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第弐部-Ⅲ:自覚

141.東(あずま) 恋バナ

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食事のあと、日向様と学友は、離宮の西にある畑へと連れ立った。
昼食の席も楽しそうではあったけど、生態学の演習で出会った彼らなら、やはり畑の方が向いているのだろう。
そう言えば、日向様が離宮に彼らを招いた誘い文句も、「もうすぐ、とうもろこしがとれるから、」だった。

「………あずま、おさえて、」

黄色い麦わら帽子を被った日向様が、茶色くなった髭を垂らす玉蜀黍(とうもろこし)を指さす。
殿下はどこへ行ったんだ、と思ったら、少し離れた位置で、萩花さんと話していた。多分、日向様を学友と交わらせたくて我慢しているのだろう。
だけど、こちらへ向けられる視線は、穏やかなふりをして嫉妬が籠っている。

別に我慢などせずに、一緒にやればいいのに。
殿下の学友でもあるだろうに、変な気遣い方だな。
ああ、でも殿下がいると稲苗様たちの方こそ気を遣うから、そちらに配慮したのかもしれない。

尊い人たちの気遣いは、よく分からない。

「手、届きます?」
「………とどく、」

届くかなあ。
どう見ても玉蜀黍は、日向様の頭上だ。何なら僕より背が高くて、実の根本を抑える手がちょうど視線の位置にあった。実を捕まえて手前に引いてもぐのだと伊雲(いぐも)が話していたけど、多分、日向様には無理。

「僕が抱っこします、」
「………だいじょぶ、」
「絶対無理だと思いますけど、」
「………やるの、」

少し怒った。
今日はいつもより感情がはっきりしている。表情はほとんどかわらないけど口数が多いし、嬉しいと浮足立つ。今は踵を浮かせて目いっぱい背伸びをしても届かないとうもろこしに苛立って、地団太を踏んでいた。多分、僕が絶対無理だと言ったのにも怒っている。うん、可愛い。

「わ、日向様お手伝いしますよ!」
「わあ、こんなに大きい!私と同じくらい!」
「あー、俺より大きい、悔しい、」

若葉(わかば)様と萌葱(もえぎ)様がきゃぴきゃぴと寄って来る。
基本的にこの双子は常にテンションが高い。あと身長も。日向様が初めて演習に参加した日から日向様に好意的…、というか興味津々で、稲苗(さなえ)様が2人を紹介した後は、可愛い可愛いと僕を差し置いて日向様の世話をしたがった。

着いてきた利狗(りく)様はその逆で、好意的ではあるものの、一歩引いて日向様を見る。僕と同じくらいの背丈しかないからちょこまかと動き回るのに冷静で、若葉様と萌葱様がやり過ぎるのを止めることが多かった。

一人足りないな、と見ると稲苗様は伊雲と何やら熱心に話し込んでいる。あの人は、基本的に植物オタクだ。一生懸命貴族の仮面を被っているけど、こういう場所に出ると簡単に剥がれる。亜白様に似ている、と思った。日向様が気に入るわけだ。


「抱き上げても構いませんか?」
「東さん、私押さえますよ!」


双子が言うと、日向様は少しぼんやりした後で、萌葱様に手を伸ばす。
ああ、本当は自分でやりたいんだろうな。だけど、僕には見せられる意地っ張りなところが、まだ彼女らには見せられない。そう言うのが可愛くて、少し優越感を感じた。
でも、同じくらい、「友達」に声をかけられたことが嬉しいだろうから、今は双子に手伝ってもらえばいいと思いますよ。後で、自分でできるように手伝いますから。

日向様は、若葉様に抱きあげられて、萌葱様が根本を押さえた玉蜀黍をもぐ。
小さな手は不器用で、最初は上に引っ張ろうとして上手くいかなかった。利狗様が、隣の熟した玉蜀黍を手前に押し倒すようにもいで見せて、ようやく一本、自分の顔よりも大きな玉蜀黍をもいだ。

