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1章 魔法少女とは出逢わない
1章59 最期の夜 ⑨
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契約を解消する。
突然告げられた弥堂の言葉によって、希咲の瞳は動揺に揺れる。
『ま、まってよ……、いきなりなに言ってんの……?』
「言葉どおりだ。お前から頼まれた『水無瀬 愛苗に関するサポート』、それらから全て手を引かせてもらう」
そんな彼女に事務的に言葉を補足する弥堂の瞳は一切揺れない。
温度も湿度もない、のっぺりと塗られた絵具が渇いたような黒に、彼女の顔を写す。
『あたしが、言い過ぎたから怒ったの……?』
「違う」
『連絡しつこくしたから……?』
「違う」
『じゃ、じゃあ……っ、あたしが言うこと聞かなかったから……⁉』
「ちが……、それはなんのことだ?」
即座に否定をしようとしたが、思い当たることがなかったのでつい眉を顰めて聞き返してしまった。
『その……、あんたの言うことにいちいち文句言ったりとか……』
「あぁ……」
そもそも彼女との会話は基本的には言い合いだ。お互いに否定しあい罵り合うことが最早常となっていったので、それに関してはまったく気にしていなかったというか、最早気にもかけていなかった。
言われてみればと感嘆の声を漏らす弥堂の顔色を窺いながら、希咲は他にも心当たりを口にする。
『あと、今朝もジャマしたし……』
「邪魔? なんかあったか?」
『えと、ほら? あんたが「セクハラしたい」って……』
「ん? あぁ、そんなこともあったか」
『た、確かにあんたが色々考えてくれたのにそれジャマしちゃったけど……! だけど、セクハラはさすがに……』
「なに言ってんだお前」
『で、でも……、わかった、ガマンするから……!』
「あ?」
『ちょっとくらいならセクハラされても、ちゃんとガマンするから! だからもうちょっと――』
「――ちょっと待て。一回止まれ」
『え?』
何やら悲愴な覚悟を決めようと必死な顏していた彼女が目を丸くする。
弥堂は呆れたような眼を向けた。
「あのな、お前まさか俺がセクハラさせてもらえなかったから気分を害したとでも思ってんのか?」
『ちがうの……? させてあげなかったからフテっちゃったんじゃないの……?』
「ちげえよ。そんなわけねえだろ」
『で、でも、すっごい必死に「させろ」って迫ってきたし……』
「そのような事実はない。それに、そもそも――」
『うん』
「――セクハラすることに意味などない」
『え?』
ほんの半日前にあれだけセクハラの重要性をしつこく語っていた男から出たまさかの言葉に希咲は驚く。
「セクハラなんかで何かを変えられるわけがないだろ。そんなことは考えるまでもないことだ」
『はっ、はぁ……っ⁉』
「いいか? セクハラは犯罪行為だ。お前ももう高校生なんだからバカなことを口にするもんじゃない。いいな?」
『ふっ、ふふふふ、ふざけんなぁーーっ!』
人格が変わったのかと錯覚するような掌返しに七海ちゃんはぶちギレた。
『だったらあれはなんだったのよ……⁉』
「ほんとうるせえなお前……」
『うるさいじゃないでしょ⁉ あんだけ重要だとか言って、わけわかんない話聞かせてさ! なんなのあんた!』
「あれは念のためだ」
『なにが念のためよ!』
「セクハラ自体はどうでもよかったんだが……、いや、ワンチャンあるかもしれないと思ってもいたが……」
『あ、それはやっぱ思ってたのね。マジ必死すぎて超キモかったし。マジ変態すぎ』
「うるさい。いいから聞け」
『あによ』
「本当に重要なのはセクハラじゃない。重要なのは“お前”だ」
『あた、し……?』
理解に苦しむ希咲に弥堂は真剣に説明を続ける。
「影響力――」
『え?』
「存在にはそれぞれ影響力というものがある」
『え? え? な、なに……?』
「人には全く平等ではなく、だが大小あれど影響力がある」
『ごめん、まって。あんたなんの――』
「お前はその影響力が強い」
『え――』
「普通の人間よりはな」
唐突に語り出した弥堂が何を言っているのか、希咲にはまったくわからない。
だが、何を言っているのかわからないはずなのに、それが今までに聞いたどんな話よりも酷く核心に触れたものであると、彼女の直感がそう働いた。
『な、なんの話をしてるの……?』
「お前は周囲に影響を与えやすい人間であり、存在だ。それは何故だ?」
『ま、まって。ちゃんと聞くからちゃんと話してよ……!』
「頭がいいからか? 顔がいいからか? 運動神経が優れている? それとも人当たりがいいからか?」
『わかんない……! まってってば――』
「――どれもそうだと謂える。どれもお前が周囲に影響を与えやすいということを説明するための要素だと謂える。だが、どれも違う」
まるで一人語りでもするように、会話相手を無視して話し続ける。
「根本的で決定的な要因は、お前の魂の強度が他の者よりも強いことだ。だから自分よりも強度の弱い人々に対して影響力を持てる」
『た、たましい……? きょうど……?』
そこでようやく弥堂は言葉を一度切り、初めて聞く言葉を咀嚼する希咲の様子をジッと視る。
『ね、ねぇ? ごめん、あたしわかんないの……。お願いだからちゃんと説明して』
「…………」
懇願するようなその顔を視て、少し考え、そして口を開く。
「さっき――」
『え?』
「――ヤンキーどもの話をしただろ?」
『愛苗が友達になったってやつ……?』
「そうだ」
『うん。それが?』
「明日には奴らは水無瀬を忘れるだろうと俺は言った」
『……うん』
「お前はそれに怒りを感じたな?」
『え? そ、そうだったけど、それがムカついたの……? それなら――』
「――ちがう。そうじゃない」
『え?』
取り縋るように謝罪をしようとする彼女を止めて、弥堂は一度細く息を吐いた。
「お前は俺が『水無瀬を忘れる』と言ったこと自体に怒ったわけじゃない。そうだな?」
『え? う、うん……?』
「俺が無遠慮にその話題に触れたことにムカついたんだろう?」
『えっと……、うん、多分……、そう』
「『水無瀬はどうせ忘れられることになる』、その事実については異論がないんだな? それは間違っていると怒りを感じないんだな?」
『ど、どういう意味……?』
「そうなることが当たり前だと、お前もそう思っているんだな?」
