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序章 俺は普通の高校生なので。

序章08 嘘と誠実の硬貨

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 2年B組教室。


 希咲 七海きさき ななみは手に持ったレモンティーのパックジュースのストローを咥え、気のない様子で“じゅるぅ~”と中身を啜る。

 口に咥えた半透明の管の中をレモンイエローの液体がゆっくりと昇っていく。少々行儀が悪いとは自分でも思うが、昼休みの残り時間と飲み物の残量の調整のためにパックから中身の飲料をゆっくりと吸い上げ、自身の正面に胡乱な目を向けながらちびちびと飲んでいく。レモン風味はあるものの紅茶感のお粗末さに口の中に寂しさを覚えさせられた。

 学園に設置されている飲み物の自販機で販売しているそのパックジュースは、価格は100円とお求めやすくそれには大変お世話になっているのだが、その代償にレモン的な味は気持ちだけ感じられるものの紅茶の風味は皆無で、レモンティーな気分だけは辛うじて味わえる程度の商品となっていた。
 同じ自販機のラインナップには、値段は倍の200円でしっかりとレモンティーになっている商品もあるのだが、希咲はコストパフォーマンスを重視しこちらの安い物を常飲していた。シュガーレスだけが救いである。


 そんなことよりもと、挙動不審にもたもたと自作の弁当を箸で弄る目の前の親友について考える。

 教室の机を向かい合わせに並べて一緒に食事を摂っているのだが、昼休みが開始して大分経過し残り時間をそろそろ意識しなければならない頃だというのに、向いの彼女――水無瀬 愛苗みなせ まなは未だ食事を続けていた。

 食事を終えるどころか先程から百面相をしながら、箸で弁当箱の中身の自作したおかずを持ち上げては戻すという奇行を繰り返している。

 希咲自身はとうに食事を終えていて、5分ほど前には今朝に自作してきたサンドウィッチの最後の一切れを食べ終わってしまったものだから、こうして食事を共にしていたパートナーである彼女を、飲み物の残量を気にしながら眺めることになっていた。


(しっかし……よりによって弥堂ねぇ……)

 気だるげな視線の先の水無瀬は自作弁当の出来栄えが気になって仕方がない様子で、先程から箸で持ったものを口には入れずに、から揚げを摘まんでは様々な角度から眺め元に戻し、卵焼きを持ち上げては様々な角度から眺め戻し、そして現在プチトマトを持ち上げて様々な角度から眺めようとして、ツルっと箸から滑り落とし取り乱しそうになりつつも、プチトマトさんが自力で白米の上に着地をキメて無事に生還をし、事無きを得てホッと胸を撫で下ろしたところである。

(プチトマトの出来はあんた関係ないでしょーが)

 そんな彼女の様子に思わず苦笑いが漏れる。


 状況としては――自分の親友である水無瀬 愛苗がクラスメイトの弥堂 優輝びとう ゆうきの為に弁当を作ってきて、現在校内のどこかで彼がそれを食している。その為自分の作ってきた弁当が彼の口に合うかどうかが気がかりで、一向に自分の食事が進まない――というわけだ。


 左手で頬杖をつき右の頬に垂れて来た毛束を指でクルクルと回す。

(う~~ん……)

 心中で唸りながら思いを巡らす。


 青春真っ盛りの現役JKがクラスの男の子に手ずからお弁当を作ってきてあげる。

 どう考えてもこれは『そういうこと』なんだろう。

 なにせ、希咲は一年生の時から水無瀬とは友達で、彼女から何かにつけて『弥堂くん』『弥堂くん』と聞かされているし、お弁当を作ってあげたいけど料理をしたことがないからって、彼女がお母さんに教わりながら練習を数か月もしてきたことも知っている。

 そしてこの度無事に仮免許を取得し本日ついに決戦に挑むことも本人から聞いて知っていた。念のためにと昨日は彼女の弁当を試食してあげてもいる。


 状況証拠だけを見るのならば、自分の親友『水無瀬 愛苗みなせ  まな』は『弥堂 優輝びとう  ゆうき』のことが好き。

 そうとしか考えられないのだが、希咲 七海きさき  ななみにはどうにも腑に落ちない思いがあった。


 何というか、そう、彼女から『恋心』のようなものが一切感じられないのだ。

(そういえば今まで『そういう』話をしたことなかったわねぇ……)

 指で手慰みに巻いていた髪を解放し頬杖をやめ、パックジュースをまた手に持つと背もたれに寄りかかり姿勢を変える。スラリと細く長いその右足を持ち上げると左膝の上に置き足を組む。紙パックに刺さったストローを唇に当てながらより深く思案する。


