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1_にえであう

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 昔々のその昔、たいそう寒い冬が続いたある年のことです。

 山のめぐみで細々と暮らしていた村は、いつまでも降り続ける雪に、今にも死に絶えそうになっておりました。そこで村人たちは相談をして、それはそれは恐ろしい山神さまに、一人の生贄いけにえを捧げることに決めたのです。

 さっそく一人の童子が酒で拭き清められ、竹で編まれた背負子しょいこに入れられました。
 限られた数名の男が背負子を捧げ持ち、雪山に入っていきます。道中も村人は一言も喋りません。ごうごうと吹雪ふぶく音ばかりが恐ろしく、童子わらしは膝を抱え震えておりました。



 赤く染められた注連縄しめなわが雪の中から現れれば、そこから先は未知なる神域。人間が足を踏み入れることは許されません。

 村人は、結界門としてまつられている巨木の根元に酒を供え、一心に手を合わせます。それから背負子をおろすと、何度も何度も振り返りながら山を下りていきました。



 ごうごう。ごうごう。
 童子は膝で耳を挟むように頭を抱えて、小さくなります。わらでできたむしろでは、山の寒さは防げません。童子は震え凍えていきました。







 どれほどの時間が流れたのでしょうか。
 身を包む温かな湯気に、童子は目を覚ましました。

 たしかめるように小さな手であたりを探れば、童子の体の下には立派な毛皮が敷いてありました。温かな毛皮を不思議に思い撫でれば、ぐごごごぉと地鳴りが聞こえ、童子の体が揺れます。雪崩による地揺れかと、童子はきゅっと毛皮を掴み、身を伏せました。


「そこの小さいの。お前はわれが怖くないのか?」


 童子の下から、声が聞こえます。岩の洞窟に反響した声が、わんわんと響いています。高くも低くもない不思議な響きの声でした。童子には怖いものがたくさんありましたが、不思議なその声に、童子が怯えることはありませんでした。


「かみさまですか? おやまのたっとい、かみさまですか? わたしは、にえです。かみさまへの にえだそうです。どうぞ、おめしあがりください」


 童子は村人から教えられた科白せりふをなんとかそらんじて、誇らしげでした。それから、小さな体をさらに小さく小さくたたむと、額を毛皮に擦り付けながら一生懸命に平伏をしました。

「あっ! こわくは、ありません!」

 童子はぴょこんと頭を上げてそう言うと、慌てたようにまたぴょこんと頭を下げました。童子の黒い髪が赤黒い獣毛に埋もれるようすを、八つの目で見つめるのはたいそう大きな山神さま。


「小さいの、お前、目が見えぬのか」

 小さな頭は、こくんと頷きます。

「……我が怖くはないのだな?」


 毛並みのなかでまたこくんと揺れる頭を見て、山神さまはふっふっふっと、息だけで笑いました。また地面が揺れたと身を固くする童子をそっと手で支え、山神さまはずうるりと身を起こします。大きな鋭い爪で傷付けないように、そっとそっと童子を抱えて。


 ぎぃしゃ、ぎぎぎぃ、ずうるずずず。

 山神さまが動けば、聞いたことのない不気味な音が響きます。それでも山神さまの大きな手は優しく温かでしたので、童子はこのまま食べられても怖くはないなと思いました。
 それよりも、恐れ多くも山神さまの上に乗っていたのだとようよう気付いた童子は、山神さまの手の中でぴょこぴょこと頭を下げるのでした。


「ご、ごめんなさい。ぼ、ぼく、ねてしまって、みえていなくて、しらなくて、ごめんなさい」

 山神さまは、童子を苔の生えた岩場に乗せました。ふかふかの苔のふうわりとした触り心地を、童子は手で撫でています。

 ここは山の岩漿がんしょう近くの温かな場所です。外の寒さも、ここまでは届きません。


 山神さまは、すっかり顔色の戻った童子を見て、背負子の中で白くなっていた童子を思い出しました。山神さまがあの日あの場所に足を向けたのは、ほんの気紛きまぐれでした。死にかけの童子を連れ帰ったのも、まったくの気紛れでした。



「ふうむ。よいか、小さいの。我はお前を食べはしない。怯えてぎゃあぎゃあと叫ぶやからはうっかり喰ろうてしまうが、お前ならいい。暇なのだ。我のにえなら、話し相手になっておくれ」




 こうして世にも恐ろしい異形の山神さまは、一人の童子と暮らすことになったのでした。




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