カオスオブゲート

サヤ

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守るべき者 前編

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 山中を、絶え間なく襲いかかってくる魔物達を蹴散らしながらカオスは走っていた。
 目指す場所は、レミナが待つ、クロサイド城。
「ゲヒャヒャヒャ!ここから先は……」
「どけ」
 魔物の言葉に一切耳を貸さず、目もくれず突っ込み、カオスが身に纏っている闇色の炎で焼き殺す。
 ひたすら走っていくと、やがて崖っぷちに突き当たる。
 目の前で大地がスパッと切り取られ、眼下には闇が広がっている。
「あれか……」
 黒雲渦巻く夜空に稲妻が走ると、その光で崖の遥か下に沈んだ城の輪郭が浮かび上がる。
「キキー!いくらお前でも、あそこには辿り着けまい!空でも飛べるならまだしもなぁ」
 谷底から、大きな羽音を立ててコウモリのような姿をした魔物が現れてカオスを罵る。
 カオスはそれを聞いていなかったかのように無造作に黒炎の剣を作り出し、軽く一振りして魔物の翼を根元から切り裂いた。
「え?気うわぁああああ!」
「生きていたらお前の主人に伝えておけ。今から向かうとな」
 そしてそのまま、カオスは何の躊躇をする事なく崖から飛び降りた。
 そのまま地面に激突する寸前、黒炎を投げつけて爆風をクッション代わりにして軟着陸する。
 煙が立ち込める中、近くで誰かが拍手をしているのが聞こえてきた。
「お見事。実に優雅なご登場ですな」
 村で聞いた笑い声と同じだ。
 腫れていく煙の向こうには、美貌と言ってもいいほど整った顔立ちをした大男が一人。
 その身長は、優に二メートルを越えている事だろう。
 深紅色はした瞳には、カオスを歓迎するかのような喜悦が秘められ、しかしその口元は冷たく尊大な笑みを浮かべている。
 身体全体は艶やかな赤銅色で、時折走る稲妻に照らされ怪しく輝いている。
 側には、村人達同様、人形のような顔を強ばらせ、虚ろな瞳をしたレミナが控えていた。
 レミナ……。村人達と同じか。
「お前がエピステトスか?」
 冷たい瞳を男に向けると、相手は楽しそうに笑う。
「いかにも。お待ちしておりましたよ、混沌の魔王。それにしても、まさかそのようなお姿で会えるとは思ってもみませんでしたよ。新月に感謝しなければいけませんね」
「ごたくはいい。レミナを返せ」
 エピステトスはカオスの冷たい返答をあまり気にする様子もなく答える。
「ええ、もちろん良いですよ。ただし、貴方が私のゲームに勝てたら、ですがね」
「……魔族のゲームか」
 敗者は勝者の眷属となり、逆らう事は許されない。
 黙っているカオスの態度をイエスと汲み取ったエピステトスはにやりと笑い、レミナを前へと促す。
 無表情のまま素直に指示に従うレミナは、共に星を見た夜にカオスが与えた短刀を懐から取り出す。
 小さな刀だが、聖なる力宿ったそれは、今のカオスにとっては大変危険な代物だ。
「私は戦闘は苦手でしてね。ですから代わりにこの娘がやります。今は私の忠実な僕ですし、普段の数倍は強いですから、侮らない方が良いですよ。……ああでも、肉体そのものは普通の人間と変わりありませんから、間違って殺さないよう気をつけて下さいね?」
 面白いでしょ?とエピステトスは笑う。
「……自分の手は汚さず、味方同士の殺し合いを高みの見物か。人間かぶれが、魔族らしいことをするじゃないか」
「お誉めいただき光栄です。それより、そのままの状態で戦うつもりですか?」
 カオスの挑発にも乗らず、相手はそう尋ねてくる。
 それに対して、カオスは微かに目を細めて自身が纏う黒炎を見る。
 確かに、今の俺の炎はただの邪気でしかない。レミナに少しでも当たれば、怪我じゃ済まされない。
 カオスは右手をかざし、身に纏う黒炎を集めて剣を作り出す。
「準備は整いましたな。では……」
 エピステトスはゆっくりと手を振り上げて、レミナに合図する。
 そして、
「……っ!」
 お互いの間には、それなりの距離があった。
 しかしレミナはそれを一瞬にして縮めてカオスに攻撃を仕掛けてきた。
 常人では考えられないスピードだ。
 カオスは反射的に受け止めるが、レミナが短刀はすぐさま翻り、カオスの頬を掠めた。
「ちっ」
 カオス自身はそれを防ごうとするが、魔族としての本能がレミナを攻撃しようとする。
「レミナ、しっかりしろ!」
 目の前のレミナと、自身の葛藤と戦いながら、カオスはレミナに呼びかける。
 お互い、何十合と打ち合っている中、カオスは、彼女の空色の瞳の中で、強い光が必死にもがいているように揺らいで見えた。
 流石だ、レミナ。お前は、そう簡単に屈したりはしないよな。……っ!
 レミナの背後に、氷弾が迫る。
「野郎!」
 カオスはレミナを突き飛ばし、氷弾を切り裂く。
 しかしそれは、レミナに最大の隙を見せる事となった。
 レミナは片足を軸に回転し、勢いそのままに短刀を振り下ろす。
 無防備な状態となったカオスの腹部に、灼熱が灯る。
 レミナの攻撃はその一撃では止まらず、二撃、三撃とカオスの身体全体を切り裂いていく。
「ぐあっ」
 最後の一撃で壁に叩きつけられたカオスは、自信を支える事が出来ずその場に崩れ落ちた。
 聖なる力が籠められた短刀の傷口は治りが遅く、身体に痺れが走って上手く動けない。
「ほお。聖なる短刀であれほど痛めつけられたというのに、まだ息がありますか。半分人間というのが、貴方を苦しめているんでしょうなぁ。ですが、そろそろ楽にしてあげましょう」
 その言葉に反応して、全身血だらけのレミナがカオスの前に立つ。
「……」
「殺せ」
 静かに下される命令。
 深紅に染まり、刃先から雫を垂らす短刀を、レミナは静かに振り上げる。
 しかし、その刃が振り下ろされる瞬間は、いつまで経ってもやってこない。
「……どうした?」
 エピステトスが問うが、レミナは右手をカタカタと震わせるだけで動かない。
「……なあ」
 不意に、カオスが声をかける。
「お前、こいつの事を甘く見すぎだ」
「何を……!」
 言いかけて、エピステトスは言葉を失う。
 返り血を浴び、人形のように強張ったレミナの頬に、一筋の涙が滑り落ちた。
 べっとりと付いた血を拭いとるかのように、涙は空色の瞳から零れ、血の涙となって次々と地面へと落ちていく。
「ふむ……涙、ですか」
 その光景を、エピステトスは顎に手をやり冷静に思案する。
「貴方の仰る通り、私は彼女の心まで操る事は出来なかったようだ。しかし、私がほんの少し、彼女に強めに念を送るだけで、貴方は確実に死ぬのですよ?」
「ふ、死にはしないさ」
 カオスも静かに言い返す。
「レミナは絶対に俺を殺さない。こいつは俺を、魔族の存在を認めてくれた人間だ。だから……」
「下らん、もういい。とっととそいつを殺せ!」
必死に抵抗を続けるレミナだったが、エピステトスが再び「殺せ!」と叫んだ後、ついにその刃を振り下ろした。
 カオスはそれを、静かに見つめ、続きを話す。


