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8_にえとわに
しおりを挟む慣れ親しんだ岩の洞窟に戻り、山神さまと童子は一息ついておりました。
岩の洞窟を奥まで潜れば、地下からしみ出す温泉で常に暖かく、ほどよい湿気で苔むしております。洞窟の浅層は木の根がしっかりと岩を支え、ところどころに空いた天井の隙間から太陽の光が零れ落ち、ひんやりと涼しい風が通り抜けるのでした。
季節に応じて場所を選べば、この広い洞窟の中で、一年中を快適に過ごせます。
洞窟内の光源は、湧き水が岩をつたってできた透明度の高い水たまりと、いたるところで母岩から生えている水晶。それらがあちこちで万華鏡のようにまたたいては、暗い洞窟内をほんのりとあかるく照らしてくれるのです。
山神さまが少しずつ岩を掘り作りあげたこの広大な地下空間は、山神さまからにじみ出す神力が長い年月をかけて作用した、常世の国でございました。
洞窟に戻ってきてみれば長いようで短かった村への帰郷だったなと、童子は知らず知らずのうちにほうっと息をついておりました。
さえぎるもののない外での光は、色素の薄い童子の瞳には刺激が強すぎて、目をつぶればまだ松明の炎の残滓が明滅しているように感じます。
「三次郎か。良い名だな」
「あ、ありがとう、ございます」
山神さまの背に揺られながら無心で毛並みを撫でていた童子は、急に名前を呼ばれ、なにやらもじもじとしています。
「なんじゃ。我に名を呼ばれるのは嫌か?」
「いやじゃありません。なにか、こう、おなかのそこがくすぐったいような、いますぐかけだしたいような、ふしぎなかんじがします。でもうれしいのです。わかりますか?」
「ふむ。分からんな。もしや、どこか体調でも悪いのか?」
そう言うなり山神さまの手が伸びてきて、童子のあちこちを確かめるように引っ張るのでした。
「わあ! ひゃあ! やまがみさま! ぼくは、げんきですから!」
いくら童子がそう言っても、山神さまは何かあっては一大事と、着物の裾をめくっています。
「そ、そうだ! やまがみさまも、なまえをよばれたら、ぼくとおなじきもちになるかもしれません! ぼくにもやまがみさまのおなまえを、よばせてください」
「ふむ、面白そうな提案だの。しかし、我に名はないぞ」
「え、ないのですか?」
「何かあったような気もするが、昔すぎて忘れたわ。山神で事足りるからの。まあよい。お前が名付けて、呼んでみせよ」
「ぼ、ぼくがですか? むりです、むりです! たっといやまがみさまにふさわしいおなまえなんて、ぼくにはおもいつきません!」
「三次郎にだけ名前があるのは、いささかずるいと思わんか?」
山神さまが寂しそうにそういうものですから、童子は引き受けないわけにはいかなくなってしまいました。
童子はしきりに背中の毛並みに指を通し、汗をかきかき一生懸命に考えます。
そこで、はたと思い出しました。
「ぼく、とってもたいせつなことを、たしかめわすれていました。やまがみさまは、めがみさまなのですか? おがみさまなのですか?」
勝手な思い込みで間違えて名前をつけてしまったら、それこそ一大事です。
「さて。どっちだったろうな。ずいぶん昔には性別もあったような気がするがの。もはやどちらでも問題なかろう」
「そ、そんなものなのですか? むらのじいさまが、やまがみさまというものは、めがみさまにきまっていると、いっていました。むらおさにもきかれたのですが、ぼく、わからなくて。そうだ。それでこんかいは、このようなきものになったのでした」
山神さまは、童子の白い着物をしげしげと眺めてから、笑っておっしゃいました。
「ふむ。なるほど女性の婚礼衣装に似ておるの。なんじゃ、よもやあれは輿入りだったのか」