『な、なんなの……⁉ だって、今日までずっとそんなことが起こってたじゃない……! あたしだってホントはそんなの受け入れたくないわよ……!』
眦に強く険をこめて怒鳴る彼女へ言い返さず、ジッとその怒り顏を見つめる。
「落ち着け。別にお前が冷たい人間だとか、水無瀬を見放したのかと、そう咎めたわけじゃない」
『あっ……、ごめん……。また怒鳴っちゃった……』
「構わない。もう一度聞くぞ。今日まで何度も同じことが起こったように、明日も同様に人々が彼女を忘れる。当たり前のように。そしてお前もそれを当たり前のことだと思っている。そうだな?」
『あ、あたしは……、でも……』
「面倒な取り繕いはやめろ。クソの役にも立たないエモーショナルな配慮など捨てろ。濁すな。実質的なことだけを言え」
心無い弥堂の言葉に希咲はやや躊躇い、少しの抵抗を見せ、しかしはっきりと言葉にした。
『思ってるわ……! どうせ……、明日も、そうなっちゃうって……っ、あたしも思ってる……っ!』
「そうか。そうだろうな。ところで希咲――」
『なに?』
せっかく意を決した彼女の心をさらに抉る。
「――お前はどうして自分は大丈夫だと思っているんだ?」
『え……?』
「何故、自分は明日も彼女を覚えていられると――当たり前のように“そう”思っているんだ?」
『あたし、が……?』
大きく揺らいだその心を土足で踏みつける。
「何か理由があるのか? 確信があるのか? お前が自分は別、その他大勢とは違う、特別だと――そう考える根拠はあるのか?」
『ど、どういう意味……』
「さぁ? 訊いているのは俺だ。答えろ」
『あ、あたしも……? あんたはあたしも愛苗のこと忘れちゃうって……、そう思ってるの……? そう言いたいの……⁉』
彼の言葉も態度も意図も何もわからずに、希咲は感情的に叫ぶことしか出来ない。
弥堂はそんな彼女を変わらず無感情に眼に映す。
「いや。お前は大丈夫だ」
『えっ……?』
「お前は彼女を忘れない。少なくとも明日はまだ大丈夫だろう」
『な、なに……? どういうこと? あんたは何を言ってるの……?』
話の流れすら掴めず、希咲はただ混乱するばかりだ。
「お前も明日にはどうせ忘れると。俺がそう言うと思ったか?」
『だ、だって、流れっていうか、文脈的にそうとしか……』
「お前はまだ大丈夫だ。何故そう言えると思う?」
『そんなの……、わかんない』
「何故なら俺にはそう言えるだけの理由がある。確信がある。お前は別。その他大勢と比べてお前が特別だと、そう言えるだけの根拠がある」
『根拠……?』
希咲はまともに頭を働かせることが出来ない。
彼の言っていることが理解不能なのもそうだが、彼が今こうして核心について話しだしたその意図もわからなかった。
今朝に話した時は、彼は自分が『普通でないこと』『普通では知り得ないことを知っていること』それを隠していた。
なのに、急にそのスタンスをかなぐり捨ててきたことに、気持ちも理解も追い付かなかった。
「それは魂の強度だ」
『魂の……、強度……?』
先程も出てきた言葉。
それをまたオウム返しすることしか彼女には出来ない。
「魂には設計図がある――」
「総ての存在はその設計図に書かれている通りに存在する――」
「そのように存在を定義づけられ、書かれている内容の範囲でのみ存在することを許される」
『ゆるす……って、誰が……?』
「『世界』だ」
「遍く存在はその設計図に基づいてカタチを持ち、それを以てこの『世界』に存在をする」
「存在するということは『世界』の一部であるということだ」
『世界ってなに……?』
「世界は『世界』だ」
『神さまってこと……?』
「神など何処にもいない」
さらに踏み込んで弥堂が説明をするが、希咲には彼が何を言っているのか、何のことについて言っているのか、その概念の取っ掛かりすら理解出来ない。
「『世界』によって――」
「決められ――」
「定められ――」
「規定され――」
「定義され――」
「デザインされ――」
「許し能えられ――」
「その設計図が完成し――」
「そこで初めて存在することが許され――」
「そして存在する――」
「その設計図を“魂の設計図”と云う」
『アニマ……グラム……?』
「人は――人に限らずだが――総てのモノはその魂の設計図に書かれたとおりのモノにしか為れない。書かれた以上のことは出来ない。書かれた範囲のモノにしか為れない」
『まって、なんの話を……』
「そしてその書かれた内容は全く平等ではなく、誰一人として同じモノには為らない。要は生まれながらに強い存在と弱い存在がもう確定しているということだ」
『それって、才能……、みたいなこと?』
「近からず遠からずだな。才能を磨いても必ず同じ所まで伸びるわけではなく、何もせずともそれを超えるモノもいる。ただ、上限値が予め決められているようなものだ」
『そんなの……』
「酷いと思うか? だが、それを酷いと感じるのは人の感性であり、酷いと口にするのは人の感傷だ。『世界』にはそんなことは全く関係ない」
『で、でも神さまなら――』
「――神などいないと言ったろ。俺たちが居て『世界』が在るのではない。『世界』の中に俺たちが在るだけだ」
『な、なにそれ……』
「俺も、お前も、今手に持っているスマホも、総ては『世界』の中の一部に過ぎない。『世界』はそれらの一つ一つにいちいち関知したりなどしない」
『わかんない……』
「そう、わからないんだ。お前は自分の身体の中に流れる血液の一滴一滴を別個の存在として一つ一つの実在を関知しているのか? それら一つ一つの差異を把握しているのか? その血液を一滴残らず総て平等に扱っているのか? 『世界』にとっての俺たちなどそんなものだ。俺たちは『世界』を構成するただの一欠けらに過ぎず、代わりはいくらでも在る」
『……ぜんぜん、わかんない』
「そうか。話が逸れたが、“魂の設計図”によりそれぞれの存在には差異がある。わかりやすいもので謂えば、“強いモノ”と“弱いモノ”が在る。存在として強いことを“魂の強度が高い”と謂う。魂の強度が高いモノは他よりも『世界』に優遇された存在と謂える」
『強度……、それって、レベルってこと……?』
「レベル……?」
希咲が口にしたその表現を弥堂は少し考える。
弥堂が所属する部活動の長である廻夜部長に命じられ、弥堂もいくらかゲームをプレイしたことがある。
そこで得た知識と照らし合わせる。
