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2章 バイト先で偶然出逢わない

2章02 4月28日 ④

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 HRが終わる。


 約10分ほどの時間を使って何の足しにもならない情報をダラダラと流した担任教師が教室を出ていく。

 その背中を侮蔑の眼差しで一瞥してから、俺は一限目に使う教材を取り出すために机に眼を落した。


「――弥堂君」


 だが、引き出しに手を突っ込む前に野崎さんに呼ばれてすぐに顔を上げることになる。


 俺の座席に訪れたのは4人の女子生徒だった。


 まず、学級委員である野崎 楓。

 俺と同じ風紀委員でもあり色々と便利な女だ。


 そして、その友人である舞鶴 小夜子。

 かなり頭のいい女で、嘘を吐いても見破ってきそうだからあまり会話をしたくない。


 それと、早乙女 ののか。

 打算的にガキくさく振舞う女だが、それでも煩いものは煩いので声が耳障りだから消えて欲しい。


 最後に、早乙女とよくつるんでいる日下部 真帆。

 善良で人畜無害なプラマイゼロの女だと思っていたが、最近意外と便利なことに気付いて若干評価を上方修正した。


 以上のメンバーが集まってきたことで、否が応にも一連の水無瀬の事件のことを想起する。


 彼女たちは、旅行に出かける前の希咲から水無瀬のことを頼まれていた。

 その為、休み時間などにこうして水無瀬の座席の元に集まって来るようになったので、彼女の隣の座席である俺も、多少彼女たちと関わる機会が増えてしまった。


 だが――


 彼女たちが水無瀬のことを思い出せなくなっていくに連れて、『希咲から水無瀬のことを頼まれた』から『希咲から俺のことを頼まれた』に認知が置き換わっていった。

 俺の中ではもう終わった事件のつもりだったのだが、まさかその後もこうやって事あるごとにここに集まってくるルーティンが残ってしまったのだろうか。

 それは少々面倒だなと感じる。


 彼女たちは基本的に善良な人間なので、いくら俺でも目障りだからという理由だけで殴って追い返すわけにはいかない。

 そして暴力を使えないのなら基本的に俺に出来ることはほぼ無くなってしまう。


 なるほど。最近よく聞く“弱者男性”とはこういうことなのか。

 弱いヤツは基本的に何をされても文句を言う権利はない。

 俺のような弱者男性は甘んじて苦境を受け入れるしかないようだ。


 なので、仕方ないから彼女らの話を聞くことにする。

 どうしても我慢できなくなったらその時は引っ叩けばいい。

 ビンタならセーフだろ。


「……どうした? 野崎さん」

「返事をするまでのこの少しの“”で、一体どんなことを考えてたのか気になるんだよ」
「やめな、ののか。話が逸れて本題に入れなくなるでしょ」

「…………」

「あははー」


 困ったように苦笑いをして野崎さんが切り出す。


「あのね弥堂君。希咲さんのことなんだけど……」

「……?」


 一瞬何を言われているのかわからずに俺が記憶を探ろうとすると、女どもはギョッとした。


「え? なに? そのリアクション」
「なんかキョトンとしちゃってるし」
「むしろこのタイミングだったら七海の話題しかないでしょう。さすがにどうかと思うわよ?」
「あ、あははー……」


