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転の流星
記憶の行方
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―風の王国領土内北部、聖なる祠―
「―これは一体……」
祠内部に住む、風の聖霊シルフ、その長であるアルマクがぽつりと、困惑の言葉を漏らす。
ここグルミウムの聖なる祠には、世界中で飛び交う様々な噂が風に乗って流れてくるのだが、今はその殆どが、ある人物で占められていた。
現在、バスターボレアリスとして活躍している、グルミウム王国の最期の生き残り、アウラの噂。
否、噂にしてはそれは、鮮明すぎた。
これまでにボレアリスに関する噂はいくつも流れてきたが、今飛び込んで来ている物の中には、噂になり得ないような、細かい物まで含まれている。
そう、まるで、彼女の記憶そのもののように。
「アルマク様!」
事の重大さに気付いたもう一人が、緊迫した声で自分の名を呼ぶ。
声がした方を見ても、そこには誰もいない。
あるのは、木の葉を纏ったつむじ風。
そのつむじ風こそ、アルマクを呼んだ者。
「エラルド」
グルミウム国王ヴァーユの最強の盾にして、アルマクの最愛の愛弟子。
自ら命を絶った彼女は聖霊にこそなれなかったものの、その強き魂は意志ある風としてこの世に留まっている。
「これは一体、どういう事ですか?何故、こんなに、アウラ様の噂ばかり!」
「落ち着きなさい。私も今見ています」
そう伝えてみるものの、エラルドにはまるで聞こえていないようで興奮して、言葉をまくし立てる。
「いえ!これは噂なんてレベルではありません。今まで彼女が旅してきた物事がこんなにも鮮明に流れてくるなんて、普通ではありません。これではまるで、アウラ様の……」
「落ち着け。そう言いましたよ?」
「……っ」
一段と低く言い放つと、エラルドは息を呑むようにして黙り、「申し訳ありません」と小さく謝罪した。
普段はとても冷静なのだが、事アウラに関する話となると、一気に精彩に欠ける。
死後はそれが顕著だ。
王女としてのアウラを、最後まで護り切れなかった自責の念にでも捕らわれているのだろうか。
「よろしい。さて、貴女もこの異常事態を気にしているんですよね?」
口調を元に戻して問うと、エラルドは一つ頷いた。
「はい。アウラ様の、バスターとしての噂は今までも沢山流れてきていましたが、一人の噂がこんなにも大量に運ばれてくるなんてまずありえません」
「そうですね。貴女の言う通り、これは噂とは異なる性質の物でしょう」
「それは……」
アルマクが一つの噂をその場に留めると、エラルドはその矛盾にすぐに気付いた。
その噂は、ボレアリスが単身蒼竜に挑み、右腕を失うという、悲痛な内容。
現在とは異なる、明らかに過去の物だ。
「この噂は、以前にも流れてきました。あの時よりもこれはより鮮明ですが、アウラが当時の幼いまま。植物でもあるまいし、いくら蒼龍を宿しているとはいえ、失った腕が再生される事は無い」
「つまりこれは、アウラ様の過去の記憶そのもの」
「そう考えるのが自然でしょう」
エラルドが出した答えを静かに肯定し、留めていた記憶を手離す。
記憶が風に乗ってくる事も、稀ではあるが一応ある。
しかしそれは、噂とは違った生まれ方をする。
記憶が流れてくるのは、肉体から離れた魂がそれを手離すからだ。
聖霊であるアルマクや、元素でありながら自我を保っているエラルドは、肉体から離れた今でも記憶を手離す事無く、この世に存在出来ている。
今、アウラの記憶がこうして流れてきているという事はつまり……。
最悪の事態を予想したエラルドの、絶望に満ちた声が漏れる。
「まさか、そんな……アウラ様は……」
「早まった判断は、重大な事実を見逃しますよ、エラルド」
姿こそ存在しないが、エラルドを小突くかのように、アルマクはつむじ風にふっと一息吹きかけた。
