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第弍部ーⅤ:二人で歩く

187.紫鷹 王子の我が儘

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「ブランコが、したかった、のに、」
「可哀想だけど、今日はやめときな、」
「プールは、」
「熱が下がったらな、」
「あじろと、もぐら、つかまえる、」
「その足じゃあ、無理だろう?」

何で!と怒り、俺の膝に突っ伏して泣き出した日向の頭を撫でる。

せっかくの夏休みなのにな。
毎日たくさんの予定を立てて、忙しい忙しい、と悲鳴を上げながらいい顔で笑ってた。
それが、今朝起きたら足が腫れ、痛みで動くこともままならず、すべて奪われたんだ。
悔しいな。

もともと歩くこともままならない足は、夏季休暇に入って、毎日元気に畑仕事や虫取り、遊具遊びに勤しむうちに、腫れて赤くなって痛みを伴うようになった。
負荷が増えれば腫れて痛みだすことは推測していたよ。
だから一日の終りには必ず足の状態を確認したし、丹念にマッサージもして、手入れをしてきたのにな。

「もう、やだ。役立たず、大っ嫌い、」

小栗(おぐり)の診察を受け安静を言い渡されると、日向は自分の足を殴りだす。流石に止めさせたが、やり場のない怒りをぶつける先を失くして、もうずっと泣き通しだった。

しんどいな、日向。
日向が毎日楽しそうに遊んでいるのが心底嬉しかったから、俺も悔しいよ。

だけど、同時に温かいものが胸の中を漂っているのも感じていた。


「何で、笑う、」


怒るだろうと思ったから隠していたのに、不意にごろりと頭を転がした日向に見つかって、バレてしまった。

「僕は、怒ってる、のに、」
「うん、ごめん。日向が怒ってるのが嬉しくて、」
「何で、」
「怒れるってのは、元気な証拠だろ。日向がそんなに元気に怒ってるのが嬉しいの、」
「元気、じゃない、もん!」

そうは言うけどなあ。
少し前の日向なら、足が腫れた日は口数が減って、震えるだけだった。悔しさも悲しさも口にはするが、感情はどこかに置いて来てしまったように静かになって、ベッドの上で涙を流すだけ。そんな姿が痛々しくて、見守るこちらも苦しかったよ。

それが、どうだ。
今は、真っ赤な顔をぐしゃぐしゃにし、腕をジタバタと振り回して、怒っているんだと訴えてくる。

「そんなに動いたら、足が痛いだろ、」
「しおうが、笑う、が悪い!」
「ん、俺のせいな。それでいいから、ちょっと落ち着け、」

起き上がるのもしんどくて、俺の膝を枕に転がっていただろうに。
もう!と叫んだと思えば、僕ばっかり!と嘆いてわんわん泣く。可愛いな、と俺の心の声が漏れると、可愛くない!と叫んで俺を睨み、嫌だ嫌だと両手でソファを叩いた。

まるで小さな怪獣だ。

「笑わない!」

俺の口元が緩むのは事実だが、水蛟(みずち)や青空(そら)だって、そこで笑ってるよ。
怒りのあまり、俺しか見えてないか。

「ごめん、ごめん。日向がしんどいのは、ちゃんと分かってるよ。夏休みが台無しになって、悔しいな、」
「とくべつ、をやるって、言ったのに!」
「言ったなあ。本当なら今晩はテントを張って、裏庭でキャンプしようって約束だったもんな、」
「キャンプ、するぅ、」

本当に、湧いた感情がすべて溢れてくるようで、日向はみるみるうちに涙を溜めて、ぐずぐずと泣き出す。
あっという間に俺のズボンはびしょ濡れになったが、可愛くて愛しくて、もうそんなのはどうでも良かった。

ありのままの感情をさらけ出せるほど、日向が俺や離宮に馴染んだ証だ。
最近、以前にもまして我が儘が言えるようになってきたのも、日向の中で何かが変わって安心感が増して来た証拠だと、俺達は思ってるよ。
だから、悔しいことも悲しいことも、存分に吐き出して泣けばいい。