 よくわからんが顰蹙を買ったようだ。


 だが、これは別に俺が人でなしで、希咲のことなどどうでもいいと思っているからではなく――

――いや、確かに俺は人でなしで、希咲のことなどどうでもいいと思ってはいるのだが、しかし、そういった理由で彼女らの話を意外に思ったわけではない。


「キミたちはさっきの希咲のことを覚えているのか?」

「え……?」


 どういうことなのかを確かめるために正直に思っていることを訊いてみたのだが、彼女らの困惑は増々深まってしまった。

 やはり本音を言っても何も得はしないな。


「えっと、もしかしてギャグなの……?」

「俺は冗談は苦手なんだ」

「そ、それはそうだろうね……、えっと……」
「あのね? 弥堂くん。いくらなんでもほんの10分前の出来事を忘れるだなんて、そんなことがあるわけないでしょう?」

「そうだな舞鶴。キミの言うとおりだ」

「お、おかしいわね……。まったく言葉どおりの称賛も共感も感じられないわ……、ある意味才能ね……」
「ま、まぁまぁ小夜子」


 とはいっても、俺も別に彼女たちを馬鹿にしてこんなことを言ったわけじゃない。

 ほんの少し前の出来事を忘れる。

 そんなことがこの一週間の内に何度も起きたからだ。


 4月24日の朝。

 水無瀬が登校してきた時、クラスメイト達はもう誰も彼女を覚えていなかった。

 突然当たり前のように挨拶して教室に入ってきた知らない生徒に彼ら彼女らは酷く動揺した。

 ちょうどさっき、本当は今日ここに居ないはずの希咲が突然登校してきた時のように。

 そして全ての者に忘れられてしまったことに気付いた水無瀬は泣きながら走り去った。


 今朝のものとは多少種類は違ったが、しかしあれもそれなりに大きな出来事と謂えよう。

 だけど、彼女らはそれをすぐに忘れてしまった。

 それはこの『世界』に存在しない水無瀬に纏わる出来事だから。

 そのことを意識しなくなってしまったのだ。


 だから、今朝のことも同様に、すぐに誰も思い出せなくなると、俺はそんな風に思っていた。


 明らかに様子のおかしかった希咲のこと。

 その理由を解き明かしていくと水無瀬に繋がってしまうから。

 それならこのことも意識出来なくなってしまうものだとばかり俺は思い込んでいた。

 だから、彼女らがそのことを言ってきたことを意外に思ったのだ。


「インパクトも強かったしねー。ののかビックリしてチビりそうになったんだよ」


 少し悪くなった空気を振り払うように、早乙女が冗談めかして笑った。

 それを察知したのか、彼女らはもうこの件に言及することを止める。

 俺も何故意外に思ったのかの理由を彼女らに説明するわけにもいかないので、特にそれを邪魔することもない。

 本題が始まる。


「ねぇ、弥堂君。希咲さんのことなんだけど……」


 同じように切り出して、しかし野崎さんはそこで黙ってしまう。

 彼女は見た目は大人しそうだが、言うべきことは誰が相手でもきちんと言う人なので、その様子を俺は訝しむ。

 彼女は何やらとても気まずそうな顔をしていた。


「どうした?」

「えぇっと……」

「あんなぁ? 弥堂くん」


 俺が聞き返すと野崎さんはやはり困ったような笑みを浮かべてしまい、そして代わりに早乙女が口を開いた。


「ののかな? 謝っちゃった方がいいと思うんだよ」

「謝る……?」


 これは本当に何のことかわからない。


 俺は基本的に謝らない。

 だが、それは俺が人格的に問題があって謝ることが出来ない人間だという訳ではなく、謝ると損をすることが多いからであって、だから俺は自分が悪いと思っている時ほど絶対に謝らないように心掛けているのだ。


 しかし――


「――そうか。すまなかったな野崎さん。この通りだ。許して欲しい」

「えっ? えっ? えぇ……⁉」


 野崎さんには色々と世話になっているし、今後便利に使えなくなると困るのでここは謝罪をすることにした。

 なにより、今回俺は全く自分が悪いと思っていない。

 それなら謝ってやってもいいだろう。


 俺は机に手をついて誠心誠意頭を下げたが、何故か俺に謝罪を求めた立場である野崎さんは大変ビックリしていた。


「ちょちょちょっと、弥堂君。違うの!」

「ん? 賠償金のことか? それなら金額次第では話が変わってくるが……」

「違います! お金はいらないし、頭も下げないで! 怖れ多いし、そもそも私に謝ってもらう理由はないよ!」

「なんだと? そうなのか。チッ」


 俺はスッと姿勢を戻す。

 やっぱり謝ると損じゃねえか。ふざけんなよこいつら。

 もう二度と謝るのはやめよう。


「おおぅ、ソッコーで態度悪くなったんだよ。オモシレーな! この人!」
「ののか! 今は刺激しちゃダメ! 少しでもイライラしちゃったら絶対この人謝らなくなっちゃうから……!」


