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第13話
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「……あなたと一緒に出かける理由がないんですけど」
こうしてお茶をしながら用件を話すくらいならアリだとは思うが、あくまでも花屋と客の関係という前提があってのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。お土産を貰ったりはしているけれど、デートなんてする仲では決してないはずだ。
そして何故、花梨が明後日休みであるのを桐生が知っているのか――あえて問うまい。どうせ柚羽が面白がって眞木経由で知らせたに違いないのだ。
花梨が頭の中で理屈を捏ねくり回して放った拒否の意など気にする様子もなく、桐生は余裕の笑みを見せる。
「理由がほしい? ……これならどうだ?」
彼はスーツの内ポケットから長財布を出し、その中から紙を二枚取り出した。どうやら何かのチケットのようだ。
「? なんですか? これ……」
差し出されたそれを両手で受け取り、目を通す。
刹那、花梨の目が大きく見開いた。
「こっ、こ、こ……っ」
「……ニワトリか?」
桐生がクスクス笑いながらツッコミを入れてくるが、そんなことを気にしている余裕は、あいにく今の花梨は持ち合わせておらず。手にしたチケットを凝視したまま、全身を震わせている。
「こっ、これ……っ、伊集院大河の個展のチケットじゃないですか! しかもプレス内覧会の招待券!」
伊集院大河とは、ここ一、二年ほどマスコミにも登場してきている有名華道家だ。元々は伝統的な華道の流派・実草流の出身だが、独立してからは独創的なフラワーアレンジメントも披露するようになった。
保守的なものはあくまでも古式ゆかしく、前衛的なものはとことん派手に。その二面性のある手法は、『表伊集院』『裏伊集院』と謳われている。
話題になっているのは腕だけではない。彼のルックスは女性たちを惹きつけるには十分すぎるほど華がある。しかも普段から着物を愛用している上に関西出身なため、その上品な立ち居振る舞いも相まって『はんなり花王子』の異名を持っていた。
花梨は昔から伊集院の大ファンで、彼の講演会にも赴くし、特別講習にも参加したことがあるくらいだ。彼の載った雑誌は漏れなく買うし、SNSももちろんチェックしている。
そんな憧れの華道家の個展チケットを目の当たりにし、気が遠くなりそうだ。
「その内覧会、ちょうど明後日だから、花梨と一緒に行こうかと思って」
「っていうか! ど、どうして桐生さんがこんなものを持ってるんですか!?」
落としてしまってはいけないと、とりあえずチケットを桐生に返す。
「実は、うちの会社が手がけて近々リニューアルオープンするホテルがあるんだが、そこのフラワーコーディネートの総合プロデューサーに伊集院大河が就任することになったんだ。その関係で、個展の内覧会の招待を受けた。……行きたい?」
チケットを口元に当てた桐生から優美に笑って尋ねられた花梨は、反射的に何度も何度も頷いた。その瞳はいつになくキラキラと輝いており、さながら大好物を目の前に差し出された犬のようだ。
「……だと思った。花梨のアレンジメントって、どことなく伊集院大河の影響を受けてるな、と思ったから」
桐生のひとことを聞き、花梨がわずかに目を見開く。彼の顔をじっと見て、それから尋ねた。
「……分かります?」
「なんとなく、だけどな。普通に見たら分からないくらい」
やっぱりこの男は目が肥えているのだろう。花に関しては門外漢だというのに、花梨のアレンジが伊集院の影響を受けていることを見抜いてしまった。彼女は恥ずかしく思うのと同時に、桐生に感心するしかなかった。
