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第弐部-Ⅱ:つながる魔法

107.萩花 安らぎの場所

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日向様が講義を聴講される間、学院を歩いて回った。
かつては、私自身も学んだ学舎は、今も昔とそう変わらない。
あちこちに散らばる学生の悪戯や仕掛けも当時のままだったし、見知った教師や職員も多くいて、歩むほどに懐かしさが込み上げた。

その一方で、やはり年月の経つのも感じる。
商業学を担う塔は、近年の帝国の隆盛と交易の活発化に伴って、多文化に富む場所へと変貌していた。有力な商人の子女・子息が多く入学したことや留学生が増えたこともその一因らしかった。
かつては閑散としていた物理科学塔が賑わうのも、魔法に頼らない異国の学問が盛んに研究されるようになったからだと言う。

そんな変化を楽しみつつ、学内を回った。
案の定、ここ最近増えただろう、怪しげな影や仕掛けもいくつか見つけたから、念入りに調べるよう草に指示もしたが。
大方、皇太子殿下の陣営か、尼嶺の刺客だろう。

日向様の存在が、よくも悪くも学院内に波紋を及ぼしているのが、この数時間でよく分かった。


「どこもお二人の話題で持ち切りでしたよ、」


日向様の昼食に合わせて合流する間、そこかしこで噂を耳にした。
昼食のために学院に用意させた小部屋の前にも、中の様子を一目見ようと覗き込む学生が群れていて、掻き分けて扉を開けるのに苦労する。

「ご苦労だったな、萩花。どうだ、俺の伴侶への溺愛ぶりは知れていたか、」
「ええ、それはもう。殿下はお人が変わったようだと、ご令嬢方が喜んでおられました、」
「そうだろう、」

ため息混じりの報告に、紫鷹殿下は嬉しそうに笑う。
ご自分の伴侶の存在が周知の事実となっていくことが、よほど嬉しいのだろう。随分と機嫌が良かった。

「日向様は、」
「ひななら、今着替えているよ。演習で土をかぶって、すごいことになった。」
「鉢の中に土を入れるだけなのにな。何で土が空を舞うんだか、」
「お怪我は、」
「ないよ。けらけら笑ってご機嫌だった、」
「そうですか、」

主人の姿が見えないことにヒヤリとしたが、殿下も藤夜も機嫌よく笑うから、また何か可愛らしい失敗をしたのだろうと胸を撫で下ろす。
東(あずま)の姿も見えないから、おそらく彼も日向様の巻き添えを喰らったのだろう。

ちょうど良い。


「では手短に。」


言えば、殿下も藤夜も緩んだ空気を少しばかり張って、こちらを振り返る。

「殿下と日向様に対する噂は、今のところは好ましいものが7割、要らぬ邪推が2割ほど、残りはちょっと独特なので草に任せています。」

「ひなへの影響はどうだ?」
「いくつか接触を図ろうとする動きはありますが、殿下が傍にいるせいで近づけないようですよ。ただ、帝国史と生態学演習への受講依頼が急激に増えました。今の所、受け付ける予定はないと、返しているようですが。」
「まあ、予想通りか。邪推の方も?」
「ええ。やはり日向様が幼いですから、何かしらよからぬ推測をされる方はいらっしゃいますね。殿下が無理やり手籠にしたとか、」

通学を始めるに当たって、殿下にはあれほど、不埒な行為は控えなさいと、言ったんですけどね。
ご令嬢たちが、殿下の口づけはどうだった、と黄色い歓声をあげているのは何故でしょうか。

「あながち否定もできないから、俺のことはどうとでも言わせとけ。」

私の非難は伝わったのだろう。殿下は、肩をすくめて苦笑する。
殿下だけの問題なら放っておきますよ。
ですが、私は日向様をお守りするのが役目ですから。

「日向様が悪様に言われる原因ともなりますから、お控えくださいと言っているんですよ、」
「悪く言う奴がいるのか、」
「多くはありませんが、やはりお小さいのと幼いのは、学院内でも目立ちます。中には殿下の不埒を、日向様のせいだと言う声もありました、」
「…日向の耳には入れるなよ、」
「それはもちろん。ただ人の口に戸は建てられませんから、少しは慎みを持ってください、」
「善処はする、」

返答は短いが、少し考え込むような姿勢を見せるから、ひとまず殿下を責めるのはやめておいた。
けれど、きちんと考えていただかなければならない。
殿下の一挙手一投足が、良くも悪くも日向様にも影響する。
お二人は、伴侶になられるのだから。

「独特な噂、と言うのは?」

大人しくなった殿下をよそに、藤夜が尋ねた。

「良く分からないんですよね。今の所、害はないと思いますが、何となく嫌な感じがあって、」
「具体的には?」
「それが、一部のご令嬢の間で一人歩きしている噂がいくつかあって。どうも殿下と日向様に関わるのですが、なんというか、内容がちょっと夢物語りのようなもので。どこそこで、殿下と日向様が相引きをして、どんな会話を交わしたかとか、出会いは宮城の舞踏会で、殿下の一目惚れだったとか、」

