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陶酔のローマ
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――この世で一番美しいところだよ、アミ。そこに行けば、必ず幸福になれる。天国まで届きそうなほど心が躍るんだ。
遠い昔、父のテイラーでイタリアの優しい紳士から聞いた言葉は真実だった。
広大なフェリチタ庭園には大きな池や中世の屋敷跡があり、足を踏み入れる場所によって趣がまったく違う。
「ここにはかつて小さな村があったのですが、はやり病で人がいなくなってしまい、その跡に手を入れて――」
マッシモさんは林太郎さんには英語で、私にはイタリア語で、植物や庭園形式の説明をしてくれた。
門から少し歩くと、澄んだせせらぎが流れ、ゆるやかな坂道になっている。
そこからイギリス風の自然な景色が広がり、その先には薔薇のアーチがあって、ロココ調の優雅な花園を楽しむことができた。さらに竹が生い茂る中国風の場所もあれば、岩や苔を生かした日本の京都を思わせる庭もある。
そんな一見バラバラなモチーフをうまくつないでいるのは、いくつも設えられた大理石の噴水だった。
小鳥やリス、ウサギ、狐、そしてユニコーン――大小さまざまな動物の像をあしらい、あちこちで水しぶきがきらめいている。
「本当にきれいなところ」
「そうだな」
歩いているのは私たち三人だけなので、まるで夢の中に迷い込んだような気がした。
(……嘘みたい)
私はずっとあこがれていた場所を、林太郎さんと一緒に歩いている。それも心地よい風に吹かれ、手をつないで、仲よくおしゃべりしながら。
ついさっきまでやり場のない感情を持てあまして、ため息ばかりついていた。同僚のロザンナたちにも心配されていた。
けれど今はフェリチテ庭園の景観に酔いしれながら、彼の隣にいられることに胸をときめかせている。
(お見合いを……断ったって言ってた)
さっきは唐突過ぎて流してしまったが、あれは本当のことだったのだろうか?
だが、改めて彼に確認するのは怖かった。
林太郎さんは現にここにいてくれる。それでも聞き違いや誤解ということだってあり得なくはない。だからこれから先のことも考えたくなかった。
私は夢見心地でいられる今を、とにかく失いたくなかったのだ。
(そんなに……林太郎さんが好きだったんだ)
そう、本当は気づいていた。
私はいつの間にか彼が好きになっていた、こうして一緒にいても、未来を思い描くことをためらってしまうくらい本気で。胸が苦しくてたまらないくらい真剣に。
手をつないで歩きながら、そっとため息をついた時だ。
「さあ、着きましたよ」
マッシモさんが大きなオリーブの木の下で足を止め、私たちに笑いかけた。
「そろそろ喉が渇いたでしょ? お二人はここで少し休憩なさってください。私は後ほどまた来ますから、どうぞごゆっくり」
濃い緑の葉陰には、小さなテーブルと折り畳み式の椅子が二脚置かれていた。
テーブルの上にはワインクーラーに入れられた白ワインとグラスがあり、簡単なオードブルまで添えられている。
本当に特別な場所であるフェリチタ庭園で、こんなサービスが受けられるなんて――。
マッシモさんが行ってしまうと、林太郎さんは私のために椅子を引いてくれた。
「座って、亜美さん」
「は、はい」
答える声は少し掠れていた。
いったいお見合いはどうなったのか、なぜ私たちはこんなふうにフェリチタ庭園で過ごすことができるのか――彼に訊ねたい質問が喉元までせり上がってくるけれど、私はやはりそれを言葉にできない。
一方の林太郎さんは器用にワインを開けると、私のグラスに注いでくれた。初めて会った時はそんなことができるようには全然見えなかったのに。
乾杯のためにグラスを掲げる仕草さえ別人のようだ。
「君に礼がしたかった」
「でも私は何も――」
「亜美さんのおかげなんだ」
「えっ?」