「……そうだな。今言われて気が付いたが、ゲームで言うレベルと似ているかもしれない」
『え?』
「ただし、似ているのは設計された最大レベルか。開発者がキャラクターを作った際に設定した最大レベル、どれだけプレイをしてもその最大レベル以上にはレベルアップ出来ないだろう?」
『う、うん……』
「魂の強度が高いモノ、存在として強いモノ、それらはこの最大レベルが高く設計されている。少々語弊はあるがこの表現が近い」
『要は強いヤツってこと……?』
「そうであることが極めて多いが、必ずしもそうであるとは限らない。ゲームのキャラクターだって同じレベルまで上げたとしても絶対にどのキャラクターも強くなるとは限らないだろう?」
『どういうこと?』
少しだけイメージが掴めてきたのか、希咲の瞳に理性の色が強くなったことを視ながら、少し話を緩める。
「たとえば、そうだな。やたらと戦闘が強くても運悪くあっさり死んじまう奴。そんなのよく聞くだろ?」
『よく、っていうか、歴史とか物語とかのお話でなら……』
「あぁ、それで合っている。それが戦闘の強さと存在する力の強さが同一ではないということだ」
『存在するチカラ……、魂の強度……』
「逆に。大して戦いに強くなくても、特別知能が高いわけでもなく、だが多くの人々に大きな影響を与えた人物。お前が言った歴史や物語にはそんな奴が何人か登場するだろ?」
『うん、偉人……とか?』
「そうだ。それが存在の強度であり――ようやく話が戻るぞ――影響力だ」
『影響って……あっ――』
「存在が、魂が強いモノは、それ以外のモノに強い影響を与える」
言われてようやく繋がっていた話なのだと希咲は気が付いた。
『あたしが……、その強い存在だって、言いたいの……?』
「正確じゃないな。強い存在なのではなく、存在する力が強い存在、だ」
『そんなの……、わかんない……』
「セクハラが重要なのではなく、お前であることが重要だと、さっき俺は言ったな?」
『え? あ、う、うん』
そして彼女の理解を待たずに弥堂はまた先へ進める。
「お前――希咲 七海であることが重要。だが、必ずしもお前である必要はない」
『……どうして?』
「それは紅月 聖人でもいい。紅月 望莱でもいい。天津 真刀錵や蛭子 蛮ではもしかしたら足りないかもしれない。マリア=リィーゼはお前より少し上かもな」
『な、なにを言ってるの……?』
「存在する力、強度の格付けだ」
『あんたなにを――』
「――何も知らない。お前らのことなどな。だが、その魂のカタチはわかる」
心臓の拍動を速め、その加速によって得られた力を眼に巡らせる。
のっぺりとした黒い瞳に蒼銀の膜が張られ、その眼でスマホに映った彼女を視る。
画面越しにはその魂のカタチは視えなかった。
「魂の強度が高いモノはそれが低いモノへ強く影響を与える。だからあの時重要だったのは、その魂の強度が高いモノがあの場に現れることだ」
『それがあたし……?』
「存在として強いモノは居るだけで影響をし、その言葉にも影響力がある。お前は学園でもそういう存在だろ? それはお前の“魂の設計図”がそうなっているからだ」
『あたしの、魂の設計図……』
「お前のような存在は通常でも影響力があるが、感情的になった時により強く影響を撒き散らす。TVや動画、SNSでもそうだろ? 影響力のある人物が感情的に訴えかけるとそれに釣られるモノが多く出るだろ? それはそういうことだ」
『だから、あたしにセクハラを……、って! なんでこの雰囲気でこの流れでセクハラなんて言葉が出てくんのよ! ふざけないで!』
「お前が言ったんだろ」
『あんたがやったからでしょ!』
「そりゃまぁ、そうだ」
事実は事実と認め、そして事実を言う。
「それは喜びでもいい。楽しみでも悲しみでも、怒りでもなんでもいい。俺に出来るのはお前を泣かすか怒らせるかのどっちかで、泣くと面倒だから怒らせてみることにした。その手段がセクハラだっただけだ」
『……サイテー』
「そうだな。それによって周囲にどう影響が出るかを視ていた」
『じゃあ……、あたしが戻れば愛苗のことは解決するの?』
「それは無理だろうな」
『なんで?』
「確かにお前の影響で水無瀬に関する周囲の認知を元に戻すことが出来たが、それは一時的なものだ。結局元に戻ったろ?」
『でも、それは電話を切ったからでしょ? あたしがずっと教室にいれば――』
「もしかしたら多少は引き延ばすことは出来るかもな。だが、それも結局は時間の問題だ」
『どうしてなの……?』
より核心に近いものを白日に晒す。
「簡単な話だ。お前よりも影響力の強いモノがいるからだ」
『えっ……?』
「お前より、紅月兄妹よりも、はるかに存在の強度が格上のモノが居る。そいつの影響で、水無瀬はこうなっている」
『それって誰……っ⁉』
「言わない」
『なんでよ⁉』
「俺はお前に教えを説いているわけじゃない。それにお前とそうしていたように、そういう約束になっている」
『どういう……、まさか――⁉』
「――少なくとも俺ではない。俺はお前や紅月兄妹どころか天津や蛭子にも全く及ばない。他の生徒たちよりはほんの少しばかりはマシ。それが俺という存在の価値で、俺という存在の強度はそんな程度だ」
『ねぇ、待って……、わかんない……! 何が言いたいの……⁉』
感極まったように小さな涙を浮かべた希咲がそう叫ぶ。
自分よりも強度の高い魂を持つ存在。
それから発せられる影響に抗い、口を開く。
「ようやく最初の話に戻せるな」
『最初って……』
「というか、結論だ。何故俺がお前の頼みごとを反故にするのか」
『どうして……』
「別に気分を害したからでも、面倒になったからでもない」
『じゃあ、なんで……?』
「気分は最初から害しているし、面倒なのも最初からだ。だが、それらは受けた仕事をやめるほどの理由にはならない。なのに俺がこれ以上の継続を拒否するのは――」
もうすでに半ば放心してしまっている彼女への容赦はない。
「――単純に無理だからだ。やりたくないのではなく、もうこれ以上は出来ない」
『え……?』
「そう遠くないうち、俺は――俺も水無瀬のことを忘れる」
『――っ⁉』
大きく見開いた希咲の瞳を見つめ、電話でよかったと内心で思う。
「それはあと5日かもしれないし3日かもしれない。なんなら明日かもしれない」
『…………』
「少なくとも、お前が帰ってくるまでは確実にもたない。俺はあと少しで水無瀬を忘れる。彼女が彼女だとわからなくなる」