 何の話をしているのかはわからないが、今の早乙女と日下部さんの会話で俺はイライラしてきた。


「ごめんね? 誤解させちゃって。私にじゃなくって希咲さんに謝った方がいいかなーって……」

「希咲に?」


 野崎さんが釈明をするが、俺は余計に眉を顰める。

 全く意味がわからない。


 何故俺があのクソギャルに謝らなければならない。


 俺はついうっかりミスであいつの家族を殺害してしまったとしても、それでも絶対にあいつに謝る気はない。

 今も希咲に謝らなければならないようなことをしているし、これからもするが、それでも何があっても謝らない。

 それに、あいつが帰ってきたことで俺の都合が非常に悪くなったので、むしろ謝らせたいとすら思っている。


「七海の名前出したらすっごい顔が険しくなったわね。ちょっと面白いわ」
「小夜子っ! 茶化しちゃダメだよ」
「いや、でも委員長。ぶっちゃけ、ののかもちょっと面白くなってきたんだよ」
「本人たちは笑いごとじゃ済まないんだからやめなって。これでダメになっちゃったらクラスも気まずくなるでしょ」


 どういうことだ?

 最後の日下部さんの発言で、俺の警戒が跳ね上がる。


 俺と希咲の問題。

 それによる何かの破綻。


 まさかこいつら、事情を把握しているのか?

 そんなわけはないはずだが、この口ぶりはそうとしか思えない。


 こうなると、俺も彼女らの話を聞かないわけにはいかなくなった。


 俺と同様、日下部さんの言葉によって、ニヤついていた舞鶴と早乙女も表情と態度を改めた。

 彼女たち4人ともに神妙な顔をする。


 俺は脳裏でスイッチを切り替えて彼女たちのその顔を視た。


「あのね? 弥堂君――」


 代表して野崎さんが口を開く。


 ドクンと――


 心臓に火を入れて魔力の生成を開始する。


 次に出る彼女らの言葉次第ではこの場に居る全員を――


「――浮気はよくないと思うの」

「――ころ……、なんだと?」


 全身を廻らせた魔力が霧散する。

 刻印に帯びた熱もスッと引いていった。


 俺は自分の眉間に皺が寄るのを自覚しながら不可解なことを言った彼女らを視る。

 だが、彼女らは気まずそうな顔をするばかりで中々続きを言わない。


 浮気?

 俺が?


 意味がわからない。

 誰と浮気をして、そもそもそれは誰に対する浮気になるんだ?


 そんな疑問が顔に出ていたのか、観念したように彼女らは話し出す。


「流石に浮気は駄目だと思います」
「そっち方向の最低は笑えないわね」
「ののかも謝っちゃった方がいいと思うぞー」
「連絡しづらかったらセッティングだけはしてあげるから。ね?」


 何を言っているんだこいつらは。


「希咲さん傷ついてると思うの」

「ちょっと待ってくれ、野崎さん。キミたちは一体なんの話をしているんだ?」


 俺がそう言うと彼女たちはスッと真顔になりジッと俺の顔を見る。

 なんだよそのツラ。


 そして彼女らはチラチラと俺に視線を寄こしながら、何やら会議のようなものをコソコソとし始めた。


 クソ、マジでなんなんだこれ。


 俺が言い様のない危機感を覚えていると、会議を終えた彼女たちはこちらへ身体を向ける。

 そして真顔のまま俺をジト目で見ながら、順番に口を開いた。


「『今なら怒らないから、ホントのことを言って』」
「『あんたは他の子と違う。あんたは特別』」
「『約束したのに』」
「『ウソつき』」

「…………?」


 何を言っているんだと訝しむと同時、記憶が再生される。

 彼女たちが口にしたのは先ほどの希咲の台詞だ。

 それは間違いないが、しかし酷く恣意的な切り取りだ。


 そのことに気付いて俺がハッとすると、彼女らは揃って俺を見ながらふにゃっと眉を下げた。

 そして声を揃える。


「「「「あやまろ?」」」」

「ふざけんな」


 俺が反射的にそう答えるたら彼女らの失望はより強くなった。


 ちょっと待て。

 まさか、これ。

 嘘だろ。そんなことがあるのか?


