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026 彼女の決断

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 彼女にすぐ連絡を試みるも、コール音が繰り返されるだけで応答がない。
 この周辺の雑居ビルを探そう、それほど遠くないはずだ。
 校門から出て周囲を見回してみる、原稿に書いている通りの行動をすればすぐに見つけられるはずだ。
 いくつか雑居ビルが見えるが原稿によれば三階と書いていたのだから少なくとも三階建て以上――その建物は一軒あった。

「あれかっ!」

 通学路からは死角になっていたために今まで気付かなかったが、亀裂だらけの寂れた雑居ビルが脇道に入ったところに建っていた。
 すぐに入って治世を追いたいのも山々だが、ここは慎重に行動すべきだろう。
 電柱の影から影へ。
 少しずつ移動しながら様子を見てみる。
 三階のほうを見やるや、窓が開いておりボロボロのカーテンが風に靡いていて若干の不気味さが演出されていた。まるでここだと教えているかのようだ。
 一階は飲食店らしき看板があるも店を開いている様子はなくひと気もない、二階も同様だ。雑居ビルというより空きビルのようだ。
 脇にある階段から上に行けるな。少し怖いけど、行くとしよう。
 階段を一段、足を踏み入れると軽く響くこの静けさ。
 薄暗く空気もややひんやりしている。

「ち、治世~……?」

 呼びかけてみる。
 反応があればいいのだが、やはり返ってくるのは沈黙のみ。
 慎重に、慎重にいこう。
 治世が罠に嵌り、俺も続くような事になるのは最悪の事態。それだけは避けねばならない。
 故に腰が引けているのは俺の警戒心あってこそであり、やけに階段を一段一段踏み締めるように上がるのも、それもまた――警戒心あってこそなのである。
 清掃もされておらず、劣化によって壁は所々が剥げており歩くたびにその欠片が踏まれていく。
 なるべく足音を立てたくはないが、こればかりは仕方がない。
 数段ごとにこの欠片が激しく踏み込まれて飛散しているのは、治世の足跡であろう。
 彼女がここを駆け上がったのが容易に想像出来る。
 ……ラトタタが異能を使ってくる可能性を念頭に置いておこう、殺虫剤は持ってきてるしいつでも対応できるようにしておく。
 三階に到着し、奥へと伸びる廊下を見やる。
 一番奥の扉は半開きだ、他にも扉はあるがドアノブを回しても鍵が掛けられていて入れない。
 物音は奥から、カーテンの靡く音のみだ。
 恐る恐る、俺は壁沿いに歩いて扉の傍まで近づいた。
 あまりにも静かで、人の気配が感じられない。罠なのかどうか、判断はまだできない。
 室内を覗いてみる。
 窓から射す光のみが室内を照らしている、これといった物は置いておらず、一目で誰もいないと確認できた。
 既に事は済んだような、そんな雰囲気がある。
 部屋の中央には何か落ちているな、あれは……原稿か?
 罠の警戒をしながら俺はその紙の傍までゆっくりと向かい、拾い上げた。

「……私が原稿を使う異能者ならば、貴方が私達の元へ来る展開を書いて寄越すでしょう――か」

 委員長め……ご丁寧にその次の行には自分の名前まで書いてやがる。
 原稿の下にはスマホが置いてあった。
 これには見覚えがある、確認のために電話を掛けてみると振動して反応した、治世のもので間違いない。
 待ち受けは……俺の、横顔か。
 いつも見せたがらないもんだから気付かなかったな。いつ撮ったんだろう。
 いや、それよりもだ。

「こうしちゃいられないな……」

 俺はすぐに建物から出るとした。
 近くに敵がいる可能性だってある、この場から離れなくては。

「こういう時は、えっと、美耶子さんに連絡!」

 緊急事態の訪れに、思考が乱れかけているが何とか持ち直している。
 美耶子さんの事務所まで移動しながら、電話をかけた。

『――授業を受けているはずの君が連絡してきたとなると、緊急か?』
「ええ、その通りです!」
『避難が必要な場合は速やかに行動しなさい、迎えが欲しい場合は場所を言いなさい。私の事務所に行けるのならば、すぐに向かいなさい』
「すぐに向かいます!」

 迎えを待つべくどこかに留まるのは、今はやめたほうがいい。
 人のいる場所へと移動しながら俺は事務所へ向かった。
 事務所下の古本屋はシャッターが閉められており、店の前には凛ちゃんが立っていた。
 俺をずっと待っていたのだろう、退屈そうにスマホを横にしてゲームをプレイしている。
 手を振ってみると、彼女は気付いて小さく会釈した。

「……なか」
「う、うん……」

 シャッターを腰ほどまで上げて、顎でくいっと。
 くぐって中に入るとすぐにシャッターは下げられた、臨戦態勢といった雰囲気が伝わってくるな……。

「来たか、さあ入った入った」

 事務所に入ると煙草の匂いが最初に出迎えてくる。
 美耶子さんはいつもの椅子に座っては神妙な面持ちでいた。

「美耶子さん、これが……」

 俺は原稿と治世のスマホを見せて、先ほどの出来事を簡潔に説明する。

「ふむ、スマホのGPSでの追跡は無理か」
「どうしましょう……」
「心配するな、街全ての監視カメラや人を使えば、場所の特定もすぐさね」
「なら早速治世を助けに!」

 左手には本を開いており、右手はパソコンのマウスを動かしている。
 この人なら、この街に限り人探しは数分程度で終えられるだろう。下手したらもう突き止めたかもしれない。
 しかし美耶子さんは天井に煙草の煙を溶かして、すぐには動かず。