「俺は、レミナを信じている」


「なん、だと……?」
 短刀が穿ったのは、カオスの心臓よりも遥か上、岩壁だった。
 必死の抵抗の末、自らの力でエピステトスの呪縛から解き放たれたレミナは、そのまま力突きてぐったりとした様子で身体をカオスに預ける。
「よく頑張ったな。後は、俺に任せて休んでいろ」
「……うん」
 微かに頷くレミナをそっと横たえさせ、カオスは冷たい紫の瞳で卑劣な魔族を睨み付ける。
 エピステトスは憤怒と屈辱に深紅の瞳を煮えたぎらせながらも、無理矢理笑ってみせる。
「まさか私の術を破るとは……。賢者の血を引いているだけのことはありますね」
「勝者は敗者に服従する。それが俺達魔族の掟だ」
 傍らに転がる黒炎の剣を掴みながら立ち上がるカオス。
「ええ、存じていますとも。しかし、このゲームに負けたのはそこの娘。ですから……」
 エピステトスが腰に提げた細剣を抜き払い高々と空に掲げると、今まで鳴りを潜めていた雷がここぞとばかりに炸裂した。
 細剣を避雷針代わりにして雷を纏った剣からは、青白い光と特有の摩擦音が聞こえてくる。
「さあ、第二戦といきましょうか」
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