「むらおさは、いるいこん……いん……? なにやらふるいおはなしのなかでは、よくあることだといっていました。ぼく、はじめてみるのでしらなかったのですが、このきものは、にょしょうの、こんれいいしょうなんですか? これではすぐに、よごれてしまいます。ふべんなものなんですねぇ」
「異類婚姻譚、じゃな。龍神と姫など、神と人間の婚姻の話はいくつかあるからの。ふむ。輿入りならば、明朝にでも童子の嫁入り道具を取りに行ってやろうか」
「よめいり……。やまがみさま。ぼくは、れっきとしたおとこです」
珍しくむくれた様子の童子を見て、山神さまの口が緩みます。すると顔の半ばまである切れ目のような口から、ずらりと並んでいる尖った歯がむき出しになりました。それは村人ならば泣いて命乞いをしてしまいそうな表情でしたが、童子には山神さまの笑顔だと知っておりました。あまり感情を表に出さない山神さまの、貴重な笑顔です。
「そうむくれなさんな。婿入りならばいいのかの」
「む、むこ……? ぼくが、やまがみさまの、おむこさん?」
「なんじゃ、我が嫁ではやはり嫌か?」
「いやじゃありません! ぼく、いまはまだ、このとおりちいさいので。ですが、りっぱなおむこさんになれるように、はやくおおきくなりますからね。いつか、このくにいちばんのおとこに、なってみせます! きっとすぐですから、まっててくださいね!」
「急くな急くな。ゆっくりでいい」
すっかり機嫌を直した童子を見て、山神さまは胸が暖かくなりました。
「それで我の名は決まったか?」
「そうだ、やまがみさまのおなまえでした。えっと、ええっと……。キヨ、はどうですか? たしか、ここのおみずみたいに、きれい、といういみです」
「キヨ。清、か。ふむ。ありがたく頂戴する。では今日このときから、我のことは清と呼ぶように。山神さまでは返事をしてやらんからの」
「で、では。……きよさま?」
「なんじゃ、三次郎」
童子は山神さまの背中に顔をうずめ、もんどり打ってじたばたとしております。
「本当になんなのじゃ。やはりどこか悪いのではないか、三次郎」
「はい。もしかしたらむねに、わるいむしでも、わいているのかも……。やまがみさまになまえをよばれると、むねが」
「清、じゃ」
「き、きよさま……?」
頬を赤く染めた童子に恥ずかしそうに名を呼ばれれば、山神さまの胸もなぜだかうずうずとしてくるのでした。
「なるほど。これはたしかに。ふむ」
「ね? ね? なんだか、わーってさけびだしたいような、もっとなまえをよんでほしいような、ふしぎなきもちになりますよね?」
「ふむ」
「これはなんでしょうね。きよさま」
「なんだろうかの。三次郎」
こうして贄の童子と異形の山神さまは、いつまでも仲睦まじく、名前を呼び合って暮らしたのだそうです。
(おまけのエピローグ)
「三次郎。メェルとやらは、まだ終わらんのか?」
「清さま、あと少し、お待ちくださいね」
「今度は何の用事じゃ。我と三次郎の邪魔をするのは誰じゃ。それは我より大事なのか?」
「テレビ番組から取材の打診、だそうですよ」
「てれび。あの四角い箱か」
「はい。あんなところに一軒家という名前の番組らしいのですが。衛星写真から見つけた日本各地の人里離れた場所にある一軒家を、面白おかしく紹介するバラエティ番組なのだそうです。……清さま。時代も移り変わっておりますからね。山奥であることに変わりはありませんが、気を抜いて真っ昼間からそこら辺を歩いてはいけませんよ」
「分かっておる。でもそうじゃない。三次郎。小言ではなく、もっと我に優しくしてくれ」
三次郎はパソコンから顔を離すと山神さまに向きなおり、手を差し出しました。
山神さまは大きな体を傾けて、三次郎の手に顔をすり寄せます。その仕草だけをみれば、まるで甘える猫のようです。三次郎は、抱えきれないほど大きな山神さまの顔を抱き寄せて、頬に優しくキスをしました。
「私に清さまよりも大切な物なんて、一つもありませんよ」
「ならばいい」
天井は山神さまが自由に動けるほど高く、山神さまの邪魔にならない程度の最低限の家具だけを置いた骨組みだけの家にも、電気と電波が通っています。
