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序章 俺は普通の高校生なので。
序章40 いつもの帰り道
しおりを挟む学園を出て旧住宅街を国道沿いに歩く。
いつも通りの帰り道。
比較的新しく整備された大きな国道によって、まるで守られるように街の南側と区切られている学園に近いこの一帯には、割と年季の入った古い建物が多い。
しかし、金と人の手がしっかりと掛けられているのだろう、その家屋たちには風情はあれど廃れはない。
一軒一軒が広く敷かれており、典型的な日本の住宅街に感じるような閉塞感はない。
恐らくは裕福な家が多いのだろう。
国道の反対側の歩道の横は土手になっており、その向こう側には人工の浅い河川が静かに流れている。川の水と共に海へと帰っていく風が向こうの歩道横の草を揺らした。
前を歩く彼女の横で括った髪が、その草木と同じように揺らめいたように見えた。
水門に目を遣る。
こんな浅い河川に必要なのかと物議を醸しそうな程に、神経質に一定間隔で小規模な水門が設置されている。
その水門の上部は向こう岸へ渡る橋にもなっている。
使う者はそんなに多くないようで特に夜から朝にかけては殆ど人通りがないようだ。たまに現れる遅い時間帯の利用者の用途は主に自殺だ。
現在時刻で既に人通りのないその橋を弥堂は目を細めて視た。
旧住宅街の端に来る頃にはこの人工の河川も終わりを迎え、街の南にある新設された貿易港へと繋がる水路へ飲み込まれる。
このあたりまで来ると、旧住宅街と河川向こうの新興住宅地との境界も曖昧になっていき、こちらも比較的新しく出来た新商店街へ接続する。
その三つの地域の接点となる国道沿いには大きめのショッピングモールがあり、その先に商店街が伸びていく。
『MIKAGEモール』と、新しく出来た割に何の捻りもなく真新しさを感じさせない名前が記された看板が目に入る。
いつもの帰り道。
この夕方の時間帯は、弥堂が歩く国道とショッピングモールとの間で車の出入りが多く、今日もやはり混雑気味だ。
前を歩く彼女はやや俯き気味に歩いている。
先ほどバッグに手を突っ込んでいたので恐らくスマホでも見ているのだろう。
歩道には広い駐車場が隣接しており、大型のスーパーマーケットが組み込まれている施設がら主婦の利用者が多く、それに伴い子供も多い。前を歩く彼女のように周囲に払う注意が足りなければ、時に事故も起こりうる。
施設入り口の大きめの横断歩道、その近くに置かれた小さな瓶。
その口に刺さった茎にぶら下がる、晒し首のような枯れかけた花を視る。
国道を逸れて新商店街へ入っていく。
いつもの帰り道。
商店街の中は個人で経営をしているような小規模な店が多い。
企業が運営しているような店舗は多くがショッピングモールに出店しているようだ。
中ほどまで進むと、ゲームセンターやカラオケ店に、ボーリング場などのアミューズメント施設が増える。
目的地である新美景の駅前にもそういった店舗は多いのだが、歓楽街でもあるあちらは治安も悪く利用者の年齢層も高くなっており、こちらは駅からの接続は悪いがその分地元の健全な若者たちが遊び場にしやすくなっているため、自然と住みわけができているようだ。
己の分を弁えず居場所を見誤った者がたまに事件に巻き込まれる。
前を歩く彼女は大きめのカラオケ店の前へ差し掛かった。
条例によりこの商店街では大きな音を流すことを禁じられているので、代わりにこれでもかと電飾を光らせ、通りすがる者に入店を促している。
しかし、その甲斐なく、彼女はカラオケ店の向かい側の洋服屋のウィンドウに飾られた商品が気になっているようで、そちらには見向きもしない。
揺れるサイドテールへ視線を向けていたら彼女の横顔が映った。
少し歩くスピードが落ちた彼女へ合わせ、こちらも歩調を調整し距離を一定に保つ。
特に立ち止まることなくカラオケ店を通り過ぎると、彼女と入れ違いのような形で店から数名のガラの悪い男たちが出てきた。
彼らは弥堂と同じ美景台学園の学生服を着用している。
その彼らは通り過ぎて行った彼女に気付き、顔見知りなのか何やら彼女へ声を掛けた。
彼女は気付かなかったのか、無視をしたのか――恐らく後者だ――振り返りもせずにそのまま歩いていく。
男たちは苛立ったように地面に靴底を叩きつけ、彼女を追うような仕草を見せる。
そのタイミングでちょうど弥堂は彼らの真後ろへと来た。
仕方がないので仕事をする。
背後から左手で一人の髪を掴みカラオケ店の壁に叩きつける。
その音に驚き勢いよく振り向いた一人の顎に右を振る。
何か声を発しようとした一人の腹を爪先で刺す。
残った一人が立ち竦んでいるのを尻目に、倒れた者たちをカラオケ店と隣の店舗との隙間のような狭い路地に投げ込み片付ける。
作業を終え残りの一人にジロリと目を向けると、怯えに顔を歪めた彼はダッと駆け出し泣きながら自分で路地へダイブしていった。
仕事を終えたので再び彼女を追う。
弥堂の予測では恐らくは来週より放課後の生徒の活動へ大幅な指導が行われることになる。
校外で遅い時間まで遊びまわり非行活動に勤しむ者たちに関するクレームが、市内各所の住民どもから近頃多く学園に寄せられているからだ。
その対策として生徒達への完全な下校の注意喚起と、従わずに徘徊する者への粛清が大規模に行われることになるだろうというのが弥堂の見立てだ。
