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第一章

第27話 エリオット

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 吹き抜ける風が身に纏う淡い水色のドレスと、長く伸びた黒髪を揺らす。
 顔にかからぬよう風でなびく横髪を片手で抑えながら夜空を見上げた。
 満天の星空がいっぱいに広がり、優しく庭を照らしている。

「夜風が気持ちいい」 

「気持ちいいであります~」
 
 アインツ達と先程夕食を済ませた私は、目下アインツ邸の庭をエリオット君と共に散歩しているところだ。
 今日は殆どが馬車での移動だったため身体が鈍っている。
 そのため無性に歩きたくなったのだ。
 私は平素から太らぬようウォーキングを行っている。
 振り付けやダンスのレッスンがある日は、一日のカロリーを消化するに十分な運動量に達するので流石に休む。
 けれど、それ以外の日は基本歩くよう心掛けている。
 それなりに顔が知られるようになってからは、帽子を深く被りサングラスをかけてウォーキングに勤しむようになった。
 なんか芸能人っぽいよね。……って、本当に芸能人なんだった!
 自分がそういう業界にいるってことを忘れることが多々ある。
 私がアイドルだなんて未だに実感が沸かない。
 夢を見ているんじゃないかって思う。
 もし夢なら醒めなきゃいいのにとも。
 やっとの思いで掴んだアイドルという居場所。
 自らの怠慢で手放したくなどない。
 ならば最低限、自らの体型維持を課す程度の努力はせねば。
 借り物のドレスでなければ走るんだけどなぁ。
 さすがに人様から拝借したドレスを汗で濡らすのは気がひける。
 って、エリオット君が一緒だからどのみち無理か。

「カリン様は歩くのが好きなのでありますか?」

 不意にエリオット君が私を見上げ質問を投げ掛けてきた。

「結構好きかな? 目的もなくぶらぶら歩くのは特に好きかも。エリオット君は歩くの好き?」

「大好きなのであります。いっぱい歩いて強くなりたいのであります~」

「強く? どうしてエリオット君は強くなりたいの?」

「それは……言えないのであります」

 俯きがちに、エリオット君は言い淀む。
 話せない事情でもあるのかな?
 子供の頃の時分に男の子が強くなりたいと願うのは別段おかしな事だと思わない。
 笑われると思ったのかな……。幾ら私でも、人様の夢を笑ったりしないのに。
 けど、立ち入った話をするのも彼を困らせるだけだと思い。

「エリオット君にとって、とても大事なことなのね。うん、わかった。深く追求しないから安心して? ただ、もし私に話してもいいと思える時が来たら、こっそりでいいから教えてくれる?」

「わかったであります! 約束するであります!」

 顔をパァーと輝かせ、エリオット君は頷く。

「ここに居たのかカリン殿、エリオット」

「アインツさん」

 鎧を脱ぎ、袖の長いシャツと黒のズボンというシンプルな姿に着替えたアインツさんが声を掛けてきた。
 シャツにはひだのついた胸飾り──ジャボというらしい──がついている。
 その横には、未だ軍服姿に赤い眼鏡着用のノイエさん。
 二人の後ろには眼帯をつけた燕尾服のおじさま。家令のランドールさんがこちらに歩いてくる。
 実はランドールさんだけは、私達が庭で散歩したいと申し出た時からずっと側に居たのだ。
 私達が歩くのを不動の姿勢で見守ってくれていた。
 恐らくランドールさんは警備関係者ではないかと推測する。
 付かず離れずの位置を堅持していたのは、それ故だろう。