『な、なんで……っ』
「なんで? 今説明しただろ。それが俺の魂の強度の限界だ。俺の意思ともお前との契約とも関係なく、そのように“魂の設計図”に書かれている。つまり、『世界』がそう決めているということだ。それは誰にもどうしようもない」
『そんな……』
絶句しまう希咲に弥堂はなおも事実を重ねる。
「お前も他人事じゃないぞ」
『え?』
「俺よりははるかにマシだから明日にでもということはないだろう。だが紅月兄妹よりは先にお前も水無瀬がわからなくなる。こっちに帰ってくるまでもつかどうかはわからん。もつといいな。だが、絶対にいつかお前も忘れる」
『ま、まって、なんで……』
「とにかく、俺はもうここまでだ。運が良ければあと何日かはもつかもしれないが、その保証はない。突然話が通じなくなって続行不能になるよりは、この方がいくらかマシだろう」
『まってって、ちょっとまってってば……!』
話を終わらせにいこうとする弥堂の気配を感じ取って、希咲は取り縋るように彼を制止する。
少し画面に近付いた彼女の顔を視て、弥堂は何も思わなかった。
「待つとか待たないの問題ではない。時間の問題だ。時間は人を待たない」
『そうじゃなくって……、わかんないの……!』
「だろうな」
『魂の設計図とか……、存在の強度とか、そんなのあたし知らない……っ! 聞いたことないの!』
「へぇ……、そうか。お前は、お前たちは“それ”を知らないのか。それは貴重な情報だ」
『あんたはなんでそんなこと知ってるの⁉』
「さぁ。というか、信じるのか? 与太話かもしれんぞ」
『茶化さないで……っ!』
核心を打ち明けたようで、本当に奥底の部分には触れさせぬよう躱す弥堂を希咲は睨みつける。
『あんたは本当のことを言ってる』
「そうか? 俺は嘘吐きだ。お前もそう言っただろ」
『そうね。でも、これは嘘じゃない……!』
「どうしてそう思う? 何か根拠はあるのか?」
『ないわ……、勘よ……!』
「そうか。それは厄介だな」
『ふざけるのやめて! そんなことが言いたいんじゃないの……!』
「じゃあ言いたいことを早く言え。これが最期なんだ」
『そんな言い方しないでっ!』
涙ぐみながら叫ぶ彼女の姿に、『まるで別れ話だな』と思いつき、不覚にも口角が上がってしまう。
『あんた、そんなことを知ってるんならさ……』
「なんだ?」
どうやらそれは彼女には気付かれなかったようで、さりげなく元に戻した。
『そんな、普通じゃ知らないようなこと知ってるんなら、大丈夫なんじゃないの……⁉』
「……? どういう意味だ?」
『愛苗のこと忘れないんじゃないのって……! だってそんなこと知ってるのって絶対普通じゃないじゃん……!』
「別に大したことじゃないだろ」
『あたし……、あたしたちも普通じゃないけど……、でも、そんなこと知らなかった……! そんな仕組みみたいなこと聞いたこともなかった……!』
「そうか。それは運がよかったな。知らない方がいい。知ってたところで何の役にも立たない」
『あんたはなんでそんなこと知ってるの……⁉』
「知ってるからだ」
『適当なこと言ってスルーしないでよ! そんなこと知ってるんなら――』
「――さっき言っただろ。どれだけ戦いが強くても、どれだけ頭が良くても、どれだけ見た目が美しくても、どれだけ金を持っていても、そして何を知っていようとも。それが魂の強度に直結するわけではない」
『そんな……』
希咲の眼差しから力が抜ける。
ようやく諦めてくれたようだと、どこか安堵を浮かべた自分に気付いた。
『なんで……、なんでなの……?』
「それは神にでも聞いてくれ」
『なんで……、話したの……?』
「なにをだ?」
『ずっと隠してたじゃん……、今朝だって言ってくれなかったじゃん……。知られたくなかったんでしょ? なのに、なんで今になって……』
「別に。大した理由はない」
『うそ……』
すっかり弱気になった彼女の瞳を視て、その瞳から涙が零れ出す前に終わらせようと、話を終わりに向かわせる。
「さっきも言ったとおり、俺はお前に説いているわけでも教えているわけでもない。俺の記憶の中に記録されたモノを、ただ勝手にお前の前にぶち撒けただけだ。それをどうするかはお前の勝手だ」
『やめて……っ』
「それでもどうしても他の理由が欲しいのなら手切れ金か詫びだとでも思ってくれ。一応最後までやるつもりではあったが、それが出来なくなったからな」
『ねぇ、まって……! わかんないの……! あたしわかんないの……っ!』
「待たない。これでもう最期だ」
『愛苗がこうなってる原因って……、そんな影響を振りまいてるヤツって誰なの⁉』
「考えればわかる」
『だから……、わかんないの……!』
「だったら、俺がやったみたいにお前もぶち撒けてみたらどうだ?」
『え? なに、を……?』
「今までやってきたことを全て捨ててしまってでも。そうして開き直ってみたら、もしかしたら犯人の方も打ち明けてくれるかもな。当然、運がよければだが」
『だれ……? 誰のことなの……⁉』
「少なくとも、俺ではない。お前が話すべき相手は俺ではない」
スッと、手に持ったスマホを下げて画面に表示されたボタンに親指を近づける。
画角が変わったことで、弥堂が何をしようとしているのかが希咲に伝わった。
『まって……!』
「待たない。話は終わりだ」
『おねがい……! あと一週間……、ううん、3日でいいから……!』
「覚えていたらな。だが、無理だ」
『だめっ! おねがい……、愛苗をたすけて……っ!』
「不可能だと言っているだろ。俺ごときに出来ることなどない」
『そんなことないじゃん! あたしが知らないこと知ってるし、絶対普通じゃないじゃん……! ねぇ、あんたは誰なの……? 何者なの……⁉』
「誰でもないし何者でもない。だから何も出来ない。俺は普通の高校生なので、な」
『そんなの……っ! ウソじゃん……! 約束したじゃん……っ!』
「そうだな。だから破るんだ」
徹底して突き放した物言いに希咲の表情が歪む。
それを視て、いい加減に潮時だなと弥堂は思った。
『まってってば! 話をきいて……!』
「聞かない。これ以上は不毛だ。さっき決めたろ? 不毛な話はしない。だからどうしても聞いて欲しければ、次に会った時にでも聞いてやる。覚えていたらな――」
『弥堂っ、まっ――』
「――じゃあな」
一方的に別れを告げて、すぐに通話終了のボタンをタップする。
