ドラゴンの愛

水龍と少女

「もし。もし。豪壮ごうそうなる水龍すいりゅうさま。この哀あわれな人間の願いを、どうかお聞き入れくださいませ」




　水の中で惰眠だみんを貪むさぼる水龍すいりゅうは、片目を開けて、灰汁あく色の髪かみの痩やせ細った少女を睨にらみつけた。


（人間は嫌きらいだ。雨を降らせよと言ったそばから、洪水こうずいで人死にが出たと儂わしを責める。天候を操あやつるほどの力が、大きなだけの生き物にあろうはずもない。西からの湿しめった風が、雨雲を作るのだ。道理の分からぬ傲慢ごうまんで愚おろかで強欲ごうよくな生き物め）


　水龍すいりゅうはすぐに怯おびえて逃げ出すだろうと、怖い声を出して少女を脅おどした。


「小さき者よ。死にたいか」
「私はもとより、あなた様への貢みつぎ物として捧ささげられた生贄いけにえでございますれば」
「貢みつぎ物も生贄いけにえもいらん。去いね」
「どうかどうか。あなた様が堰せき止めていらっしゃるこの水脈で、昨年の作物は全滅ぜんめつしてしまいました。このままでは村人は死に絶えてしまいます。どうか、どうか、ご慈悲じひを」

　伏ふしたままの少女は、なお言い募つのる。




（ふむ。それは知らなんだ この清流せいりゅうは綺麗きれいで気に入ってはいるが、どうせ寝ねているだけのこと。動くことなど容易たやすい。だがしかし、人間の言うことを素直すなおに聞くのはどうにも癪しゃくだ）


「して。小さき者よ。儂わしに何を捧ささげてみせる」
「ありがとうございます！　水龍すいりゅうさま！」


　すこし困らせてやろうと思っていた水龍すいりゅうは、そう言って嬉しそうに笑う小さき者を見て、意地悪いじわるをする気がさっぱり失せた。小さき者は、笑っているのが一番良い。少女の素直すなおな心根もたいそう好ましい。

　水龍すいりゅうを見上げる少女の瞳が、キラキラと濡ぬれて光った。



「お主の瞳は綺麗きれいだの」
「しばしお待ちを！　今すぐ取り出して、水龍すいりゅうさまに捧ささげます！」
「待て待て待て。……ゴホン。万が一にも取り出す際に、傷が付いてはならぬ。それはもう儂わしの物だ。よって、お主がそのまま大事に保管するように」
「はい！　水龍すいりゅうさま」






　こうしてなかなか素直すなおになれない水龍すいりゅうと、まっすぐ素直すなおな少女は、それから一緒いっしょに暮らすことになった。少女が水龍すいりゅうのそばを離れなかったのだ。

　共に過ごす中で、水龍すいりゅうが何かを褒ほめるたびに、なんでもかんでもすぐに供物として捧げようとする少女。それを止める水龍すいりゅうとのやりとりは、いつしかいつもの見慣みなれた光景となり、その度に少女の体の一部は水龍のモノとなっていった。





　困り顔の水龍すいりゅうをよそに、少女は誇ほこらしげに笑う。
　あっという間に花開くように成長していく少女を、水龍すいりゅうは眩まぶしそうに見つめた。



「水龍すいりゅうさま、水龍すいりゅうさま。此度こたび、ついに私の全ては、水龍すいりゅうさまのものとなりました」
「まったく困ったやつめ……しかし、まだだ。まだ心が残っておろう。儂わしは、欲張よくばりなドラゴンだ。お主の気持ちも余さず欲しい。して、お主の愛はどうやったら手に入るのか。儂わしには難しくて、とんと見当もつかぬのだ」


　水龍すいりゅうの爪の先には、菫色すみれいろの花。少女の瞳と同じ色の花。


「水龍すいりゅうさま。そんなそんな。私の気持ちなぞ。……私は、水底で眠る水龍すいりゅうさまのお姿を拝はいしましたその瞬間しゅんかんから、恐おそれ多くも、ずっと、ずっとお慕したい申し上げておりました」




　少女の瞳からは、いつぞやの水源より清らかな涙が零こぼれ落ちていく。
　花を持つ水龍すいりゅうの爪先に抱きついて、少女は泣いた。
　心優こころやさしい水龍すいりゅうが哀あわれで泣いた。元より病で長くない命ゆえに、生贄いけにえに選ばれた自分を悔くやんだ。

　それでも、この美しき水龍すいりゅうの愛が、何よりも嬉うれしくて泣いた。






　少女が早逝そうせいしたのち、水龍すいりゅうはその軀むくろを抱きしめたまま水底で眠った。それ以降、水龍すいりゅうの姿を見た者はいない。


　少女との幸せな毎日を繰くりかえし思い出し、泣いているのか微笑ほほえんでいるのか。それは誰にも分からない。






　これは、ある国に書き残された、幸せな夢を見る水龍すいりゅうのお話なのだそうです。


　転生てんせいを重ね、生まれ変わった二人が出会うお話は、またいつか。同じ学校に通う二人が遠い遠い記憶きおくを思い出したら、またその時に。


　さあさ、皆さま、おやすみなさい。

　楽しい物語の続きは、きっとあなたの夢の中。









（水龍すいりゅうと少女　おしまい）