とはいえ、日向を傷つけたいわけじゃないから、泣きわめく日向の頭をなで、口づけを落として、存分に甘やかした。

「熱が下がったら、キャンプはやるから、」
「ぜったぃ?」
「うん、絶対。もし足が痛くても、俺がテントまで連れてってやる。だから、まずは熱を下げような、」
「下がら、なかった、ら?」
「下がるよ。日向がちゃんと痛いって教えてくれたから、早めに対処できたんだ。いつもほどひどくないって、小栗も言ってただろ、」
「……ぅん、」

うんと優しく囁いてやれば、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔には、いろんな表情が浮かぶ。
不安と不満、安堵と期待。そんな感情が素直に溢れて、見たこともない複雑な顔をしていた。いいな。

「もぅ、笑わ、なぃ、」
「うん、笑わない。お詫びに何でもしてやるから、機嫌直して、」
「………何でも?」
「そ、何でも、」

途端に、べしゃべしゃに濡れた水色の瞳が煌めき出すから、また口元が緩むのを抑えるのが大変だったよ。

何だ、その顔。
もう期待しかないじゃないか。

「ブランコ、がいい、」
「……そう来るか。安静にしてろって、小栗に言われたろ、」
「しおうが、やったら、だいじょぶ、」
「俺?抱っこするのも痛いんじゃないの、」
「だいじょぶ。ブランコ、しない方が、もっと痛い、」

どういう理屈だ。
そうは思ったが、日向はもうその気になって、抱っこをせがむ。

「何でも、やる、約束、」

涙も鼻水も止まらないまま、期待に満ちた目で見つめられたら、敵わなかった。

まあ、暴れまわるよりはいいか。

代わりに、俺が仕事に出る午後はベッドで大人しく寝てるようにと約束を取り付けて、いつもより熱い体を抱える。
抱き上げた瞬間に眉を寄せて一瞬顔を歪ませたから、痛むんだろうに、ようやく自分の希望が通った日向は、腕の中できゃっきゃと子どものような声を上げて、可愛かった。
泣いて喚ける日向も大好きだけど、やっぱり笑った顔が一番好きだ。


「僕は、魚だったら、良かった、のに、」


そんなことを日向が言い出したのは、ひとしきりブランコを揺らして、もういいだろう?と俺が聞いた頃だ。
もっと高くと強請る日向と、体を気遣う俺とで大騒ぎしながら揺れていたから、膝に乗せた日向はくたりと疲れきって力がない。
顔を覗くと、再び不安とも不満とも言い難い複雑な表情をしていた。

「鳥じゃなくて?」
「鳥も、いい。羽があったら、僕は自由、」
「……また、新しい語彙が増えたなあ。どこで覚えた、」
「忘れた、」

珍しくぶっきらぼうな物言いに少し驚いた。
そんな口ぶりもできるようになったのか。
その一方で、右手は俺の襟に着けた大瑠璃(おおるり)のブローチをいじって、甘えるような仕草をするから、ちぐはぐだが。

それが、日向の葛藤の表れだとは、ブランコから落ちないようにしっかりと抱いていたから、分かったよ。
体の奥で生まれた小さな震えは、きっと痛みだけが原因じゃない。
だから、聞くよ、と言葉にする代わりに、そっと肩を撫でた。

「……ブランコも、プールも、自由だったのに、」

初めてブランコに乗った日、僕は鳥になったんだと、日向は静かに語った。
自分の足は地上では役立たずだが、空では必要なくて、一人でどこにでも飛んで行ける気がしたんだと。
プールもそう。魚になってすいすい泳いだ時はあんなに自由だったのに、と日向は自分の足を睨みつける。

自由を知って、余計に不自由な足が恨めしくなったんだろう。
幸せな時間が増えれば増えただけ、奪われる悔しさも増していく。
何も知らない間に奪われたものが、自由を得た今になっても足を引っ張った。
そのことに、日向がずっと苦悩していることは、ちゃんと分かってるよ。

だから、日向の葛藤を蔑ろにするつもりはなかった。
日向ごとその苦しみを一緒に背負っていく覚悟だって俺にはある。

だけどなあ。
やっぱり俺は、そんな風に言えるようになった日向が、愛しくてたまらなかった。

「俺が抱いて歩くんじゃ、ダメ?」
「……魚の方が、早い、」
「魚じゃこんな風に抱けないよ。俺は日向を抱っこして歩きたい、」
「魚は、抱っこしない?」
「しないなあ。魚にとっちゃ、人の体温は火傷するくらい熱いんだって、亜白(あじろ)が言ってただろ、」

足を撫で、懇願するように訴えれば、日向は逡巡する。
頭の中で、俺の抱っこと、すいすい泳ぐ魚を天秤にかけたのだろう。
それほど時間をかけずに、望む答えが返って来た。

「………じゃあ、魚はいい、」
「うん、人間でいてくれ、」
「歩けない、のに?」
「代わりに俺が抱っこするし、ブランコも乗ってやる。日向の足代わりになって、どこにだって連れてくよ、」

魚より抱っこを選んだ日向だから、絆されてくれないかと期待した。
他の何より、俺がいいだろう?