「………とうもろ、こし、」
「立派な玉蜀黍ですね。玉蜀黍は、暑い地域の原産だけど、帝都でも立派に育つんですね」
「………とうもろこしは、暑いがいい?」
「ええ、もともと帝国にはなかった植物です。南の国からの輸入で賄っていたんですけど、何代か前の改良で帝国でも育つものになったそうです。それでも帝国の南の方での栽培が盛んだと聞いていたんですけど、」
「………いぐも、すごい、」
「ええ、庭師と聞いていたのに、こんな広大な畑まで管理しているなんて、すごいです!」

へえ、と萌葱様の解説に感心するとともに、日向様の口がもぞもぞと動くのを見た。
口の端を上げようとしているのだろうけど、上手くいかなくて何かを食べるみたいにもぐもぐする。
笑おうとしたんだろうな。

玉蜀黍がもげたことと、友達に構われたことと、伊雲が褒められたことが、嬉しそうだ。
両腕で、大きな玉蜀黍を抱きかかえている姿と相まって、可愛い。あんまり大きくて、日向様には両腕で抱きかかえないと持てなかったから、僕が持とうか、と聞いたら、それは怒られた。自分で持つ、と僕には意地を張るのがやっぱり可愛い。

その一本を大事そうに抱えて、双子と利狗様が収穫する間をうろうろする。
途中でずり落ちるのを何度も抱き直して、僕に取られないように抱きしめていた。

苛立ったり、喜んだり、玉蜀黍を取られないかと不安になったり、今日の日向様は本当に忙しい。


「殿下は、収穫はされないのでしょうか?」


伊雲のところから、頬を上気させて来た稲苗様が加わって、ちらりと殿下と萩花さんのいる方を見る。
三つ葉と言うのは、高位貴族で、双子や利狗様より身分が高いと聞いた。高い方が、より皇族との関係が微妙で身分の違いに敏感なのだとも。三男の稲苗様ですら、こんなに気にかけるのだとしたら、尊い人たちの世界は面倒だな、と思う。

でも、少し違った。

「……しおうは、虫が、きらい、」
「ですよねえ。…それなのに、生態学にいらしたのが、驚きました。日向様がお好きだから、ですよね?」
「……うん、」

特に躊躇うこともなく日向様は頷くから、稲苗様の顔がみるみる赤くなっていく。玉蜀黍に手を伸ばして何とか隠そうとしているけど、無理だろう。耳まで真っ赤だ。

「で、殿下は、嫌いな虫を避けるよりも、日向様のことを優先されたんですね、」
「……うん、」
「さ、先ほどのお食事の時も本当に仲睦まじくて、見ているこちらが照れてしまうと言うか…、」
「……僕と、しおう、仲良し?」
「仲良し、と言う言葉では足りないくらいです。殿下の溺愛を見せつけられているようで、のぼせそうでした。」

実際、稲苗様はゆでだこのようになった。
尊い人たちと言えど、確かに殿下の日向様への態度は、十代の学生には刺激が強いだろうなあ。

間違いなく、殿下は見せつけている。
あの人は基本的に懐に入れたものへの執着が強いから、一番大事な日向様となれば、周囲に見せつけて牽制するのが標準装備だ。

聞き耳を立てるだけで、口を閉じていた若葉様と萌葱様も、真っ赤になって耐えきれなかった。

「あの、日向様は、殿下と婚約されると、伺ったのですが、」
「……つがい、になる、やくそく、」
「番い!え、え、あの、それは、日向様も殿下を、お好きで、」
「……うん、」
「きゃ、あの、私たちもそろそろ婚約のお話が出てきているんですが……その…日向様は、殿下のどんなところに、ときめかれたのでしょう?」

素敵な方だとは重々承知ですけど、と言いながら、若葉様と萌葱様は頬を染めて真剣な眼差しを日向様に向ける。そうか、尊い人たちはこの年で婚約が決まるのか、大変だ。
その眼差しをぼんやりと受け止めた日向様は、特に表情も変えずに、僕を見た。