 年頃の女子高生にあるまじきとは自分でも思うのだが、希咲自身も自分の身の上的なものや周辺の人間関係上あまり自分自身に関する色恋沙汰の話を好まないところもあり、そのため所謂『コイバナ』をこの親友と自他ともに認める水無瀬 愛苗ともしたことがなかった。実のところ、他人のコイバナは好物ではあるが自分のことは話したくない為、他の女子がそういう話をしていても加わりづらいところがあった。

 水無瀬をぼんやりと見つめながら、パックに残ったレモンティーを全て吸い上げ、そして考える。
 彼女は昼休みの残り時間に気付いたのか慌てて一所懸命にご飯を頬張っていた。かわいい。



 希咲から見て水無瀬 愛苗はこういった仕草の一つ一つというかもう結論全部かわいい――のだが、良く言えば純真で無垢で初心で、ちょっと悪く言えば同じ年頃の他の少女達と比べても少し情緒が幼いと感じていた。
 この水無瀬から『誰々が好きでー』とか『昔の好きな人がー』とか何なら『元カレがー』などの話はもちろん聞いたことがないし、そういった恋愛事情の存在なども全くを以て想像がつかなかった。
 

(でもだからってまさか初恋ってわけでもないだろうし……)

 自分も自分で他人様のことをどうこう言えるような『事情』でもないのだが、「うーん……」と唸り、パックの中身はもうなくなったにも関わらず、思考に気をとられ咥えたままになっていたストローの先端を逡巡するように口の中で舌先で弄ぶ。

(一度そういう話もツッコんだ方がいいのかしらねぇ……)

 視線を宙に彷徨わす。

(『親友』かぁ……)


 希咲 七海と水無瀬 愛苗。お互いにちょっとだけ『特殊』な身の上で、お互いにその『事情』を軽くは伝えあってはいる。
 軽く。浅く。

 だが、この先も『親友』として関係を続けていくのであれば、もう少し踏み込んでいきたいとそう考えてはいた。

(いいきっかけではあるかもね……愛苗のこと知ってるつもりで全然知らないし)

 意外と聞いてみたら、先程想像もつかないと称した彼女の恋愛経験が割と豊富だった、なんてこともあるかもしれない。これまでに2・3人くらい男の子と付き合ったことがある、なんてことも絶対にないとは言い切れない。

 そうだ。勝手なイメージで決めつけることはよくない。自分自身それで嫌というほど不快な思いをしてきているというのに。ちゃんと聞いて、ちゃんと知って、それからちゃんと親友をやろう。

 それには当然、自分のことももっと話さなければならない。それは少しだけ憂鬱で、いつも胸に刺さったままの小さな棘のようなものが鈍い痺れに似た幻痛を伝えてくるようだった。

 でも大丈夫。きっと『上手く』やってみせる。

 そう自嘲してから「うんうん」と自分を鼓舞するように頷くと、口に咥えたままの空の紙パックもそれに合わせて動くのが視界に映る。
「おっと、これはさすがに行儀わるすぎ」と改める。組んでいた足を揃えて座り直し、寄りかかっていた背もたれから身体を起こすと口に咥えていたストローから空の紙パックが抜けて落下する。危なげなくそれを片手で掴み取り視線を上げると、水無瀬が首を傾げてこちらにまん丸な目を向けていた。


 きっと『うんうん』唸ってる自分に気付いて不思議に思ったのだろうと、一連の自分の不作法を見られた後ろめたさもあり、「なぁに?」と苦笑いを浮かべながら声をかける。
 

 水無瀬は首を傾げたままじーっと対面を見つめてから、何か思いついたのだろう、その目を“ぱちくり”と一つ大きく瞬きさせ、閃きを得た時の漫画などで用いられる古典的な表現の頭上に電球が点灯する様のように、頭の上にお花がピコンっと生える様をこちらに幻視させた。

 そして、手に持った箸で掴んでいた一口サイズの卵焼きを希咲の口元へと差し出す。

 それを受けて今度は希咲がその形のよい猫目を丸くさせる。
 
 すぐに優し気に目を細め微笑み、少しだけ顔を左に傾け耳に掛けるように右手で髪を抑える。
 口を開いて、差し出された卵焼きを口腔内に含み舌の上にのせてからその唇を緩く閉じる。合図を送るように軽く歯をあてると、薄い桜色の箸が唇の間をゆっくりと滑り引き抜かれる。

