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起の星
風死す
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「ほぅ……。それが蒼龍の子か」
「は。既に確認済みでございます」
自分より年若いながらも威厳のある低い声を発する主に向かって、男は頭を垂れたまま報告を続ける。
「この少女は、我々が掛けた術を一人で破り、今はこの姿のまま、眠りについております」
言いながら、縄で縛られぐったりと横たわる少女を横目に見る。
風の王国を襲撃した際、己を竜に喰われそうになりながらも人の形を留め、火の帝国ポエニーキスの帝都フォボスに連行されるまで、一度も目を醒ます事なく未だ眠り続けているグルミウム王家の王女。
「生きているのだろうな?」
皇帝の質問に、少し眉根を寄せる。
どんな人物であろうと、死ねばその肉体は母国の源である元素に還る。
もしこの少女が死んでいるのであれば、とうに風に還っているはずだ。
疑問に答えかねて、男は初めて顔を上げた。
数歩先の―過去、現在、未来の全てを制した者が登る事を許された―十二段ある階段の上に設置された玉座に座る主、皇帝フラームを仰ぎ見る。
一方の肘掛けに頬杖、もう一方には片足を掛け、その裸足の裏を刀身が剥き出しのまま立てかけた剣の柄に乗せて、ゆらゆらと揺らして遊んでいる。
気怠げなその態度からは、先程の質問の答えは得られそうも無い。
この質問は、遊びなのか?それとも、龍として?
「……まだ息はあります。ですが、帝都へ帰還するまでの数日間、一度も目覚める事はなく、水すら受け付けておりません。幼い身の上、精神状態を考慮しますと、放置すればそう、長くは保たないかと思われます」
逡巡した挙げ句、男は思っていた事を素直に話した。
それを聞いたフラームは態度を崩す事なく、短く息をつき、考えるそぶりを見せる。
「顔を見せろ」
「はっ」
命じられるままに少女を抱き起こし、フラームに顔が見えるよう顎を持ち上げる。
「う……」
微かに呻きはするものの、目を覚ます気配はいっこうに無い。
やはりダメージは相当なものだ。むしろ、生きている方が不思議なくらい……。
青白く、生気を無くした顔を観察していると、突如その頬に、細長く紅い華が咲いた。
「……!?」
何事か理解するより早く、耳元に金属のような堅い物がぶつかる音が届く。
後ろを振り返ると、銀細工の懐刀が一振り転がっており、その刃先には血が付着していた。
「……」
あまりの出来事に呆気に取られていると、今度は前方からフラームの愉悦が漏れる。
「くくく。なるほど。確かに、紛いなりにも蒼龍として覚醒してはいるようだな」
それを聞いて再び少女を見やる。
痛みに顔を歪める少女の頬についた切り傷は、常人にしては早く、しかし転生式を終えている者よりは遅い速度で、ゆっくりと癒えつつあった。
それを確認したフラームは、玩具を見つけた子供のように笑った。
「ふん。蒼龍といえど、このような幼子に術を破られるとは。アンタレス家も堕ちたものだな。なあ?タウケティ。その者の柔らかな喉元に牙を立てながらも引きちぎる事叶わず、咥えて巣穴に持ち帰ったというわけか。あまりにも情けない」
皇帝のなじりに弁解する余地は無く、ただ下を見つめうなだれる。
そんな折に、自身の腕にも少女と同じ切り傷が付いている事に気付き、小さな痛みに襲われた。
フラームは気が済んだのか、視線を再び少女に向け、呟くように言った。
「……それだけ、その者の器が偉大か、もしくは別の何かに護られていたか。ともあれ、大したやつだ」
「恥ずかしながら、私めでは対処の術が浮かばず、こうして陛下の御意向を伺いに参りました。どうか、お力添えを」
自分の能力の至らなさを恥じると、フラームは鼻で一蹴し、弄んでいた剣を手に取り玉座に座り直した。
そして剣を掲げ、刀身の輝きを見つめながらタウケティを見据える。
「俺は強い者は好きだ。だが、俺に刃向かう者は許さん。……確か、我が帝国の勝利を、まだ祝っていなかったな」
フラームの声が一層低くなり、ぞわりと寒気を覚え、タウケティは恐る恐る顔を上げた。
皇帝は、くつくつと笑いを漏らし、呟く。
「良い余興を思いついたぞ。我等の祝賀会を開こうか」
†
……暑い。
生暖かい風が頬に付きまとうのを感じ、アウラはうっすらと目を開けた。
自国の暖かくも清々しい風とは違い、雨の日よりも多く湿気を含んだ、べたつく気持ちの悪い風だ。
温度もそれなりにあるようで、汗で髪が頬に、衣服が全身の肌に張り付いているのが分かる。
しかし、その気持ちの悪さが、まだ自分が生きているという証でもあった。
例えそれが、風前の灯火だったとしても。
「……」
見覚えのない広場で、見慣れない赤の衣を纏った者達から、好奇な視線を注がれる。
アウラが見慣れている緑や青は、何処にも無い。
頭上から、火の帝国の勝利の証として、風の王国王家の生き残りの公開処刑を行う旨が、反響して流れている。
雷の帝国が発明した、拡声器という物を使っているのだろう。
すぐ近くで、拡声器を持った男が、自分の処遇について何か言っているようだが、遠くで話しているかのように、上手く耳に入ってこない。
気温が高いせいだろうか。
身体が重く、自分の物ではないかのようだ。
喉はカラカラで、頭の中に霞がかかっているかのように、まともに物を考える事も出来ない。
民衆に晒され野次を飛ばされながら、呆然と、目の前に設置されている、小さく粗末な断頭台を眺める。
頭上から刃が振り下ろされ、胴体と首を切断する、グルミウム王国では最も罪の重い者を裁く方法。
それを、自分が他国で受けるなど、これ以上の侮辱は無い。
しかし抵抗する力が残っていないアウラの身体は易々と引きずられ、その首は意図も容易く断頭台に設置させられてしまう。
すると、ちょうど正面に、一際目立つ紅が目に飛び込んできた。
ポエニーキス皇帝、フラームだ。
コイツ……!
