていても理解しているかどうかは別である。荀林父は素直に二人に賞賛の目を向ける。末席から果敢に忠告する郤缺も素晴らしく、それを受け止める趙盾も素晴らしい、と彼は思った。そして――
「おそれながら、申し上げます。郤主のお話、感服いたしました。我らはしばらく西ばかり見ておりました。が、覇者として見るべきは東。ひとつずつ改め、善き差配をし、九功を努めましょう」
 荀林父の言葉に、郤缺は柔らかく笑んだ。やはり荀林父は本質を見るのが上手い。郤缺は暗に『会盟に行ったと言うのに諸国との外交を全くしていない』と批判したのである。手の内にある氏族のつてで、東国の状況を探っていた郤缺は、緩みを感じた。四卿が死んだ年から晋は東国に対して何もしていない。故に、魯が調子に乗って小国を伐ったりもしている。衛に限らず、晋に対する不信感は高まっている。が、趙盾は内政に気を取られ、そちらを軽く見ていた。それを、衛を出して、趙盾好みの言葉で伝えたのである。
「衛の件は郤主の言う通りにいたしましょう。魯の件に関しても差配いたします。本日の議は以上でよろしいか?」
 やはり趙盾も郤缺の言わんとしていることがわかったらしい。衛は善行とみて恵みを与え、会盟に遅参し顔を見せぬ魯には刑罰を、である。
 郤缺は黙って拝礼した。むろん、賛同である。他の卿も慌てて賛同の姿勢をとった。みな、東国の問題を失念していたことに変わりなく、また、郤缺の言葉に飲まれたこともあって異論など無かった。
 この冬、魯は小国に救いを求められ、晋への連絡も無く他国の諍いをさばいている。きっと、晋など終わったと考えていたのであろう。翌年、その返礼を受けるはめになる。
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