 じっくりと丁寧に咀嚼をすると作り手本人そのもののような優しい甘さが、舌の上から、口の中から身体中に拡がるようで。それは麻酔がかかっていくように、先程感じた憂鬱を、胸に刺さった棘から染み出る鈍い痛みと痺れを、甘く優しく溶かしてくれたような気がした。

 錯誤的な惜しみを感じながら麻酔薬のような甘さを嚥下し、こちらの表情を窺うように向けられている少しの不安を孕んだ丸い瞳を見つめ返す。自分に出せる一番の優しい声を精一杯心掛けながら、声帯を操り舌を操り言葉をのせる。

「ん。美味しいわよ。ありがと」

 目の前の少し幼いその面差しが満面の喜色を咲かせたのを見て、優しさを返すことに成功できたのだと安堵する。

 それだけで彼女が、水無瀬 愛苗が自分にとって、希咲 七海にとって大事な友達で、自分は彼女のことが好きなんだと確認できた気がした。


 心に誓う。


(この子は絶対に――あたしが守る――)


 にへらと笑っていた水無瀬が時間がないことを思い出して、また慌てて食事に戻るのを見守ってから窓の外に目を向ける。

 よく晴れた日の春の空。『あいつ』が持って行ったお弁当袋と同じ色の青い空。その空に願う。


 今頃この空の下で、あのお弁当袋の眼つきの悪い犬のアップリケの様に座り込んでいるあいつが、今の自分と同じ様な気持ちでいて欲しいと。
 この優しい甘さがあの気難しい鉄面皮に麻酔をかけて、溶き解してくれていればいいなと。

 そうであって欲しいと、希咲 七海は願った。





 体育館裏。


 希咲 七海きさき ななみが教室で、窓の外へと祈りを願いを想っていた頃、穏やかな春のよく晴れた青い空の下、弥堂 優輝びとう ゆうきは鋭い眼差しでパンツを睨んでいた。


 正確には、手に持ったスマホのディスプレイに映った女性が着用していると思われる下着の画像を見ていた。


 先程のY’sワイズとの意味不明なやりとりの最後に、奴からメールで送られてきた画像リンクをタップしたらこのような画像がDLされたのだ。

 かなり被写体に近い距離で撮ったのか、それとも遠くから撮影したものをズームしたのかはわからないが、下半身の下着部分に寄っていて、画面に映っているのは捲れた学園指定の女子制服の青のチェックのスカート、地面へと伸ばしていると思われる左足の太腿、膝を上げていると思われる右足の内腿に、股間部分を覆う下着が映っていた。

 仕事に関連した内容のメールを開封したつもりだったので、画像を開いた時は少々驚いたもののそれよりも疑問の方が勝る。

(何故下着……いや、『おぱんつ』が……?)

 弥堂は所属する部活動の上司である部長の廻夜めぐりやが定めた『サバイバル部』の掟として、妙齢の女性の下着については『おぱんつ』と『おブラ』と呼称するように義務付けられていた。素っ気なく『下着』と呼ぶのは余りにも敬意が足りない。なので感謝と尊重と親しみも込めてそう呼ぶようにと強く言い付けられていた。

 弥堂としては道具は所詮道具でしかなく、肌着の呼び方などどうでもいいのだが、気になるのは何故そのおぱんつの画像が仕事の連絡で送られてきたのかだ。


 先ほど弥堂はまず情報収集担当の部員であるY’sに『不良生徒』に関するデータを集めるようにと要請をした。

 そうしたらY’sからは報酬として『使用済みの靴下』を要求された。

 弥堂は渋々その要求を飲み、これを受諾する代わりに『仕事の成果に色をつけろ』と要求した。

 奴は『よろこんで』と快諾し交渉は成立した。

 その結果としてすぐに送られてきたのがこの『おぱんつ』画像である。


 一連の狂った流れに『色』ってそういう意味じゃねえんだよ、と言いたくもなるが不可解な点がある。


 まず要求した成果が送られてくるにしては速すぎる。
 要請してから数秒だ。するとこれは予め準備されていた画像データであり、そうであるのならば別件だろう。

 これまでを考えるとY’sが、意味のわからない奴ではあるが意味のない情報を寄こしたことは一度もない。
 先程対話をした印象では相当に巫山戯た人格ではあるようだが、あの廻夜が集めたメンバーだ。『仕事』を知らせる暗号文入りの連絡で悪戯と混同するようなことはしないだろう。

 ならば別の案件で必要な情報、もしくはこれから必要になる可能性の高い情報、ということになる。だが――

(これが必要になる事件とはなんだ……?)

