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第三章
第16話:稀人は有名人(の弟子)だったんです
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栃木から帰って来た珠緒に、くすんだ水晶に護りを補充してもらった数日後のことだ。
智恵は所長室に呼ばれた。中には珠緒と本多と諏訪原と湊、それから新兵衛がいた。
「お、お智恵は今日もべっぴんだねぇ。美人画にしてぇや」
「いつもお世辞をありがとうございます、新兵衛さん」
あれから新兵衛は赤島の手によってピッカピカに磨き上げられ、さらには髪を切られた。月代があったので、それに合わせるように刈った。つまり今は坊主だ。
しかし現代風のお洒落なカジュアルウェアを身につけた新兵衛は、湊と並んでも遜色ないほどのイケメンと化した。元々彫りが深い顔なので、坊主にしても貧相な感じはまったくない。むしろ美貌が際立っている気さえする。
本人曰く、元の時代でも女性には不自由しなかったというが、それはあながち嘘ではなさそう。
しかし新兵衛がモテたのは、何もその見た目ばかりが理由ではなかった。
「えぇっ! 新兵衛さんって、歌川国芳の弟子だったんですか!?」
衝撃の事実を聞いた智恵は「有名人の弟子がキター!」と、内心叫んでしまった。
歌川国芳といえば、江戸時代末期に活躍した浮世絵師だ。十年以上鳴かず飛ばずだったが、中国の小説『水滸伝』をテーマにした連作『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』で一躍人気絵師にのし上がった。
鮮やかで躍動感のある武者絵は、江戸っ子の心を鷲掴みにしたという。
また国芳は雄々しいモチーフばかりでなく、ユーモアに満ちた戯画なども数多く手がけている。
中でも、愛猫家である彼は、様々な作品に猫を登場させている。
何匹もの猫に囲まれた生活を送り、愛猫の世話や供養を怠った弟子を破門するほどだったそうなのだが――
「え、新兵衛さんがその破門された弟子、だったんですか? ほんとに?」
「弟子なんてやるもんじゃねぇな。俺ぁ猫なんて好きでもなんでもないのに、エサやりやらノミ取りやらやらされてよ。面倒臭ぇったらなかったぜ」
智恵の問いに、新兵衛は心底うんざり、といった顔を見せた。
「本当に、猫の供養を怠って破門になったのか?」
湊はスマートフォン片手に聞いている。どうやら『歌川国芳』について検索しているらしい。
「いやー……本当はなぁ……ちょっとばかり事情は複雑なんだわ。……実は俺はな、法力が使えるのさ」
「法力……?」
新兵衛曰く。彼は元々山伏の修行をしていた修験者だった。しかし生来の面倒臭がりが災いし、サボってばかり。彼の初めての破門はここだったそうだ。
しかし新兵衛はある種の天才だった。
決して長くはない修験者としての修行の中で、ある法力を身につけてしまったのだ。
「――お前、剪紙成兵術が使えるの?」
珠緒が目を大きく見開いた。
「あぁ。お師匠が描いた絵に出てくる猫の半分は、俺が剪紙成兵術で出してやったまやかしの猫だぜ?」
剪紙成兵術――式神を作り出す製法の一種で、元々は紙を切って作った人形に口に含んだ水を吹きかけ、動かすというものだ。
新兵衛は、紙に筆で描いた生き物に生命を与え、実際に動かすことができたというのだ。
「すごい……陰陽師みたい」
この能力を使い、たびたび女性を喜ばせていたらしい。法力をナンパに使うなど、とんでもない大物もいたものだ。
(法力の大盤振る舞い……そりゃあモテるよねぇ)
現代なら、手品が上手いイケメンが女性にもてはやされるようなものだろうかと、智恵は考える。
「ただ、この時代に来てから法力を試してみたがな、やっぱりダメだった。さすがの俺でも、祈祷墨がないと式神は起こせねぇな」
「祈祷墨……?」
「徳の高い坊主や神主に祈祷してもらった材料で作った墨のことだ。その墨で描いたものなら大抵のものは起こせる。修業時代のツテでな、それを手に入れちゃあ描いていたんだが。ただ、祈祷墨があれば、誰でも描けるってもんでもねぇんだわ。師匠ですら式神は起こせねぇ。……で、最後にゃあ、俺の才を妬んだ兄弟子に嵌められて、破門されたんだ」
