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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

62.日向 しおうのけはい

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起きたら、しおうのけはいがした。
まだ眠くてぼんやりして、目はあかない。でも、しおうのけはい。
僕の頭をさわさわなでて、時々髪をくるくるする。

しおうのけはいは、すぐわかる。
紫色で、あったかくて、大好きだよって、いつも言う。
時々泣くけど、今はちがう。

大好きだよ、って言ってる。

ふわふわして、うれしくて、ぎゅってしたくなって、手を伸ばした。

「起きたか?」
「…しぉ、ぎゅってする、」
「ああ、うん、おいで、」

布団のなかから、僕を出して、しおうが抱っこした。
でも抱っこの仕方がいつもとちがう。

「手、けが、何で?」
「うん?ああ、そっか。説明してなかったな。ちょっと喧嘩した。」
「いたい?」
「時々痛いけど、ちゃんと治療したから大丈夫だよ。日向、治そうとしてくれたんだよな、心配かけてごめんな。」
「ま、ほう、」
「ああ、治癒の魔法を使ったって聞いた。……今もか?」
「う、ん、」

しおうの手がほうたいでぐるぐるなのを見たら、そわそわした。すぐにお腹が重くなったから、たぶん、おのいが「かんしょう」した。しおうが聞いたら、部屋のすみっこにいたおのいが、そうだってうなずいた。

ふわふわだったのに、そわそわが強くなった。

僕は、また魔法を使った。
魔法を使わないが、またできなかった。やくそくなのに。

「…日向、ゆっくり息を吐け。」
「ごめ、んな、さい、」
「いいよ。今は体力が落ちているから、うまく制御できないんだ。元気になったら頑張ればいい。畝見(うなみ)や尾ノ井(おのい)たちが抑えてくれるから、少しの間頼ってくれ、」
「…できない、が、いやだ、」
「うん、わかってる。悔しいよな、」

しおうが背中をなでた。
いやだ、が胸にいっぱい広がって、涙が出た。
これが、くやしい、って言うって、わかった。


僕はくやしい、がいっぱいある。


「なん、で、でき、ない、」
「日向、」

しおうがぎゅってする。
あったかくて、もっと涙が出た。

「いっぱい、たんれんする、のに、」
「うん、日向はいつも頑張ってる。わかってるよ、」
「とやが、おしえた、のに、でき、ない、はぎなも、たちいろも、ひぐさ、もおしえた、のに、」
「うん、」
「くや、しい、」
「うん、悔しいなあ、」

うー、って声が出た。涙が止まらなくて、息が苦しくなる。

くやしい、がある。
できるように、なりたい、がある。

なのに、お腹がずっと重くって、おのいが「かんしょう」を続けてるのがわかった。
できないがわかって、もっとくやしくて、いっぱい声がでた。

くやしいな、しんどいな、ってしおうの声がする。
いっぱい泣いて、疲れて泣けなくなるまで、しおうはずっと背中をなでた。

涙が出なくなって、ぼんやり見上げたら、しおうの涙がでてた。


「しおうも、泣く、」
「…うん、俺も泣けた。ごめん、」

手を伸ばして、しおうの涙をなでたら、しおうがまたぎゅうってした。

「もどかしいだろうけど、今は無理しないでくれ。元気になったら、できるように一緒にやるから。泣きたかったら、いっぱい泣いていい。傍にいるから。悔しいのも怖いのも、ちゃんと受け止めるから。」

ぽろぽろって、紫色の目から涙が落ちる。
きれい。

しおうはいつもそうだね。

僕がかなしいと、しおうもかなしい。
僕がくやしいと、しおうもくやしい。

少しずつ、そわそわが小さくなって、ふわふわが大きくなる。
大好きだよ、のけはいと同じ。
しおうが僕といっしょに泣くと、僕はふわふわする。



「ごめんな、お前は、俺が泣くのは嫌だったな、」
「ち、がう、」



しおうが泣く、がいや。
しおうが泣く「けはい」がいや。

泣く、だけど、泣く、じゃない。ちがう。

「しおう、泣くのけはい、がこわい、」
「俺の気配が?」

ことば、が難しい。
みずちやそらやうつぎやゆりねは、いつもうまく話すのに。
ぼくはできない。
できないのがいや。でもしおうにわからないがもっといやだった。

「泣く、けはいの時、しおう、ちがう、」
「日向、焦らなくていいから、
「ちがう、聞いて、ちがう、」

「しおう、泣くけはい、の時、いないく、なる、しおうは、いる、がいいのに、いなく、なろうと、する、」
「…何で、」

わかるんだ、ってしおうの顔がぐしゃぐしゃになった。

だって、しおうが泣くけはいの時、いつもお腹がそわそわした。
しおうがどこかに行きそうで、いなくなりそうで、こわくなった。
こうたいしでんかが来た時も、しおうがいなくなる気がした。どこかに行って、もどってこない。


「いなく、ならない、で。しおうは、いる、がいい、」


僕の口にしおうの口が当たる。
びっくりしたけど、こうするとしおうがいるがわかるから、いい。
大好きだよ、のけはいが、体の中に広がる感じがした。


「…日向の言うとおりだよ。俺は逃げ出したいことがある。皇子の役割も何もかも投げ出して、どこか遠くに行きたくなることがある。全部失くしてもいいって、死んでもいいって、」
「しおうがいない、はこわい、」
「うん、俺も怖い。でも日向がいるなら、どこに行かない、」

また、しおうがちゅうってする。
僕がふわふわになるみたいに、しおうもふわふわになる?
ちゅうって、僕もしたら、しおうはまた泣いた。

「日向がいるなら、ここに帰ろうって思える。だから、ちゃんと帰ってくる。それなら、日向は安心できるか?」
「わからない、」
「うん。わかってもらえるようにちゃんと帰ってくるよ。だから、日向は早く元気になって、ちゃんと俺のこと待ってて、」
うん、

大好きだよ、の気配がまたいっぱいになった。
僕が離宮にきたころは、ちがったのに。
今はさっきよりうんと大きな「大好きだよ」のけはいがする。

「しおうは、いるがいい、」
「うん、」
「いない、はもういや、」
「うん、ごめん、」


しおうが笑った。
そしたら、もっとふわふわになった。
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