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10話

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【ふふふ、それってデートだよね?】

 語尾にハートが並んだ文言を見て、花菜実は気の抜けた笑いを漏らす。
(ワクワクしてるのが文面からも伝わってきてるぞ、ちなみ)

【デートじゃないから。】
【それってつきあってるって言わない?】
【つきあってないから。】

 食事をごちそうになった日の夜、彼に言われたように名刺に書かれたIDにメッセージを送った。改めてお礼を伝えるのが社会人としての礼儀だと思ったので、そのためだ。それに、本当に園の職員室に押しかけられたらたまったものではない。
 それからというもの、幸希から毎晩のようにメッセージが来た。無視をする理由もないので返信はしていたけれど、その内容はざっくり言ってしまえば、限りなく世間話に近いものだった。彼女をからかうでもなく、プライベートを聞き出そうとしているわけでもない。ごくごくありふれた話題ばかりだ。
 翔に誕生日プレゼントを渡した時の報告もしてくれた。花菜実が選んだプレゼントを、飛び上がって喜んでくれたそうだ。プレゼントを持った翔の写真も送ってくれた。キラキラした満面の笑顔で、見ているこちらも嬉しくなった。
 花菜実は何の警戒もすることなく、彼との他愛のないやりとりを続けていて。それはもう普通の友人同士のそれと何ら変わらなかった。
 そしてここ二週間ほど、週に二度はどこかへ連れて行かれていた。
 新規開店した洋菓子店のモニターを頼まれたり、ミズシナが協賛している映画の試写会に誘われたり、ミズシナが過去の商品を寄贈した博物館へと行ってみたり。
 最近はそういったイベントに誘われても、出来るだけ断らないようにしている。オルジュの化粧室で聞いた千賀子の話が本当であれば、彼は下手に社内の女性を誘ったりなど出来ないのだろう。だからミズシナとはまったく関係のない自分を、モニターだの試写会だのに連れ出すのだと、花菜実は理解していたから。
 そういう事情があるのなら、頑なに断ってしまうのも悪いと思ったのだ。
 そんな話を近況報告としてちなみに話したところ、もはや恋人同士の逢瀬ではないかと指摘されたのだ。

【悪い人じゃないんでしょ?】
【うん、いい人だよ。】

 そう、水科幸希は花菜実の目から見てもいい人だと思う。
 すべてにおいてあれだけ恵まれているというのに、不遜な態度や傲慢な言動など欠片も見せない。他人に対する気配りもよく行き届いているし、何より、こんな自分にもとても優しい。花菜実を平凡だからと決して貶したりしない。むしろいつもレディのように扱ってくれるものだから、くすぐったい気持ちにすらなる。
 食事をする時も、花菜実に何を食べたいかまず聞いてくれるし、気後れしてしまうような高い店には連れて行ったりしない。歩く時も彼女のペースに合わせてくれる。
 花菜実を呼び捨てにしたり、時折彼女扱いしたり、からかってきたりはするけれど、それだって決して不愉快なレベルまではいったりしない。
 彼女の中のイケメンセレブのイメージは、幸希によって覆されつつあった。
 そうやって過ごしている内に、いつの間にか――彼と一緒にいて楽しいと感じる瞬間が増えてきた。
 こんな凡庸な自分は、決して幸希の世界になど足を踏み入れてはいけないと思う反面、身体の芯を柔らかく温めてくれるようなその居心地のよさに、このまま全身を委ねたくなってしまう。
 ――それを享受すればするほど、胸の奥に閉じ込めてきた傷が疼いてしまうというのに。

【花菜実、無理にを花菜実の世界から排除しなくてもいいんじゃないかな、って、私は思うよ?】

「……」
 ちなみのメッセージにはっきりとした返事をすることが出来ないまま、花菜実は小さなバッグに財布とハンカチだけを入れて部屋を出た。駅前の本屋に行くためだ。日曜日の夕方少し前、まだ明るく空気も気持ちがいいので、歩いて行くことにした。
 アパートから五分ほど歩くと駅に続く商店街に出るのだが、人出がものすごく、まっすぐ歩くのも困難なので、一本外れた道を通る。駅に向かう時は必ずと言っていいほどそうしている。今日もいつものように空いている道をのんびりと進んでいると、十数メートル前を見知った男性が歩いていた。
「副園長先生!」
 同じように歩いて駅に向かっている曜一朗に声をかけ、駆け寄る。
「あぁ花菜実先生。おでかけですか」
「はい、駅前の本屋まで」
「私も駅まで行くのでご一緒しましょう」
 二人はしばらく園の話をした。バザーが近いのでその話、そしてバザーが終わればもう十二月のおゆうぎ発表会の準備に取りかからなければならないことなど、園行事についての話題にはこと欠かない。そうして話にある程度の区切りがついた後、花菜実はふと思い出した。
(そういえば、依里佳さんのこと、もう大丈夫なのかしら……)
 口端には乗せられないまま、チラリとその横顔を見る。視線に気づいたのか、曜一朗はクスリと笑った。
「――もしかして、依里佳さんのことですか?」
「っ、あ、えっと、すみません……っ」
 焦ったようにかぶりを振る花菜実。
「いいんですよ、花菜実先生にはいつも応援していただいてたんで。ご存知だったんですね、依里佳さんに彼氏がいるの。実はお盆前にはもう振られていたんですよ。……なのですっかり吹っ切れていますから大丈夫です。むしろもう忘れてました、ここのところ何だかんだと忙しいので」
「それなら……よかった、です」
 忘れていた、というのは本当はどうか分からないが、曜一朗の表情を見るに、吹っ切れているのはおそらく間違いないのだろう。とても穏やかで明るい顔をしているから。
 彼の心の傷みが早く完全に癒えるといい――花菜実はそう思った。
「何だか気を遣わせてしまって、すみません。……それより花菜実先生の方が最近、みたいですね」
 曜一朗が多分に含みのある表情で、花菜実に尋ねる。
「え?」
「花菜実先生を園まで迎えに来た男性がいたとか? うちの母が見かけたそうです」
「っ、園長先生が!? そ、それほんとですか!?」
 曜一朗曰く。翔の誕生日プレゼント選びを頼まれたあの日の一部始終を、園長にはしっかり見られていたらしい。
「何でも、素敵な男性だったと伺いましたよ。――彼氏なんですか?」
 二人は脇道から商店街に入った。駅まではもう数十メートルで、ここまで来れば人混みはやや和らぐ。
「ち、違います。そんなんじゃありません!」
 もしこれが普通の職員であったなら、あっという間に園内に噂が広まっていただろう。そういう意味では、目撃していたのが園長だったことが不幸中の幸いだったのだが。それでもやはり職場の大ボスである園長に見られていたかと思うと、いたたまれなくなる。恥ずかしくて慌ててしまう。
「――何が違うって?」
 声をかけられ、二人して振り返ると、噂をすれば何とやら――幸希がスマートフォン片手に立っていた。
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