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再会の東京

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「ああ、どうもありがとう」

 笑いかけられた瞬間、トレイを落としそうになった。

「あ……」
 戻ってみると、田島先輩はエクリュのジャケットを脱いでいた。中に着ていたのは青と白の太いストライプのシャツで、カーキのパンツを合わせている。

 ずっと忘れていたのに、それに同じものかどうかもわからないのに、何よりそんなことはどうでもいいはずなのに……私はあの日の彼が似たような恰好だったことを唐突に思い出したのだ。

「ど、どうぞ」

 相手の視線を受け止められず、つい目をそらしてしまう。
 接客業ではアイコンタクトはとても重要だし、こんなことは入社以来初めてだった。しかもまずいとわかっているのに、どうすることもできない。

 グラスや皿をテーブルに置くと、私はソファからやや離れた椅子に腰を下ろした。
 ふだんはお客様の正面に座るが、今は少しでも距離を取りたかったのだ。

 幸い田島先輩は私の動揺に気づいていないようだった。

「おいしいよ、桐島さん。ちょうど喉が渇いていたから助かった」
「ありがとうございます」

 ただ一緒にいるだけなのに、脈はどんどん速くなって、背中に冷たい汗までかき始めていた。
 落ち着こうとすればするほど、逆に気持ちが波立ってしまう。それでも――。

(しっかりしなきゃ)

 そう、休んでほしいという林太郎さんの頼みを断ったのは私だ。
 さらに「大丈夫ですから」と言い切って背を向けたのだ。だから、今さらうろたえて逃げ出すわけにはいかない。

 私はなんとか呼吸を整え、用意していたゲストカルテとボールペンを手にした。もちろん書きやすいと評判のハイブランドのものだ。

 それからやっとの思いで田島先輩と視線を合わせた。

「田島様、まずこちらにご記入をお願いできますか?」
「もちろん」

 名前、生年月日、住所――田島先輩は意外にきれいな筆跡で書き進めていく。職業欄に書かれたのは「会社役員」だった。

 そういえば、お父様が医薬品卸の会社を経営していると学生時代に聞いたことがある。製薬会社と医療機関の仲介をする立場で、業界での評判もよかったようだ。

 先輩はいかにも御曹司らしく、サークルではラケットもウエアもシューズも一流品だったし、今日の服装もかなりの額だと見て取れた。

 きっといずれは後を継いで社長になるのだろうし、高砂百貨店にとって彼が優良顧客であることは否めない。たとえ私がどんなふうに感じているとしても。

「今日は何かお探しでいらっしゃいますか?」
「うん。実は秋もののジャケットを探してるんだけど、これから結婚式シーズンだし、ついでにタキシードも新調しようと思ってね。桐島さん、採寸お願いできるかな?」
「それでしたら、オーダー担当の者が承る方がよろしいかと存じますが」
「そうなんだけど最近ジムでけっこう引き締めたから、サイズが知りたくてさ」

 もちろんこのサロンでも採寸はできるし、私自身も父や兄の仕事ぶりを見てきたから、どちらかといえば得意な方だ。

 それなのに今は指先が震えていた、わずかに、けれども、どうしようもなく。

「じゃあ、さっそくお願いできるかな? 面倒かけちゃうけど」
「いえ、とんでもございません。では――」

 私は笑顔を作り、備品を入れているキャビネットからメジャーを取り出す。
 ところが田島先輩の方へ歩き出そうとした時、それが手から滑り落ちてしまった。

「失礼いたしました」

 ふだんの私だったら、あり得ないミスだ。

 とにかくお客様をお待たせしないよう、早くメジャーを拾わないと。
 それに床に落ちたもので採寸するわけにいかないから、違うものを用意しないと。早く、早く!

(えっ?)

 気がつけば、私はその場に立ち竦んでいた。
 動揺しながらもいろいろ考えているのに、身体がいうことを聞かないのだ。まるで見えない重りをぶらさげられたように、手足が動かない。

「桐島さん?」

 棒立ちの私を見て、田島先輩がいぶかしげに眉を寄せた。

「どうかした?」
「あ、も、申しわけございません」

 大丈夫。簡単なことだ。メジャーを拾って、代わりを出して、いつもしているように田島先輩の採寸を――。
 けれど、そう思った途端に息が止まりそうになった。

(……無理)

 その作業はかなり近づかないとできないし、身体に触れもするのだ。何年も続く悪夢の原因となった張本人の。

(やりたくない!)

 私の脈は不規則に、しかも次第に速くなっていく。うまく息ができないせいか、胸が苦しいような気さえしてきた。
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