墨の材料は煤と膠と、そして麝香などの香料だ。それらに祈りを込めて作った墨は、不思議な力を引き出すそうだ。
新兵衛の兄弟子は、彼の法力を使って金儲けをしようと持ちかけたが、当の本人は面倒臭いと言って拒んだ。
それを逆恨みした兄弟子が、師である国芳の猫を殺し、その罪を新兵衛にかぶせたという。
新兵衛は国芳の弟子という位置に未練はなかったものの、さすがに猫殺しの汚名を着せられたままではいられず。
きっちりと無実を証明した上、彼らの元を去ったということだ。
「まぁ、そろそろ絵も飽きてきたんで、弟子ぁやめてやろうかと思っていたからちょうどよかったんだが、その夜、弟子やめ祝いだなんだとあちこち飲み歩いていたらよ、へべれけに酔っ払って川に落ちちまってな。気づいたらこの時代に来ていた、というわけだ」
新兵衛はやれやれといった様子で、肩をすくめた。
「そうなんですか……なんだかいろいろ大変でしたね」
稀人の驚くべき背景に、智恵はそんな言葉しか出なかったが、次の瞬間、あることに気づいて大きく声を上げた。
「あ! 歌川国芳といえば……!」
グリン、と音が鳴りそうなほどの勢いで、智恵は珠緒を見た。何を言いたいか分かっているように、彼女は何度も頷く。
「『三国妖狐図会』のことを言っているのよね? 分かるわ。……あれ、アイツが実際に私をモデルにして描いたのよ」
「えぇっ、本当ですか!」
国芳は九尾の狐を題材とした連作『三国妖狐図会』を発表しているが、それは元々『絵本玉藻譚』の挿絵を参考にして制作された。
しかし挿絵が小さかったので、他の作品も参照した――というのが、現代に伝えられた制作過程だ。
十九世紀に入るや否や、玉藻前を題材とした創作がブームになり、様々な作品が発表された。参考文献には事欠かなかっただろう。
しかし――
「あまりに実物とかけ離れていたものだから、つい、私をモデルに描きなさい! と言ってしまったのよねぇ……」
突如として現れた珠緒の姿を見た国芳は、驚くやら感動するやらで、数日徹夜で九尾の狐を何枚も描き上げたそうだ。『三国妖狐図会』以外にも、何枚か完成させたという。
でも結局、以外の作品たちは公開されることはなかった。何故なら。
「ぜーんぶ私が持ってるからよ? ほら」
珠緒が壁を指差した。
「あー、それ全部、国芳ですか!?」
初めてここに入った時も目にしていた浮世絵だ。それらはすべて九尾の狐を描いた作品で。珠緒が自分を題材にしたものを集めて飾っているのかと思っていたが、まさかモデルとなって描かせた絵だったとは。
よく有名画家の未発表作という絵が発掘され、高額で取引されたりするが、この国芳の浮世絵を世に出したなら、いくらの値がつくのだろうか――そんなゲスなことをチラリとでも考えてしまった自分に呆れる智恵だった。
「それでね智恵ちゃん。この新兵衛がこの世界で生きていくために、何を仕事にしたらいいのか、一緒に考えてもらいたいのよ」
「えー……新兵衛さん、労働に向いてなさそう……」
タイムスリップした当初から「面倒臭ぇ」が口癖だった男だ。しかも修験者修行も浮世絵修行も、結局はその性格が元で破門となっている。仕事を紹介したところで、すぐにクビになる未来が見える。
「そんなことは私も分かっているわよ? それを見越した上で考えるのよ。こちらの生活に慣れるまではサポートするけれど、ニートなんてさせてたまるものですか。分かったわね? 新兵衛」
ここ何日かで、嫌というほど新兵衛の怠惰な性格を把握せざるを得なかったのだろう、珠緒がいらいらしげに江戸っ子を指差した。
「わーかってるって。『働かざる者食うべからず』って言うんだろ? 怖ぇなぁ、珠緒姐さんは」
新兵衛は暢気だ。この時代に来ても一切不安な様子を見せることなく、与えられる物や情報を受け入れる。拒否一つせず、スポンジのようにすべてを吸収し、満喫しているようだ。
「……それにしても、まさか明子ちゃんから五年でまた稀人が来るなんて、ちょっと想定外だったわ」
「? どういうことですか?」
明子が平安時代から現代にやって来てから、まだ五年しか経っていないのにと、珠緒が眉根を寄せるのを見て、智恵は首を傾げる。
