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29.自覚

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〈ギルバート視点〉

『冬の舞踏会』がお開きになった頃には、外はすっかり夕闇に包まれ、降り積もった雪だけが淡く輝いていた。
そんな中、ギルバートは1人、バルコニーから舞踏会から帰っていく人々を見守っていた。先ほどまで一緒にいたクラウスは今ここにいない。

招待客たちは先に立つため、クラウスも先に王宮に帰る馬車に乗り込んだはずだ。

「ギルバート」

その時、兄の声がしてアーサーが隣にやってきた。

「次の馬車で帰るのか?」
「ああ」

アーサーはわずかに微笑むと、バルコニーの手すりにもたれかかった。

「…おまえ、クラウスくんに本気なんだな」
「……兄さんが警戒しているのは知ってる。…でも」
「彼は平気、か?」

アーサーはじっとこちらを見つめる。その目に浮かぶのは、分かりづらいが兄として弟を心配する気持ちだった。

「…俺は、彼を信用していない。確かに…会ってなんとなく分かったよ、お前が彼に惹かれる理由が。だが、彼についての良くない噂がたくさんある以上、俺は慎重になるべきだと思うよ」

兄はいつもの飄々とした雰囲気を取りさらって真剣な顔をした。

「それに、例のブラッド伯爵と繋がりがあるだろ?」
「…それでも、俺は…彼を信じたい」
「俺はもうお前に傷ついて欲しくないんだよ」

アーサーは目を閉じてそう呟いた。

「…お前は、一時的に”嫌われ者で逆境にいる彼”に絆されているのを、恋と勘違いしてるんじゃないか?」

…?俺の、この想いは勘違い…?

──いや、そんなわけない。初めてなんだ。こんなに人を愛おしいと思ったことも、守りたいと思ったことも、もっと知りたいと思ったことも…この際限なく湧き上がる気持ちを、恋だと言わないで何になる?

「──俺は彼に惚れている」

胸の内の熱い想いを吐露するようにつぶやくと、アーサーが目を見開いて微かに照れくさそうにした。

「…『冷徹王子』と言われたお前が言うと破壊力がやばいな。お前、ファンの前でその顔しない方がいいぞ。全員真っ赤になって倒れる」

…兄さんは一体何を言っているんだ?

「だが、お前はなんで彼に惚れたんだ?…お前の初恋事情を、俺にも聞かせてくれよ」

急にニヤニヤしながらぐっと身を乗り出してくるアーサー。

…なんで、惚れたか、か…。

ギルバートの脳裏に、クラウスのへにゃりとした笑顔が浮かんでくる。
あれは、クラウスが嫌がらせを受けて傷ついたところを治療した後、初めて彼の顔をまともに見た時だった。

…あんなに可愛い人を見たことはない。

ギルバートはクラウスの姿を思い浮かべながらポツポツと語り出す。

「…笑顔が…すごく可愛いと思ったんだ」

アーサーは、急に1人思考の海に沈んでどこかポヤポヤし出した弟を驚いて見つめた。

「…律儀にお礼を言ってくれて、噂とは全然違う人だった」
「な、なるほど。つまりお前は顔を好きになったのか?」
「いや…彼の笑顔に釘付けになったのは確かだが、本当に彼に興味が湧いたのは、彼が1人で早朝から訓練をしているところを見てからだ」
「……クラウスくんが1人で訓練を…?」
「ああ。それを見て噂のような人物ではないと確信した。彼は最初、魔法が使えなかったから必死に努力したんだろう。誰からも手助けしてもらえず、敵意を向けられる中、彼は1人っきりで頑張っていたんだ。…彼は不思議な人だ。人生に達観したような大人な雰囲気もあれば、魔法を見て小さい子供のように目を輝やかせる。その意外な内面に実は多くの者が惹かれていっているのにも、彼は気づいていない」

アーサーは、考え込んだ。

…あの悪い噂がつきまとう彼が、弟の言うような人物だというのか?…しかし、アーサーの脳裏には、今日会って話したクラウスの真っ直ぐこちらを見つめてくる顔が浮かんだ。彼は王太子である俺と会って萎縮してはいたが、取り入ろうとするような狡賢さは微塵も感じなかった。…それが、本当の姿だとしたら。

「…なるほどね」
「…多分、出会った時から惹かれていた。こんな気持ちは初めてなんだ。…兄さんがなんと言おうと、俺は自分の気持ちを止めることはできない」

弟は、恋に浮かれているだけなのだろうか。…いや、しっかり俺の目を見つめたギルバートは決意に満ちていた。
アーサーは、弟が本気であることを認めざるをえなかった。

…そんなに好きか。
…だが、まだ、だ。俺も自分の目でもっと彼を見て、彼について知る必要がある。どんなに良い人そうでも、裏があるんだ。…そんな大人に、今まで俺たちは何度も騙されてきた。もうギルバートにはを経験させたくないんだ。

「分かったよ。…忘れるな、俺はお前のことを応援したいし、心配もしているんだ」

アーサーの温かい手がポンと背中に置かれた。







「…すみません、クラウスさんを送る馬車が間違って違う方を乗せたみたいで…今ちょうど来た馬車に、ギルバート殿下と一緒に乗っていただいてもいいでしょうか」

クラウスは御者にそう言われ、舞踏会の会場にいるギルバートを呼びに向かっていた。

「ギルバート殿下ですか?あ、バルコニーにいらっしゃいましたよ!」

警備兵の言葉に従ってバルコニーの入り口の扉の前に行くと、確かに空いた隙間から2人の人の後ろ姿が夕闇の中に見えた。

…ギルバートと…アーサーもいるらしい。

クラウスは、呼びかけようと扉に手を掛け、

──耳に飛び込んできた会話に、ハッとして止まった。




「──………出会った時から惹かれていた。こんな気持ちは初めてなんだ。…兄さんがなんと言おうと、俺は自分の気持ちを止めることはできない」


それはギルバートの声だった。ドクリと心臓が動く。

…なんの、話だ?

しかし、すぐに悟った。…ギルバートの声が聞いたこともないような、優しい響きを持っていたから。

──ギルバートが、好きな人の話をしているんだ。

そう思った瞬間、クラウスは急に全身が凍りついたようになった。

…やっぱり、好きな人がいたんだな…。誰だろう。あの騎士団長の綺麗な娘さんかな。きっと…。

──なぜ俺はこんなにショックを受けているんだ?

…ギルバートに好きな人がいると思うと、胸が締め付けられるような痛みを覚える。ギルバートが、誰か他の美しい人に愛おしそうに笑いかける。それは至極自然なことのはずなのに、耐え難い痛みをもたらした。…その特別な笑顔は俺に向けられることはない。彼の心が開かれる相手は…俺ではない。…俺も、隣に居たかった。彼の特別になりたかった。なぜ……俺じゃないんだ?そんなこと当たり前なのに、俺の心は身の程知らずな欲望に染まる。
…もっと、彼に近づきたかった。彼の痛みも、悲しみさえも一緒に分かち合いたかった。ずっとそばに居たかった。…友人としてではなく、愛する人として。


……俺は、ギルバートのことが好きなんだな……


ようやく、この想いを自覚した瞬間だった。

クラウスはその事実に呆然として、ギルバートとアーサーが自分の気配に気づくまで扉の前から動くことができなかった。




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