「一度呼吸をして、目の前に広がる事実を、見つめ直してみなさいな。何か気付く事はありませんか?」
「……」
エラルドは言われた通り深呼吸をし、じっくりと辺りを窺い、そして呟く。
「……これは、足りませんね」
アルマクが何も答えずにいると、エラルドは自分が発した言葉の意味を述べた。
「今ここに流れ着いているものは全て、アウラ様のバスターとしての記憶ばかりです。どこを見ても、彼女の王族としての記憶が存在していない。……考えたくは無いですが、亡くなったというのなら、この偏りは、明らかにおかしい」
「そうですね」
アルマクは、エラルドが辿り着いた答えに満足し、にこりと微笑み再び記憶の中を浮遊する。
「貴女の言うとおり、ここにはボレアリスの記憶しか流れてきていません。アウラは今、何らかの原因で、バスターとしての記憶を手離してしまったのでしょう」
「一体、何が原因なのでしょう?」
「私の考えが合っていればおそらく……。ああ、やはり。これが原因ですよ」
目当ての記憶を見つけたアルマクは、すぅと風で押し出してエラルドの近くへと流し込む。
「これは……?」
そこには、アウラに口付けをする赤い羽根を持った妖精が映し出されている。
そしてその記憶は他の物よりも形が曖昧で、ぐにゃぐにゃと歪んで見難い。
「記憶の捕食者。それがアウラの記憶を奪った者の正体です」
「これが、デジアルですか……。初めて見ましたが、仮にデジアルに記憶を奪われたのであれば、ここに流れ着くのは妙なのでは?」
「普通ならそうですね。デジアルが飽きるまで、記憶はあれらが保持している。ですが、そのまま滅びたとあれば、話は違ってきます」
「……保持者であるデジアルが死ねば、切り離された記憶は、元の魂へ帰ることなく、流されてやってくる、という事ですか?」
「そう言う事です。ようやく落ち着けたようですね」
本来のエラルドは、かなりの切れ者だ。
普段通りの彼女であれば、これほど回りくどい説明も必要無かったであろう。
エラルドもそれを自覚してか「お気遣い、感謝します」と礼を述べた。
「それでは、この記憶は本来の持ち主である、アウラ様の元へと返さないといけませんね」
「ええ。ですが、私達に出来る事はとても限られています。もう、何が必要か、解りますね?」
「はい」
今までとは違い、エラルドは力強く頷き答える。
「他に飛び交っている噂と結合しないよう、早急に記憶の保護に回ります」
「頼みます。しかし、十年近く渡る記憶です。多少の齟齬は目を瞑るとしても、核たる記憶だけは完全に隔離するよう心掛けなさい。持ち主に返った時、アウラがアウラで無くならないよう、迅速に、ね」
「我が師、隼の名に誓いましょう」
「それともう一つ」
アルマクは指を一つ立てて祠の奥を指す。
「あまり深淵にまで流れ込ませない方が良いでしょう。下手な刺激は、与えたくありませんからね」
「万事、心得ております。では」
そう言い残して、エラルドの気配がこの場から消え去った。
アルマクは、彼女が纏っていた木の葉が地に落ちるのを静かに見つめ、そして祠の外へと視線を移す。
「さて、こちらはこれでいいとして、気掛かりなのは、あの子の精神状態」
エラルドは、アウラの記憶の事で気が回らなかったようだが、ボレアリスとしての記憶を失くしたアウラは現状、幼いアウラ王女そのものの筈。
そのような状態で、目覚めかけている蒼龍を、どこまで抑える事が出来るのだろうか。
「幸い、彼女の中にはノトスの意思が宿っている。彼が蓋の代わりをしている間は無事だろうけれど、それがいつまで保つか……」
恐らく、今のまま記憶が戻らなければ、ノトスが限界を迎えた時が、アウラの最期となるだろう。
こればかりは、アルマクやエラルドにはどうしようも出来ない。
「これも試練の一つ……。どうか乗り越えて、再び逢える日を、楽しみに待っていますよ、アウラ」