花梨のフラワーアレンジメント人生は、小学生の頃に始まった。高校に上がるまでは実草流の華道教室に通っており、そこで読んだ広報誌で伊集院の存在を知ったのだ。当時は『天才少年華道家』と、あくまでも華道界で内々に騒がれていたにすぎなかったのだが、その頃から彼は花梨の憧れだった。当然、彼女の作品は伊集院の影響を色濃く受けていくことになる。広報誌に載った彼の作品を真似して生けたのも一度や二度ではない。
高校生になってからは、将来両親の花屋で働くことを決めていたので、フラワーアレンジメントの方を勉強するようになったのだが、それでもやはり伊集院の影響の名残はあったのだろう。
「で、でもっ、私……いいんですか? 私なんかが行っていいんですか?」
「花梨以上に誘うのにうってつけな人物はいないだろ?」
「あ……、ありがとうございます、すごく嬉しいです」
花梨は全身に喜びをまとい、桐生に頭を下げた。お礼の言葉も弾んでいる。こんなに無防備に喜ぶ姿を彼の前で見せるのは、当然初めてだった。
桐生は彼女を見てクスクスと笑う。
「そんなに嬉しそうにしてくれると、誘った甲斐があるな。明後日は多分、マスコミや関係者で駐車場は埋まってしまうと思うから、電車で行った方がいい。十時に桜浜駅待ち合わせでどう?」
「は、はい。えっと……服装は、ちゃんとした方がいいんですよね?」
万が一にも伊集院本人が会場にいたらと思うと、下手な格好では行けないし、内覧会の招待を受けた桐生にも恥をかかせてはならない――それくらいの気遣いは心得ているつもりだ。
「ドレスコードなんて特にないが、おしゃれしてきてくれると嬉しい……俺が」
コーヒーを飲み干した桐生が、柔らかな口調で言った。
「はい?」
「いつもその仕事着しか見たことないから。たまには、な」
確かに桐生は花梨の仕事着――白いコットンシャツにデニムのパンツ、それに黒いエプロンの姿しか見たことがない。靴だっていつもスニーカーだ。背中まで伸びた黒茶色の髪は、いつもポニーテールかふんわりしたおだんごヘアにしかしない。
花屋で扱っているものはおしゃれだったり華やかだったりするものばかりだが、それを美しく保っていく作業は地味で体力もいる。
働くには動きやすい服装が一番なのだ。
「……一応、恥ずかしくない服装で行くつもりではいます、けど。期待はしないでください」
花梨は拗ねたようにそう答えた。
こうしてお茶をしながら用件を話すくらいならアリだとは思うが、あくまでも花屋と客の関係という前提があってのことだ。それ以上でもそれ以下でもない。お土産を貰ったりはしているけれど、デートなんてする仲では決してないはずだ。
そして何故、花梨が明後日休みであるのを桐生が知っているのか――あえて問うまい。どうせ柚羽が面白がって眞木経由で知らせたに違いないのだ。
花梨が頭の中で理屈を捏ねくり回して放った拒否の意など気にする様子もなく、桐生は余裕の笑みを見せる。
「理由がほしい? ……これならどうだ?」
彼はスーツの内ポケットから長財布を出し、その中から紙を二枚取り出した。どうやら何かのチケットのようだ。
「? なんですか? これ……」
差し出されたそれを両手で受け取り、目を通す。
刹那、花梨の目が大きく見開いた。
「こっ、こ、こ……っ」
「……ニワトリか?」
桐生がクスクス笑いながらツッコミを入れてくるが、そんなことを気にしている余裕は、あいにく今の花梨は持ち合わせておらず。手にしたチケットを凝視したまま、全身を震わせている。
「こっ、これ……っ、伊集院大河の個展のチケットじゃないですか! しかもプレス内覧会の招待券!」
伊集院大河とは、ここ一、二年ほどマスコミにも登場してきている有名華道家だ。元々は伝統的な華道の流派・実草流の出身だが、独立してからは独創的なフラワーアレンジメントも披露するようになった。
保守的なものはあくまでも古式ゆかしく、前衛的なものはとことん派手に。その二面性のある手法は、『表伊集院』『裏伊集院』と謳われている。
話題になっているのは腕だけではない。彼のルックスは女性たちを惹きつけるには十分すぎるほど華がある。しかも普段から着物を愛用している上に関西出身なため、その上品な立ち居振る舞いも相まって『はんなり花王子』の異名を持っていた。
