恋するあなたに花束を

沢渡奈々子

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第29話

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「おじゃまします……」
 花梨はおずおずと玄関に入る。すっきりとした玄関の前には廊下が左右に伸びており、左に行くと寝室、右に行くとリビングや客間があると颯斗が教えてくれた。
 とりあえず買ったものを冷蔵庫に入れたいので、キッチンのあるLDKへと案内してもらう。
「どうぞ」
 颯斗がリビングのドアを開いた瞬間、目の前に爽やかな景色が広がった。
「わぁ……素敵な眺め……」
 LDKの一面がすべて掃き出し窓になっており、そこからの眺望がこの上なく素晴らしかった。桜浜の町が一望できるだけでなく、海や水平線まで見ることができるのだから、贅沢極まりない。
 しばらくの間きれいな景色にうっとりとし、それから花梨はキッチンの使い方をざっと教わる。
 ペニンシュラキッチンの後ろ側に備えつけられている冷蔵庫には、颯斗が用意してくれた夕食の材料が沢山入っていた。けれど中を見渡してみたところ、普段はほとんど食材が入っていないのだろうと花梨は思った。飲み物と出来合いの惣菜の残りとバターとジャムくらいしか見受けられない。
 花梨は振り返り、後ろに立っている颯斗に尋ねる。
「颯斗さん、自炊はしたことないんですか?」
「いろいろと忙しくてな」
「その割には、うちのお店にはよく顔を出してましたけど?」
 意地悪い笑みで、花梨は颯斗をチラリと見る。
「自炊する時間があれば、少しでも花梨の顔が見たいから」
「……っ」
 あまりにも普通にさらりとそう言われ、言葉に詰まる。頬は少し熱くなった。
 花梨は買ってきたものを冷蔵庫にしまうと、一旦キッチンを出る。リビングは何畳あるのか分からないくらい広く、また颯斗らしいと言うべきか、実にシンプルな内装だった。テレビとシアターラック、ローテーブルにソファくらいしか見当たらない。その他のものは壁に備えつけられたクローゼットに収納されているのだろう。
 唯一目を引いたのは、クローゼットの隣の壁一面に掲げられた『マグネット』だった。白い壁に大きな白いマグネットシートが貼られていて、その上にはさまざまなご当地マグネットがびっしりと貼られている。
 近づいてみると、それらは海外の観光地で売られているものだった。数は優に二百は超えているだろう。ニューヨーク、ロサンゼルス、パリにロンドンにシドニー、ヘルシンキ、カイロ、カンクン――世界中のマグネットでひしめき合っている。
 花梨はそれらを一つ一つ指で辿っていく。
「……これ、全部颯斗さんが行った場所ですか?」
「うん。初めて行ったところは必ず買うようにしているんだ。裏には行った日付を書いたシールも貼ってある」
 颯斗の許可を得て、試しに一つ剥がして見てみる。裏には白いシールが貼ってあり、そこには彼の言う通り、日付と『出張』と書かれている。おそらく観光で行った場合と区別するためにそう記しているのだろう。
 こんなところにも颯斗の思い出を大切にするところが表れていて、花梨の心は温かくなる。
「こうやって記録に残してるんですね……素敵です」
 剥がしたものをそっと元の場所に戻すと、花梨はバッグからヘアゴムを取り出し、髪を後ろにまとめる。柚羽にアレンジしてはもらっていたが、緩くしばるだけなのでそれほど影響はないはずだ。そしてさらにエプロンを取り出した。いつも家で使っているものを洗ってきた。
「夕食の準備、しますね。キッチンで手を洗っちゃって大丈夫ですか?」
「ハンドソープが置いてあるからそれを使って。……何か手伝うことはある?」
「颯斗さんはテーブルのセッティングをしていてもらえますか? 食器類も出してくれたら助かります。パスタ用と、サラダ用と、ピザ用と」
「了解」
 花梨は再びキッチンへ入り、冷蔵庫から必要なものを取り出して料理を開始した。そこから見渡せるダイニングテーブルに、颯斗は木製の薄いランチョンマットを置き、そこにフォークとナイフ、ワイングラスに紙ナプキンをセットしてくれている。
 それから花梨はずっと料理に集中していたが、パスタを茹でる段になりふと見上げると、キッチンの向こう側で、颯斗がスマートフォンをこちらに向けていた。どうやら撮影をしているようだ。
「っ、ちょ……っ、颯斗さん、何してるんですか!」
「花梨が料理をしている姿が可愛いから」
 颯斗は撮るのを止めることなく、スマホを向けたまま答える。
「え、ずっと撮ってたんですか?」
「ずっとじゃない。ほんの五分、十分」
「結構長い……! もう、恥ずかしいからやめてください」
「……仕方ないな」
 彼はしぶしぶといった様子で停止スイッチをタップした。
「颯斗さんは、オーブンの方見てください。そろそろピザが焼けます」
「分かった」
 花梨の指示の通り、颯斗はオーブンを覗く。タイマーはすでに三十秒を切っており、彼はそのままそこで待機してピザを取り出し、カッティングボードに載せた。
 そうしてすべての料理ができあがり、二人がテーブルについたのは、五時半を回った頃だった。
「少し早いですけど、冷めちゃいますからもう食べましょうか」
 最後に花梨は冷蔵庫からバースデーケーキを出して、テーブルの真ん中に置いた。フルーツがたくさん盛りつけられたラウンドタイプのケーキにはチョコレートで作られたプレートが載っており、そこには『Happy Birthday HAYATO』とホワイトチョコで書かれていた。
「なんだか照れくさいな」
 颯斗が呟く。
「颯斗さん、二十九才ですよね。さすがにそれだけろうそく立てられないので、三本だけ入れてもらいました」
 そう言って花梨がろうそくを立て、家から持参したライターで火をつけた。
 そして彼女は控えめな声音で誕生日の歌を歌う。その姿を颯斗はまた撮影しようとしたが、花梨は断固止めた。なんとか歌い終えると、彼は嬉しそうにろうそくの火を吹き消した。
 本当はここでプレゼントを渡した方がいいのだろうが、パスタが伸びてしまうし冷めてしまうので、後で渡すことにした。
「食べましょうか」
 いざ乾杯をして食事開始、となったところで、花梨ははたと気づく。自分のワイングラスには白ワインが注がれているのだが、颯斗のそれを見ると、どうも違うものが入っている。
 颯斗が掲げたグラスをまじまじと見つめ、花梨は尋ねた。
「あの、颯斗さんは何を飲むんですか……?」
「ん? ……あぁ、これは水だ」
 そう言って颯斗は傍らにあったミネラルウォーターのペットボトルを指差した。
「え……ワイン飲まないんですか?」
 花梨が知る限り、颯斗は下戸ではないはずだ。夕食を一緒に食べに行った時にアルコールを飲むこともしばしばあったから。それなのに、今日に限って自分は水でいいだなんて、何かあったのだろうかと彼女は心配になった。
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