上 下
81 / 621
序章 俺は普通の高校生なので。

序章終 俺は普通の高校生なので、

しおりを挟む
 浴室を出てダイニングに戻る。


 部屋に入ってすぐに、床の惨状が目に入り顔を顰める。

 元々極端に物を置いていない部屋で、さらに電灯を点けていない為に夜になるととても暗い。

 そんな部屋の中で、床に落ちたノートPCと点けっぱなしのTVによる僅かな灯りが照らした散乱状態の床は、より際立って酷い有様に映る。


 しかし、自業自得だと、息を吐く。


 いい年をして物に当たり散らすとは自分が情けない。


 諦めて大人しく片付けることにする。


 シャワーを浴びる為に脱いだ制服のスラックスとYシャツを適当に床に放り、とりあえず一番高価な物であるノートPCから拾い上げようと上体を折る。

 首から提げた逆十字に赤黒いティアドロップの石が吊るされたネックレスの鎖が擦れ、チャリと音が鳴る。


 持ち上げたノートPCの灯りが点いたままのディスプレイを覗くと、画面内を横方向にノイズのような線がいくつも走っており、何が映っているのかわからない状態になっていた。


「…………」


 弥堂はその画面を数秒見つめ、とりあえずノートPCをブンブンと振ってみた。

 それから画面をもう一度見てみるが、当然変化はない。


「…………」


 もう数秒、同じように画面を見つめてから、今度はパンっと引っ叩いてみる。

 ブツンっと画面がブラックアウトし、部屋の中の光量が減った。


 チッと舌を打ち、雑にコード類とUSBメモリを引っこ抜くと部屋の隅へ歩いていき、床に直に置いた燃えるゴミの袋に壊れたノートPCを放り込む。

 ガチャンと破滅的な音が鳴ったが弥堂は気にもせずに元の場所へ戻る。


 続いてスマホを拾うと濡れた感触がする。

 自分の手を見てみれば零れたコーヒーに浸かっていたようだ。


 頭から被っていたバスタオルで雑にスマホを拭いて椅子の上に適当に放り投げておく。


 続いて床の上の黒い水たまりにバスタオルを落すと、足で踏みつけてこれまた雑に拭き取る。

 バスタオルをどかして、拭き取った後の濡れた床に先ほど脱ぎ捨てたYシャツを放り投げると、それもまた足で踏みつけて最悪な乾拭きを開始した。


 清掃が終わり、用済みになったバスタオルとYシャツを先程ノートPCを捨てたゴミ袋に一緒くたに突っ込む。


 この部屋の中で唯一の光源となったTVはまだニュースをやっている。


 耳が勝手に音だけを拾って雑音に過ぎない余計な知識が増える。


 最近美景市内で原因不明の器物の損壊が増えているそうだ。

 今のところ人的な被害は確認されておらず、しかし市内で決して少なくない件数の被害報告が上がっているらしい。

 最新のものだと、本日の夕方に新美景駅周辺で建物と道路に損壊があったそうだ。


「…………」


 そのニュースを聞いて弥堂は一度だけTVへ視線を向け、そしてすぐに自分には関係ないと目を逸らす。

 これ以上の情報の流入を拒否するようにTVの電源を切った。



 することがなくなったので寝室へ向かう。


 碌に拭いていない濡れた髪から水滴がポトリ、ポトリと落ちて床に跡を残す。


 来週発表予定の部活の課題、『普通の高校生として平穏な日常を送っていた僕がある日突然魔法少女と出会った件』について、先ほど考え付いた内容をメモに残しておこうかと思っていたが、ノートPCが壊れてしまっては仕方がない。

 そういうことにする。


 だが本音は違う。


 そんなことをしても、そんなことを考えても無駄だからだ。


 自分は普通の高校生だ。

 普通の高校生は魔法少女とは出会わない。


 それが当たり前のことであり、それでいいはずだ。



 寝室の引き戸を開ける。


 部屋に足を踏み入れようとしたところで、何かを思いだしたように足を止める。


 引き戸に手を掛けたまま数秒、弥堂という人間には珍しく逡巡する。


 やがて、振り返りダイニングルームの中央へ戻る。


 床に放り捨てた制服のスラックスを拾い上げ、バスタオルを捨てた為に空いたハンガーに掛けて壁に吊るす。


 そのまますぐに寝室へ向かい、部屋に入ると間髪入れずに引き戸を閉めた。



 ベッド脇に置いた紙袋に手を入れ、クリーニングから返ってきたビニールに包まれた衣類を取り出す。

 下着とズボンを穿いて袋をその辺に適当に放り、窓に近づく。

 カーテンは閉ざしたまま、窓を少しだけ開けて外の空気を入れる。


 そしてベッド脇に座り込み壁に背を預けた。


 春の夜はまだ少し冷たさを残しており、窓の外から流れてくる微量の風がふわりとカーテンを揺らす。

 膨らんで離れた二枚の布の隙間から、部屋の暗闇に滲むように入り込む月明かりがゆらめいたように見えた。


 膝を抱えて自問する。


(俺は、退屈でもしているのか……?)


