上 下
4 / 196
第壱部-Ⅰ:人質王子

2.紫鷹(しおう) 王子と皇子

しおりを挟む
何だ、あれは。

背後に続く気配を探り、何度目とも知れず、胸の内で問う。
繰り返しすぎて、もはや問いかどうかも疑わしい。呆れか、諦めか。

同い年の王子だと聞いた。
長らく帝国への従属を拒み続けた小国・尼嶺(にれ)。度重なる争いと協議を経て、帝国に膝を折ったのは、およそ2年前のことだ。さまざまな条文が交わされ、税制や通商、安全補償の取り決めが成された。その取り決めのひとつだと聞いている。

両国の友好の証として、尼嶺の王子を帝国へ送る。
建前は留学。その実は帝国への忠誠を示すための人質。
珍しい話でもない。帝国の拡大とともに増えた属国の貴人たちがこれまでも多く送られてきた。
人質といえど、賓客として帝国は丁重に扱う。属国が忠誠を裏切らない限り。
多くの貴人は、帝国の暮らしに満足し、友好を築いて祖国へ帰った。中には帝国に真の忠誠を誓い、要職についたものもいる。貴人には、優れた才を持つ者も少なくない。

剣の相手くらいにはなるかと、期待していたが……。

「何だ、あれは。」
「殿下。」

ため息とともに漏れた胸の内を、傍らの男に咎められた。
視線をやると、眉間に皺を寄せた侍従が睨みつける。

「公務です。お忘れなく。」
「そのつもりで来たんだが」
「紫鷹(しおう)、」

名を呼び捨て、より一層鋭く睨みつけられた。公務だというなら、お前のその態度は不敬ではないのか。
やれやれと、男に肩をすくめて見せて、背後を見やる。
俺を先頭に立たせた母上が、小さな子どもの手を引いてついてくる。

小さな、子ども。

同い年だと聞いた。
だが、馬車を降りてきたのは、小さな子ども。手を引く母の肩にさえ、頭の位置は届かない。
俺は母の背など、とっくに超えた。
さっきから俺を睨みつける同輩などーー憎たらしいことこの上ないがーー俺よりも背が高い。

あれで15歳。嘘だろう。

尼嶺の人間の背が低いわけではない。
第一王子である兄が協議の席につく折には、俺も同席したことがある。叩頭する姿ばかりで、並び立ったことはないが、背格好が大きく異なる印象はなかった。

では、尼嶺の謀りか。

友好の証として、尼嶺王家筋の者を帝国へと送る定めとなったはずだ。
早くに亡くなった先王の第一王子だと聞いている。幼少であったため、王位は先王の弟が継いだが、今も継承権を持つ王族だと。
薄い水色の髪と瞳は、尼嶺の王族特有の色だ。
だが、血が近い貴人などに生まれないわけではない。実際、協議の席には、王族以外にも似た色を見た。

王族と偽り、すり替えたか。
これの意味するところは何か。

尼嶺の王子を帝国に迎えるまでに、2年かかった。
他の属国は、従属とほぼ同時に貴人を送る。
しかし尼嶺は、2年かかったのだ。一旦は従属を示しても、反発が強く、協議が長引いた。尼嶺王国内も、統率が取れるまでには時間が必要だった。
いや、今も一枚岩とは言い難い。

人質がいなければ、忠誠の必要もない。
いつでも反旗を翻せる。

にしては、お粗末だろう。

母に手を引かれた子どもを見る。
一度もこちらに視線を向けない。それどころか、馬車を降りた瞬間から、視線は足元の一点にとどまったままだ。あまりに動かないので、目が見えないのかと疑ったが、足取りを見る限りその可能性も低い。

知らない国の知らない大人に囲まれて、縮こまる子どもだろう、あれは。
王子に仕立て上げるには、あまりにお粗末な。

「本当に何なんだ、あれは」
「紫鷹っ、」

「日向さん」

いよいよ傍の男の拳が飛んでこようかというところで、驚くほど朗らかな声が聞こえた。
普段の母上とはかけ離れた甘い声に、少しばかり驚いて目を見開く。

白亜から薄紫に変わった石畳の境に、母上が膝をついていた。子どもの手を両手で包み、視線を合わせる。

「本当に、」

母上が、言葉をつまらせる。

「ようおいでくださいました」

泣いているのかと、一瞬戸惑った。
だが、母上の視線は強い。
何かを決心した時の、母上の顔だった。この巨大な帝国で、国母と呼ばれ、国民にも他国の人々にも慕われる、最も強い女。

「今日からここが、日向さんのお家よ。わかる?今日から私と紫鷹が、あなたの家族になるの」

薄紫の外壁に彩られた宮城が間近に見えた。
母上と俺の住むこの離宮が、小さな子どもの受け皿になる。
属国の貴人をこれまでも多く受け入れ、育んできた宮だ。母上が帝国の国母と呼ばれる所以でもある。
これまでも幾度となく繰り返された役割にすぎない。だから今までと何も変わりはない。
だが、これまでにない母上の姿に、驚きを隠せない。

何なんだ、あれ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

侯爵令息セドリックの憂鬱な日

めちゅう
BL
 第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける——— ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

イケメン王子四兄弟に捕まって、女にされました。

天災
BL
 イケメン王子四兄弟に捕まりました。  僕は、女にされました。

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺

福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

養子の僕が愛されるわけない…と思ってたのに兄たちに溺愛されました

日野
BL
両親から捨てられ孤児院に入った10歳のラキはそこでも虐められる。 ある日、少し前から通っていて仲良くなった霧雨アキヒトから養子に来ないかと誘われる。 自分が行っても嫌な思いをさせてしまうのではないかと考えたラキは1度断るが熱心なアキヒトに折れ、霧雨家の養子となり、そこでの生活が始まる。 霧雨家には5人の兄弟がおり、その兄たちに溺愛され甘々に育てられるとラキはまだ知らない……。 養子になるまでハイペースで進みます。養子になったらゆっくり進めようと思ってます。 Rないです。

BLR15【完結】ある日指輪を拾ったら、国を救った英雄の強面騎士団長と一緒に暮らすことになりました

厘/りん
BL
 ナルン王国の下町に暮らす ルカ。 この国は一部の人だけに使える魔法が神様から贈られる。ルカはその一人で武器や防具、アクセサリーに『加護』を付けて売って生活をしていた。 ある日、配達の為に下町を歩いていたら指輪が落ちていた。見覚えのある指輪だったので届けに行くと…。 国を救った英雄(強面の可愛い物好き)と出生に秘密ありの痩せた青年のお話。 ☆英雄騎士 現在28歳    ルカ 現在18歳 ☆第11回BL小説大賞 21位   皆様のおかげで、奨励賞をいただきました。ありがとう御座いました。    

平凡でモブな僕が鬼将軍の番になるまで

月影美空
BL
平凡で人より出来が悪い僕、アリアは病弱で薬代や治療費がかかるため 奴隷商に売られてしまった。奴隷商の檻の中で衰弱していた時御伽噺の中だけだと思っていた、 伝説の存在『精霊』を見ることができるようになる。 精霊の助けを借りて何とか脱出できたアリアは森でスローライフを送り始める。 のはずが、気が付いたら「ガーザスリアン帝国」の鬼将軍と恐れられている ルーカス・リアンティスの番になっていた話。

処理中です...