「明子ちゃんの前のタイムスリップは、十年前だったのよ。その前はさらに十二年、その前は十四年……つまり、稀人がやって来るスパンは、少しずつ短くなっていってるの」
「どうしてなのかは判明しているんですか?」
「どうやら、稀人が案内所に来れば来るほど、現代の空気が稀人にとって馴染みやすくなるみたいなのよね」
珠緒曰く、昔はタイムスリップの感覚が数十年に一度くらいの間隔だったらしい。しかし緩やかにだが、だんだんと間隔は短くなっていっているという。
一体何故なのか――烏天狗一族の一部に、稀人について研究している者がいるのだが、彼らが言うには、原因として珠緒の妖気が関係しているという。
九尾の狐は、内類ではトップクラスに強い妖気を持つ。そんな珠緒の近く、つまりは異類生活支援案内所に来ることで、彼女の妖気と稀人の持つ独特のオーラが混じり合い、いわゆる化学反応のようなものを起こし、稀人を引き寄せやすくなる空気を作り出しているらしい。
だから稀人を受け入れれば受け入れるほど、珠緒の妖気が稀人にとって心地よいものに変わっていく。
それがタイムスリップのスパンが短くなっていく要因なのではないかと、研究家は言う。
「そうなんですか……なんだか不思議ですね」
「世の中は不思議なことだらけなのよ、智恵ちゃん。……でも今回のタイムスリップに関しては、この私にしてみてもイレギュラーとしか言いようがないわ。間隔が短くなるにしても、一気に五年よ? どう考えても変だわ。おまけに、新兵衛だってそうよ。……見て、この馴染みっぷり」
珠緒が苦笑いをしながら、智恵に目配せをする。
新兵衛にはどうやら現代の水が合うらしく、精神面のサポートは非常に楽だった。あっという間に今の生活に馴染んでしまったのだから、過去を知っている珠緒たちは驚くやら呆れるやら、少々反応に困っている様子。
今も新兵衛は、ソファにどっかりと座りながら、テーブルの上に載っているチョコレートをパクパクと食べている。「甘ぇし、美味ぇなぁ……ちょこれえとは」なんて言いながら、ご機嫌な様子。
才能と順応性は人一倍あるのに、しかしそれを活かす努力をしない、実にもったいない男だ。
(ほんと、大物よね……)
智恵は新兵衛の図太さが羨ましいと思いつつ、彼の仕事をどうしようかと思案し始めたのだった。
智恵は所長室に呼ばれた。中には珠緒と本多と諏訪原と湊、それから新兵衛がいた。
「お、お智恵は今日もべっぴんだねぇ。美人画にしてぇや」
「いつもお世辞をありがとうございます、新兵衛さん」
あれから新兵衛は赤島の手によってピッカピカに磨き上げられ、さらには髪を切られた。月代があったので、それに合わせるように刈った。つまり今は坊主だ。
しかし現代風のお洒落なカジュアルウェアを身につけた新兵衛は、湊と並んでも遜色ないほどのイケメンと化した。元々彫りが深い顔なので、坊主にしても貧相な感じはまったくない。むしろ美貌が際立っている気さえする。
本人曰く、元の時代でも女性には不自由しなかったというが、それはあながち嘘ではなさそう。
しかし新兵衛がモテたのは、何もその見た目ばかりが理由ではなかった。
「えぇっ! 新兵衛さんって、歌川国芳の弟子だったんですか!?」
衝撃の事実を聞いた智恵は「有名人の弟子がキター!」と、内心叫んでしまった。
歌川国芳といえば、江戸時代末期に活躍した浮世絵師だ。十年以上鳴かず飛ばずだったが、中国の小説『水滸伝』をテーマにした連作『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』で一躍人気絵師にのし上がった。
鮮やかで躍動感のある武者絵は、江戸っ子の心を鷲掴みにしたという。
また国芳は雄々しいモチーフばかりでなく、ユーモアに満ちた戯画なども数多く手がけている。
中でも、愛猫家である彼は、様々な作品に猫を登場させている。
何匹もの猫に囲まれた生活を送り、愛猫の世話や供養を怠った弟子を破門するほどだったそうなのだが――
「え、新兵衛さんがその破門された弟子、だったんですか? ほんとに?」
「弟子なんてやるもんじゃねぇな。俺ぁ猫なんて好きでもなんでもないのに、エサやりやらノミ取りやらやらされてよ。面倒臭ぇったらなかったぜ」
智恵の問いに、新兵衛は心底うんざり、といった顔を見せた。