 日常生活の中であらゆるものを疑い、それで何も起きなければ苛立つ。


 そんなのはまともな人間のすることではない。


 自分がまともな人間だとは決して言えないが、それでも異常だと自覚がある。


 時間が経つにつれ段々とこの苛立ちを制御できなくなっていっている。


 もしかして、日常生活の中になにか刺激やスリルのようなものを望んでいるとでもいうのだろうか。


(まさか。ありえない)


 以前にそれで、これもかというほどに痛い目にあっている。いくら自分が無能だといってもそこまで馬鹿ではない。


(どうかしてるぜ)


 鼻を鳴らし自嘲する。


 膝を立てて座ったままベッドの下に手を突っこんで床板をずらし、勝手に仕込んだ床下収納から隠していた物を引っ張り出す。


 この部屋に入居する時に世話になった業者に、引っ越し祝いだと押し付けられた菓子が入っていたアルミ缶。

 菓子を捨てて私物をしまうのに使っているその缶の蓋を開ける。


 中に入っているのは、500mlのペットボトルよりは少し細長い黒い布の包み。それとその包みの上に置かれた二つの十字架ロザリオ

 チェーンを掴んでその二つの十字架を取り出す。


 一つは、粗悪な屑鉄を二本交差させて形作っただけの血で錆びた十字架。

 もう一つは、しっかり製鉄されたものに銀細工が施されている。しかし、所々に溶けて拉げ焼け焦げた跡がある。

 そして破損したペンダントトップとは対照的に、どちらも数珠状のチェーンだけは精巧に造られた綺麗でモダンなものが使われていた。


 膝の上に肘を掛け、それらを目線の高さに持ってくる。


「俺は上手くやれているはずだ……」


 しかしその声にはどこか、誰かへと問いかけるような色が含まれていた。


 一年間、高校生をやって。小さなトラブルはあれど、大きな事件はなく。官憲や非合法組織に追われるようなこともない。


「……順調なはずだ」


 だが、それを肯定してくれる者は誰もいない。自分自身すらも。


 平和であることに懐疑的で、平穏であることに居心地の悪さを感じる。

 快適な部屋で文明に囲まれ、飢えも寒さもないどころか暖気のんきに茶など飲んでいられる。


 しかし、その事実に焦燥感を覚えどうにも落ち着かない。


 自分は異常者だ。



 だけど、良くも悪くも慣れていく。


 安寧に苛立ちが募っていく一方で、矛盾しているが以前よりも段々と気も抜けていっている。

 以前よりもミスをするし見過ごしもする。

 しかし、それでも自分は生きている。


 だから、必要がないのだろう。



 だが、それは普通のことであり、それが普通なのだ。


 自分は普通の高校生であり、普通の高校生になる為に、普通の高校生をしている。

 だからこれで問題はないし、順調なのだ。


 何度も同じ言葉を胸中で重ねる。

 自分自身に言い聞かせるように。


 一瞬だけ窓から入る風が強まり、カーテンが大きく揺れる。瞬間的に部屋の明るさが増した。


 膨らんでから萎んでいくカーテンの動きを茫洋と見上げ、その隙間から差し込む見えない月明りに手から提げた十字架を翳して透かして視る。


 普通の高校生の普通の学園生活には事件は起こらない。


 だからこれでいいはずだ。


「そうだよな……?」


 月光を浴びる十字架に磔られた者は誰も居ない。光の向こうもっと遠くまで視線を向けてみても誰も居ない。


 答えはない。



 ベッドから毛布を引っ張り再び膝を抱えて適当に被る。


 閉ざして増やした暗闇の中で目を閉じる。



 きっとこれからも何も起きはしない。


 どこかの路地裏で犬のように野垂れ死ぬのがお似合いだけれど。


 毒のような安寧の中でゆっくりとくたばっていくのが相応しい。



 通常起こり得ない荒唐無稽な非常事態などない。

 無駄なことは考えるべきではないし、するべきでもない。


 だから目を閉じる。



 夢など視ない。


 明日など来ない。


 ただ今日が終わってくれさえすればいい。


 終わらせることだけはいつでも出来るけど。


 だけどそれは許されないから今日を続けていく。



 夢の跡がいつまでも消えないように眠らずに目を閉じた。




 自分は普通の高校生だから魔法少女とは出会わない。














 そう思って夜が過ぎるのを待ったその翌日の放課後。


 昨日も訪れた新美景駅周辺の立ち並んだ雑居ビルの隙間の路地裏の奥で、俺は茫然と上を見上げていた。


 そんなわけがない、そんなはずはないと間抜けにも自失する。


 周囲は桃色の欠片で彩られていた。


 まるで昨日の朝の渡り廊下のように。

 希咲と昨日の放課後に歩いた桜並木のように。


 だが、今この空間に降り注ぐのは桜の花びらではなく桃色の光の粒子。


 空から降りしきるように、或いは宙に漂うように、ペットボトルのキャップほどの大きさにも満たない無数の光の粒子が思い思いに存在し、否が応にも非現実さを感じさせる。