一瞬で画面は暗転し、光を放つ黒で塗り潰され、その世界から彼女は消えた。
この手で消した。
突然告げられた弥堂の言葉によって、希咲の瞳は動揺に揺れる。
『ま、まってよ……、いきなりなに言ってんの……?』
「言葉どおりだ。お前から頼まれた『水無瀬 愛苗に関するサポート』、それらから全て手を引かせてもらう」
そんな彼女に事務的に言葉を補足する弥堂の瞳は一切揺れない。
温度も湿度もない、のっぺりと塗られた絵具が渇いたような黒に、彼女の顔を写す。
『あたしが、言い過ぎたから怒ったの……?』
「違う」
『連絡しつこくしたから……?』
「違う」
『じゃ、じゃあ……っ、あたしが言うこと聞かなかったから……⁉』
「ちが……、それはなんのことだ?」
即座に否定をしようとしたが、思い当たることがなかったのでつい眉を顰めて聞き返してしまった。
『その……、あんたの言うことにいちいち文句言ったりとか……』
「あぁ……」
そもそも彼女との会話は基本的には言い合いだ。お互いに否定しあい罵り合うことが最早常となっていったので、それに関してはまったく気にしていなかったというか、最早気にもかけていなかった。
言われてみればと感嘆の声を漏らす弥堂の顔色を窺いながら、希咲は他にも心当たりを口にする。
『あと、今朝もジャマしたし……』
「邪魔? なんかあったか?」
『えと、ほら? あんたが「セクハラしたい」って……』
「ん? あぁ、そんなこともあったか」
『た、確かにあんたが色々考えてくれたのにそれジャマしちゃったけど……! だけど、セクハラはさすがに……』
「なに言ってんだお前」
『で、でも……、わかった、ガマンするから……!』
「あ?」
『ちょっとくらいならセクハラされても、ちゃんとガマンするから! だからもうちょっと――』
「――ちょっと待て。一回止まれ」
『え?』
何やら悲愴な覚悟を決めようと必死な顏していた彼女が目を丸くする。
弥堂は呆れたような眼を向けた。
「あのな、お前まさか俺がセクハラさせてもらえなかったから気分を害したとでも思ってんのか?」
『ちがうの……? させてあげなかったからフテっちゃったんじゃないの……?』
「ちげえよ。そんなわけねえだろ」
『で、でも、すっごい必死に「させろ」って迫ってきたし……』
「そのような事実はない。それに、そもそも――」
『うん』
「――セクハラすることに意味などない」
『え?』
ほんの半日前にあれだけセクハラの重要性をしつこく語っていた男から出たまさかの言葉に希咲は驚く。
「セクハラなんかで何かを変えられるわけがないだろ。そんなことは考えるまでもないことだ」
『はっ、はぁ……っ⁉』
「いいか? セクハラは犯罪行為だ。お前ももう高校生なんだからバカなことを口にするもんじゃない。いいな?」
『ふっ、ふふふふ、ふざけんなぁーーっ!』
人格が変わったのかと錯覚するような掌返しに七海ちゃんはぶちギレた。
『だったらあれはなんだったのよ……⁉』
「ほんとうるせえなお前……」
『うるさいじゃないでしょ⁉ あんだけ重要だとか言って、わけわかんない話聞かせてさ! なんなのあんた!』
「あれは念のためだ」
『なにが念のためよ!』
「セクハラ自体はどうでもよかったんだが……、いや、ワンチャンあるかもしれないと思ってもいたが……」
『あ、それはやっぱ思ってたのね。マジ必死すぎて超キモかったし。マジ変態すぎ』
「うるさい。いいから聞け」
『あによ』
「本当に重要なのはセクハラじゃない。重要なのは“お前”だ」
『あた、し……?』
理解に苦しむ希咲に弥堂は真剣に説明を続ける。
「影響力――」
『え?』
「存在にはそれぞれ影響力というものがある」
『え? え? な、なに……?』
「人には全く平等ではなく、だが大小あれど影響力がある」
『ごめん、まって。あんたなんの――』
「お前はその影響力が強い」
『え――』
「普通の人間よりはな」
唐突に語り出した弥堂が何を言っているのか、希咲にはまったくわからない。
だが、何を言っているのかわからないはずなのに、それが今までに聞いたどんな話よりも酷く核心に触れたものであると、彼女の直感がそう働いた。
『な、なんの話をしてるの……?』
「お前は周囲に影響を与えやすい人間であり、存在だ。それは何故だ?」
『ま、まって。ちゃんと聞くからちゃんと話してよ……!』
「頭がいいからか? 顔がいいからか? 運動神経が優れている? それとも人当たりがいいからか?」
『わかんない……! まってってば――』
「――どれもそうだと謂える。どれもお前が周囲に影響を与えやすいということを説明するための要素だと謂える。だが、どれも違う」
まるで一人語りでもするように、会話相手を無視して話し続ける。
「根本的で決定的な要因は、お前の魂の強度が他の者よりも強いことだ。だから自分よりも強度の弱い人々に対して影響力を持てる」
『た、たましい……? きょうど……?』
そこでようやく弥堂は言葉を一度切り、初めて聞く言葉を咀嚼する希咲の様子をジッと視る。
『ね、ねぇ? ごめん、あたしわかんないの……。お願いだからちゃんと説明して』
「…………」
懇願するようなその顔を視て、少し考え、そして口を開く。
「さっき――」
『え?』
「――ヤンキーどもの話をしただろ?」
『愛苗が友達になったってやつ……?』
「そうだ」
『うん。それが?』
「明日には奴らは水無瀬を忘れるだろうと俺は言った」
『……うん』
「お前はそれに怒りを感じたな?」
『え? そ、そうだったけど、それがムカついたの……? それなら――』
「――ちがう。そうじゃない」
『え?』
取り縋るように謝罪をしようとする彼女を止めて、弥堂は一度細く息を吐いた。
「お前は俺が『水無瀬を忘れる』と言ったこと自体に怒ったわけじゃない。そうだな?」
『え? う、うん……?』
「俺が無遠慮にその話題に触れたことにムカついたんだろう?」
『えっと……、うん、多分……、そう』
「『水無瀬はどうせ忘れられることになる』、その事実については異論がないんだな? それは間違っていると怒りを感じないんだな?」
『ど、どういう意味……?』
「そうなることが当たり前だと、お前もそう思っているんだな?」
『な、なんなの……⁉ だって、今日までずっとそんなことが起こってたじゃない……! あたしだってホントはそんなの受け入れたくないわよ……!』
眦に強く険をこめて怒鳴る彼女へ言い返さず、ジッとその怒り顏を見つめる。
