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37話
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個室に二人きりになると、幸希は花菜実の前の席に座った。裕介たちの前で気が張っていたのか、花菜実は大きくため息をつく。黙ったままうつむき、考え込むように沈黙を保っていた。それから少しして、
「他に何か聞いておきたいことはある? 花菜実」
幸希が静かに尋ねた。
「聞きたいことなんて……」
花菜実は目を合わせようともせずにボソリと言う。
「あの三人の前に座らせてしまって、嫌な思いをさせてすまなかった。お詫びと言ってはなんだけど、ここのケーキを全種類用意してもらってるから、好きなだけ食べるといい。残ったら持って帰――」
「ケーキなんて、どうでもいいです!」
花菜実がやおら立ち上がった。下を向いたまま肩を怒らせて声を張り上げる。
「花菜実?」
「どうして今回のこと、もっと早く私に言ってくれなかったんですか!? 私、何も知らなくて……! 言ってくれれば、私が実家や幼稚園に相談することだって出来たのに、幸希さんは全部全部一人で抱えて……! 依里佳さんにそれを聞かされた時、私がどれだけあなたのことを心配したか分かりますか!? そ、それに、知っていれば、あの写真や音声が捏造だってすぐ分かったのに……っ」
遂にはその双眸から大粒の涙をこぼして泣きだした。
久しぶりに会った幸希がどことなくやせていて、疲れているように見えたから。それが自分のせいだと思うと何だかつらくて、彼の顔を見ることが出来ない。
「かな――」
花菜実は慌てたようにかぶりを振る。そのはずみで涙が周囲に散った。
「ち、ちが……そうじゃな……くて。ご、ごめんなさ……わ、私……っ。こ……きさんは、私の写真が、捏造だとすぐに分かってくれて……私を信じてくれた、のに……っ。わ、私は……すぐに、信じることがで、出来なくて……っ。それが悔しくて、情けなくて、私……っ、ご、ごめん、なさい……ごめ……」
幸希はテーブルを回り込んで花菜実の元に行き、うつむいたまま泣きじゃくる彼女を抱き寄せた。
「それは仕方のないことだ。花菜実の方には音声ファイルも送られてきたんだし。写真に加えてそんなものまであれば、僕だって疑ってしまっていたと思う。花菜実のこと、僕は何一つ怒っていないし、写真のことも何とも思っていない。……こんなに長い間、花菜実に会えなかったことだけが唯一の不満だった。……ごめん、不安にさせてすまなかった」
「あ、謝らないでください。こ、幸希さんは全然悪くない、んですから」
花菜実はしゃくりあげながら、再びかぶりを振る。幸希はポケットからハンカチを取り出し、彼女の涙を拭った。
「どうしても、次に花菜実と会う時までにはすべて終わらせておきたかったんだ。解決しないまま彼らと会ってしまえば、花菜実のトラウマがさらに酷くなるかも知れないと思ったから。それに……君の前でかっこつけたい気持ちもあった」
「え……?」
見上げると、幸希は若干バツの悪そうな表情をしていた。
「僕はここのところずっと、花菜実と一緒にいられることで柄にもなく浮かれてしまっていて……今回の件でもそれでいろいろと気づくのが遅れてしまって、手間取った」
普段の幸希であれば、常に周囲に意識を向け注意を払っているので、迂闊に盗聴器や隠しカメラをつけられてしまったりなどありえない。ましてや人につけられていることなどすぐに気づいたはずた。
けれど花菜実と一緒に過ごすようになり、彼の中でスキや遊びの部分が現れるようになった。それは水科幸希という一人の人間にとっては、とても喜ばしいことではあったけれど、同時に、アンテナが鈍ってしまうことにもなってしまった。