 むしろどう見ても盗撮にしか見えないこの画像が弥堂の手元にあることこそが事件だとしか考えられないが、まさか奴が自分をハメる算段な訳でもあるまい。弥堂は何か意味があると思い、目を細め一点の瑕疵かしも見逃さぬ心意気で画像のおぱんつを注視する。


 そのおぱんつは薄い青もしくは緑のどちらにも見えて、どちらとも定義しづらい色の布地で出来ており、中央に黄色いリボンが、その両サイドに同じく黄色の花が、スカートの影になっていて見えない部分もあるが恐らく2つずつ刺繍されていた。
 身体の側面を覆う部分の布地は薄いピンク色になっており、少々凝った意匠のように弥堂には見えたが、そもそもおぱんつの意匠の基準に関する造詣は深くはないので弥堂には判断しづらい所であった。

 スカートは間違いなく学園指定の女子制服のプリーツスカートで三種類ある配色の内の青色のチェック柄。右足の膝を上げたことによりスカート内部のおぱんつが露呈したものと推測される。相当にカメラの性能がいいのか右の足の内腿には薄く青い血管が何本か走っているのまでが映っていた。

 直立状態の僅かに映った左足の太腿と右の内腿から推測するに、細い足、だが極端に肉付きが悪いわけではない。健康的な印象を損なわない程度に白い肌で日焼け跡はなく、また目立った傷やシミなどもない。端的に言えば綺麗な足だと思われる。


 真剣におぱんつを考察してみたものの、これだけではこのおぱんつの主もわからないし、やはりそもそもの問題であるこれを送ってきた意図も掴めなかった。

(盗撮事件が起きているからそれを解決しろということか? ……む? )

 そう考えたところで画像がもう一枚あることに気付く。
 
 すぐにそちらを開くと、一枚目の画像はズームしたものだったのだろう、二枚目のものはそれよりももっと引いた位置で撮影された画像でしっかりと人物の全体像までフレームに収まっており、そしてそこに映っていたのは――


――希咲 七海きさき ななみであった。

 画像の中には希咲 七海と、カメラ側から見てその希咲の手前にこちらに背を向けて座っている水無瀬 愛苗みなせ まなと思われる人物が映っていた。
 
「ふむ……」

 指で自身の顎先を撫でながら考える。


 希咲は座席に座った水無瀬の正面に立ちこちら――つまりカメラ側を向いて右膝を上げている。右手は胸の高さで空中にある何かを掴んでいるようであり、左手は水無瀬の影になっていて定かではないが恐らく彼女の髪を掴んでいるように見える。

 恐らくこれは今朝のHR終了後から一限目が始まるまでの間の一幕だ。自分はこの時この現場のすぐ隣――すなわち、この画像の希咲の背後にいたことになる。

 撮影当時の現場の状況は見えてきたがその場合問題になるのが、カメラ位置だ。


 2年B組の教室は二階だ。そしてカメラの角度的に被写体の上の位置でも下の位置でもなく、ほぼ正面から撮影をしている角度だ。背中が映っている水無瀬の座席は一番窓際であり、その背後は屋外だ。故にこれは外から撮影した写真ということになる。しかし――

(学園の外壁の外からここまでを撮影するのは不可能……)

 現場検証をするまでは断言できないが、敷地外の建物からこの教室までの距離はかなりあり、その距離を撮影できる望遠レンズがあったとしても、そこまでに遮蔽物が何もないわけではない。
 教室の窓の外に並んでいる木の上からという線もあるが、すぐ傍に自分が居てそれに気付かない程に腑抜けたつもりも油断していたつもりもない。


 これを撮影出来た可能性があるとしたら一つだけ。


 学園敷地内の安全監視のために運用している『半自立型ドローン』だ。
 これの撮影機能を利用すればこの写真の撮影は不可能ではない。しかし――

 このドローンは監視カメラのようなもので、これを管理しているのは学園が雇用している専属のセキュリティスタッフだ。外部への委託で警備会社から出向して来ている者達ではなく、学園のオーナーである理事長が専属の警備員として直接雇用しているかなりのプロフェッショナル集団だ。

 考えられるのはその『警備部』がこの撮影システムを悪用しているか、もしくはその警備部と学園の一部の職員しか閲覧が出来ない撮影データに不正にアクセスをして、この画像を抜き取ったか。

 そんなスキルを持った奴がこんなくだらない画像を抜き取る理由はわからないが、技術をひけらかしたい愉快犯という可能性はゼロではない。

 それが出来そうな心当たりといえば、これを弥堂に送り付けてきたY’s自身が弥堂の知る限りでは最有力候補だが、奴がそれをする意味はまったくもってない。Y'sが撮影データを抜きだすのなら、希咲の意味もなくカラフルなおぱんつの画像などではなく、他部の生徒のいじめや喫煙などの不祥事の現場写真であろう。