「ああ、なるほど、」
「放っておけ、害はない、」
「…いいんですか?」

殿下と藤夜が揃って無害と判断するから、思わず目を瞬かせる。
2人は、一瞬驚いたような顔をした後、それはそれは嬉しそうに口元を緩めた。

「相変わらずで、安心した。なあ、藤夜、」
「うん、相変わらずというか、萩花らしい。」

かつて私の部屋にいたずらを仕掛けていた頃の2人を見たような気がして、懐かしくなる。
だが、どうも軽んじられているような気がするのは、いただけない。

「害がないとするなら構いませんが、理由がなければ判断しかねます、」
「いや、いいよ。萩花はそのままで。なあ、紫鷹、」
「俺もそのままがいい。理由が必要だと言うなら、ご令嬢たちの趣味だ。こちらに対して何か意図があるものではないから、放っておけ、」

ご令嬢たちの趣味。
殿下と日向様の出会いから、惹かれ合い、別れ再び結ばれるまでの壮大な噂が、趣味とは。

その言葉を吟味するべく考え込めば、悪友2人は、声を立てて笑った。
なんとなく、腹立たしい。

「では、ご令息の噂も、放置でよろしいですか、」
「機嫌を損ねるな。褒めてるんだぞ、お前らしいって、」
「ご令息の噂というのは?」
「日向様の親衛隊がどうとか。護衛がおりますから十分ですし、こちらもどうも遊戯のような印象を受けたので、よくわかりません。ただ、日向様の姿絵が高値で取引されるというような噂もありましたので、こちらは真偽を確かめさせています、」

「いや、潰せよ、」

2人の雰囲気がガラリと変わって、おや、と思う。
今にもどこかへ殴り込みに行きそうな気配に、少し驚いた。それほどの噂でしたか。

紫鷹殿下と藤夜の言うよう、どうも学生の間に流れるような噂の機微が、私にはわからない。
戦場での情報戦なら得意であったし、悪意ある噂には誰より早く気付ける自信はあるのに。

「やっぱりひなは目を付けられるな、」
「あの容姿だ。そりゃ、変な虫もわくだろ。そもそも尼嶺の王族が美貌で有名だからな、」
「にしてもあの小さいひな相手に、変態か、」
「全くだ、」

自分のことは棚に上げて、どう駆逐すべきかを検討し出した殿下に少し呆れる。
それと一緒になって、目尻を釣り上げている藤夜にも少し驚いた。
少し前の藤夜は、一歩引いて日向様を見守っていたように見えたのに、いつの間にか殿下と並んで過保護になってはいないか。

部屋の空気が異様に重い。
何かをぶつぶつと囁き合う2人に、どうしたものかと考えだした頃、部屋の奥の扉が開いた。



「はぎな!」



朝とは違う水色の服にきがえた日向様が、ぴょんぴょんと跳ねるように駆けてくる。
嬉しそうに腕に飛び込んでくるから、受け止めて抱き上げると、小さな温もりに張りつめていた何かがほどけていくのを感じた。

ああ、やはり、ここが1番居心地が良い。
かつての学び舎も懐かしくはあったが、今はもう私の居場所はここだと改めて実感する。

「授業、できた!」
「楽しかったですか、」
「たのしかった!」
「それはよろしかったですね、」
「はぎなも、いたら、よかった。次は、いる?魔法、の授業、」
「ええ、おりますよ、」

微笑んで応じれば、パッと水色の瞳が輝いて、喜びのままに細い腕が私の首を抱きしめた。
殿下が嫉妬するが、私の主は、私に話したいことがまだまだあるようなので、殿下にはしばらく我慢してもらう。


腕に小さな温もりを抱き、嬉しそうにはじめての授業を語るのを聞きながら、さて、と考えた。


この安穏を守るため、何から始めようか。
やるべきことがたくさんある。


日向様が学院に通われることは喜ぶべきことだが、そればかりではない。
帝国で一番安全と謳われる学院にも、謀り事や悪しき思惑はそこかしこにあった。
無害に見える学生が、いつ日向様に牙をむくとも知れない。
身を護る術も、人の思惑への耐性も持たない日向様を守るのが、私たちの役目だ。

「はぎなのせんぞも、教えて、」
「西佳(さいか)の先祖は、金色の戦士だと言われますね、」
「せんし、」
「ただ一つの目的のために戦い、神をも打ち破った戦士です。離宮に帰ったら、詳しく書かれた書物がありますから、お見せしましょう、」
「見る!」

水色の瞳が好奇心に輝いて、私の心を和ませる。


まずは、おかしな動きをする尼嶺の刺客辺りを片付けようか。
害にならなければ泳がせておくが、わずかでもこの安らぎを乱すのなら、容赦はしない。



この安穏を守るために。
神をも打ち破る戦士の末裔が。

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