特にあの日以降――花菜実の部屋に行った日は、花菜実との関係が確かなものになったことや、初めて彼女からキスをしてくれたこと、花菜実が幸希と離れがたいと思う意思を示してくれたことなど、彼にとっては嬉しいことが多すぎた。図らずもそれをしばらく引きずってしまって。
おそらく今までで一番、気が緩んだ日々だったのだろう。偶然にもそんな時期に、千賀子たちにことを起こされてしまったのだった。
「……花菜実と一緒にいると、どうしたってかっこ悪くなってしまう」
幸希がため息混じりに苦笑した。
「そんなこと……」
「――でも僕は、そんな自分が嫌いじゃないんだ」
そう穏やかに呟いて。笑みを柔らかくする幸希を目の当たりにした花菜実の胸に、たとえようのない大きな気持ちが込み上げてきた。
『いつか、花菜実の気持ちを言わずにいられなくなったら……言いたくてたまらなくなったら、その時は聞かせてほしい』
今がその時なんだと、花菜実は覚悟を決めた――いや、覚悟なんて決めなくても、もう、自然と気持ちが溢れ出しそうで。
「わ、私も……、幸希さんが……嫌いじゃない、です……」
(違う……っ、もっとちゃんと言わなくちゃ……)
心が疼いて、愛おしさが膨らんで――それを全部全部、差し出すつもりで、
「あの、す、き、です……」
一文字ずつとろけそうな感情をまとわせ、心の内を紡いだ。
「……」
「え、っと……幸希、さん?」
何の反応もないので不安になって、おずおずと顔を覗き込もうとすると、
「っ、」
ぎゅっと抱きしめられて、身動きが取れなくなった。
「ぁ、ちょ……く、苦しい、です」
「ごめん……しばらく、このままで」
幸希の声が……かすかに震えている気がした。
「……?」
「……今、人生で一番情けない表情をしてると思うから、見られたくない」
「え? あの」
(むしろ見たいんですけど……)
どんな顔をしているのか見てみたくて身じろぎをするけれど、幸希は離してくれない。彼は花菜実の耳元で小さく囁く。
「花菜実……もう一回言って」
「……顔、見せてくれたら言います」
ほんの少しだけ、意地悪をしてみたくなった。
数呼吸後、頭上から大きなため息が聞こえた。それから少し経って、幸希の身体がそっと離れる。
「……」
照れたような、わずかに機嫌が悪そうな、それでいて嬉しさを隠しきれていないような――いろんな気持ちが混じり合った顔が見えた。目元をほんのりと赤く染めて、花菜実の視線を受け止めている。
「可愛い……」
無意識に口をついて出たその言葉は、もちろん彼女の本音だ。
「聞きたいのはその言葉じゃない」
目に見えてムッとしたのは、きっと気のせいではないと思う。花菜実はクスリと笑った。滅多に見られないであろう幸希の姿に、肩の力が抜けていく。
「私……幸希さんのことが、好き、です。……多分、もうだいぶ前から好きだったと思います。……待っててくれて、ありがとうございます」
幸希は再び大きく息を吐いた。
「……やっぱり、花菜実といるとかっこがつかない。嬉しすぎて、気の利く言葉が思い浮かばないんだ」
花菜実の頬を優しい指先がなでる。
「……その言葉だけで十分嬉しいです」
はにかんだ笑みを浮かべる花菜実に、くちびるを掠め取るようなキスをして、
「ひとまず、ここを出よう」
幸希が花菜実の手を引いた。
個室から出ると、花菜実はまず化粧室へと向かった。泣いたので化粧がほぼ落ちてしまっていたから。とりあえずみっともなくない程度に直し、入り口まで行くと、幸希が大きな紙袋を手にしており、
「ケーキを全部テイクアウトすることにした」
やたら上機嫌な様子で言った。
「? どうしたんですか? 何だか楽しそうですね」
「さっき……花菜実がケーキよりも僕を心配してくれたことを思い出したから」