 グシャッと自分の髪を掴む。


 弁明、弁解、訂正。

 しなければならない部分が多すぎて頭が追いつかない。


(これは要するに、そういうことなのか……?)


 ここでようやく俺は今何が起きているのかということに見当がつく。

 見当がつくが、しかし、認めよう。

 俺は今冷静ではない。

 思考がすぐに整理出来ない。


 このままではマズイと、俺は過去の屈辱リストから現状以上の屈辱的な出来事を呼び出し、記憶を再生させる。


 大丈夫だ。

 異端審問に比べればこんなこと何でもないし、人類の敵だと冤罪をかけられて魔王の娘と逃亡していた時に比べれば何のこともない。


 記憶の中に記録されたプァナの裸を視て正気を取り戻した俺は、現状の整理を行う。


 これは要するに辻褄合わせのための記憶の齟齬だ。


 同様の現象はこれまでにもあった。


 例えば、やたらと俺に構うことで水無瀬が俺に好意を持っているという誤解があった。

 しかし、その誤解は水無瀬のことを誰も認知出来なくなってからは、希咲が俺に好意を持っているという誤解に擦り替わった。

 おそらくその流れで、このように処理されたのだろう。


 先程の出来事は、希咲が誰だかわからない人物のことを聞いてきたという出来事ではなく――

――希咲が出した誰だかわからない人物の名前は俺の浮気相手で、それを問い詰めているという出来事。

 そういうものとして全員に印象づけられたのだ。


 その為に、希咲が俺に好意を持っているという誤解が、俺と希咲が付き合っているという誤解に発展したのだろう。


 おそらくそういうことにして、水無瀬の名前に誰も印象を持たないようになっているに違いない。


 いや?

 あるか?

 そんなこと。


 いくらなんでもこれはないだろう。

 無理矢理にもほどがあるし、限度というものを知って欲しい。


 だが。

 とはいえ。


 元々の水無瀬が希咲に置き換わるというのも既に相当に無理矢理だ。

 それを無理矢理だと思うのは所詮人間の感性だ。


『世界』にとってはそんなことはどうでもいい。


 こうなってしまって困るのは、俺と希咲の二人だけだ。

 それ以外の全ての人々がそうやって疑問に思わないのなら、『世界』には何の影響もない。


 たった二人が不都合を被った程度で、『水無瀬 愛苗』という意味が存在しないとされる『世界』は何も変わらない。


 深いため息が漏れる。

 俺はもう面倒になったので適当に彼女たちの話に合わせた。


 その結果、『俺は浮気はしていないが、そのように希咲に疑われているので、誠心誠意誤解を解くつもりだ』ということで手打ちになった。

 彼女たちは疑惑の眼差しを俺に向けながら自分たちの座席に戻って行く。

 この話が漏れ聴こえていた周囲の者たちも同様の視線を俺に向けていた。


 クソが。

 なんなんだこれ。


 俺という人間は浮気をしない。

 何故なら特に誰のことも好きにはならないので、わざわざ浮気などする必要がないのだ。

 しかし、時に致し方ない事情があったり、必要性があったりした場合、他の女と肉体関係を持つことはある。

 だが、それは仕方のないことなので浮気には該当しないのだ。


 仮に、それが浮気ととられてしまったとしても、俺自身は特にそれを悪いことだとは思っていない。

 なので、別にそれはいい。

 だから他人にそれをどう思われようとも、俺は浮気をしたと思っていないのでどうでもいい。


 俺が浮気をしたと誤解を受けてもそれは構わない。

 だが、もう片方は別だ。


 俺と希咲が交際関係にある。

 これは受け入れられない。


 なんだ、この屈辱は。

 割と未だかつてねえぞ。


 俺という人間はクソッタレのロクデナシだ。

 だからその人生はクソッタレのロクデナシに相応しいものになる。


 異世界で勇者にされて、でも勇者のチカラなんてなくて、それでも戦争をさせられたり、出会う女出会う女に毒殺されそうになったり、イカレた女に解体されたり、ようやくそれから解放されたら魔法少女と出逢ってまた魔王と戦わされたり。

