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第壱部-Ⅰ:人質王子
2.紫鷹(しおう) 王子と皇子
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何だ、あれは。
背後に続く気配を探り、何度目とも知れず、胸の内で問う。
繰り返しすぎて、もはや問いかどうかも疑わしい。呆れか、諦めか。
同い年の王子だと聞いた。
長らく帝国への従属を拒み続けた小国・尼嶺(にれ)。度重なる争いと協議を経て、帝国に膝を折ったのは、およそ2年前のことだ。さまざまな条文が交わされ、税制や通商、安全補償の取り決めが成された。その取り決めのひとつだと聞いている。
両国の友好の証として、尼嶺の王子を帝国へ送る。
建前は留学。その実は帝国への忠誠を示すための人質。
珍しい話でもない。帝国の拡大とともに増えた属国の貴人たちがこれまでも多く送られてきた。
人質といえど、賓客として帝国は丁重に扱う。属国が忠誠を裏切らない限り。
多くの貴人は、帝国の暮らしに満足し、友好を築いて祖国へ帰った。中には帝国に真の忠誠を誓い、要職についたものもいる。貴人には、優れた才を持つ者も少なくない。
剣の相手くらいにはなるかと、期待していたが……。
「何だ、あれは。」
「殿下。」
ため息とともに漏れた胸の内を、傍らの男に咎められた。
視線をやると、眉間に皺を寄せた侍従が睨みつける。
「公務です。お忘れなく。」
「そのつもりで来たんだが」
「紫鷹(しおう)、」
名を呼び捨て、より一層鋭く睨みつけられた。公務だというなら、お前のその態度は不敬ではないのか。
やれやれと、男に肩をすくめて見せて、背後を見やる。
俺を先頭に立たせた母上が、小さな子どもの手を引いてついてくる。
小さな、子ども。
同い年だと聞いた。
だが、馬車を降りてきたのは、小さな子ども。手を引く母の肩にさえ、頭の位置は届かない。
俺は母の背など、とっくに超えた。
さっきから俺を睨みつける同輩などーー憎たらしいことこの上ないがーー俺よりも背が高い。
あれで15歳。嘘だろう。
尼嶺の人間の背が低いわけではない。
第一王子である兄が協議の席につく折には、俺も同席したことがある。叩頭する姿ばかりで、並び立ったことはないが、背格好が大きく異なる印象はなかった。
では、尼嶺の謀りか。
友好の証として、尼嶺王家筋の者を帝国へと送る定めとなったはずだ。
早くに亡くなった先王の第一王子だと聞いている。幼少であったため、王位は先王の弟が継いだが、今も継承権を持つ王族だと。
薄い水色の髪と瞳は、尼嶺の王族特有の色だ。
だが、血が近い貴人などに生まれないわけではない。実際、協議の席には、王族以外にも似た色を見た。
王族と偽り、すり替えたか。
これの意味するところは何か。
尼嶺の王子を帝国に迎えるまでに、2年かかった。
他の属国は、従属とほぼ同時に貴人を送る。
しかし尼嶺は、2年かかったのだ。一旦は従属を示しても、反発が強く、協議が長引いた。尼嶺王国内も、統率が取れるまでには時間が必要だった。
いや、今も一枚岩とは言い難い。
人質がいなければ、忠誠の必要もない。
いつでも反旗を翻せる。
にしては、お粗末だろう。
母に手を引かれた子どもを見る。
一度もこちらに視線を向けない。それどころか、馬車を降りた瞬間から、視線は足元の一点にとどまったままだ。あまりに動かないので、目が見えないのかと疑ったが、足取りを見る限りその可能性も低い。
知らない国の知らない大人に囲まれて、縮こまる子どもだろう、あれは。
王子に仕立て上げるには、あまりにお粗末な。
「本当に何なんだ、あれは」
「紫鷹っ、」
「日向さん」
いよいよ傍の男の拳が飛んでこようかというところで、驚くほど朗らかな声が聞こえた。
普段の母上とはかけ離れた甘い声に、少しばかり驚いて目を見開く。
白亜から薄紫に変わった石畳の境に、母上が膝をついていた。子どもの手を両手で包み、視線を合わせる。
「本当に、」
母上が、言葉をつまらせる。
「ようおいでくださいました」
泣いているのかと、一瞬戸惑った。
だが、母上の視線は強い。
何かを決心した時の、母上の顔だった。この巨大な帝国で、国母と呼ばれ、国民にも他国の人々にも慕われる、最も強い女。
「今日からここが、日向さんのお家よ。わかる?今日から私と紫鷹が、あなたの家族になるの」
薄紫の外壁に彩られた宮城が間近に見えた。
母上と俺の住むこの離宮が、小さな子どもの受け皿になる。
属国の貴人をこれまでも多く受け入れ、育んできた宮だ。母上が帝国の国母と呼ばれる所以でもある。
これまでも幾度となく繰り返された役割にすぎない。だから今までと何も変わりはない。