 そしてここまでの推察はあくまで、これの撮影をした犯人の目的が『盗撮』であることが前提となる。


 ドローンの利用ではなく、もしも学園敷地内外問わず遠距離から望遠カメラでこれの撮影が物理的に可能であったと仮定して、この瞬間を撮影するには余りにも偶然に頼りすぎている。

 希咲がこの時間この位置に立って足を上げて、本来は衆目に晒すものではないのにも関わらずやたらと主張の強いおぱんつを晒したのは、ただの偶然だ。

 そしてこれの撮影を実現するにはこの場所にカメラをずっと向けていなければ、それは実質不可能であると言える。だとすれば、ここを張っていた目的として推測されるのはこのアングルのフレーム内に収まる誰かの監視、もしくは――

(――狙撃)


 しかし、それが目的だったとしてこんな画像が流出している理由もわからない。考えられるとすれば脅迫だろうか。

「ふむ……」

 現時点で考えられることには手詰まりを感じ、一度思考を切る。


 Y’sにこれの意図を問うメールはもうすでに返信済みだが、先程のやりとりの時の返信速度が嘘だったかのように音沙汰がない。
 もしも狙撃だった場合に弥堂には銃火器の運用に関する専門的な知識はない。業腹ではあるがあのいけ好かない警備部へ報告・相談をするべきだろう。

 いずれにせよ現状で出来るのはY’sからの連絡を待つことと、その間に現場の検証だ。
 弥堂はこの『希咲七海おぱんつ撮影事件』をレベル4案件と設定した。


 最後の画像付きメールだけを残してそれ以外のメールは完全に削除をする。その作業の際にディスプレイ上部の時計が目に付く。
 すっかりと気をとられてしまったが昼休みの残り時間は大分少なくなってきていた。

 
 弥堂は水無瀬から渡された弁当の存在を思い出し、ここで『仕事』は打ち切ることにしてそちらの処理にとりかかる。
 手に丸めて持っていたEnergy Biteエナジーバイトの空の包みを、ポリ袋の中へと捨てる。そしてその袋の隣に置いていた、水無瀬から渡されたファンシーな青色の弁当袋の縛り口の紐を緩め、中から弁当箱を取り出した。

 出てきた弁当箱はシンプルなアルミ製のものだ。弥堂はそのことに安堵した。弁当箱まで外袋のように、やたらと幼稚なものであったのなら堪ったものではない。時間もないのでとっとと解体にかかる。

 箱の上に載せてゴムで固定された保冷剤を退けて、箱の両脇の留め金を外すと、目を細め少し慎重にその蓋を持ち上げる。蓋は特に問題なく外れ、その中身が露わになる。弥堂は箱の内容物へと目を向ける。特に変哲もない弁当であるように視えた。


 あの言動が幼くそそっかしいところのある水無瀬 愛苗のイメージからすると、無難で卒のない出来栄えに視える。最悪食べ物の形状を保ってすらいない物体が出てきてもおかしくはないと、そう構えていた弥堂からすると少々拍子抜けとも思えた。


 奇を衒ったようなものではなく、シンプルな弁当。

 仕切りで二つにわけられ片側にはおかずが綺麗に詰められており、登校時に走ってきたという割には配置が崩れているようなこともなかった。『練習をした』という言葉通りなのだろう。彼女の母親がレクチャーした通りに真剣に作ってきたようだ。

 おかずは一度熱した根野菜とブロッコリーに、プチトマトを並べたサラダと鶏のからあげ、半分にカットされて並べられたハンバーグに黄色い卵焼き。定番とも謂える無難なラインナップだ。

 それはいいのだが問題はおかずと仕切りで分けられた隣の米だ。

 白米の上にやたらとカラフルな何かが数種類振りかけられており、キャラクターの絵柄がデザインされていた。
 
 弁当袋のアップリケと同じ、眼つきの悪いデフォルメされた犬と、その隣に桜のような花が描かれている。それに加え先は無視したがおかずの肉には小さなフラッグの付いた串が何本か刺してあり、やたらと賑やかになっていた。

(あいつは一体俺を何だと思っているのだ……)

 少々頭痛を覚えそうになりながら、犬が好きなのか?と水無瀬に関するどうでもいい情報を更新する。


 弁当袋に同梱されていた箸箱から箸を取り出し右手で持つ。

 もう一度目を細め弁当の中身を一つ一つ視遣ってから、箸をハンバーグへと持っていき、すでにカットされていたそれをさらに二つに割る。箸で持ち上げ肉の断面を視てから、そのハンバーグを箱の中へと戻した。

