カオスオブゲート

サヤ

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守るべき者 後編

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 ぽつ、ぽつ……。
 一粒、また一粒と銀糸が降り注ぎ、やがて全体に行き渡る雨となる。
 その中で、魔族に焦がれた元人間と、人間の血を宿す魔族の瞳が交差する。
 エピステトスは身体を横にし、右肩の上から相手を見る剣術の基本形を取っているのに対して、カオスは敵に身体を正面から向けたまま、構えも取らずに立っている。
「……ふん!」
 エピステトスはひとっ飛びで間合いを詰め、剣を突き出す。
 カオスはほんの少し身をよじってかわし、突き付けられた細剣を乱暴に叩き落とす。
 エピステトスは衝撃で武器を落としそうになるがこらえて反撃しようとする。
 だがカオスはそれを許さず右に左にと細剣を振り回す。
 そのまましばらく相手を翻弄するが、ふいに足を止めて黒炎の剣を構え直す。
 戦況を支配しているのはカオスだが、全身から汗が噴き出し、息も荒くなっている。
「ふ、ふふ。辛そうですな」
 エピステトスが可笑しそうに微笑む。
「不憫な身体ですね。魔族が最も強くなれる日が、魔王を苦しめる日だなんて」
「ふん。ハンパ者のお前に、そんな事言われたくない」
「それはお互い様でしょう」
 エピステトスは再度、雷鳴の細剣を構え直す。
「そろそろ、決着をつけましょうか?」
「……そうだな」
 頷き、カオスも構える。
「来いよ」
 肩で息をしながらも、カオスは挑発する。
「お前から、仕掛けて来いよ」
「……それでは」
 エピステトスは雷鳴の細剣を唸らせ跳躍するが、カオスはその場を動かない。
 その場に佇み、敵が己の間合いに入って来るのをじっと待つ。
 そして……。
「ぐわっ」
 目にも留まらぬ速さで叩きつけたカオスの剣が、自分の数倍はある魔族の巨体をあっけなく吹き飛ばす。
 カオスは無造作に魔族に近寄り、その胸元に剣先を突きつける。
「み、見事。……しかし」
 エピステトスは顔を苦しげに歪めながらも笑ってみせる。
「勝負はまだ、終わってはいませんよ……」
「悪あがきを……何?」
 ふと、視界の端に、レミナが立ち上がっているのが映った。
「レミナ?」
 覚束ない足取りで、ふらふと崖へと向かっている。
 まだ完全には解放されていなかったか……。
「ふふ。あの崖の下には結界が貼られていましてね、あの中では、魔族は無力。助けに行くのは勝手ですが、無駄死にになるだけです」
「この期に及んで下らん事を。あいつを殺せないのは分かっているんだ」
「本当に、そうお思いですか?」
 エピステトスは意地の悪い笑みを漏らす。
「……いいのですか?放っておいて」
 レミナはもう、崖の目の前だ。
 本気だ……!
「くそっ」
 カオスは剣を投げ捨て走り出し、崖下へと消えたレミナを追って、自分自身も飛び込んだ。


   †


「レミナ!」
 落ちていく浮遊間と、霞がかった頭に、聞き慣れた声が響く。
 カオス……。
 その直後、暖かい温もりがレミナを包み込む。
 ああ。私、また守られてる……。
 落ちている感覚はあるのに、不思議と恐怖は感じない。
 ただ、自分の不甲斐なさを嘆くばかり。
 こんなの、嫌だ。私だってみんなを、カオスを守りたいのに……。


「ならば、目覚めなさい」
 レミナの瞳が涙が溢れ、右手に付けていたブレスレットに当たったその時、とても優しい声が聞こえてきた。
「ずっと待っていた。僕と、同じ志を持つ者を……」
 あな、たは……?
「君になら、全てを託せそうだ。僕の能力を引き継いだ若き賢者よ。彼を、頼んだよ」


