恋するあなたに花束を

沢渡奈々子

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第8話

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「ほんとに一人で大丈夫?」
 柚羽が退院して十日ほど経った経過観察のための通院日、花梨は心配でたまらず、玄関で姉に言い募る。
「大丈夫よ、身体の調子ならすごくいいから」
「でも……」
「花梨だって社会人でしょ? これ以上、私のことでお仕事に穴を空けていたらダメよ」
 柚羽が少しだけ眉尻を上げて、花梨の額を突いた。
「そうだけど……」
「何かあったらすぐ連絡するから……ね?」
「……分かった」
 渋々といった様子で、花梨は引き下がる。
「それに、眞木先生がしっかり診てくれるから心配しないで」
 眞木の名前を出した瞬間、柚羽の表情が薄皮一枚剥いだように明るくなった。
「眞木……先生?」
「この間はちょっと仕事で寝不足だったせいもあったから、倒れちゃったけど。桜浜病院で眞木先生に診てもらうようになってから、私、本当に体調いいのよ。患者さんのことを親身になって考えてくれるから、薬の処方も適切だし。ここまでよくなったのは眞木先生のおかげなのよ」
 いつになく嬉しそうに眞木のことを語る柚羽に、花梨は複雑な気分になる。
(柚羽……)
 柚羽が男性のことをこんな風に話したことなど、今まで一度もなかった。それが眞木のことになると、こんなにも饒舌になる。体調がよくなったのは、治療レベルが向上しただけではなく、おそらく柚羽の気持ちの問題もあるのではないか……それはひょっとしたら――
 それを想像するだけで、花梨の心がざわざわと落ち着かなくなる。
 楽しそうに家を出た柚羽と対照的に、花梨はため息交じりでシフォンベリーに出勤した。
「あー花梨ちゃん! ごめん、子供が今日中に提出しなきゃいけない書類を家に忘れたって、たった今電話が入って、届けに行きたいんだけど。配達ついでに行ってきていい?」
 店に着くなり、美津子が助かったと言わんばかりに、花梨に手を合わせてきた。
「あ、大丈夫ですよ。私も柚羽のことで何度も抜けさせてもらってますし、こういう時はどーんと頼ってください!」
 花梨が自信ありげに自分の胸を叩いた。
「ありがと! なるべく早く帰って来るから!」
 言うが早いか、美津子はエプロンを外して疾風のようにショップを後にした。
「さて……開店前に雑用をちゃっちゃと終わらせますか」
 美津子が店内の掃除はしていてくれたようなので、冷蔵庫にある花たちの水揚げを済ませる。冬ではないので、水仕事もだいぶ楽だ。
 花屋は基本的に冬でも暖房を使わない。乾燥して花がだめになってしまうからだ。だから自分たちが厚着をするしかないのだが、あまりモコモコと着込んでも仕事にならない。
 花梨は冬はいつも吸湿発熱素材のインナーを二枚も重ね着をして働いていた。今は春なので、一枚しか着なくて済むのだが、まだ時々寒い日もあるので念のため予備のインナーはロッカーに置いてある。
 せっせと水を入れ替えた花たちを店舗に並べ、開店となった。
 とりあえず人が来ない間に、花がらを摘んで消耗品のチェックをしておく。そうして十分が過ぎた頃、一人の女性客がやってきて、お祝いの花束を注文してきた。いつものように希望を聞き、花束を作ろうとすると、どうやら次のお客様と思しき人物が来店した。
(え……)
「おはよう」
 声のした方に目をやると、店の入口に桐生が立っていた。今日も今日とて、色は違えどスーツ姿である。
 驚いた花梨は、一瞬手が止まってしまった――が、すぐに我に返り、いつもの笑顔で挨拶をした。
「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、少々お待ちください」
 桐生は頷くと、邪魔にならないように気を遣ってくれているのか、店の端っこに移動した。
(一体、何の用なの……!?)
 彼の目的が推し量れず内心困惑するが、今は目の前のお客様に集中しなければ。桐生の存在は一旦頭から排除することにした。改めて花梨は真剣に花束を組んでいく。
 春らしいものをとのリクエストなので、ピンクやオレンジ、黄色の花をバランスよく混ぜて明るい雰囲気を出す。こういう花束は作っている側も明るい気持ちになってくるから不思議だ。自然と笑みが浮かんでしまう。
 そうしてできあがった花束はお客様にも気に入ってもらえたので、嬉しい気持ちで接客を終えられた。
(ふぅ……っと、そうだ!)
 前のお客様の姿が見えなくなった瞬間、もう一人いたことを思い出した。恐る恐る目を向けると、何故か彼は笑顔だった。
「君の接客は丁寧だな」
 ずっと見られていたのだろう、桐生は感心したようにそう告げてきた。
「……客商売なので、あたりまえです」
「そうだな、あれだけ気持ちのいい接客をしてくれたら、客も満足だ」
(これって、褒められてるの……?)
 桐生の目的が分からず、花梨は困惑する。
「あの、今日はどういったご用件……ですか?」
「明日の午後、君に花束の配達をお願いしたいんだ」
 意外な答えに、花梨は目をぱちくりとさせる。まさか彼が再び客としてシフォンベリーを訪れるとは、露ほども思っていなかったからだ。
 お客様なら話は別だ。接客モードに戻らなければ。
「――かしこまりました。失礼ですが、どなたあてかお伺いしても? 奥様か恋人ですか?」
「残念ながら、妻も恋人もいない。明日、母の誕生日なんだ」
「お母様ですか。何かご希望のお花などはございますか?」
「母の名前は小百合と言うんだ。だから、ユリの花メインがいいな。予算は二万円ほどで。あとはすべて君の腕に任せる」
 桐生はきっぱりとそう言った。挑発する風でもなく、ただ純粋に花梨のセンスに委ねてくれているのが見て取れる。
(そんなに信用されても困るけど……でも、二万円の花束作る機会もあまりないし、頑張ろう)
 そんなことを頭では思いながら、それを顔に出すことなく桐生の注文を聞き、頷きながらタブレットに書き込んでいった。
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