祈るように呟き、アルマクも記憶の確保に向かう為、祠の内部へと飛んでいった。
「―これは一体……」
祠内部に住む、風の聖霊シルフ、その長であるアルマクがぽつりと、困惑の言葉を漏らす。
ここグルミウムの聖なる祠には、世界中で飛び交う様々な噂が風に乗って流れてくるのだが、今はその殆どが、ある人物で占められていた。
現在、バスターボレアリスとして活躍している、グルミウム王国の最期の生き残り、アウラの噂。
否、噂にしてはそれは、鮮明すぎた。
これまでにボレアリスに関する噂はいくつも流れてきたが、今飛び込んで来ている物の中には、噂になり得ないような、細かい物まで含まれている。
そう、まるで、彼女の記憶そのもののように。
「アルマク様!」
事の重大さに気付いたもう一人が、緊迫した声で自分の名を呼ぶ。
声がした方を見ても、そこには誰もいない。
あるのは、木の葉を纏ったつむじ風。
そのつむじ風こそ、アルマクを呼んだ者。
「エラルド」
グルミウム国王ヴァーユの最強の盾にして、アルマクの最愛の愛弟子。
自ら命を絶った彼女は聖霊にこそなれなかったものの、その強き魂は意志ある風としてこの世に留まっている。
「これは一体、どういう事ですか?何故、こんなに、アウラ様の噂ばかり!」
「落ち着きなさい。私も今見ています」
そう伝えてみるものの、エラルドにはまるで聞こえていないようで興奮して、言葉をまくし立てる。
「いえ!これは噂なんてレベルではありません。今まで彼女が旅してきた物事がこんなにも鮮明に流れてくるなんて、普通ではありません。これではまるで、アウラ様の……」
「落ち着け。そう言いましたよ?」
「……っ」
一段と低く言い放つと、エラルドは息を呑むようにして黙り、「申し訳ありません」と小さく謝罪した。
普段はとても冷静なのだが、事アウラに関する話となると、一気に精彩に欠ける。
死後はそれが顕著だ。
王女としてのアウラを、最後まで護り切れなかった自責の念にでも捕らわれているのだろうか。
「よろしい。さて、貴女もこの異常事態を気にしているんですよね?」
口調を元に戻して問うと、エラルドは一つ頷いた。
「はい。アウラ様の、バスターとしての噂は今までも沢山流れてきていましたが、一人の噂がこんなにも大量に運ばれてくるなんてまずありえません」
「そうですね。貴女の言う通り、これは噂とは異なる性質の物でしょう」
「それは……」
アルマクが一つの噂をその場に留めると、エラルドはその矛盾にすぐに気付いた。
その噂は、ボレアリスが単身蒼竜に挑み、右腕を失うという、悲痛な内容。
現在とは異なる、明らかに過去の物だ。
「この噂は、以前にも流れてきました。あの時よりもこれはより鮮明ですが、アウラが当時の幼いまま。植物でもあるまいし、いくら蒼龍を宿しているとはいえ、失った腕が再生される事は無い」
「つまりこれは、アウラ様の過去の記憶そのもの」
「そう考えるのが自然でしょう」
エラルドが出した答えを静かに肯定し、留めていた記憶を手離す。
記憶が風に乗ってくる事も、稀ではあるが一応ある。
しかしそれは、噂とは違った生まれ方をする。
記憶が流れてくるのは、肉体から離れた魂がそれを手離すからだ。
聖霊であるアルマクや、元素でありながら自我を保っているエラルドは、肉体から離れた今でも記憶を手離す事無く、この世に存在出来ている。
今、アウラの記憶がこうして流れてきているという事はつまり……。
最悪の事態を予想したエラルドの、絶望に満ちた声が漏れる。
「まさか、そんな……アウラ様は……」
「早まった判断は、重大な事実を見逃しますよ、エラルド」
姿こそ存在しないが、エラルドを小突くかのように、アルマクはつむじ風にふっと一息吹きかけた。
「一度呼吸をして、目の前に広がる事実を、見つめ直してみなさいな。何か気付く事はありませんか?」
「……」
エラルドは言われた通り深呼吸をし、じっくりと辺りを窺い、そして呟く。