「本当に、猫の供養を怠って破門になったのか?」
湊はスマートフォン片手に聞いている。どうやら『歌川国芳』について検索しているらしい。
「いやー……本当はなぁ……ちょっとばかり事情は複雑なんだわ。……実は俺はな、法力が使えるのさ」
「法力……?」
新兵衛曰く。彼は元々山伏の修行をしていた修験者だった。しかし生来の面倒臭がりが災いし、サボってばかり。彼の初めての破門はここだったそうだ。
しかし新兵衛はある種の天才だった。
決して長くはない修験者としての修行の中で、ある法力を身につけてしまったのだ。
「――お前、剪紙成兵術が使えるの?」
珠緒が目を大きく見開いた。
「あぁ。お師匠が描いた絵に出てくる猫の半分は、俺が剪紙成兵術で出してやったまやかしの猫だぜ?」
剪紙成兵術――式神を作り出す製法の一種で、元々は紙を切って作った人形に口に含んだ水を吹きかけ、動かすというものだ。
新兵衛は、紙に筆で描いた生き物に生命を与え、実際に動かすことができたというのだ。
「すごい……陰陽師みたい」
この能力を使い、たびたび女性を喜ばせていたらしい。法力をナンパに使うなど、とんでもない大物もいたものだ。
(法力の大盤振る舞い……そりゃあモテるよねぇ)
現代なら、手品が上手いイケメンが女性にもてはやされるようなものだろうかと、智恵は考える。
「ただ、この時代に来てから法力を試してみたがな、やっぱりダメだった。さすがの俺でも、祈祷墨がないと式神は起こせねぇな」
「祈祷墨……?」
「徳の高い坊主や神主に祈祷してもらった材料で作った墨のことだ。その墨で描いたものなら大抵のものは起こせる。修業時代のツテでな、それを手に入れちゃあ描いていたんだが。ただ、祈祷墨があれば、誰でも描けるってもんでもねぇんだわ。師匠ですら式神は起こせねぇ。……で、最後にゃあ、俺の才を妬んだ兄弟子に嵌められて、破門されたんだ」
墨の材料は煤と膠と、そして麝香などの香料だ。それらに祈りを込めて作った墨は、不思議な力を引き出すそうだ。
新兵衛の兄弟子は、彼の法力を使って金儲けをしようと持ちかけたが、当の本人は面倒臭いと言って拒んだ。
それを逆恨みした兄弟子が、師である国芳の猫を殺し、その罪を新兵衛にかぶせたという。
新兵衛は国芳の弟子という位置に未練はなかったものの、さすがに猫殺しの汚名を着せられたままではいられず。
きっちりと無実を証明した上、彼らの元を去ったということだ。
「まぁ、そろそろ絵も飽きてきたんで、弟子ぁやめてやろうかと思っていたからちょうどよかったんだが、その夜、弟子やめ祝いだなんだとあちこち飲み歩いていたらよ、へべれけに酔っ払って川に落ちちまってな。気づいたらこの時代に来ていた、というわけだ」
新兵衛はやれやれといった様子で、肩をすくめた。
「そうなんですか……なんだかいろいろ大変でしたね」
稀人の驚くべき背景に、智恵はそんな言葉しか出なかったが、次の瞬間、あることに気づいて大きく声を上げた。
「あ! 歌川国芳といえば……!」
グリン、と音が鳴りそうなほどの勢いで、智恵は珠緒を見た。何を言いたいか分かっているように、彼女は何度も頷く。
「『三国妖狐図会』のことを言っているのよね? 分かるわ。……あれ、アイツが実際に私をモデルにして描いたのよ」
「えぇっ、本当ですか!」
国芳は九尾の狐を題材とした連作『三国妖狐図会』を発表しているが、それは元々『絵本玉藻譚』の挿絵を参考にして制作された。
しかし挿絵が小さかったので、他の作品も参照した――というのが、現代に伝えられた制作過程だ。
十九世紀に入るや否や、玉藻前を題材とした創作がブームになり、様々な作品が発表された。参考文献には事欠かなかっただろう。
しかし――
「あまりに実物とかけ離れていたものだから、つい、私をモデルに描きなさい! と言ってしまったのよねぇ……」
突如として現れた珠緒の姿を見た国芳は、驚くやら感動するやらで、数日徹夜で九尾の狐を何枚も描き上げたそうだ。『三国妖狐図会』以外にも、何枚か完成させたという。
でも結局、以外の作品たちは公開されることはなかった。何故なら。
「ぜーんぶ私が持ってるからよ? ほら」
珠緒が壁を指差した。
「あー、それ全部、国芳ですか!?」