 次に箸を米の上に描かれた犬の口に突き入れ敷き詰められた米ごと掬う。それを口元へは持って行かずに、掻き混ぜるように、ひっくり返すように弁当箱に戻す。

 数度、何か所かに同じ作業を行ってから箸を揃えて指で挟む。空いた右手で先程使用したポリ袋を手元に引き寄せ、左手に持った弁当箱を袋の口の上に持っていき、その弁当箱の上下を裏返した。


 綺麗に敷き詰められていたおかずと、丁寧に描かれていた絵柄が袋の中へ落ちていく。
 先に捨てていた栄養バランス食品のゴミの上へ、から揚げが、ハンバーグが、桜が散り、米が、野菜が、そして卵焼きが、ぼとぼとと零れ落ちていって等しくゴミになった。
 
 再び箸を手に持ち、箱の底に残った米粒をゴミ袋の中へ落としていく。

 その作業が完了したら立ち上がりすぐ近くにある水道へと歩く。弁当箱の中身を軽く濯ぎまた元の位置に戻ると、座りはせずにゴミ袋の中からゴミと一緒に落ちた仕切り板と、旗のついた串を箸で掴み回収し、弁当箱の中へと戻す。箸を箸箱に戻し、弁当箱も蓋をして元通り弁当袋へ戻した。

 ゴミ袋の口を持ち手部分で縛り封をしながら焼却炉へと歩いていく。扉が開けっ放しになっていた炉の口からゴミ袋を放り入れそのまま扉を閉めた。

 他人が目の届かない場所で作ったものなど口に入れる気にはならない。
 

 飲みかけの水のペットボトルと弁当袋を回収し教室へと戻るためこの場を立ち去る。


 炉の中で、少女によって生み出され男によって打ち捨てられた想いが、無情に閉ざされていく扉の隙間に自分を見向きもしてくれなかった色のない横顔と、容赦なく狭まっていく光の帯を見ていた。

 その身が焼かれ燃やし尽くされるまでもう二度と何も見ることはない。






 教室への扉を開ける。午後の授業開始まではあと14分といったところだろうか。

 いつも通り室内の様子を確かめてから足を踏み入れ自分の席へと進む。教室内であちこちに散らばった生徒達の隙間を歩いていくと、水無瀬 愛苗みなせ まな希咲 七海きさき  ななみが俺の席で待ち受けていた。


 予想はしていたが、もう少し時間を潰してから戻るべきだったかと面倒になる。だが、どうでもいい。
 俺が椅子に座るのを阻むようにルートを塞いで立つ二人に目をくれる。

 腕組みをし挑戦的な眼差しを向ける希咲とそわそわとした様子の水無瀬。どうせこいつらを避けることは不可能だ。それならばさっさと茶番を済ませよう。


 コロコロと表情を変える水無瀬へと近づく。恐らくは、自分の作った弁当が美味かったかどうかを気にしているのだろう。
 悪いな。食べていないからそれはわからないんだ。

 期待するような顔と不安そうな顔とを、コインの裏表を連続でひっくり返すように繰り返している。真逆の『表』と『裏』。『成功』と『失敗』。『喜び』と……悲しみ、なのだろうか。

 俺の感想という判決次第ではこの少女の感情と表情は180度変わるのだろう。

『弁当』を裏返したら『ゴミ』になったように。


 近づくに連れ水無瀬の隣に立つ希咲の眼差しが威圧的なものに変わる。
 この女はいつもこうだ。わかっている。『上手く』やれと言いたいのだろう? 約束通りにしてやる。

 
 弁当袋を持った手を水無瀬へと伸ばそうとして、何か言うべきなのだろうと思いつく。
 だが、特に言葉は見つからなかったので、無言で彼女のその小さな手の上に袋を置いて渡してやる。

「あ、あのね? ……おべんとう……その…………大丈夫だった?」

『美味しかった?』と聞かなかったのは『美味しくない』と言われたくないからだろうか。
 何にせよこいつから口を開いてくれたのは都合がいい。

「あぁ。問題なかった」

 返答しやすい質問の仕方をしてくれたことに不誠実な感謝を覚える。だが、それでは済ませてくれない者もいて、言葉を返そうと口を開きかけた水無瀬が声を発する前に、聡い親猫が鼻先を突っ込んでくる。