「君のおかげで、俺の視界に光が差し込んだ。研究以外のいろいろなものが目に入ってきたんだ、子どものころみたいに」
遠い昔、父のテイラーでイタリアの優しい紳士から聞いた言葉は真実だった。
広大なフェリチタ庭園には大きな池や中世の屋敷跡があり、足を踏み入れる場所によって趣がまったく違う。
「ここにはかつて小さな村があったのですが、はやり病で人がいなくなってしまい、その跡に手を入れて――」
マッシモさんは林太郎さんには英語で、私にはイタリア語で、植物や庭園形式の説明をしてくれた。
門から少し歩くと、澄んだせせらぎが流れ、ゆるやかな坂道になっている。
そこからイギリス風の自然な景色が広がり、その先には薔薇のアーチがあって、ロココ調の優雅な花園を楽しむことができた。さらに竹が生い茂る中国風の場所もあれば、岩や苔を生かした日本の京都を思わせる庭もある。
そんな一見バラバラなモチーフをうまくつないでいるのは、いくつも設えられた大理石の噴水だった。
小鳥やリス、ウサギ、狐、そしてユニコーン――大小さまざまな動物の像をあしらい、あちこちで水しぶきがきらめいている。
「本当にきれいなところ」
「そうだな」
歩いているのは私たち三人だけなので、まるで夢の中に迷い込んだような気がした。
(……嘘みたい)
私はずっとあこがれていた場所を、林太郎さんと一緒に歩いている。それも心地よい風に吹かれ、手をつないで、仲よくおしゃべりしながら。
ついさっきまでやり場のない感情を持てあまして、ため息ばかりついていた。同僚のロザンナたちにも心配されていた。
けれど今はフェリチテ庭園の景観に酔いしれながら、彼の隣にいられることに胸をときめかせている。
(お見合いを……断ったって言ってた)
さっきは唐突過ぎて流してしまったが、あれは本当のことだったのだろうか?
だが、改めて彼に確認するのは怖かった。
林太郎さんは現にここにいてくれる。それでも聞き違いや誤解ということだってあり得なくはない。だからこれから先のことも考えたくなかった。
私は夢見心地でいられる今を、とにかく失いたくなかったのだ。
(そんなに……林太郎さんが好きだったんだ)
そう、本当は気づいていた。
私はいつの間にか彼が好きになっていた、こうして一緒にいても、未来を思い描くことをためらってしまうくらい本気で。胸が苦しくてたまらないくらい真剣に。
手をつないで歩きながら、そっとため息をついた時だ。
「さあ、着きましたよ」
マッシモさんが大きなオリーブの木の下で足を止め、私たちに笑いかけた。
「そろそろ喉が渇いたでしょ? お二人はここで少し休憩なさってください。私は後ほどまた来ますから、どうぞごゆっくり」
濃い緑の葉陰には、小さなテーブルと折り畳み式の椅子が二脚置かれていた。
テーブルの上にはワインクーラーに入れられた白ワインとグラスがあり、簡単なオードブルまで添えられている。
本当に特別な場所であるフェリチタ庭園で、こんなサービスが受けられるなんて――。
マッシモさんが行ってしまうと、林太郎さんは私のために椅子を引いてくれた。
「座って、亜美さん」
「は、はい」
答える声は少し掠れていた。
いったいお見合いはどうなったのか、なぜ私たちはこんなふうにフェリチタ庭園で過ごすことができるのか――彼に訊ねたい質問が喉元までせり上がってくるけれど、私はやはりそれを言葉にできない。
一方の林太郎さんは器用にワインを開けると、私のグラスに注いでくれた。初めて会った時はそんなことができるようには全然見えなかったのに。
乾杯のためにグラスを掲げる仕草さえ別人のようだ。
「君に礼がしたかった」
「でも私は何も――」
「亜美さんのおかげなんだ」
「えっ?」
「君のおかげで、俺の視界に光が差し込んだ。研究以外のいろいろなものが目に入ってきたんだ、子どものころみたいに」
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