憎き仇が満足げな笑みを浮かべたその瞬間、怒りの感情が一気に吹き出し、胸が燃えるように熱く昂る。
ヤツはゆっくりと立ち上がり、こちらを見据え、嘲笑うように問うた。
「グルミウム王国国王ヴァーユが嫡子、アウラ・ディー・グルミウム。吹きすさんだ風の子よ。最期に、言い残す事はあるか?」
最期?ふざけるな!
あまりの悔しさに、歯が軋む。
「……なない」
未来永劫、この悔しさを忘れないよう、脳に、身体に、敵の顔を焼き付けるよう、最期の最期まで瞳を逸らす事なく、力の限り、精一杯叫ぶ。
「―風は、不滅だっ!」
†
星歴九百九十八年。
グルミウム王家最期の生き残り、王女アウラの死を持って、風の王国は火の帝国に敗北、消滅した。
しかし、王女の処刑が行われた直後、グルミウム王国領土を巨大な嵐が覆い、誰も立ち入る事が出来ず、ポエニーキス帝国の領土拡大には至らなかった。
この事件をきっかけに邪竜の数が一段と増え、また世界の均衡に亀裂が産まれた事は云うまでもない。
「は。既に確認済みでございます」
自分より年若いながらも威厳のある低い声を発する主に向かって、男は頭を垂れたまま報告を続ける。
「この少女は、我々が掛けた術を一人で破り、今はこの姿のまま、眠りについております」
言いながら、縄で縛られぐったりと横たわる少女を横目に見る。
風の王国を襲撃した際、己を竜に喰われそうになりながらも人の形を留め、火の帝国ポエニーキスの帝都フォボスに連行されるまで、一度も目を醒ます事なく未だ眠り続けているグルミウム王家の王女。
「生きているのだろうな?」
皇帝の質問に、少し眉根を寄せる。
どんな人物であろうと、死ねばその肉体は母国の源である元素に還る。
もしこの少女が死んでいるのであれば、とうに風に還っているはずだ。
疑問に答えかねて、男は初めて顔を上げた。
数歩先の―過去、現在、未来の全てを制した者が登る事を許された―十二段ある階段の上に設置された玉座に座る主、皇帝フラームを仰ぎ見る。
一方の肘掛けに頬杖、もう一方には片足を掛け、その裸足の裏を刀身が剥き出しのまま立てかけた剣の柄に乗せて、ゆらゆらと揺らして遊んでいる。
気怠げなその態度からは、先程の質問の答えは得られそうも無い。
この質問は、遊びなのか?それとも、龍として?
