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第五章

23.桐生

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「――部長。多比良さんが天教真神会へ向かうそうですが」
「ああ、それが?」
「よろしいのですか? 最近は組織犯罪対策部や公安部に会って話を聞いていたりと現場のほうは委員会や警察に任せきりですよ」
「現場に引っ付いていても仕方がない。それに特務は人数不足だ、彼のように広く動ける人間は評価できる」
 桐生は卓上に重ねられたいくつもの資料に目を通しては、時には判子を押し、秘書である高柳へと手渡した。

 彼女はそれらをファイルへと綴じて、不服そうな表情で彼を見ていた。
 そんな視線には気づいているもののあえて桐生は目を合わせず、黙々と書類にばかり目を通していた。
 そのような様子はいつもの事ながら、高柳はこの行き場もない心の中に渦巻く不満を飼いならせずに眉間のしわは深く刻まれていくばかりだった。

「新明党がクレームをつけたりでもしたら大事ですよ。特務はまだ全体での信頼性が確かなものではないのですから、彼はもう少し現場のほうへと赴かせて先走るのはやめさせたほうがいいのではないでしょうか」
「特務の捜査は組織の束縛を薄めて自由に動き、個人の能力をおおいに発揮するに限る」
「……そうですね」

 しかし高柳はまだ何か言いたそうに下唇を甘噛みし、資料を受け取ってから話を続けた。

「……妙な霊能力者から情報を得だしているのはあまりにも自由すぎませんか?」
「結果は出している。伊部凛子が霊能力者であるのは確かなのだろう。捜査に重要な手がかりも提供してくれている以上、我々が口出しをすべきではなかろう。それに海外では昔は霊能力者を捜査協力者として採用していたんだ、問題はない」
「その霊能力者の大半がただの分析能力に長けた人間だったじゃないですか」
「だが一部、亡くなった霊能力者は天国交信装置で聞いた際に能力は本物だったと話している。伊部凛子もその一部に入る、ただそれだけだ」
「……何も問題がなければいいのですが」
「心配性だな君は」
「私は貴方ほどブレずにいる人が不思議ですよ。普通は疑い、慎重に慎重を重ねて考えるべきだと思いますが」
「今の世の中に普通を貫いても置いていかれるだけだ。天国教団にこれ以上遅れを取らないためにも、普通の捜査は警察に任せて我々は自由な捜査に重きを置く」

 最後の資料も処理を終えて、桐生は少しばかりの休憩を取る。
 一日の業務時間での休憩時間はおよそ二十五分程度。
 昼休みは十五分で食事を済ませてすぐに情報整理に取り掛かるほど、彼の職務は激務であった。
 そのために午前中に取る休憩となると、コーヒー一杯を飲んで終わりだ。その一杯は秘書である彼女が注ぐ。

「多比良さんはともかく木崎さんはまだ特務に入りたてですよ、その辺は考えないのですか?」
「研修は終えたんだ、これから場数を積んでいかねばならないが、悠長に待ってはいられん。それに平輪市近辺が天国関連で荒れるのは予測できていた。多比良の手が足りなくなる前に部下をつけておいて正解だっただろう?」
「それはそうですが、荷が重いんじゃないでしょうか」
「どちらがだ」
「どちらもです」

 桐生にとって高柳は貴重な意見交換者であった。
 彼女との付き合いは長い、そのために遠慮なく口出しできるのは高柳ぐらいであった。
 逆に言うと公安の裏理事と呼ばれる者や警察庁長官ですら彼の顔色を窺って遠慮がちに申して本音は言わずといった関係がこの四年間で築かれており桐生は辟易していた。

「もっと人員に余裕があれば選択肢も増えるんだがな」
「やはり警察内の優秀な人材をこの機会に引き入れるべきでは?」
「どこもかしこも人不足だ、そう簡単にいく話ではない。それに警察から引き抜きをやりすぎるのはよくないのは分かっているだろう?」
「承知しておりますが……」

 かつて特務は大幅な増員をした際に警察や自衛隊から多くの優秀な人材の引き抜きを行った。
 その際に生じたのは組織の弱体化に加えて組織間の軋轢、政府を通してのクレームもあり、特務の評判はかなり下がってしまった。
 これが原因で特務への情報提供も所々では行われなかったりしているために、重要な情報が届かずに特務側が捜査の二度手間をする羽目になってしまったりもしていた。
 これに加えて特務の強引な捜査も拍車をかけてしまい、一時期は捜査員達の協力性が大幅に低下し関係は最悪とも言えた。
 現在では少しずつ解消に向かっているとはいえ、まだまだ特務が把握していない情報があったり、特務には非協力的な捜査員まで出てくる始末である。

「管理人からも増員の申請が来ておりますがどう致しますか」
「正座事件については全面的に警察に任せる、前回の集団自殺事件についても一部を警察に協力してもらい、特務や天国管理委員会の負担を軽減する方針でいく」
「ではまた情報整理のほうが複雑になっていきますね」
「天国関連の情報に関して、今回は分けずにいく」
「警察に天国関連の情報を共有するというのですか?」
「そうだ」
「ですが平輪山関連工事の件で、捜査関係者に疑わしい点があると分かったばかりですよ? 天国教団への情報漏洩の危険があるのでは?」

 平輪山関連工事資料の詳細部分消失の件についての話だ。
 多比良の調べで発覚したあの隠蔽工作は、隠蔽した側の視点的に、捜査関係者だからこそどのようにして調べるかを把握している節がある。
 特務関係者の場合は入念に調べ上げて引き入れているために、特務内に天国教団側の者がいる可能性は限りなく低いが、警察内部に天国教団側の者いる可能性は十分にある。
 だからこそ情報を分けてはきたが、捜査の幅を広げるためにも情報の共有は必須であった。苦渋の選択ではある。

「構わん。漏洩防止よりもどこから漏洩したのかを突き止めるほうに専念してもらう」
「……分かりました。天国管理委員会にもそのように伝えておきます」

 コーヒーを飲み終えるや、桐生は次なる予定を進めるべく席を立った。
 その前に、窓の外を見やる。
 ここ数日は曇り空が続いていた。寒気の訪れによるものであろう。
 陽光に照らされるのは、彼は苦手だった。
 その感情がどこから来るのかは自身でも定かではなかったが、自然と彼が好きな天候はと問われれば曇り空と答えていた。
 だからこそ、今の景色は悪くない。暫し眺めていれば心の中にはどこかほっと落ち着ける自分がいた。

「高柳。君がこの世に留まっている理由について、聞いた事はあったかな」
「二年前に」
「そうだったか」

 なんと答えたかは覚えていなかった。
 時期的におそらく彼女が秘書についてまだそれほど日数が経過していない頃だったと思われる。何気なく会話する事も多く、そんな中でのやり取りにその問いは埋もれていただろう。

「私は老いも経験したいのです。人生において成長していき、後半は老いていく。成長だけを経験し、老いは経験しないでいるというのは、もったいなくて」
「もったいない、確かにそうだな。若さも良いものだが老いもまた、素晴らしい。この世に留まり生きる活力を与えてくれる」
「早く私もその活力を得たいものです。老いの楽しさを存分に味わうまで、私が人生に見切りをつけて死ぬような事はないでしょう」
「君が秘書で本当に頼もしいよ」
「ありがとうございます」
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