 それらはまぁ、こんな俺だからそんな目に遭うこともあるよなと受け入れられる。


 だが、学校のクラスで、付き合ってもいない女と付き合ってることにされて好奇の目に晒される。

 こんなクソしょうもない目に今更合わされるとか、どうにも受け入れ難いものがあった。


 だが、最悪それもいい。

 それでも、相手があの女とは、この上ない屈辱だ。


 なんなんだあのクソギャル。

 ほんちょっと顔見せをしただけで、ここまで俺に不都合が起きるのか。


 冗談じゃねえぞ。

 ふざけんなよあいつ。

 今から追いかけて行って引っ叩くか?

 絶対に許すわけには――


『――憎しみに囚われてはいけません、ユウキ』


 俺はハッとする。


 そういえば俺の師のような存在でもあり、いくら浮気しても文句を言わなかった女であるエルフィに、よくそんな風に窘められていた。


 その通りだ。

 今あの女に文句を言いに行ったら、俺が水無瀬を忘れていないことがバレてしまう。

 その可能性が高い。


 ここは屈辱に甘んじることになっても、目的を達することを優先するべきだ。

 それが俺という人間だ。


 危うく自分を見失うところだった。

 さすがはお師匠さまだということか。

 やはり、俺が何度浮気しても許してくれた女は器が違う。

 まぁ、あいつも色んな男とヤってたしな。

 これが水無瀬の言うところの“おあいこ”というやつなのだろう。


 一つ学びになったところで、建設的な方向に考えなければならない。

 今の状況は一つも冗談ではないのだから。


 そうして冷静さを取り戻し思考を切り替えると、どんなに浮気をしても怒らなかったメイド女がゴミを見るような目を俺に向けながら消えていった。

 だが、気がしただけだから気のせいだろう。


 考える。


 希咲は教室を飛び出して行ったが、あれは勢いだろう。

 水無瀬の件をあれで済ましてくれるはずがない。


 あいつが俺の言うことをそのまま信じるわけもないし、仮に信じたとしても情報源として俺を狙ってくるだろう。

 これまでのあいつの行動を考えれば、何か自分の気に入るような成果を得るまでしつこく付き纏ってくるはずだ。

 メンヘラとはそういうものだしな。


 俺の方はまずボロを出さないことが最優先だ。

 そうやって誤魔化しながら時間を稼ぐ必要がある。


 こちらがある程度動けるようになる前に水無瀬の病室を突き止められてしまったら相当マズイことになる。

 彼女の病室周りのセキュリティ強化も考えなければならないし、俺も新しいヤサを用意する必要がある。


 本当に冗談ではない。


 あいつが水無瀬を覚えているせいで、本当に何もかも、イチから練り直しだ。しかも時間がない。


 早ければあいつは今日の放課後にでもやってくるだろう。

 そうしない理由がない。


 今から俺も学園を出るか?

 いや、それはむしろ悪手か。

 待ち伏せされているかもしれない。

 むしろ学園に居る間の方が安全か。


 やはり山場は放課後か。


 最大限に警戒をして今日という日を乗り切ることになる。

 今日の予定も全て変えなければ。

 明日は休日だから今日よりはあいつに見つかる確率を減らせるはずだ。


 そうして俺は気を張り巡らせながら一限、二限と授業を消化していき、昼休みを越え、午後の授業も終わり放課後になり、その後帰宅する。


 これは本当に意外なことだったが――



――希咲は俺の前には現れなかった。
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