「落ち着け。別にお前が冷たい人間だとか、水無瀬を見放したのかと、そう咎めたわけじゃない」
『あっ……、ごめん……。また怒鳴っちゃった……』
「構わない。もう一度聞くぞ。今日まで何度も同じことが起こったように、明日も同様に人々が彼女を忘れる。当たり前のように。そしてお前もそれを当たり前のことだと思っている。そうだな?」
『あ、あたしは……、でも……』
「面倒な取り繕いはやめろ。クソの役にも立たないエモーショナルな配慮など捨てろ。濁すな。実質的なことだけを言え」
心無い弥堂の言葉に希咲はやや躊躇い、少しの抵抗を見せ、しかしはっきりと言葉にした。
『思ってるわ……! どうせ……、明日も、そうなっちゃうって……っ、あたしも思ってる……っ!』
「そうか。そうだろうな。ところで希咲――」
『なに?』
せっかく意を決した彼女の心をさらに抉る。
「――お前はどうして自分は大丈夫だと思っているんだ?」
『え……?』
「何故、自分は明日も彼女を覚えていられると――当たり前のように“そう”思っているんだ?」
『あたし、が……?』
大きく揺らいだその心を土足で踏みつける。
「何か理由があるのか? 確信があるのか? お前が自分は別、その他大勢とは違う、特別だと――そう考える根拠はあるのか?」
『ど、どういう意味……』
「さぁ? 訊いているのは俺だ。答えろ」
『あ、あたしも……? あんたはあたしも愛苗のこと忘れちゃうって……、そう思ってるの……? そう言いたいの……⁉』
彼の言葉も態度も意図も何もわからずに、希咲は感情的に叫ぶことしか出来ない。
弥堂はそんな彼女を変わらず無感情に眼に映す。
「いや。お前は大丈夫だ」
『えっ……?』
「お前は彼女を忘れない。少なくとも明日はまだ大丈夫だろう」
『な、なに……? どういうこと? あんたは何を言ってるの……?』
話の流れすら掴めず、希咲はただ混乱するばかりだ。
「お前も明日にはどうせ忘れると。俺がそう言うと思ったか?」
『だ、だって、流れっていうか、文脈的にそうとしか……』
「お前はまだ大丈夫だ。何故そう言えると思う?」
『そんなの……、わかんない』
「何故なら俺にはそう言えるだけの理由がある。確信がある。お前は別。その他大勢と比べてお前が特別だと、そう言えるだけの根拠がある」
『根拠……?』
希咲はまともに頭を働かせることが出来ない。
彼の言っていることが理解不能なのもそうだが、彼が今こうして核心について話しだしたその意図もわからなかった。
今朝に話した時は、彼は自分が『普通でないこと』『普通では知り得ないことを知っていること』それを隠していた。
なのに、急にそのスタンスをかなぐり捨ててきたことに、気持ちも理解も追い付かなかった。
「それは魂の強度だ」
『魂の……、強度……?』
先程も出てきた言葉。
それをまたオウム返しすることしか彼女には出来ない。
「魂には設計図がある――」
「総ての存在はその設計図に書かれている通りに存在する――」
「そのように存在を定義づけられ、書かれている内容の範囲でのみ存在することを許される」
『ゆるす……って、誰が……?』
「『世界』だ」
「遍く存在はその設計図に基づいてカタチを持ち、それを以てこの『世界』に存在をする」
「存在するということは『世界』の一部であるということだ」
『世界ってなに……?』
「世界は『世界』だ」
『神さまってこと……?』
「神など何処にもいない」
さらに踏み込んで弥堂が説明をするが、希咲には彼が何を言っているのか、何のことについて言っているのか、その概念の取っ掛かりすら理解出来ない。
「『世界』によって――」
「決められ――」
「定められ――」
「規定され――」
「定義され――」
「デザインされ――」
「許し能えられ――」
「その設計図が完成し――」
「そこで初めて存在することが許され――」
「そして存在する――」
「その設計図を“魂の設計図”と云う」
『アニマ……グラム……?』
「人は――人に限らずだが――総てのモノはその魂の設計図に書かれたとおりのモノにしか為れない。書かれた以上のことは出来ない。書かれた範囲のモノにしか為れない」
『まって、なんの話を……』
「そしてその書かれた内容は全く平等ではなく、誰一人として同じモノには為らない。要は生まれながらに強い存在と弱い存在がもう確定しているということだ」
『それって、才能……、みたいなこと?』
「近からず遠からずだな。才能を磨いても必ず同じ所まで伸びるわけではなく、何もせずともそれを超えるモノもいる。ただ、上限値が予め決められているようなものだ」
『そんなの……』
「酷いと思うか? だが、それを酷いと感じるのは人の感性であり、酷いと口にするのは人の感傷だ。『世界』にはそんなことは全く関係ない」
『で、でも神さまなら――』
「――神などいないと言ったろ。俺たちが居て『世界』が在るのではない。『世界』の中に俺たちが在るだけだ」
『な、なにそれ……』
「俺も、お前も、今手に持っているスマホも、総ては『世界』の中の一部に過ぎない。『世界』はそれらの一つ一つにいちいち関知したりなどしない」
『わかんない……』
「そう、わからないんだ。お前は自分の身体の中に流れる血液の一滴一滴を別個の存在として一つ一つの実在を関知しているのか? それら一つ一つの差異を把握しているのか? その血液を一滴残らず総て平等に扱っているのか? 『世界』にとっての俺たちなどそんなものだ。俺たちは『世界』を構成するただの一欠けらに過ぎず、代わりはいくらでも在る」
『……ぜんぜん、わかんない』
「そうか。話が逸れたが、“魂の設計図”によりそれぞれの存在には差異がある。わかりやすいもので謂えば、“強いモノ”と“弱いモノ”が在る。存在として強いことを“魂の強度が高い”と謂う。魂の強度が高いモノは他よりも『世界』に優遇された存在と謂える」
『強度……、それって、レベルってこと……?』
「レベル……?」
希咲が口にしたその表現を弥堂は少し考える。
弥堂が所属する部活動の長である廻夜部長に命じられ、弥堂もいくらかゲームをプレイしたことがある。
そこで得た知識と照らし合わせる。
「……そうだな。今言われて気が付いたが、ゲームで言うレベルと似ているかもしれない」
『え?』
「ただし、似ているのは設計された最大レベルか。開発者がキャラクターを作った際に設定した最大レベル、どれだけプレイをしてもその最大レベル以上にはレベルアップ出来ないだろう?」