「……ときめく、は、何?」


知らないだろうなあ、と思っていたら、やはり知らなかった。
でも、聞かれたところで僕も知らない。

日向様が可愛くて、守るならこの人がいいな、と思うし、愛情はあると思う。この人は不幸の塊みたいな育ち方をしたくせに、誰よりも純粋で無垢で綺麗だから、命を捨てる相手を選べるなら、日向様がいいと思った。
でも、殿下を見ていると、僕の愛情を愛と呼ぶには足りないとも思う。もちろん、殿下の愛が大きすぎるのは知っているけど。

そもそも、草として育った僕は、多少のことでは心拍が上がることもないから、双子が言う意味のときめきはよく分からなかった。

「……あずまも、わから、ない、」
「うん、答えようがないですね。」
「……いいね、あずまも、わからない、」

あ、笑った。
不器用だけど、さっきうまく上がらなかった口角が小さくあがる。
それが嬉しくて、少し心拍が上がった気がするから、もしかしたらこれがときめくことなのかもしれない。

「え、っと、ときめくと言うのは、殿下を見てドキドキされるようなことを言うのですけど、」

日向様の反応が予想外だったせいか、少し戸惑ったように若葉様が言う。なるほど。

「………ドキドキは、怖い時、あるよ、」
「で、でで、殿下が怖いんですか?」
「……んーん、しおうは、安心、」
「「安心!」」

きゃっ、と双子は跳びあがったから、ときめきとは違っても構わなかったらしい。稲苗様も、へえええ、と顎が落ちるほど口を開いて、顔を赤くしていた。利狗様だけが、にこにこと笑いながらも、気遣うように僕をちらちらと見る。

一応、日向様が不利になる場合や、嫌がる場合は止めるよ。今は会話が楽しいらしいから、見守るだけにしているけれど。
ぼんやりとしながらも水色の瞳が、きらきらと光り出していた。

「……しおうは、ね、寝る時、ぎゅって、するよ、」
「ひゃ、」
「ご、ごご、ご一緒に寝ていらっしゃるんですか?」
「……一緒に、寝る。しおうが、一番、安心、」
「へ、へえええええ、」
「……僕が怖く、なったら、いっぱい、ちゅうも、する、」
「ひゃああ、」
「……しおうは、へんたい、」

「日向様、それはダメです、」

おかしな方向に転がり出してさすがに止めたら、日向様に睨まれた。もちろん、可愛いだけでちっとも迫力はない。むしろ、こんなにも感情がでてきたことが、嬉しいだけだ。

「……あずま、あっち、行って、」
「行きませんよ。僕の代わりに萩花さんを呼んだらもっと厳しいですよ、」
「……じゃま、しない、」
「邪魔されないように、頑張ってください、」

白い頬が膨れた。やっぱり可愛い。
利狗様はハラハラとしていたけれど、若葉様と萌葱様にはそれも微笑ましかったようで、顔を寄せ合ってコロコロと笑った。稲苗様は真っ赤な顔のまま、瞳をぱちぱちさせる。

僕を睨みつけた日向様は、僕への反抗もあったのか、玉蜀黍を収穫している間中、殿下の話をした。
僕がそれはダメだと止めれば、日向様はこれならどうだと別の話をする。それもダメだと言うと、またこれはどうだと話して、止めない僕に少し自慢げな顔をしてみせた。

日向様にとっては何気ない日常の出来事だっただろうけれど、友人たちには刺激が強かったようで、目標の玉蜀黍を収穫し終えた頃には、全員顔が真っ赤だった。
伊雲が熱中症を心配して青い顔になったのが申し訳ない。

「何だ、すごく満足そうな顔だな、」
「…うん、」

帰って来た日向様を抱き上げて、殿下は少し驚いたように言う。
話している間もずっと腕に抱えていた玉蜀黍を見て、大きいのが採れて良かったな、と褒めたけれど、多分満足の原因はそれじゃない。

「楽しかった?」
「……たのし、かった、」
「うん、良かった、」

殿下が愛し気に口づけを落とすと、日向様は安心したようにことりと眠ってしまう。
蒸気が出そうな程茹で上がった4人は、その顔のまま、玉蜀黍を抱えて帰った。

見送りながら、後で萩花さんに叱られるなあ、と思ったけれど……、まあいいや。


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