花梨は昔から伊集院の大ファンで、彼の講演会にも赴くし、特別講習にも参加したことがあるくらいだ。彼の載った雑誌は漏れなく買うし、SNSももちろんチェックしている。
そんな憧れの華道家の個展チケットを目の当たりにし、気が遠くなりそうだ。
「その内覧会、ちょうど明後日だから、花梨と一緒に行こうかと思って」
「っていうか! ど、どうして桐生さんがこんなものを持ってるんですか!?」
落としてしまってはいけないと、とりあえずチケットを桐生に返す。
「実は、うちの会社が手がけて近々リニューアルオープンするホテルがあるんだが、そこのフラワーコーディネートの総合プロデューサーに伊集院大河が就任することになったんだ。その関係で、個展の内覧会の招待を受けた。……行きたい?」
チケットを口元に当てた桐生から優美に笑って尋ねられた花梨は、反射的に何度も何度も頷いた。その瞳はいつになくキラキラと輝いており、さながら大好物を目の前に差し出された犬のようだ。
「……だと思った。花梨のアレンジメントって、どことなく伊集院大河の影響を受けてるな、と思ったから」
桐生のひとことを聞き、花梨がわずかに目を見開く。彼の顔をじっと見て、それから尋ねた。
「……分かります?」
「なんとなく、だけどな。普通に見たら分からないくらい」
やっぱりこの男は目が肥えているのだろう。花に関しては門外漢だというのに、花梨のアレンジが伊集院の影響を受けていることを見抜いてしまった。彼女は恥ずかしく思うのと同時に、桐生に感心するしかなかった。
花梨のフラワーアレンジメント人生は、小学生の頃に始まった。高校に上がるまでは実草流の華道教室に通っており、そこで読んだ広報誌で伊集院の存在を知ったのだ。当時は『天才少年華道家』と、あくまでも華道界で内々に騒がれていたにすぎなかったのだが、その頃から彼は花梨の憧れだった。当然、彼女の作品は伊集院の影響を色濃く受けていくことになる。広報誌に載った彼の作品を真似して生けたのも一度や二度ではない。
高校生になってからは、将来両親の花屋で働くことを決めていたので、フラワーアレンジメントの方を勉強するようになったのだが、それでもやはり伊集院の影響の名残はあったのだろう。
「で、でもっ、私……いいんですか? 私なんかが行っていいんですか?」
「花梨以上に誘うのにうってつけな人物はいないだろ?」
「あ……、ありがとうございます、すごく嬉しいです」
花梨は全身に喜びをまとい、桐生に頭を下げた。お礼の言葉も弾んでいる。こんなに無防備に喜ぶ姿を彼の前で見せるのは、当然初めてだった。
桐生は彼女を見てクスクスと笑う。
「そんなに嬉しそうにしてくれると、誘った甲斐があるな。明後日は多分、マスコミや関係者で駐車場は埋まってしまうと思うから、電車で行った方がいい。十時に桜浜駅待ち合わせでどう?」
「は、はい。えっと……服装は、ちゃんとした方がいいんですよね?」
万が一にも伊集院本人が会場にいたらと思うと、下手な格好では行けないし、内覧会の招待を受けた桐生にも恥をかかせてはならない――それくらいの気遣いは心得ているつもりだ。
「ドレスコードなんて特にないが、おしゃれしてきてくれると嬉しい……俺が」
コーヒーを飲み干した桐生が、柔らかな口調で言った。
「はい?」
「いつもその仕事着しか見たことないから。たまには、な」
確かに桐生は花梨の仕事着――白いコットンシャツにデニムのパンツ、それに黒いエプロンの姿しか見たことがない。靴だっていつもスニーカーだ。背中まで伸びた黒茶色の髪は、いつもポニーテールかふんわりしたおだんごヘアにしかしない。
花屋で扱っているものはおしゃれだったり華やかだったりするものばかりだが、それを美しく保っていく作業は地味で体力もいる。
働くには動きやすい服装が一番なのだ。
「……一応、恥ずかしくない服装で行くつもりではいます、けど。期待はしないでください」
花梨は拗ねたようにそう答えた。
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