『う、うん……』
「魂の強度が高いモノ、存在として強いモノ、それらはこの最大レベルが高く設計されている。少々語弊はあるがこの表現が近い」
『要は強いヤツってこと……?』
「そうであることが極めて多いが、必ずしもそうであるとは限らない。ゲームのキャラクターだって同じレベルまで上げたとしても絶対にどのキャラクターも強くなるとは限らないだろう?」
『どういうこと?』
少しだけイメージが掴めてきたのか、希咲の瞳に理性の色が強くなったことを視ながら、少し話を緩める。
「たとえば、そうだな。やたらと戦闘が強くても運悪くあっさり死んじまう奴。そんなのよく聞くだろ?」
『よく、っていうか、歴史とか物語とかのお話でなら……』
「あぁ、それで合っている。それが戦闘の強さと存在する力の強さが同一ではないということだ」
『存在するチカラ……、魂の強度……』
「逆に。大して戦いに強くなくても、特別知能が高いわけでもなく、だが多くの人々に大きな影響を与えた人物。お前が言った歴史や物語にはそんな奴が何人か登場するだろ?」
『うん、偉人……とか?』
「そうだ。それが存在の強度であり――ようやく話が戻るぞ――影響力だ」
『影響って……あっ――』
「存在が、魂が強いモノは、それ以外のモノに強い影響を与える」
言われてようやく繋がっていた話なのだと希咲は気が付いた。
『あたしが……、その強い存在だって、言いたいの……?』
「正確じゃないな。強い存在なのではなく、存在する力が強い存在、だ」
『そんなの……、わかんない……』
「セクハラが重要なのではなく、お前であることが重要だと、さっき俺は言ったな?」
『え? あ、う、うん』
そして彼女の理解を待たずに弥堂はまた先へ進める。
「お前――希咲 七海であることが重要。だが、必ずしもお前である必要はない」
『……どうして?』
「それは紅月 聖人でもいい。紅月 望莱でもいい。天津 真刀錵や蛭子 蛮ではもしかしたら足りないかもしれない。マリア=リィーゼはお前より少し上かもな」
『な、なにを言ってるの……?』
「存在する力、強度の格付けだ」
『あんたなにを――』
「――何も知らない。お前らのことなどな。だが、その魂のカタチはわかる」
心臓の拍動を速め、その加速によって得られた力を眼に巡らせる。
のっぺりとした黒い瞳に蒼銀の膜が張られ、その眼でスマホに映った彼女を視る。
画面越しにはその魂のカタチは視えなかった。
「魂の強度が高いモノはそれが低いモノへ強く影響を与える。だからあの時重要だったのは、その魂の強度が高いモノがあの場に現れることだ」
『それがあたし……?』
「存在として強いモノは居るだけで影響をし、その言葉にも影響力がある。お前は学園でもそういう存在だろ? それはお前の“魂の設計図”がそうなっているからだ」
『あたしの、魂の設計図……』
「お前のような存在は通常でも影響力があるが、感情的になった時により強く影響を撒き散らす。TVや動画、SNSでもそうだろ? 影響力のある人物が感情的に訴えかけるとそれに釣られるモノが多く出るだろ? それはそういうことだ」
『だから、あたしにセクハラを……、って! なんでこの雰囲気でこの流れでセクハラなんて言葉が出てくんのよ! ふざけないで!』
「お前が言ったんだろ」
『あんたがやったからでしょ!』
「そりゃまぁ、そうだ」
事実は事実と認め、そして事実を言う。
「それは喜びでもいい。楽しみでも悲しみでも、怒りでもなんでもいい。俺に出来るのはお前を泣かすか怒らせるかのどっちかで、泣くと面倒だから怒らせてみることにした。その手段がセクハラだっただけだ」
『……サイテー』
「そうだな。それによって周囲にどう影響が出るかを視ていた」
『じゃあ……、あたしが戻れば愛苗のことは解決するの?』
「それは無理だろうな」
『なんで?』
「確かにお前の影響で水無瀬に関する周囲の認知を元に戻すことが出来たが、それは一時的なものだ。結局元に戻ったろ?」
『でも、それは電話を切ったからでしょ? あたしがずっと教室にいれば――』
「もしかしたら多少は引き延ばすことは出来るかもな。だが、それも結局は時間の問題だ」
『どうしてなの……?』
より核心に近いものを白日に晒す。
「簡単な話だ。お前よりも影響力の強いモノがいるからだ」
『えっ……?』
「お前より、紅月兄妹よりも、はるかに存在の強度が格上のモノが居る。そいつの影響で、水無瀬はこうなっている」
『それって誰……っ⁉』
「言わない」
『なんでよ⁉』
「俺はお前に教えを説いているわけじゃない。それにお前とそうしていたように、そういう約束になっている」
『どういう……、まさか――⁉』
「――少なくとも俺ではない。俺はお前や紅月兄妹どころか天津や蛭子にも全く及ばない。他の生徒たちよりはほんの少しばかりはマシ。それが俺という存在の価値で、俺という存在の強度はそんな程度だ」
『ねぇ、待って……、わかんない……! 何が言いたいの……⁉』
感極まったように小さな涙を浮かべた希咲がそう叫ぶ。
自分よりも強度の高い魂を持つ存在。
それから発せられる影響に抗い、口を開く。
「ようやく最初の話に戻せるな」
『最初って……』
「というか、結論だ。何故俺がお前の頼みごとを反故にするのか」
『どうして……』
「別に気分を害したからでも、面倒になったからでもない」
『じゃあ、なんで……?』
「気分は最初から害しているし、面倒なのも最初からだ。だが、それらは受けた仕事をやめるほどの理由にはならない。なのに俺がこれ以上の継続を拒否するのは――」
もうすでに半ば放心してしまっている彼女への容赦はない。
「――単純に無理だからだ。やりたくないのではなく、もうこれ以上は出来ない」
『え……?』
「そう遠くないうち、俺は――俺も水無瀬のことを忘れる」
『――っ⁉』
大きく見開いた希咲の瞳を見つめ、電話でよかったと内心で思う。
「それはあと5日かもしれないし3日かもしれない。なんなら明日かもしれない」
『…………』
「少なくとも、お前が帰ってくるまでは確実にもたない。俺はあと少しで水無瀬を忘れる。彼女が彼女だとわからなくなる」
『な、なんで……っ』
「なんで? 今説明しただろ。それが俺の魂の強度の限界だ。俺の意思ともお前との契約とも関係なく、そのように“魂の設計図”に書かれている。つまり、『世界』がそう決めているということだ。それは誰にもどうしようもない」