普段、花菜実が「何よりも好き」と豪語するケーキに対して「どうでもいい」と発言したことで、彼女のヒエラルキーにおける自分の位置がケーキよりも高くなったことを認識したのだろう。
(ケーキと張り合うなんて……何だか可愛い)
そう思ったけれど、口にするのはやめておいた。
「他に何か聞いておきたいことはある? 花菜実」
幸希が静かに尋ねた。
「聞きたいことなんて……」
花菜実は目を合わせようともせずにボソリと言う。
「あの三人の前に座らせてしまって、嫌な思いをさせてすまなかった。お詫びと言ってはなんだけど、ここのケーキを全種類用意してもらってるから、好きなだけ食べるといい。残ったら持って帰――」
「ケーキなんて、どうでもいいです!」
花菜実がやおら立ち上がった。下を向いたまま肩を怒らせて声を張り上げる。
「花菜実?」
「どうして今回のこと、もっと早く私に言ってくれなかったんですか!? 私、何も知らなくて……! 言ってくれれば、私が実家や幼稚園に相談することだって出来たのに、幸希さんは全部全部一人で抱えて……! 依里佳さんにそれを聞かされた時、私がどれだけあなたのことを心配したか分かりますか!? そ、それに、知っていれば、あの写真や音声が捏造だってすぐ分かったのに……っ」
遂にはその双眸から大粒の涙をこぼして泣きだした。
久しぶりに会った幸希がどことなくやせていて、疲れているように見えたから。それが自分のせいだと思うと何だかつらくて、彼の顔を見ることが出来ない。
「かな――」
花菜実は慌てたようにかぶりを振る。そのはずみで涙が周囲に散った。
「ち、ちが……そうじゃな……くて。ご、ごめんなさ……わ、私……っ。こ……きさんは、私の写真が、捏造だとすぐに分かってくれて……私を信じてくれた、のに……っ。わ、私は……すぐに、信じることがで、出来なくて……っ。それが悔しくて、情けなくて、私……っ、ご、ごめん、なさい……ごめ……」
幸希はテーブルを回り込んで花菜実の元に行き、うつむいたまま泣きじゃくる彼女を抱き寄せた。
「それは仕方のないことだ。花菜実の方には音声ファイルも送られてきたんだし。写真に加えてそんなものまであれば、僕だって疑ってしまっていたと思う。花菜実のこと、僕は何一つ怒っていないし、写真のことも何とも思っていない。……こんなに長い間、花菜実に会えなかったことだけが唯一の不満だった。……ごめん、不安にさせてすまなかった」
「あ、謝らないでください。こ、幸希さんは全然悪くない、んですから」
花菜実はしゃくりあげながら、再びかぶりを振る。幸希はポケットからハンカチを取り出し、彼女の涙を拭った。
「どうしても、次に花菜実と会う時までにはすべて終わらせておきたかったんだ。解決しないまま彼らと会ってしまえば、花菜実のトラウマがさらに酷くなるかも知れないと思ったから。それに……君の前でかっこつけたい気持ちもあった」
「え……?」
見上げると、幸希は若干バツの悪そうな表情をしていた。
「僕はここのところずっと、花菜実と一緒にいられることで柄にもなく浮かれてしまっていて……今回の件でもそれでいろいろと気づくのが遅れてしまって、手間取った」
普段の幸希であれば、常に周囲に意識を向け注意を払っているので、迂闊に盗聴器や隠しカメラをつけられてしまったりなどありえない。ましてや人につけられていることなどすぐに気づいたはずた。
けれど花菜実と一緒に過ごすようになり、彼の中でスキや遊びの部分が現れるようになった。それは水科幸希という一人の人間にとっては、とても喜ばしいことではあったけれど、同時に、アンテナが鈍ってしまうことにもなってしまった。
特にあの日以降――花菜実の部屋に行った日は、花菜実との関係が確かなものになったことや、初めて彼女からキスをしてくれたこと、花菜実が幸希と離れがたいと思う意思を示してくれたことなど、彼にとっては嬉しいことが多すぎた。図らずもそれをしばらく引きずってしまって。