   †


 エピステトスが言った通り、崖下に貼られた結界によって無力な人となったカオスは、レミナを抱きしめる事以外何も出来ないまま落ちていく。
 結局俺は、また守れないのか?たった一人の女さえも……。
「ちきしょー!」
 やがて訪れる衝撃からせめてレミナだけでも守ろうと、彼女を一層強く抱きしめる。
 すると、レミナが身に付けているブレスレットから強い光が溢れ徐々に大きくなり、やがて二人を包み込み、ゆっくりと上昇を始めた。
「これは……」
 賢者の、力。
 驚いていると、目の前でレミナが微笑んでいた。
 普段束ねている髪は解けて、風に揺れていた。
「レミナ。お前……」
「ごめんね。今まで」
 にこ、と笑いカオスに言う。
「私を守って、約束を守って……。大変だったでしょ?」
 崖を登りきり、地に足が着く。
「でももう大丈夫。今度からは、私も一緒に戦うから」
 レミナはブレスレットをカオスに手渡し、自身は光から出てエピステトスの元へと歩み寄っていく。
「お、おい!」
「カオスはそこにいて。その光から出たら魔族化が戻って、多分反動で耐えられなくなるから」
「……」
 背中越しにそう言われ、いつもとは違う威厳に気圧され何も言えなくなる。
 いや、それ以前に、レミナの背後にある人物が重なって見えていた。
 ラグナ……。
 レミナがエピステトスの前まで行くが、相手は息をするのがやっとの様子で、ただ顔を上げるだけだった。
「ようやく、目覚めたのですね……。これで、扉は開く……」
「貴方は魔に囚われている。魔界に恋い焦がれ、人間として生まれてしまった悲しみや怨みが膨らみ、不完全な魔族と化す程に。……それほど魔界が恋しいのなら」
 レミナは魔族の手を取り、何事か呟く。
 すると、エピステトスの身体が淡い光に包まれた。
「今度は、良い魔族として生まれてくる事を、祈っています」
「……っ!」
 エピステトスは驚いたように目を見開くが、すぐに微かに笑ってレミナの手を握り返した。
「ありがとう……。混沌の魔王よ。次にまた生まれ変わったなら、その時も是非、お手合わせ願いたい」
 最後に自嘲的な笑いを浮かべ、エピステトスは光に包まれて消えて行った。
 レミナはしばらくその光を見つめていたが、やがてこちらを振り返って微笑む。
「さ、村に戻りましょう。ハザードさんや、チエちゃんが待ってるわ」
 やや疲れているようだが、その笑顔はカオスがよく知る物だ。
「ああ。早く帰ろう」


 村に戻ってみると、村人達は昨夜の事を一切覚えておらず、カオス達によって怪我を負った者も「一体どこでぶつけたのか?」と首を傾げていた。
 一方怪我を負わせた張本人は、新月が終わった事で平常通り、ピンピンしている。
 レミナは賢者の力に目覚めたばかりだというのに、忙しなく村人達の怪我の治療に勤しんでいた。
「さて、レミナも無事に賢者として目覚めた事だし、そろそろ行くか」
 一通り怪我人の治療が終わったのを確認して、カオスが言う。
「うん。そうだね」
 レミナも満足した様子で頷く。
「お姉ちゃん、行っちゃうの?」
 チエは寂しげに眉をへの字にしてレミナに尋ねる。
 レミナはその場にしゃがみ、チエの頭を優しく撫でる。
「うん。ごめんね、チエちゃん」
「うう……」
 チエは今にも泣きそうなのを必死に堪えるが、嗚咽をもらすばかりで納得は出来ていなさそうだ。
「それほどまでにレミナ様の事をお思いなら、きっとまた、すぐに会えますよ」
 ハザードが慰めるように言うと、チエは涙を湛えたまま言う。
「ほんとに?」
「ええ。時の神、クロノスの名に誓って。……しかし、今のように泣いてばかりいては、難しいでしょうが……」
「!じゃ、もう泣かない!」
 チエはぐっと口を結んで、乱暴に目元に溜まった涙を拭う。
 それを見てハザードは「そのいきです」と頷いた。
「それじゃ、またね」
「うん、またね!おねーちゃん」
 レミナは、チエが見えなくなるまで大きく手を振りながら、カオス達と村を後にした。
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