だが、日向の顔は険しいまま。
俺をじっと見つめたかと思ったら、くしゃりと歪んで再び泣き出した。


「歩けない、と、でーとが、できない、」
「………うん?」


期待が外れ、泣き出した日向を慰めようと切り替えたところだったから、危うく聞き逃すところだった。
何かおかしなことを言ったな。

「……何の話だ、」
「あると王子は、夏休みに、さあらを、でーとにしたのに。夏休みは、でーとをする、のに、僕は、できなぃ、」
「うん!?」

一気に心臓が跳ね上がって、頭が沸騰する。
俺の番いが、何か恐ろしく可愛いことを言い出した。

でーとって何だ。デートか。
確か日向の大事にしている本の中で、王子と令嬢が町に出かけていた。護衛もつけず、二人っきりのお忍びで、だと。現実ならあり得ないし、あまりに無責任だと思ったから、子ども騙しのお伽噺に思えて、読み流していたが。

「で、デートがしたいのか、」
「でーとは、夏休みの、とくべつ、」
「いや、夏休みじゃなくても良いんだが、日向はデートがしたいんだろ?」
「したぃのに、できなぃが、悔しぃ、」
「できないってことはないだろう!」
「だって、僕は、歩け、なぃ、」

本格的に泣き出した日向が、ぐちゃぐちゃになりながら話すには、夏休みはデートをする決まりらしい。
だが、デートとは、二人で手をつないで町を歩き、店に入ってお揃いを買ったり、護衛に見つかりかけて二人で逃げ回ったりすることだから、僕にはできないんだと、日向は泣いた。

あんな本を教本にしているせいで、色々間違っているが、どうでもいい。
それを聞かされた俺の心境が分かるか。

「早く言えよ!」

堪らず日向を抱えたまま、ブランコを飛び降りた。

「わ、しぉ、やだぁ、ブランコ、」
「もうお終い!寝てろ!それで、さっさと治せ!」
「やぁだぁ、」
「デート、するんだろ!」

できる限り、日向の足に負担をかけないようにしたつもりだが、沸騰した頭でどこまで配慮できたかは分からなかった。
痛かったら、ごめんな。
だけど、そんな可愛いことを言われて冷静でいられるような男じゃないって、日向も知ってるだろ。

「…でーと、するの?」

腕の中で暴れていたのが、急に大人しくなり、きょとんとした顔で聞く。
部屋へ向かう足は止めずに、そうだよ、と返してやると、日向は心底驚いたような顔をした。

「歩けない、のに?」
「歩かなくたって、デートはできる!」
「抱っこしたら、手つなげ、ないよ、」
「はあ?抱っこの方が触れる場所が多いんだから、上位互換だろ、」
「抱っこのほうが、とくべつ?」
「そうだよ。阿瑠斗(あると)王子は沙安良(さあら)を抱っこなんてできないだろ。日向だけの特別なんだよ、他にはない!」
「とくべつ、」

腕の中で、小さな体が小さく跳ねたのを感じた。
ちらりと見れば、涙と鼻水でぐちゃぐちゃのくせに、水色の瞳だけは、宝石みたいに輝いていた。

期待と、喜びと、あとは何だろう。
とにかく満足したらしいことは、伝わった。

本当に、感情全部だだ漏れだな。
その全てに翻弄されっ放しだが、俺も満足だよ。

「俺は仕事に行くけど、ちゃんと寝てられるな?」
「うん、」
「帰ったら、デートの予定を立てるんだから、ちゃんと元気になれよ、」
「わかった、」
「最高の夏休みにしてやるから、覚悟してな、」
「うん!」

全力で仕事を終わらせて、爆速で帰ろうと誓った。


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