だが、これまでにない母上の姿に、驚きを隠せない。
何なんだ、あれ。
背後に続く気配を探り、何度目とも知れず、胸の内で問う。
繰り返しすぎて、もはや問いかどうかも疑わしい。呆れか、諦めか。
同い年の王子だと聞いた。
長らく帝国への従属を拒み続けた小国・尼嶺(にれ)。度重なる争いと協議を経て、帝国に膝を折ったのは、およそ2年前のことだ。さまざまな条文が交わされ、税制や通商、安全補償の取り決めが成された。その取り決めのひとつだと聞いている。
両国の友好の証として、尼嶺の王子を帝国へ送る。
建前は留学。その実は帝国への忠誠を示すための人質。
珍しい話でもない。帝国の拡大とともに増えた属国の貴人たちがこれまでも多く送られてきた。
人質といえど、賓客として帝国は丁重に扱う。属国が忠誠を裏切らない限り。
多くの貴人は、帝国の暮らしに満足し、友好を築いて祖国へ帰った。中には帝国に真の忠誠を誓い、要職についたものもいる。貴人には、優れた才を持つ者も少なくない。
剣の相手くらいにはなるかと、期待していたが……。
「何だ、あれは。」
「殿下。」
ため息とともに漏れた胸の内を、傍らの男に咎められた。
視線をやると、眉間に皺を寄せた侍従が睨みつける。
「公務です。お忘れなく。」
「そのつもりで来たんだが」
「紫鷹(しおう)、」
名を呼び捨て、より一層鋭く睨みつけられた。公務だというなら、お前のその態度は不敬ではないのか。
やれやれと、男に肩をすくめて見せて、背後を見やる。
俺を先頭に立たせた母上が、小さな子どもの手を引いてついてくる。
小さな、子ども。
同い年だと聞いた。
だが、馬車を降りてきたのは、小さな子ども。手を引く母の肩にさえ、頭の位置は届かない。
俺は母の背など、とっくに超えた。
さっきから俺を睨みつける同輩などーー憎たらしいことこの上ないがーー俺よりも背が高い。
あれで15歳。嘘だろう。
尼嶺の人間の背が低いわけではない。
第一王子である兄が協議の席につく折には、俺も同席したことがある。叩頭する姿ばかりで、並び立ったことはないが、背格好が大きく異なる印象はなかった。
では、尼嶺の謀りか。
友好の証として、尼嶺王家筋の者を帝国へと送る定めとなったはずだ。
早くに亡くなった先王の第一王子だと聞いている。幼少であったため、王位は先王の弟が継いだが、今も継承権を持つ王族だと。
薄い水色の髪と瞳は、尼嶺の王族特有の色だ。
だが、血が近い貴人などに生まれないわけではない。実際、協議の席には、王族以外にも似た色を見た。
王族と偽り、すり替えたか。
これの意味するところは何か。
尼嶺の王子を帝国に迎えるまでに、2年かかった。
他の属国は、従属とほぼ同時に貴人を送る。
しかし尼嶺は、2年かかったのだ。一旦は従属を示しても、反発が強く、協議が長引いた。尼嶺王国内も、統率が取れるまでには時間が必要だった。
いや、今も一枚岩とは言い難い。
人質がいなければ、忠誠の必要もない。
いつでも反旗を翻せる。
にしては、お粗末だろう。
母に手を引かれた子どもを見る。
一度もこちらに視線を向けない。それどころか、馬車を降りた瞬間から、視線は足元の一点にとどまったままだ。あまりに動かないので、目が見えないのかと疑ったが、足取りを見る限りその可能性も低い。
知らない国の知らない大人に囲まれて、縮こまる子どもだろう、あれは。
王子に仕立て上げるには、あまりにお粗末な。
「本当に何なんだ、あれは」
「紫鷹っ、」
「日向さん」
いよいよ傍の男の拳が飛んでこようかというところで、驚くほど朗らかな声が聞こえた。
普段の母上とはかけ離れた甘い声に、少しばかり驚いて目を見開く。
白亜から薄紫に変わった石畳の境に、母上が膝をついていた。子どもの手を両手で包み、視線を合わせる。
「本当に、」
母上が、言葉をつまらせる。
「ようおいでくださいました」
泣いているのかと、一瞬戸惑った。
だが、母上の視線は強い。
何かを決心した時の、母上の顔だった。この巨大な帝国で、国母と呼ばれ、国民にも他国の人々にも慕われる、最も強い女。
「今日からここが、日向さんのお家よ。わかる?今日から私と紫鷹が、あなたの家族になるの」
薄紫の外壁に彩られた宮城が間近に見えた。
母上と俺の住むこの離宮が、小さな子どもの受け皿になる。
属国の貴人をこれまでも多く受け入れ、育んできた宮だ。母上が帝国の国母と呼ばれる所以でもある。
これまでも幾度となく繰り返された役割にすぎない。だから今までと何も変わりはない。
だが、これまでにない母上の姿に、驚きを隠せない。
何なんだ、あれ。
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