山神さまのおそば近くに長くいた三次郎は、山神さまの愛情と神力を一身に浴び、いつしか人の 理から少し外れた存在となっておりました。決して不死身ではありません。神力があるわけでもありません。山神さまの願いが力となりどのように作用したのか、ただ成長が非常にゆっくりであるだけの人間です。
三次郎はめまぐるしく移り変わるいくつもの時代を、地下の資源とその身に宿る知恵でもって切り開いてみせました。山神さまを守るために工面した巨額の富でもって一山を私有地として手に入れ、長いときに渡り管理をしております。今では、地下で生きる野生動物の研究施設という名目を対外用にかかげて、ひっそりと暮らしているのでした。
山神さまの長い舌が、べろりと三次郎の顔を舐めていきます。ようやく壮年期にさしかかった三次郎の逞しい背中を、優しくとんとんとあやしているのは、山神さまの丸く整えられた爪。
三次郎はくすくすと笑いながら、甘えるのも甘やかすのも上手になった山神さまに寄り添います。
「ふふ。清さまから見れば、この私もまだまだ童子なんでしょうか」
「まさか。三次郎は立派な我の婿殿だ。ただ無理はしてくれるなよ。いざとなったら、どこか人のいない島にでも渡ろう」
「そうですね。国内でなく海外まで視野に入れれば、清さまが暮らすにもいい無人島があるかもしれませんね」
「かわいい三次郎がいてくれさえすれば、どこへでも」
「私だってそれなりに年を取りましたがね。ええ。変わらず愛しておりますよ。清さま」
「その命尽きるまで、永久に?」
「ええ。永久に」
(おしまい)
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小学生の教科書にも載りそうな優しい文章とじんわりとほっこりした読後感の恋物語でとても良かったです♡
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清さまの異形でありながらも慈愛に満ちた(それは恐らく三次郎限定なのだろうけど、)行動やしぐさ。
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ひゅうが様にも好きと言っていただけて、とっても嬉しく思います!
優しい感想をありがとうございました!
ほのぼのとした、昔話みたいな感じだと読み始めたら、なんと恋愛話でしたね。
一見硬そうな文章で最初は読みづらいかな?って思いましたが、何が何が。読み始めたら、暖かくて柔らかい文章にスッと入り込んで行けました。
山神様が可愛らしい童子に心を寄せて行く過程とか、2人(?)が想いを寄せて行く流れがとても自然で優しいお話で、読んでいる方も心がほっこりしました。
最後のところが急に近代化しすぎて興醒めな感じはありましたが、いつまでも仲睦まじく暮らしているのだな……と思えたので、これはこれでアリですかね。
良かったです。投票しました!
感想をありがとうございます。
さっそく新たに異種族間恋愛のタグを追加しました。そうですよね。これは初々しい恋愛ですよね。良きアドバイスをありがとうございました。
おまけエピローグは最後まで悩んだので、田沢さまにとってギリギリセーフだったようで良かったです(ドキドキ
感想をいただけただけでも嬉しいものですが投票まで!
とても励みになります。ありがとうございました!
完結おめでとうございます!
山神様の孤独が童子に癒されていくのがとてもほっこりして胸がジーンとなりました。
ちょっとうるっと来てしまったのは秘密です(*'▽')
素敵なお話をありがとうございました✨
なんとか期日までに完結することができました。万歳!
ほっこりじんわりを目指して書いておりましたので、珈琲さまのコメントがとても嬉しいです。私も童子に癒されながら書きました!
優しい感想をありがとうございました!