「あんたねぇ、もっとマシな感想ないわけ? なんなのよ、問題ないって」

「な、ななみちゃん……おいしくなかったとかじゃないなら私は、それで……」

 高圧的な希咲を宥めつつも時折こちらに視線を送り、俺の顔色を窺っている。


 歪な関係だと思った。

 物怖じなどせずに自分をぶつけてくる割には、本当に望むものは明示せず手を伸ばさず。そしてそれをこうやって希咲が代わりに搔き集めてくるのだろう。希咲も希咲で水無瀬から何かを受け取っているのだろうが、この二人の『共犯関係』は俺にはよくわからなかった。

 庇護下に置いて、庇護下に入って、それで『共犯』が成り立つのだろうか。

 少なくとも、ルビアと俺とでは成立しなかった。

 四分五裂に引き裂かれた。


 希咲がこちらに指を突きつけてくる。

「あんたねぇ、もっと女の子に気を利かせなさいよ」

 礼を逸した態度ではあるが不思議とそうは感じず、この女には何故かこういった仕草が似合っていると、丁寧に整えられた彼女の手の指の爪先を見てそう思った。


「ちょっと! 聞いてんの?」

「ああ」

 面倒くさい。もういい。


「生憎と不慣れでな。こういう時にどう振舞ったらいいのかわからないんだ。よかったら俺に教えてくれないか?」

 希咲は眉を顰め瞳に不審を映す。だが、お前はこう言うしかないだろう?

「……こういう時はね、嘘でもいいからまず、『美味しかったよ、ありがとう』って、そう言いなさいよっ」

「ああ。『ありがとう』」  

 許可をくれて。

「もし食べられないものとか口に合わないものとかあったら、その後でちゃんと言ってあげなさい」

 全てだ。

「水無瀬」

 希咲からはもう欲しいものは受け取った。続きの言葉を拒否するように身体ごと水無瀬へと向ける。
 
「は、はいっ」

 妙に畏まったように緊張したように身を強張らせるこの少女に言ってやる。
 俺に可能な限りの優しく聞こえそうな声で言ってやる。
 
「『美味しかったよ』、『ありがとう』」

 自分の耳に届いた自分の声はいつも通りの平坦な声だった。だが結果は同じだった。


 単純な少女だ。

 この流れで発したこんな言葉に先ほどの焦燥など何処かへ行ったかのように、瞳を輝かせ、満面の笑みを浮かべる。俺にはない輝き。俺にはない感情。俺にはない存在する力の強さ。


「あんた……せめて少しは言葉を変えるくらいの努力をしなさいよ……」

 俺もそう思うよ。だが、こう言えと言ったのはお前だ。そんなつもりはなかったんだろうが、これでお前は俺の『共犯者』だ。

「えへへー、ありがとうっ。あの……また作ってくるねっ!」

 それは出来ればやめてくれ。だが言ってもどうせ聞かないのだろう?
 それならば、また次も同じように言ってやる。『美味しかった』と。嘘でもよければな。


 俺に笑いかける水無瀬 愛苗を見る。 


 こんな薄っぺらい言葉(うそ)で解消される程度のことに何をあれほど大仰にも憂慮していたのだろうか。
 こんな薄っぺらい言葉(うそ)で成り立ってしまうような『楽しいこと』の価値とはどれ程なのだろうか。


 俺にはわからなかった。


 これで俺は水無瀬 愛苗の『共犯者』となった。
 
 それならば水無瀬。
 お前は一体俺に何をくれる?







 校舎棟の一階のラウンジに入る。
 

 あの後、希咲に女の子にお弁当作って貰っておいてタダで済ますとは何事か、飲み物の一つでもお返しするべき、と言われて彼女達二人の飲み物を買いに俺は一階の自販機まで来ていた。

 水無瀬自身は遠慮していたし、何故かついでにと希咲の分まで要求されたのだが、俺としてはたかだか小銭の数枚で面倒が済むのならば安いものだ。

 
 制服のポケットから小銭入れを取り出しながら自販機へ歩く。
 生憎と小銭を切らせていたようで、代わりにブレザーの内ポケットに直接入れている紙幣を取り出す。自販機の前に立ち千円札を投入しながらディスプレイに並べられた商品の中から目当ての物を探す。

 水無瀬が缶のアイスココア、希咲がパックジュースの200円のレモンティー。それぞれの見本の下のボタンを押して購入し、取り出し口からそれらを回収しながら思う。


 水無瀬 愛苗と希咲 七海。


 廻夜部長の言った通りにもしも、いつか何年後か何十年後かに俺がこの二人に、彼女ら『共犯者』に再び会うことがあったとして、今日のことを三人で語らい笑い合ったとして、それに一体どんな意味があるのだろう。

