カオスオブゲート

サヤ

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旅立ちの時 前編

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 さく、さく……。


 カオスは朝来た道を一人で歩いていた。
 何も変わっていない。
 眠りにつく前と同じ、ただただ森が続くだけの何もない獣道。
 ここにいると時が止まったかのような錯角を覚えるが、そんな事は決してない。
 ロルカ村自体は少し寂れたように見えたが、協会が経ち、英雄と謳われた賢者ラグナの立派な墓もあった。
 ラグナ……。
 世界は変わると言っていたあんたが死んでたんじゃ、あまり期待は出来そうにないな。ここはあの時のまま、壊れてるんだよ。
 先人の言葉をあざけ笑いながら黄泉の穴まで戻り、砕け散っている紫水晶の欠片から手頃な大きさの物を一つ拾い上げる。
「……これが頃合いか」
 欠片をしばらく観察した後、それを持ったまま黄泉の穴から外へ出る。
 すると、丁度レミナがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 レミナは村からここまで全力で走ってきたのか、カオスの目の前で立ち止まり、両手を膝について肩で息をしている。
「ちょっと……はあ、探したじゃない。村のどこにもいないんだもの」
「別に待つとは言っていない」
 カオスのにべもない言い方にレミナは少しむっとした様子だったが、彼女の気はすぐに別の物に逸れた。
「それ、何持ってるの?」
 彼女の視線は、カオスが持っている欠片にある。
 カオスはそれを自分の目線まで持ち上げる。
「これは、俺を封印していた結晶の欠片だ。今からこれを使って、俺の部下を呼ぶ」
「部下を……?どうやって?」
 意味が理解出来ずに眉根に皺を寄せるレミナに対し、カオスは欠片を放り投げてはキャッチしと弄びながら説明する。
「ヤツと同じ媒介を使い、魔力の波長を合わせる事が出来ればそこに道が開き、他者を呼ぶ事が出来る」
「……へえ、魔力ってすごいんだね」
「誰もが出来るわけではないが……お前も賢者の血を引いているのなら、そのうち出来るようになるだろ」
「え、本当に?」
「確信は無い。……それより、はなんだ?」
 カオスはレミナが手に持つ赤い物を顎でしゃくって尋ねた。
「あ、これ?おじいちゃんから渡されたんだけど、少しだけ魔力を抑える力があるらしいから、身に付けてて」
「必要ない」
「ダメよ!あなたの力は普通じゃないんだから。私だって、あなたとの約束を守る為にこれを着けてるんだから」
 言いながらレミナは右手を持ち上げ、朱色のブレスレットを見せてきた。
「……それは?」
「昔、賢者ラグナが着けていて、力の覚醒を促してくれるものだって」
「ほう?」
 そう言えばあいつ、こんなものを着けていた気がするな。……なるほどな。
「それっ」
「っおい!」
 がっとレミナに頭を掴まれた直後、視界が悪くなり何かで頭を締め付けられた。
 その後、レミナの満足そうな声がし彼女が離れた事で、ようやく視界が開ける。
 頭に違和感が残っており、何かを巻かれたようだ。
 レミナの手から例の布が無くなっていることから、まずそれだろう。
「うん、けっこう似合ってるじゃない。あなた全身真っ黒だから、映えてるよ」
「……」
 嬉しそうにはしゃぐレミナを一瞥し、ちっと舌打ちをしてそのまま歩き出す。
「あ、ちょっと」
 後ろから小走りでレミナが追いかけてくるが無視。
 頭の異物を引きちぎろうとするが、どういう訳か全くとれない。
「くそっ。忌々しい」
 今の所、力が極端に抑えられたという感じは無かったので、悪態をつきながらもそのまま森の広場まで向かう。
 ここなら呼べるか。
 広場の大きさを確認した後、カオスは結晶の欠片を掌に乗せ、魔力を集中させる。
「……時は螺旋。星は巡り、日は昇り沈む。其に連なる力を借り、我この言葉を成す」
 カオスの言葉に反応し、結晶の欠片が宙を舞う。
「時を司りし忠実なる我が下僕を今此処へ。我が名は、カオス・ブラック」
 カオスが詠唱を終えると同時に欠片から眩い光が放たれる。