それを決める会議はまだ行われておらず、当然そのような命令も現段階ではされていない。とはいえ、それは早いか遅いかの違いでしかない。
どうせ来週には彼らを殴ることになっていただろう。
ならば、今日殴っておいても大差はないということだ。
弥堂は効率よく仕事を前倒しすることに成功した自らの手際に一定の満足感を得た。
数秒の遅れを取り戻すべく彼女に追い着こうと前方に目を向ける。
すると、先行しているはずの彼女は立ち止まっており、呆気にとられたような顏でこちらを見ていた。
何かを言いたいのか、言いたくないのか。
数秒、唇を波立たせ逡巡し、やがて諦めたように彼女は肩を落とした。
頭痛を堪えるように額に手を当てながらトボトボと歩いていく。
その歩行スピードに合わせ、一定の距離を空けながらこちらも歩く。
その傍ら、一軒だけシャッターを閉じたままになっている店に視線を遣る。
『ご愛顧ありがとうございました』と書かれた貼り紙がシャッターに貼られおり、その貼り紙の下には『立ち入り禁止』と黒字で書かれた黄色いテープが何重かに貼られている。
そのシャッターの鍵穴の奥を弥堂は目を細めて視た。
新商店街を奥へ進んでいくと段々と店舗が疎らになり、独り暮らし用のアパートなどが混ざっていく。やがては集合住宅だらけになっていく。
学園や役所に登録している弥堂の現在の住まいはこのエリアにある。
いつもの帰り道。
前方からジョギング中と思われるスポーツウェアを着た男が近づいてくる。
その後ろを、彼の飼い犬なのだろう、数匹の犬が追走している。
比較的身体の大きな成犬が1匹に、その後ろに子犬が3匹。
彼女もそれに気付いたようで気持ち道を空けるように端に寄った。
どうも子犬に興味津々なようで、それらを映す瞳が輝いたように見えた。
道を譲ったことで飼い主が会釈をする。
それに挨拶を返しながらも視線は子犬に釘付けだ。
他の子犬よりも鈍くさいのか、群れから少し遅れて最後方を走る個体に、まるで応援の念を送るかのように一際熱視線を向けている。
彼らとすれ違いながら子犬へ目を向け続け、後ろ歩きでも始めてしまいそうなほどに歩くスピードが落ちていく。
その速度に合わせて一定の距離を保つ。
群れが通り過ぎた後も振り返りながら目を細めて犬の尾を追い、やがて彼らが弥堂の横を通り過ぎるタイミングで彼女はこちらの顏を見て、なにやら期待をこめたキラキラとした視線を送ってくる。
すぐにその目と目が合う。
すると、何か気に食わなかったのか、こちらの顏を見た彼女は気分を害したようにムッと表情を顰め、プイっと前を向いてしまった。
苛立ったせいか、歩行ペースが先ほどよりも速くなった。
その速度に合わせて距離を保つ。
しばらく進むと飲食店や飲み屋が増えてきた。
もうじき目的地である新美景駅だ。
弥堂の自宅はもう通り過ぎてしまったが、今日は駅前のスーパーがセールを行っている。Y’sからそのような情報を受け取っていたので、もともと放課後に買い出しに来る予定だった。
いつもの帰り道。
時間帯を考慮するに仕事帰りの人間たちだろう、人通りが増えてきた。
前を歩く彼女の歩調が先程よりも静かになり、彼女の髪の尾の揺れから柔らかさがなくなったように感じた。
新美景駅が見えてくる。
どこまで着いていくべきかと思考を巡らせようとした時、前方の彼女が一度クルっと回った。何か意図をこめた瞳が通り過ぎて再び彼女は前を向く。
立ち止まることなく駅に向かいながら、右腕を肩まで上げて手首を動かす。
ヒラヒラと手を振り腕を下ろす。
ここで解散ということだろう。
弥堂は立ち止まり駅へ向かう彼女の背を見つめる。
両側を雑居ビルに挟まれた通りの人混みの隙間を器用にすり抜けていく。
ここのメイン通りはまだマシだが、このあたりから治安も大分悪くなっていく。
迂闊に雑居ビルの横の狭い道を入って路地裏に行こうものなら、表を歩きたがらないような、或いは歩けないような類の者どもに出くわす。
駅の反対側にある歓楽街はさらに顕著で、市の再開発計画から漏れてしまったため古くからの入り組んだ路地が未だに残っており、そこを奥へと進むと国籍不明の人間たちの町などが出来上がっている。
度重なる暴力団への規制の影響で弱体化した地元の組のナワバリから外れたそこでは、モグリの売春婦が立ちんぼをしていたり、堂々と麻薬を捌いているモグリの売人などの姿も普通に目に入る。
駅のロータリーに入る手前、新商店街から続いてきたこのメイン通りと狭い路地との角を彼女が通り過ぎる。
路地の角に突き立った電柱に『キャスト募集! 面接はこの奥で』と書かれた実在すら怪しい店の捨て看板が針金で巻き付けられている。
その電柱の奥から、薄く口を開け仄暗いその口腔を覗かせる一際雰囲気のある狭い路地。
弥堂はその路地の奥を視ると、睨みつけるように目を細める。
視線を戻す。
綺麗な姿勢で歩調を乱さぬままその美しさは雑踏へ混ざり溶け込んでいく。
人並の中、時折り覗く髪の尾を見失わぬよう目で追う。
南口の階段を上がり駅の建物の中へ消えていった。
振り返り来た道を戻る。
いつも通りの帰り道。
いつも通りの風景になった。
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