 こんなことで俺という人間の人生が『豊か』になるのだろうか。今までの『貧しさ』を差し引けるのだろうか。

 だって本当はそんな事実はなかったのに。


 嘘で成り立つ『人生』を『豊か』にする為の『思い出』を『捏造』する『共犯関係』。
 それにどんな価値があるのだろうか。

 そんなものをわざわざ自発的に作ることにどんな意味がある。
 

 釣銭の回収レバーを操作し、落ちてくる小銭を回収する。


『誠実さ』とは一体なんだろうか。

 この場合、水無瀬 愛苗が作った弁当を、弥堂 優輝が食べて、希咲 七海の言う通りに、
『美味しかったよ、ありがとう』
 と、そう伝えることなのだろう。

 だけどそれはこうやって『嘘』でも同じ結果が得られる。

 そこに一体どんな差があるというのだ。


 小銭入れに釣銭を落とし入れていく過程で500円玉硬貨が目に留まる。


 例えばそう、この硬貨のように。

 500円玉だけ摘まみ上げ表と裏を見る。


 このまま俺が何も明かさなければ『誠実』のままで、真実を明かせば『嘘』になる。裏を明かす方が『誠実』なのに『嘘』のままの方が誰も傷を負わない。

 同じ事象の『表』と『裏』に『誠実』と『嘘』がある。硬貨の表裏のように一体になって、一対となって。
 同じ事柄の『表』と『裏』にずっと付き纏う。簡単に裏返ってしまうほどの酷く脆い『楽しかったこと』。


 いつかの未来で――もしかしたらそれは今でもいいのかもしれない――もしも俺が硬貨を裏返したのならば。

 ついさっきああして楽しそうに、幸せそうに笑い合っていた二人の少女はどうなってしまうのだろう。どんな顔をするのだろうか。

『楽しかったこと』がそうではないことに裏返ってしまったのなら。
 全く別のものに生まれ直してしまったのなら。
 それは一体何へと為り変わるのだろうか。

 きっと誰もが物言わなくなってしまうのだろう。
『共犯関係』も罅割れて、バラバラに引き裂かれて、四つで分けて五つに引き裂かれて物言わなくなってしまうのだろう。

 いつかのルビア=レッドルーツのように。



 ルヴィはもう俺に何も教えてはくれない。

 もう何も、俺には物を言ってはくれない。



 だが、何も問題はない。



 500円硬貨を親指で打ち上げる。

 クルクルと回転をしながらそれは狙った通りに天井から1㎝下まで打ちあがり、そこで上昇をピタリと止めると、同じようにクルクルと回転をしながら落下してくる。

 目を細めそれを視る。


『表』と『裏』と何度も回転し裏返り続けながらそれは手元に戻ってくる。

『表』。『裏』。『表』。『裏』。

『嘘』と『誠実』。


 幾度も繰り返される裏返し。ゆっくりとそれが視える。


 銅72%、亜鉛20%、ニッケル8%のニッケル黄銅製のその硬貨は、『表』だろうが『裏』だろうが、その価値も7.0gの重さも変わらない。
 どちらを上にしてその硬貨を差し出しても、金銭的価値500円というその力は変わらない。

 
 落下してきた硬貨が、口を開いて手のひらに持っていた小銭入れの中へと落ちる。
 着地の瞬間手を下げて衝撃を殺しそのまま小銭入れを閉じてポケットに突っ込む。

 隠れた硬貨が『表』と『裏』、どちらだったのかは確認する必要がない。
 どちらでも同じだからだ。


 こんな思考にも意味がない。

 要は『上手く』やればいい。


 そうだろ? ルヴィ――




『誠実』に『嘘』を吐き続ける。



『嘘』とは。

『世界』がその身(リソース)を分け与え、生まれ落ちた人間に許し能えた『加護(ライセンス)』なのだから。







 教室へと戻り、待っていた二人に『お礼』をくれてやる。

 希咲にパックを下手で放ってやり、水無瀬には缶を手渡す。喜びと感謝に喚く水無瀬と、危なげなくキャッチした割に文句を言ってくる希咲を無視して席に座る。


 午後の授業で使う予定の教材を取り出しながら彼女らを視る。



 缶を開けた水無瀬と紙パックにストローを刺した希咲。

 缶の飲み口に水無瀬 愛苗の、刺したストローに希咲 七海の、それぞれの唇の肉が押し当てられ、少しだけ形を変えた彼女らのその下唇と上唇の隙間を通って、容器の内容物が咥内へと侵入し、その細く白い首の中を通る喉を流れ落ちて、嚥下したものは彼女らの体内の奥へと這入り込む。

 それを視て俺は興味を失い、作業に戻る。


 やはり、『違う』のだ。

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