「……これは、足りませんね」
アルマクが何も答えずにいると、エラルドは自分が発した言葉の意味を述べた。
「今ここに流れ着いているものは全て、アウラ様のバスターとしての記憶ばかりです。どこを見ても、彼女の王族としての記憶が存在していない。……考えたくは無いですが、亡くなったというのなら、この偏りは、明らかにおかしい」
「そうですね」
アルマクは、エラルドが辿り着いた答えに満足し、にこりと微笑み再び記憶の中を浮遊する。
「貴女の言うとおり、ここにはボレアリスの記憶しか流れてきていません。アウラは今、何らかの原因で、バスターとしての記憶を手離してしまったのでしょう」
「一体、何が原因なのでしょう?」
「私の考えが合っていればおそらく……。ああ、やはり。これが原因ですよ」
目当ての記憶を見つけたアルマクは、すぅと風で押し出してエラルドの近くへと流し込む。
「これは……?」
そこには、アウラに口付けをする赤い羽根を持った妖精が映し出されている。
そしてその記憶は他の物よりも形が曖昧で、ぐにゃぐにゃと歪んで見難い。
「記憶の捕食者。それがアウラの記憶を奪った者の正体です」
「これが、デジアルですか……。初めて見ましたが、仮にデジアルに記憶を奪われたのであれば、ここに流れ着くのは妙なのでは?」
「普通ならそうですね。デジアルが飽きるまで、記憶はあれらが保持している。ですが、そのまま滅びたとあれば、話は違ってきます」
「……保持者であるデジアルが死ねば、切り離された記憶は、元の魂へ帰ることなく、流されてやってくる、という事ですか?」
「そう言う事です。ようやく落ち着けたようですね」
本来のエラルドは、かなりの切れ者だ。
普段通りの彼女であれば、これほど回りくどい説明も必要無かったであろう。
エラルドもそれを自覚してか「お気遣い、感謝します」と礼を述べた。
「それでは、この記憶は本来の持ち主である、アウラ様の元へと返さないといけませんね」
「ええ。ですが、私達に出来る事はとても限られています。もう、何が必要か、解りますね?」
「はい」
今までとは違い、エラルドは力強く頷き答える。
「他に飛び交っている噂と結合しないよう、早急に記憶の保護に回ります」
「頼みます。しかし、十年近く渡る記憶です。多少の齟齬は目を瞑るとしても、核たる記憶だけは完全に隔離するよう心掛けなさい。持ち主に返った時、アウラがアウラで無くならないよう、迅速に、ね」
「我が師、隼の名に誓いましょう」
「それともう一つ」
アルマクは指を一つ立てて祠の奥を指す。
「あまり深淵にまで流れ込ませない方が良いでしょう。下手な刺激は、与えたくありませんからね」
「万事、心得ております。では」
そう言い残して、エラルドの気配がこの場から消え去った。
アルマクは、彼女が纏っていた木の葉が地に落ちるのを静かに見つめ、そして祠の外へと視線を移す。
「さて、こちらはこれでいいとして、気掛かりなのは、あの子の精神状態」
エラルドは、アウラの記憶の事で気が回らなかったようだが、ボレアリスとしての記憶を失くしたアウラは現状、幼いアウラ王女そのものの筈。
そのような状態で、目覚めかけている蒼龍を、どこまで抑える事が出来るのだろうか。
「幸い、彼女の中にはノトスの意思が宿っている。彼が蓋の代わりをしている間は無事だろうけれど、それがいつまで保つか……」
恐らく、今のまま記憶が戻らなければ、ノトスが限界を迎えた時が、アウラの最期となるだろう。
こればかりは、アルマクやエラルドにはどうしようも出来ない。
「これも試練の一つ……。どうか乗り越えて、再び逢える日を、楽しみに待っていますよ、アウラ」
祈るように呟き、アルマクも記憶の確保に向かう為、祠の内部へと飛んでいった。
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