「……え?」
 その光が弱まった頃、後ろからレミナの小さな声が聞こえた。
 浮かんでいた欠片は既に無く、変わりに一人の青年がそこにいた。
 その青年は最初からそこにいたかのように、カオスに対して跪いている。
「久しぶりだな、ハザード。お前、自ら眠りについたのか?」
 自分の部下に親しげに話し掛けると、ハザードと呼ばれた青年はそのままの姿勢で答える。
「ええ。私は、ブラック家以外に仕える気はありませんので」
 彼らしい返答に思わず笑みを零し、主として問う。
「知ってのとおり、俺はこれから魔界へ帰る。ついて来てくれるな?」
 そこでようやく、ハザードは面を上げた。
 紅蓮の眼差しに秘められた忠誠心は、昔と変わらない。
「無論です。その為にこの百年、あなた様を待ち続けておりました。我が魂燃え尽きるその時まで、どうぞご自由にお使い下さい」
「ふ、頼もしいな」
 カオスが右手を差し出してハザードを立たせると、彼はふと姿勢を外した。
 自分より長身である彼の目線は、後ろにいるレミナにあるようだ。
「ああ、ラグナの末裔だ。扉を開けるのにこいつが必要でな」
「なるほど。女性の方が末裔とは」
「それと、魔界へ行くまでの間、人間を殺さないというオマケ付きだ」
「オマケ、ですか?」
「ああ。あいつとの契約だ。悪いが付き合ってやれ」
「……そうですか」
 どこまで理解したのかは分からないが、ハザードはそう納得し、レミナに挨拶する。
「ハザード・クロノスと申します。道中よろしくお願いします、レディ」
「れ、レディ?」
 ハザードの柔らかい物腰に驚くレミナに、あまり気にするなとカオスは助言する。
 彼はいつもこんな感じだ。
「レミナ・グローバルです、よろしくお願いします。……あの、クロノスって時の神様の名前ですよね?」
「ええ、よくご存知で。確かに私の姓クロノスは、時の神に準えて付けられました」
「付けられた?」
 不思議そうに小首を傾げるレミナに、カオスが説明する。
「俺達魔族には、元々名前は無い。だから、それなりに力ある者は名を名乗り、更に優秀なヤツは姓を名乗っている。ハザードの場合は時の神クロノスだから、時を操る事に秀でている」
「へえ。……じゃあ、カオスのブラックは何を指しているの?」
「闇その物だ」
「ああ、だから全身黒ずくめなんだね?」
 ……天然か?
 納得したように頷くレミナだが、もちろん服はカオスの好みなだけで、何の関係もない。
「まあいい。役者も揃ったわけだ、さっさと向かおう」
「あ、待って。その先は崖だから、一旦村まで戻って迂回しないと」
「必要ない」
 レミナの説明を遮って、カオスはすたすたと森を突っ切って行く。
 後ろでごちゃごちゃ行っているが、迂回などと時間の無駄だ。
 しばらく行くとレミナの言った通り道はぷっつりと途絶えていたが、下を見下ろせば道が続いていた。
「ね?だから言ったでしょ?早く戻りましょ。じゃないと日が暮れてしまうわ」
「下に道が見えている。このまま降りるぞ」
 既に踵を返し始めているレミナにそう伝えると、彼女の顔が瞬時に強張った。
「お、降りるって、そこ何十メートルもあるじゃない!死んじゃうわよ」
「この程度で死ぬものか」
「私が死ぬわよ!」
「俺達がいるんだ。大体、お前に死なれたら困る」
 手を差し出して早く来るよう促すが、レミナは一歩、また一歩と後退していく。
「だったら素直に迂回してよ。私、下の道から行くから」
「それこそ時間の無駄だ。いいから行くぞ」
「きゃっ!」
 レミナが走り出すよりも早く彼女を捕らえ、肩に担ぎ上げて崖へと向かう。
「離して、お願い止めて!」
「舌噛むぞ」
 激しく暴れるレミナをよそに、カオスとハザードは何の迷いもなく崖から飛び降りた。
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