おそらく今までで一番、気が緩んだ日々だったのだろう。偶然にもそんな時期に、千賀子たちにことを起こされてしまったのだった。
「……花菜実と一緒にいると、どうしたってかっこ悪くなってしまう」
幸希がため息混じりに苦笑した。
「そんなこと……」
「――でも僕は、そんな自分が嫌いじゃないんだ」
そう穏やかに呟いて。笑みを柔らかくする幸希を目の当たりにした花菜実の胸に、たとえようのない大きな気持ちが込み上げてきた。
『いつか、花菜実の気持ちを言わずにいられなくなったら……言いたくてたまらなくなったら、その時は聞かせてほしい』
今がその時なんだと、花菜実は覚悟を決めた――いや、覚悟なんて決めなくても、もう、自然と気持ちが溢れ出しそうで。
「わ、私も……、幸希さんが……嫌いじゃない、です……」
(違う……っ、もっとちゃんと言わなくちゃ……)
心が疼いて、愛おしさが膨らんで――それを全部全部、差し出すつもりで、
「あの、す、き、です……」
一文字ずつとろけそうな感情をまとわせ、心の内を紡いだ。
「……」
「え、っと……幸希、さん?」
何の反応もないので不安になって、おずおずと顔を覗き込もうとすると、
「っ、」
ぎゅっと抱きしめられて、身動きが取れなくなった。
「ぁ、ちょ……く、苦しい、です」
「ごめん……しばらく、このままで」
幸希の声が……かすかに震えている気がした。
「……?」
「……今、人生で一番情けない表情をしてると思うから、見られたくない」
「え? あの」
(むしろ見たいんですけど……)
どんな顔をしているのか見てみたくて身じろぎをするけれど、幸希は離してくれない。彼は花菜実の耳元で小さく囁く。
「花菜実……もう一回言って」
「……顔、見せてくれたら言います」
ほんの少しだけ、意地悪をしてみたくなった。
数呼吸後、頭上から大きなため息が聞こえた。それから少し経って、幸希の身体がそっと離れる。
「……」
照れたような、わずかに機嫌が悪そうな、それでいて嬉しさを隠しきれていないような――いろんな気持ちが混じり合った顔が見えた。目元をほんのりと赤く染めて、花菜実の視線を受け止めている。
「可愛い……」
無意識に口をついて出たその言葉は、もちろん彼女の本音だ。
「聞きたいのはその言葉じゃない」
目に見えてムッとしたのは、きっと気のせいではないと思う。花菜実はクスリと笑った。滅多に見られないであろう幸希の姿に、肩の力が抜けていく。
「私……幸希さんのことが、好き、です。……多分、もうだいぶ前から好きだったと思います。……待っててくれて、ありがとうございます」
幸希は再び大きく息を吐いた。
「……やっぱり、花菜実といるとかっこがつかない。嬉しすぎて、気の利く言葉が思い浮かばないんだ」
花菜実の頬を優しい指先がなでる。
「……その言葉だけで十分嬉しいです」
はにかんだ笑みを浮かべる花菜実に、くちびるを掠め取るようなキスをして、
「ひとまず、ここを出よう」
幸希が花菜実の手を引いた。
個室から出ると、花菜実はまず化粧室へと向かった。泣いたので化粧がほぼ落ちてしまっていたから。とりあえずみっともなくない程度に直し、入り口まで行くと、幸希が大きな紙袋を手にしており、
「ケーキを全部テイクアウトすることにした」
やたら上機嫌な様子で言った。
「? どうしたんですか? 何だか楽しそうですね」
「さっき……花菜実がケーキよりも僕を心配してくれたことを思い出したから」
普段、花菜実が「何よりも好き」と豪語するケーキに対して「どうでもいい」と発言したことで、彼女のヒエラルキーにおける自分の位置がケーキよりも高くなったことを認識したのだろう。
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