初めてここに入った時も目にしていた浮世絵だ。それらはすべて九尾の狐を描いた作品で。珠緒が自分を題材にしたものを集めて飾っているのかと思っていたが、まさかモデルとなって描かせた絵だったとは。
よく有名画家の未発表作という絵が発掘され、高額で取引されたりするが、この国芳の浮世絵を世に出したなら、いくらの値がつくのだろうか――そんなゲスなことをチラリとでも考えてしまった自分に呆れる智恵だった。
「それでね智恵ちゃん。この新兵衛がこの世界で生きていくために、何を仕事にしたらいいのか、一緒に考えてもらいたいのよ」
「えー……新兵衛さん、労働に向いてなさそう……」
タイムスリップした当初から「面倒臭ぇ」が口癖だった男だ。しかも修験者修行も浮世絵修行も、結局はその性格が元で破門となっている。仕事を紹介したところで、すぐにクビになる未来が見える。
「そんなことは私も分かっているわよ? それを見越した上で考えるのよ。こちらの生活に慣れるまではサポートするけれど、ニートなんてさせてたまるものですか。分かったわね? 新兵衛」
ここ何日かで、嫌というほど新兵衛の怠惰な性格を把握せざるを得なかったのだろう、珠緒がいらいらしげに江戸っ子を指差した。
「わーかってるって。『働かざる者食うべからず』って言うんだろ? 怖ぇなぁ、珠緒姐さんは」
新兵衛は暢気だ。この時代に来ても一切不安な様子を見せることなく、与えられる物や情報を受け入れる。拒否一つせず、スポンジのようにすべてを吸収し、満喫しているようだ。
「……それにしても、まさか明子ちゃんから五年でまた稀人が来るなんて、ちょっと想定外だったわ」
「? どういうことですか?」
明子が平安時代から現代にやって来てから、まだ五年しか経っていないのにと、珠緒が眉根を寄せるのを見て、智恵は首を傾げる。
「明子ちゃんの前のタイムスリップは、十年前だったのよ。その前はさらに十二年、その前は十四年……つまり、稀人がやって来るスパンは、少しずつ短くなっていってるの」
「どうしてなのかは判明しているんですか?」
「どうやら、稀人が案内所に来れば来るほど、現代の空気が稀人にとって馴染みやすくなるみたいなのよね」
珠緒曰く、昔はタイムスリップの感覚が数十年に一度くらいの間隔だったらしい。しかし緩やかにだが、だんだんと間隔は短くなっていっているという。
一体何故なのか――烏天狗一族の一部に、稀人について研究している者がいるのだが、彼らが言うには、原因として珠緒の妖気が関係しているという。
九尾の狐は、内類ではトップクラスに強い妖気を持つ。そんな珠緒の近く、つまりは異類生活支援案内所に来ることで、彼女の妖気と稀人の持つ独特のオーラが混じり合い、いわゆる化学反応のようなものを起こし、稀人を引き寄せやすくなる空気を作り出しているらしい。
だから稀人を受け入れれば受け入れるほど、珠緒の妖気が稀人にとって心地よいものに変わっていく。
それがタイムスリップのスパンが短くなっていく要因なのではないかと、研究家は言う。
「そうなんですか……なんだか不思議ですね」
「世の中は不思議なことだらけなのよ、智恵ちゃん。……でも今回のタイムスリップに関しては、この私にしてみてもイレギュラーとしか言いようがないわ。間隔が短くなるにしても、一気に五年よ? どう考えても変だわ。おまけに、新兵衛だってそうよ。……見て、この馴染みっぷり」
珠緒が苦笑いをしながら、智恵に目配せをする。
新兵衛にはどうやら現代の水が合うらしく、精神面のサポートは非常に楽だった。あっという間に今の生活に馴染んでしまったのだから、過去を知っている珠緒たちは驚くやら呆れるやら、少々反応に困っている様子。
今も新兵衛は、ソファにどっかりと座りながら、テーブルの上に載っているチョコレートをパクパクと食べている。「甘ぇし、美味ぇなぁ……ちょこれえとは」なんて言いながら、ご機嫌な様子。
才能と順応性は人一倍あるのに、しかしそれを活かす努力をしない、実にもったいない男だ。
(ほんと、大物よね……)
智恵は新兵衛の図太さが羨ましいと思いつつ、彼の仕事をどうしようかと思案し始めたのだった。
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