「エリオット。マデラが探していたよ。美味しいレープクーヘンを腕に寄りをかけて焼いたから食べないかとね」

「レープクーヘンでありますか!? 食べたいであります!」

「はは。マデラの作ったレープクーヘンは絶品だからね。食べに行くといいよ。マデラもきっと喜ぶ」

「あ、でも……カリン様と一緒に歩いているから……」
 
 エリオット君は申し訳なさげな表情を浮かべる。

「私のことは気にせず行っておいで。また今度お話しようね」

 同じ目線の高さで話をすると子供は安らぎを感じると何かの本で読んだことがある。
 なので私はエリオット君の目線の位置まで身を屈め微笑んだ。

「はいであります!」

「よし。ランドール、すまないがエリオットに付き添い案内してやってくれないか?」

「畏まりました。では、エリオット様。私と共に参りましょう」

 恭しく礼をするランドールさん。その姿はすごく様になっている。
 何というか彼の所作は身から滲み出る品があり、おじさんというより、おじさまって感じ。

「はいであります!」

 エリオット君はランドールさんの元へ小走りに近づくと、二人は館の中へ歩み消えていった。
 エリオット君嬉しそうだったな~。余程美味しいに違いない。
 焼きたてのレープクーヘンかあ!!
 私も食事制限さえしていなければ食べてみたかった……。
 ちなみにレープクーヘンっていうのは蜂蜜と香辛料を入れたドイツの伝統的な焼き菓子だ。
 私はお菓子作りが趣味で何度か作ったことがあるので知っていた。
 ということは……この場所がドイツである可能性が浮上したわけだ、
 っていっても、レープクーヘンはメジャーなお菓子だし世界中で販売されてるしなぁ。
 何とも言えないところではある。
 
「エリオットとどのような話をしていたんだい?」

「星空の話とか、歩くのが好きとか色々お話しましたよ」

 強くなりたいって言っていたことは、伏せておくことにした。
 エリオット君にとって知られたくないことかもしれないし、吹聴する気にはとてもなれなかった。

「はは。カリン殿は随分懐かれたようだね。エリオットはああ見えて人見知りでね。会って間もない人間に心を開かない子なのだよ」

「そうなんですか?」

「エリオット様は……複雑な家庭の御子なのですよ」
「複雑?」

 ノイエさんが沈んだ面持ちで言った。
 複雑な家庭……。知りたいけど、聞いていいのかな……。
 けど、エリオット君のことを理解するためには必要なことかもしれない。
 もっと仲良くなりたいし。いいや、聞いちゃえ。

「良かったら事情を話して貰えませんか?」

 ノイエさんがアインツのほうを向くと彼は僅かに頷いた。
 話してもいいという意思表示だろう。

「宜しいのですか?」

「カリン殿には事情を知って頂いたほうがいい」

「わかりました。では、お話しましょう。……エリオット様は、高貴な身分のお方です。違いますね。高貴な身分のお方でした・・・。父君を亡くされ、直後に母君を失われました。そしてある出来事により身分までも剥奪され、市井に降ることを余儀なくされたのです」

 自分の中で衝撃が走った。
 
『アインツ将軍の侍従をさせて頂いておりますエリオット・ネーブルであります!』

『はいであります!』
 
『大好きなのであります。いっぱい歩いて強くなりたいのであります~』

 エリオット君のはにかんだ笑顔と言葉が反芻はんすうされる。
 もしも撮影上の設定でなく事実なのだとしたら……。
 あんな幼い子にかくも非情な過去があるなど知らなかった。
 彼の振る舞いからは悲しい過去の影を、微塵も感じなかった。
 では……彼は……エリオット君は、悟られないよう心を押し殺して生きているというのだろうか。

「そんな……。あの、こんなこと聞いていいのか分からないんですけど、ご両親は病気で亡くなられたのですか?」

「お父君は亡くなる半年ほど前より病で床に臥せりがちになり、その後、病死しました。母君は……ある者に殺されたのです」

「ころ、された……。その事をエリオット君は」

「存じています。何もかも」

 ノイエさんが伏せ目がちに頷く。
 アインツさんは目を閉じている。その姿はまるで誰かに黙祷を捧げているように映った。
 ゆっくりとエリオット君とランドールさんが消えていった扉に視線を向ける。
 誰もいない扉の前に、はにかむように恥ずかしがるエリオット君の幻影が浮かんだ。
 あの笑顔の裏に、どれほどの悲しみを彼は抱えているのだろう。
 どれほど苦悩したのだろう。
 強くなりたい、その言葉の意味するところは何なのだろう。
 視界が涙でぼやけていく。
 それでも、幻影のエリオット君は笑っていた。
 不自然なほど明るく。年齢に不釣合いなほど大人びた笑みだった。
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