「文弥君、君はここに残りたまえ」
「えっ、ここに……?」
「ああ、今日は一歩も外に出ないでくれ」

 美耶子さんはリモコンを手に取り、窓に向けてスイッチを押すとシャッターが下りて窓が塞がれる。
 室内への陽光が遮断され、代わりに室内灯が点灯した。

「ここにいれば大丈夫だ、水や食料もあるよ。親御さんには後で私から連絡しておく」
「ち、ちょっと待ってください! 治世は……治世はどうするんですか!?
 敵は俺を待ってるんですよ?」

「だからこそじゃないか、のこのこと行っちゃあ駄目だよ、絶対に駄目だ。治世が人質になっているとはいえ、危険は冒せない」
「俺との交換を要求されたらどうするんです!? 治世がどうなってもいいんですか!?」
「あの子も覚悟はしているさ、私だって覚悟している。このような状況になった場合、切り捨てる選択をする事で安全が保障されるのならば、選ぶのは一つだ」

 ……そうだったな。
 始まりの異能と治世、どちらを選ぶかでこの人は迷いなどしない。
 冷酷だと罵っても、どれほどここで言葉を並べても美耶子さんの考えは決して変わらない。
 そういう人物として書いた事に、今更後悔しても遅い。

「それなら――」

 実力行使だと、俺は踵を返して扉へと向かうも、いつの間にか凛ちゃんが扉を塞ぐようにして立っていた。

「落ち着きたまえ、君が今すべき事はソファに腰を下ろしてお茶を飲み、お菓子でも食べながら時間の経過を待つ事だ」

 凛ちゃんは両腕をぶらんと下げてはいるが、やや背中を丸めてその双眸はじっと俺を見つめている。
 こういうのが、隙が無いっていうのかな。少しでも下手な動きをしたらやられる気がする。

「凛と一戦交えるのは止めはせんが、お勧めはしない。ソファに座るか、横になるかは大きく違う」
「くっ……」
「文弥君、私に従ってくれ。ほら、お茶、飲むだろう?」

 美耶子さんはお茶を注ぎ、そっとテーブルへ置いた。
 仕方なく俺はソファに腰を下ろした、だが降伏したわけじゃあない。
 美耶子さんも向かいに座り、幽霊に見せていた本を閉じる。

「これから私は外に出る、君はここで留守番だ」
「乗り込むつもり……ですか?」
「まあ、そうだね。話し合いで終えられる奴らでもないだろうし、異能者もいるのだから激しい戦闘になるかもしれん。だが奴らを撃退若しくは拘束できれば形勢は大きく変わる」
「絶対に治世を人質として利用してきますよ……?」
「君を差し出すわけにもいかん。要求は呑まんし、交渉もしない。動ける仲間を集めて武力で押しつぶす」
「力と数で異能教とやりあって抑止力を植えつける――ですか」
「そうだ、私のやり方をよく分かってるね。心配するな、混乱に乗じて治世も逃げ出せるかもしれんよ」

 俺を守るために、そして異能教を倒すために全力を注ぐつもりだ。
 その内容に、彼女の救出は含まれていない。
 少しでも俺に危険が及ぶ可能性が含まれるものは全て排除してこの人は行動する。
 お茶に手を伸ばして、口へと運ぼうとするが――ほんの一瞬、美耶子さんは俺のお茶を一瞥した。
 ……何故?
 もしかして……ああ、そうに違いない。このお茶は、飲むのはやめておこう。
 そもそもこの人がお茶を自ら注ぐなんて事自体が怪しい。
 飲まずにテーブルへ戻すと、美耶子さんの眉が微かに動いた。俺なりの、警戒心と反抗心を彼女に見せ付けてみたが……内心ドキドキ。

「飲まんのか?」
「あとで飲みますよ、睡眠薬の入ってないお茶を」

 カマをかけてみる。

「ったく、そんなもん入ってるわけないだろ。ぐいっと飲め、勿体無いぞ」
「美耶子さんに譲りますよ、冷めないうちにどうぞ」
「嫌だよ、睡眠薬入りのお茶なんて飲めんわ」
「やっぱり入ってるんじゃないですか!」

 目を逸らさないでよ美耶子さん。
 あんたのやりそうな事は大体分かるんだぞ。

「……さ~てと、一仕事してこようかな」

 美耶子さんは腰を上げ、やや逃げるように出口へと向かった。

「美耶子さん!」
「立つな立つな。大人しくここにいたまえよ」

 立ち上がろうとするも、肩に手を置かれて尻をソファーに戻される。

「凛、廊下で待機だ。守りを固める。彼はここから出すな、異能を使うような事をしたら力ずくで阻止して構わん。まあ使えたら、の話ではあるがな」
「……了解」

 まだうまく発動すらできていない。
 それを分かっているからこその判断だ。

「ここから脱出できたとしても、私がこれから行く場所は分からんだろうが」
「待ってくださ――」
「言う事を、聞け」
「痛っ!」

 それでも尚立ち上がろうとした俺の額を、美耶子さんはデコピンしてくる。

「少しの辛抱だ、大人しくしていろ」

 追いかけるも間に合わず、扉に駆け寄るも鍵の掛かる音が聞こえた。内鍵は何やらダイヤル式の器具が取り付けられていた、ダイヤルの番号は……分からん、そんな事まで設定には書いていない。
 完全に……閉じ込められたな。
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