「……まだ息はあります。ですが、帝都へ帰還するまでの数日間、一度も目覚める事はなく、水すら受け付けておりません。幼い身の上、精神状態を考慮しますと、放置すればそう、長くは保たないかと思われます」
逡巡した挙げ句、男は思っていた事を素直に話した。
それを聞いたフラームは態度を崩す事なく、短く息をつき、考えるそぶりを見せる。
「顔を見せろ」
「はっ」
命じられるままに少女を抱き起こし、フラームに顔が見えるよう顎を持ち上げる。
「う……」
微かに呻きはするものの、目を覚ます気配はいっこうに無い。
やはりダメージは相当なものだ。むしろ、生きている方が不思議なくらい……。
青白く、生気を無くした顔を観察していると、突如その頬に、細長く紅い華が咲いた。
「……!?」
何事か理解するより早く、耳元に金属のような堅い物がぶつかる音が届く。
後ろを振り返ると、銀細工の懐刀が一振り転がっており、その刃先には血が付着していた。
「……」
あまりの出来事に呆気に取られていると、今度は前方からフラームの愉悦が漏れる。
「くくく。なるほど。確かに、紛いなりにも蒼龍として覚醒してはいるようだな」
それを聞いて再び少女を見やる。
痛みに顔を歪める少女の頬についた切り傷は、常人にしては早く、しかし転生式を終えている者よりは遅い速度で、ゆっくりと癒えつつあった。
それを確認したフラームは、玩具を見つけた子供のように笑った。
「ふん。蒼龍といえど、このような幼子に術を破られるとは。アンタレス家も堕ちたものだな。なあ?タウケティ。その者の柔らかな喉元に牙を立てながらも引きちぎる事叶わず、咥えて巣穴に持ち帰ったというわけか。あまりにも情けない」
皇帝のなじりに弁解する余地は無く、ただ下を見つめうなだれる。
そんな折に、自身の腕にも少女と同じ切り傷が付いている事に気付き、小さな痛みに襲われた。
フラームは気が済んだのか、視線を再び少女に向け、呟くように言った。
「……それだけ、その者の器が偉大か、もしくは別の何かに護られていたか。ともあれ、大したやつだ」
「恥ずかしながら、私めでは対処の術が浮かばず、こうして陛下の御意向を伺いに参りました。どうか、お力添えを」
自分の能力の至らなさを恥じると、フラームは鼻で一蹴し、弄んでいた剣を手に取り玉座に座り直した。
そして剣を掲げ、刀身の輝きを見つめながらタウケティを見据える。
「俺は強い者は好きだ。だが、俺に刃向かう者は許さん。……確か、我が帝国の勝利を、まだ祝っていなかったな」
フラームの声が一層低くなり、ぞわりと寒気を覚え、タウケティは恐る恐る顔を上げた。
皇帝は、くつくつと笑いを漏らし、呟く。
「良い余興を思いついたぞ。我等の祝賀会を開こうか」
†
……暑い。
生暖かい風が頬に付きまとうのを感じ、アウラはうっすらと目を開けた。
自国の暖かくも清々しい風とは違い、雨の日よりも多く湿気を含んだ、べたつく気持ちの悪い風だ。
温度もそれなりにあるようで、汗で髪が頬に、衣服が全身の肌に張り付いているのが分かる。
しかし、その気持ちの悪さが、まだ自分が生きているという証でもあった。
例えそれが、風前の灯火だったとしても。
「……」
見覚えのない広場で、見慣れない赤の衣を纏った者達から、好奇な視線を注がれる。
アウラが見慣れている緑や青は、何処にも無い。
頭上から、火の帝国の勝利の証として、風の王国王家の生き残りの公開処刑を行う旨が、反響して流れている。
雷の帝国が発明した、拡声器という物を使っているのだろう。
すぐ近くで、拡声器を持った男が、自分の処遇について何か言っているようだが、遠くで話しているかのように、上手く耳に入ってこない。
気温が高いせいだろうか。
身体が重く、自分の物ではないかのようだ。
喉はカラカラで、頭の中に霞がかかっているかのように、まともに物を考える事も出来ない。
民衆に晒され野次を飛ばされながら、呆然と、目の前に設置されている、小さく粗末な断頭台を眺める。
頭上から刃が振り下ろされ、胴体と首を切断する、グルミウム王国では最も罪の重い者を裁く方法。
それを、自分が他国で受けるなど、これ以上の侮辱は無い。
しかし抵抗する力が残っていないアウラの身体は易々と引きずられ、その首は意図も容易く断頭台に設置させられてしまう。
すると、ちょうど正面に、一際目立つ紅が目に飛び込んできた。
ポエニーキス皇帝、フラームだ。
コイツ……!
憎き仇が満足げな笑みを浮かべたその瞬間、怒りの感情が一気に吹き出し、胸が燃えるように熱く昂る。
ヤツはゆっくりと立ち上がり、こちらを見据え、嘲笑うように問うた。
「グルミウム王国国王ヴァーユが嫡子、アウラ・ディー・グルミウム。吹きすさんだ風の子よ。最期に、言い残す事はあるか?」
最期?ふざけるな!
あまりの悔しさに、歯が軋む。
「……なない」
未来永劫、この悔しさを忘れないよう、脳に、身体に、敵の顔を焼き付けるよう、最期の最期まで瞳を逸らす事なく、力の限り、精一杯叫ぶ。
「―風は、不滅だっ!」
†
星歴九百九十八年。
グルミウム王家最期の生き残り、王女アウラの死を持って、風の王国は火の帝国に敗北、消滅した。
しかし、王女の処刑が行われた直後、グルミウム王国領土を巨大な嵐が覆い、誰も立ち入る事が出来ず、ポエニーキス帝国の領土拡大には至らなかった。
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