『そんな……』
絶句しまう希咲に弥堂はなおも事実を重ねる。
「お前も他人事じゃないぞ」
『え?』
「俺よりははるかにマシだから明日にでもということはないだろう。だが紅月兄妹よりは先にお前も水無瀬がわからなくなる。こっちに帰ってくるまでもつかどうかはわからん。もつといいな。だが、絶対にいつかお前も忘れる」
『ま、まって、なんで……』
「とにかく、俺はもうここまでだ。運が良ければあと何日かはもつかもしれないが、その保証はない。突然話が通じなくなって続行不能になるよりは、この方がいくらかマシだろう」
『まってって、ちょっとまってってば……!』
話を終わらせにいこうとする弥堂の気配を感じ取って、希咲は取り縋るように彼を制止する。
少し画面に近付いた彼女の顔を視て、弥堂は何も思わなかった。
「待つとか待たないの問題ではない。時間の問題だ。時間は人を待たない」
『そうじゃなくって……、わかんないの……!』
「だろうな」
『魂の設計図とか……、存在の強度とか、そんなのあたし知らない……っ! 聞いたことないの!』
「へぇ……、そうか。お前は、お前たちは“それ”を知らないのか。それは貴重な情報だ」
『あんたはなんでそんなこと知ってるの⁉』
「さぁ。というか、信じるのか? 与太話かもしれんぞ」
『茶化さないで……っ!』
核心を打ち明けたようで、本当に奥底の部分には触れさせぬよう躱す弥堂を希咲は睨みつける。
『あんたは本当のことを言ってる』
「そうか? 俺は嘘吐きだ。お前もそう言っただろ」
『そうね。でも、これは嘘じゃない……!』
「どうしてそう思う? 何か根拠はあるのか?」
『ないわ……、勘よ……!』
「そうか。それは厄介だな」
『ふざけるのやめて! そんなことが言いたいんじゃないの……!』
「じゃあ言いたいことを早く言え。これが最期なんだ」
『そんな言い方しないでっ!』
涙ぐみながら叫ぶ彼女の姿に、『まるで別れ話だな』と思いつき、不覚にも口角が上がってしまう。
『あんた、そんなことを知ってるんならさ……』
「なんだ?」
どうやらそれは彼女には気付かれなかったようで、さりげなく元に戻した。
『そんな、普通じゃ知らないようなこと知ってるんなら、大丈夫なんじゃないの……⁉』
「……? どういう意味だ?」
『愛苗のこと忘れないんじゃないのって……! だってそんなこと知ってるのって絶対普通じゃないじゃん……!』
「別に大したことじゃないだろ」
『あたし……、あたしたちも普通じゃないけど……、でも、そんなこと知らなかった……! そんな仕組みみたいなこと聞いたこともなかった……!』
「そうか。それは運がよかったな。知らない方がいい。知ってたところで何の役にも立たない」
『あんたはなんでそんなこと知ってるの……⁉』
「知ってるからだ」
『適当なこと言ってスルーしないでよ! そんなこと知ってるんなら――』
「――さっき言っただろ。どれだけ戦いが強くても、どれだけ頭が良くても、どれだけ見た目が美しくても、どれだけ金を持っていても、そして何を知っていようとも。それが魂の強度に直結するわけではない」
『そんな……』
希咲の眼差しから力が抜ける。
ようやく諦めてくれたようだと、どこか安堵を浮かべた自分に気付いた。
『なんで……、なんでなの……?』
「それは神にでも聞いてくれ」
『なんで……、話したの……?』
「なにをだ?」
『ずっと隠してたじゃん……、今朝だって言ってくれなかったじゃん……。知られたくなかったんでしょ? なのに、なんで今になって……』
「別に。大した理由はない」
『うそ……』
すっかり弱気になった彼女の瞳を視て、その瞳から涙が零れ出す前に終わらせようと、話を終わりに向かわせる。
「さっきも言ったとおり、俺はお前に説いているわけでも教えているわけでもない。俺の記憶の中に記録されたモノを、ただ勝手にお前の前にぶち撒けただけだ。それをどうするかはお前の勝手だ」
『やめて……っ』
「それでもどうしても他の理由が欲しいのなら手切れ金か詫びだとでも思ってくれ。一応最後までやるつもりではあったが、それが出来なくなったからな」
『ねぇ、まって……! わかんないの……! あたしわかんないの……っ!』
「待たない。これでもう最期だ」
『愛苗がこうなってる原因って……、そんな影響を振りまいてるヤツって誰なの⁉』
「考えればわかる」
『だから……、わかんないの……!』
「だったら、俺がやったみたいにお前もぶち撒けてみたらどうだ?」
『え? なに、を……?』
「今までやってきたことを全て捨ててしまってでも。そうして開き直ってみたら、もしかしたら犯人の方も打ち明けてくれるかもな。当然、運がよければだが」
『だれ……? 誰のことなの……⁉』
「少なくとも、俺ではない。お前が話すべき相手は俺ではない」
スッと、手に持ったスマホを下げて画面に表示されたボタンに親指を近づける。
画角が変わったことで、弥堂が何をしようとしているのかが希咲に伝わった。
『まって……!』
「待たない。話は終わりだ」
『おねがい……! あと一週間……、ううん、3日でいいから……!』
「覚えていたらな。だが、無理だ」
『だめっ! おねがい……、愛苗をたすけて……っ!』
「不可能だと言っているだろ。俺ごときに出来ることなどない」
『そんなことないじゃん! あたしが知らないこと知ってるし、絶対普通じゃないじゃん……! ねぇ、あんたは誰なの……? 何者なの……⁉』
「誰でもないし何者でもない。だから何も出来ない。俺は普通の高校生なので、な」
『そんなの……っ! ウソじゃん……! 約束したじゃん……っ!』
「そうだな。だから破るんだ」
徹底して突き放した物言いに希咲の表情が歪む。
それを視て、いい加減に潮時だなと弥堂は思った。
『まってってば! 話をきいて……!』
「聞かない。これ以上は不毛だ。さっき決めたろ? 不毛な話はしない。だからどうしても聞いて欲しければ、次に会った時にでも聞いてやる。覚えていたらな――」
『弥堂っ、まっ――』
「――じゃあな」
一方的に別れを告げて、すぐに通話終了のボタンをタップする。
一瞬で画面は暗転し、光を放つ黒で塗り潰され、その世界から彼女は消えた。
この手で消した。
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