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第一章

第4話:異情共親者と言われまして

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「――とにかく、ここに来たってことは、職を求めてるか、名刺・・の効果を実感したんだろ?」
「は、はい……一応」

 湊の言うとおり、もらった名刺の恩恵を受けているのは事実だ。それに、仕事を探すつもりもあった。

「なら所長と面談だ、ついて来い。……沼江ぬまえさんと杵井きねいさんは、他人を巻き込んでないで自分たちで決着をつけろよ?」

 湊は智恵に手招きをしてから、鵺とキマイラの二人に釘を刺す。スタスタと事務所を出る彼の後を、智恵は慌ててついて行く。

「あ、あの!」
「何?」

 『所長室』は十階にあるらしい。ホールでエレベーター待ちをしている間に、智恵は湊に尋ねてみる。

「このビルって……外から見ると六階建て……ですよね? でも本当は十階建てなんですか?」
「あぁ、それな。まぁ都合上、外側からは六階建てに見えるようにしてるし、普通の人間が中に入っても六階までしか行けないようになってる。その名刺の文字を全部読めるやつだけが、十階建てだと分かるようになってる。エレベーターのボタンも、普通の人には六階までしか見えないはずだ」

 このビルは元々、異類に理解のある人間が所有している物件だそう。空いているフロアを借りるにあたり、他のテナントの人間が間違って入ってこないよう、呪術と結界で目くらましをしているのだという。

「あと、『名刺の文字が読める人』……というのは、どういう基準なんでしょうか」
「その辺もひっくるめて、まずは所長と話をしてほしい」

 それからすぐにエレベーターで十階に上る。フロアにはいくつかドアが並んでいて、その一番奥にひときわ重厚な木製ドアが見えた。上には『所長室』という表示が。

「……っ」

 その前に立った時、一瞬だけぶわりと肌が震えた気がした。

(気のせいかしら)

 小さくかぶりを振る。
 湊がドアをノックすると、中から「どうぞ」と女性の艶っぽい声が聞こえた。間髪を入れずにドアを開き、彼に続いて室内に足を踏み入れた瞬間、さっきとは比べものにならない震えと痺れが全身を疾駆した。

(な、何……?)

 今までに感じたことのない畏怖と違和感で、肌の表面がヒリヒリする。不安で仕方がなくて、首元に寒気が走った。
 その刹那――

「……所長、妖気ダダ漏れですよ」

 湊がため息混じりに手を振る。何かを払っているような仕草だ。

「私の妖気を食らっても逃げ出さないなんてすごいわね、この子」

 所長と呼ばれた女性が、驚きの声を上げた。

「あまり怯えさせないでください。……大丈夫か? ナリミヤチエ」

 湊が智恵を気遣って声をかけてくれた。それが合図になったように、身体からどっと力が抜けた。湊の後について一緒に奥へ入っていく。
 室内はシンプルだがそこはかとなく上品さが漂う。壁には作者は分からないが、浮世絵がいくつも飾ってある。それなりに年季が入っていそうなので、価値のあるものなのかもしれない。
 部屋の中央には応接セットが置かれている。テーブルを挟んだ革張りのソファは、座り心地がよさそうだ。
 奥に置かれた高級そうな両袖デスクの向こう側で悠々と座っていたのは、ゴージャスな美女だ。アラフォーくらいだろうか。緩くウェーブがかった黒髪は艶やかで、腰まで伸びている。切れ長の瞳はすべてを見透かしてしまいそうな力強さを秘めていた。色気のあるくちびるには、血のように赤い口紅が引かれている。
 とにかく、見たこともないほどの妖艶な美女だ。

「あなたが湊くんの紹介で来た子ね。えっと……」
「は、はい。成宮智恵と申します」
「私はこの『異類生活支援案内所』の所長をしている前苑珠緒です」

 ソファを勧められ「失礼します……」と小声で応答しながらそっと腰を下ろすと、隣には湊が座った。
 向かい側にはいつの間にか珠緒が座っていて、長い脚を組んでいる。

「えっと……ここがどういうところか、まだ説明されていないのよね?」
「は、はい……」

(前苑、珠緒……さん。すっごいきれいな女性……)

 珠緒の美貌に圧倒されてしまい、ごくりと生唾を飲み込んでしまった。

「受付で早速、沼江さんと杵井さんのいつものアレに巻き込まれてました」

 珠緒が一瞬目を見開いた後、くつくつと笑う。

「あぁ……なるほど。まずそれで逃げ出さなかったのはすごいわね。……あのね、ここはざっくり言ってしまえば、日本に住む人外その他の生活をサポートする組織、ってところよ」
「人外、その他……」
「その他、というのは、一部人間もいるから。もっと言えば、妖怪、幻獣、幽霊、稀人まれびとの生活支援をしているの。私たちは彼らを総称して『異類』と呼んでいるわ」
「ま、稀人……?」

 智恵は目を剥いた。「フィクションでしか聞いたことない単語がキター!」と叫びたくなるのをぐっと堪えた。

「ほらよくあるじゃない。映画やドラマで現代人が過去にタイムスリップしたり、逆に歴史上の人物が現代に来ちゃったりするやつ。信じられないかもしれないけれど、この世界では実際にあれが起こるわけ。でもここに来る人たちはほぼみんな無名の一般人だけれどね。そういう人たちを便宜上『稀人』と呼んでいるの。だって『タイムトラベラー』とか『タイムスリッパー』って言うのもなんか……ねぇ? ……ともかく、彼らを現代社会に適応できるように支援するのも、私たちの仕事なのよ」
「はぁ……」