 そんな幻想の只中で俺は立ち尽くしていた。



 俺が見上げる先にあるのは、ビルとビルとに切り取られた四角い空ではなく、3階ほどの高さのビルとビルとの隙間の宙。

 身を隠すことすらも思いつきもせずに、そこに居る者に目を釘付けにされていた。


 その宙に居るのは、人。


 人間の少女。



 自然な色とは思えないピンク色の髪のツインテール。


 戦闘を目的とするはずなのに、そのわりに露出の多い白とピンクを基調とした半袖のトップス。


 白い手袋をした手に握られた子供のオモチャのような短いステッキ。


 フリフリヒラヒラと動くのに邪魔になりそうな飾りの多い短いスカートと、その中から生える二本の足を包むニーソックス。



 それが何もない宙に立っていた。


 昨日の夜に、そんなことはあるはずがないと断じたばかりだというのに、これは一体何の冗談だと笑いたくなる。


 こんなものは居るはずがない、はずだった。


 じゃあ、こいつは一体なんなんだと考えてみても、俺の乏しい見識ではたった一つのものしか連想できない。



 昨日途中で投げ出したゲームの登場人物のような出で立ちをしたそいつはまるで――


 だがそんなことはありえないのだ。

 昨日何度も自分に言い聞かせた。


 なぜなら――



序章:俺は普通の高校生なので  終

1章:魔法少女とは出逢わない  始

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?

ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。 それは——男子は女子より立場が弱い 学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。 拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。 「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」 協力者の鹿波だけは知っている。 大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。 勝利200%ラブコメ!? 既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

男女比1:10000の貞操逆転世界に転生したんだが、俺だけ前の世界のインターネットにアクセスできるようなので美少女配信者グループを作る

電脳ピエロ
恋愛
男女比1:10000の世界で生きる主人公、新田 純。 女性に襲われる恐怖から引きこもっていた彼はあるとき思い出す。自分が転生者であり、ここが貞操の逆転した世界だということを。 「そうだ……俺は女神様からもらったチートで前にいた世界のネットにアクセスできるはず」 純は彼が元いた世界のインターネットにアクセスできる能力を授かったことを思い出す。そのとき純はあることを閃いた。 「もしも、この世界の美少女たちで配信者グループを作って、俺が元いた世界のネットで配信をしたら……」

幼馴染と話し合って恋人になってみた→夫婦になってみた

久野真一
青春
 最近の俺はちょっとした悩みを抱えている。クラスメート曰く、  幼馴染である百合(ゆり)と仲が良すぎるせいで付き合ってるか気になるらしい。  堀川百合(ほりかわゆり)。美人で成績優秀、運動完璧だけど朝が弱くてゲーム好きな天才肌の女の子。  猫みたいに気まぐれだけど優しい一面もあるそんな女の子。  百合とはゲームや面白いことが好きなところが馬が合って仲の良い関係を続けている。    そんな百合は今年は隣のクラス。俺と付き合ってるのかよく勘ぐられるらしい。  男女が仲良くしてるからすぐ付き合ってるだの何だの勘ぐってくるのは困る。  とはいえ。百合は異性としても魅力的なわけで付き合ってみたいという気持ちもある。  そんなことを悩んでいたある日の下校途中。百合から 「修二は私と恋人になりたい?」  なんて聞かれた。考えた末の言葉らしい。  百合としても満更じゃないのなら恋人になるのを躊躇する理由もない。 「なれたらいいと思ってる」    少し曖昧な返事とともに恋人になった俺たち。  食べさせあいをしたり、キスやその先もしてみたり。  恋人になった後は今までよりもっと楽しい毎日。  そんな俺達は大学に入る時に籍を入れて学生夫婦としての生活も開始。  夜一緒に寝たり、一緒に大学の講義を受けたり、新婚旅行に行ったりと  新婚生活も満喫中。  これは俺と百合が恋人としてイチャイチャしたり、  新婚生活を楽しんだりする、甘くてほのぼのとする日常のお話。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

性転のへきれき

廣瀬純一
ファンタジー
高校生の男女の入れ替わり

処理中です...