 妖怪、幽霊は実際にこの目で見たので信じられる。でも、さすがにタイムスリップは……。
 智恵の口元がひくりとする。

「あー……信じてないわね? まぁでも稀人は十年に一度来るか来ないかだから、すぐには会えないしねぇ。その辺りはおいおい分かってもらうとして。……とりあえず、湊くんからもらった名刺、出してごらんなさい」

 言われるがままに首に下げていた名刺を取り出して差し出す。珠緒はそれを指で摘まむと、じっと見て。

「ふーん……これはもう、役には立たないわね」

 ぼそりと呟いたかと思うと、珠緒を名刺をふぅっと吹いた。途端、ぼぅっと炎が上がり、一瞬にして消え去った。跡形もなく。

「わ……」
「本来は一ヶ月くらいは効くのよ、この守護名刺。でも一週間以内でこれだもの……あなた、よっぽど強い何か・・に狙われてるわね?」
「強い……ですか?」

 智恵は少し躊躇ったものの、妖怪や幽霊を扱うここで隠しても意味がないと思い、自分の身の上を話した。とは言っても、先祖が鬼を退治して、何故かその因果を一族が現代まで引きずっている、そして自分自身は昔からあやかしを見たりする体質だ、という程度だ。

「足濱童子! 知ってるわよ! まぁ……悪名高い鬼よね。なるほどねぇ……。ところで智恵ちゃん、あなたここで働く気はある? 仕事はね、ここに来る異類の相手。受付嬢的な?」
「それって……私にできますか?」
「異類とこの施設について少しだけ研修を受けてもらうけど、あとは普通の接客業とそう変わりないと思うわ。……適正さえあれば、だけど」
「適正……ですか?」

 適正とはなんだろう? と、智恵が首を傾げれば、珠緒は胸元から一枚の紙を指で摘まんで取り出し「読んでみて」と、差し出してきた。
 名刺だ。但し、今度は湊ではなく珠緒のもののようだ。智恵は両手で受け取り、文言を読み上げた。名前から肩書き、そして住所まで一言一句漏らさずに。
 すると珠緒が驚いたように湊の顔を見る。彼は「ほらね?」と、一言返した。
 また日本語読めるかどうかのテストをさせられているのだろうかと、智恵は眉をひそめる。

「これが読めるとなんなんですか……? 私、生まれも育ちも日本なので、普通に日本語話せますし読めますけど」
「智恵ちゃん、あなたスラスラとその名刺の文字を読んでみせているけれど、実は普通の人間にはそれは読めないのよ?」
「……はい?」
「普通の人にとっては、それはただの白紙でしかないの。まず『幽霊』が見える人は、そこにある『前苑珠緒』という名前が読める。でもそれだけなの。『妖怪』の妖気に耐性がある人も同様よ。でも、どちらか片方だけだと住所までは読めないの。組織名と住所まで読める人は『幽霊』が見えて『妖怪』の妖気も大丈夫な人なのよ」

 何も持っていない普通の人間は、妖怪の妖気を浴びると体調を崩したり中毒症状を起こしたりするらしい。
 だから妖怪たちは普段、公の場では妖気を出さないように訓練しているという。

「ということは……」

 つまり智恵は『幽霊が見えて妖気にも耐えられる』ということだ。

「この名刺はね、異類に親和性のある人間を見分ける判別機の役割をするものなの。両方に適性がある人間は、まぁレアなのよ。……智恵ちゃん、あなたはおそらく『異情共親者いじょうきょうしんしゃ』だわ」
「いじょう……きょうしん、しゃ……?」
「異類全般に強い親和性を持つ人間のことよ。おそらく、と言っているのは、智恵ちゃんがまだ稀人と接していないから。でも多分、間違いないわ」
「そ、その、異情共親者だと……何か、あるのですか?」

 智恵は困惑してどもってしまった。ただでさえ、受け入れるのに勇気がいる環境に置かれているのに、いきなり意味不明な単語を当てはめられてしまったのだ。仕方がないと思う。

「そこにいるだけで、異類を癒やしてくれる存在、とでも言ったらいいかしら。癒やし系、ってやつ。異類に対して特別な力を持っている、とかではないのだけれど」
「癒やし系……?」
「智恵ちゃんと一緒にいると、心が安らいだり、疲れが取れたり……私たちからすれば、いてくれたら嬉しい存在よ。だから是非、ここで働いてほしいわ」
「鵺とキマイラのアレを見ても所長の妖気を浴びても、逃げ出さない胆力はすごいし、適性はかなりあると思う。俺からも頼む」

 湊が頭を下げてきた。命の恩人の湊にお願いされると弱い。彼が美形なのもいけない。イケメンは得だ。
 珠緒が智恵に冊子を差し出してきた。受け取って表紙を見ると『異類生活支援案内所』と書いてある。どうやらこの組織について説明してあるパンフレットのようだ。
 パラパラとめくってみるが、普通に組織図や活動内容などが書いてある。後でじっくり読んでみようと、智恵は冊子をバッグにしまった。

「ちなみにそれも、普通の人間からするとただの白紙になっちゃうから、誰かに見せようとしてもできないわよ」

 珠緒がニヤリと笑った。

「へぇ……そうなんですか」

 自分にはしっかりと全ページ読むことができるのに……と、智恵はバッグの中の冊子に、もう一度目を落とした。
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